MAID iN HEAVEN SuperS(全二巻)

 ストーリー・自分専用のメイドが欲しいという壮大な夢をもちつつ、大都会の一角に建つアパートに暮らす主人公、松戸祐介。だが、わびしいアパート暮らしではメイドなど雇う事なぞ、到底出来るわけがなく、ただそれは夢のまた夢に過ぎなかった。が、人生なにが起こるかわからない。ある日、主人公の元に、ひとりの可憐なメイド、なぎさがやってくる。彼女は主人公の5歳年下の幼なじみ。小さい頃、主人公がふともらした「メイドが好きなんだっ!」という一言を健気にも覚えており、立派なメイドとなって主人公の前に姿を現したのだ。そして彼女は、わたしをあなたのメイドにしてほしいと主人公に懇願する。安直かつ御都合主義的な展開をあっさり受け入れて、夢の生活をはじめた主人公。さて、彼らが夜することといえば… もう、ただひたすらエッチのみであった !!




 ・2005年度にグリーンバニーレーベルから頒布された作品で、原作としてPCゲームがあるようです。
 また、下のりぷとー様の評↓によれば、同レーベルの遺作であるらしいです。
 りぷとー様は、エロやストーリーの嗜好が合わないとして、グリーンバニーレーベルを忌み嫌っておられたようですが、オイラ個人としては、エロはコレでなきゃダメ!というほどの強いこだわりは無いし、純愛モノもそれはそれとして受け入れようというスタンスでしたから、グリーンバニーさんに悪感情を抱いていたということはありませんでした。
 むしろ積極的に評価していたレーベルさんとすら言え、それは「抜ける、抜けない」というエロアニメの価値とは別に、いつも丁寧に、愛を込めて作品を作っていたレーベルさんだと感じていたからです。
 本作「
MAID iN HEAVEN SuperS」も、地味ながら誠実な造りが好印象。
 原作ゲームがどんな内容かは存じませんが、メイド趣味、SM趣味というインモラルな嗜好を描きながらも、若い男女が「心」で繋がれていく様を丁寧に描いています。
 見た目は「バカップルのハメ撮り映像垂れ流し」なんだけれど、メイドだろうが、SMであろうが、二人の間に「信頼」さえあれば、何だって気持ちイイんだという優しいテーマが上手く伝わってくる。なかなか粋な脚本と演出です。
 作画も素晴らしくシャープ、かつ可愛らしくて、SMっぽい陰惨さが全く無いのは良いと思う。見ていてホンワカするですよ。
 このような良作をコンスタントに頒布されていたグリーンバニーさんの撤退には、本当に寂しい気分にさせられます。
 需要、流通その他、キビシイ現状は理解しますが、もう少し頑張って欲しかった。イヤ一番いけないのは、市場を支えきれないエロアニメファンなのかもしれませんが・・・
 本作の「抜ける度」は2.5ですが、エロアニメ史に記憶されるべき良心的レーベルさんの遺作として、見てみる価値は十分だと思います。
 ちなみにヒロインの鼻声がとっても可愛い。もしかしたら柳瀬なつみ氏かな?
(彩雲11型)


・2005年に発売されたGREEN BUNNYレーベル、最後の作品。本作品の批評の前に、GREEN BUNNYレーベルに対する私の印象を書きたいと思う。単刀直入にいうと、私はGREEN BUNNYレーベルが大嫌いである。私はしばしば自分のレビューでVANILLAレーベルを辛辣にののしることがあるが、そのVANILLAの作品群よりもGREEN BUNNY作品を嫌っている。私は全てのGREEN BUNNY作品のうち、半分程度は見てきた。しかし、それ以上は見る気を失くした。GREEN BUNNYと表示されているだけで毛嫌いするようになったからだ。私が鑑賞して、良かったと思えたGREEN BUNNY作品は、「学園ソドム 1巻目」、「黒愛 2巻目」、そして今回レビューを行う「MAID IN HEAVEN SuperS」くらいである。私がGREEN BUNNY作品を嫌う理由は、エロシーンとストーリーに不満があるからだ。エロシーンに関しては、ハードさが足りないものが圧倒的に多い。私がそそられる分野は「SM、アナルファック、スカトロ」である。GREEN BUNNYには、これらの分野に特化する作品がほとんどない。ストーリーに関しては、GREEN BUNNY作品には、@純愛物、A女キャラ武装物が多いという印象をもっている。まず、@に関して、エロアニメにおける純愛物に対する私の考えを述べる。純愛物という単語は、男が女を、あるいは女が男を好きになるという感情をテーマにした物語を社会常識の範囲内で描いている作品という意味で使われることが多い。だから、SM、レイプ、スカトロ等は一般社会では背徳行為とみなされており、これらを扱うエロアニメを純愛物とみなす者は誰もいないだろう。これは蛇足であるが、社会常識は歴史背景、階級などで相当変わってくる。例えば、古代の純愛物として幅広く読まれている源氏物語を例にあげると、この物語の主人公、光源氏は平気で浮気をしたり、夜、何の断りもなく女の住む館に赴き、その女を抱いたりする。彼の行動は現代の価値観からすれば、明らかに背徳行為だが、平安時代の貴族社会では一般的だったのであろう。よくよく考えてみると、エロアニメの主人公は、どんなジャンルであろうと、平気で浮気をする男が多い。そして違う女を何人抱こうが気に留める奴は少ない。エロアニメの主人公は平安貴族と似たような性的価値観を有しているのかもしれない。もっとも、別の捉え方をすると、源氏物語は古代版のエロ創作物とみなすことができ、エロアニメと現実が大きく乖離しているのと同様に、実際の平安貴族にはもっと節操があったのかもしれない。もちろん、現在のアラブの王族たちが何十人もの婦人を囲い込んでいるように、藤原氏のような有力貴族がたくさんの女を抱くのにいとまなかったのは間違いないだろう。今も昔も愛人の数は男の甲斐性ということか。
 話が横道にそれたので元に戻す。私はエロアニメという分野で、すすんで純愛物を鑑賞しようとは思わない。断っておくが、私は純愛物を一方的に嫌っているというわけではない。ただ、エロアニメにおける純愛物というのは、ジャンルの特性上、エロシーンに自ずと制約がかかる。その大体は単調なセックスシーンに終始するのがもっぱらだ。それは私を苦痛にさせる。エロシーンなどカットして、もっと登場人物に深みをもたせる演出に時間を割くべきだという気持ちにさせる。私がエロアニメを鑑賞する目的は、性的な意味での女体美を求めることにある。だから、エロアニメの要はエロシーンをどれだけエロくできるかに尽きる。このことをふまえると、エロシーンを短くしろという感情が芽生えてしまう純愛物は、私がエロアニメを鑑賞する動機から逸脱しているように感じるのである。
 補足であるが、登場人物に深みをもたせる演出とは、言い換えると、登場人物に愛着をもたせる手法のことである。女キャラに愛着をもつために私が重要と考えているのが、以前のレビューでもさんざん述べたように、「顔形、女らしい言葉遣い、声色」である。顔形、声色は別として、言葉遣いで私を満足させてくれる女キャラは2000年以降のエロアニメでは、残念ながらほぼ皆無である。声色に関しても、近年のエロアニメは、昔の多くのエロアニメに比べると、声優の演技力が劣っていると感じられることは否めない。GREEN BUNNY作品では、声優の演技の稚拙さを感じることはまずなかったが、ひどいのが目立つのが、Milky作品で、例えば、スタイアー(2001.7.21)の声優の演技の拙さには度肝を抜かれた。この作品は学園物であるが、女子高生キャラに関して、声優の下手さも手伝って、まるで本物の一般の女子高生がアフレコをやっているかのようなリアリティがあった。
 Milkyホームページのスタイアーの紹介文に「現代の若者たちの等身大の性と恋い愛をリアルに描いた・・・」と書いてあるから、現代の女子高生の日本語の発声までリアルに再現したのか?もしそうだとしたら、この監督は只者ではない。私としてはちっとも嬉しくないが。
 Aに関しては、適切な言葉が思いつかなかったので、私が女キャラ武装物と勝手に命名した。要するに、女キャラが男キャラと同様に戦場で活躍したり、あるいはマフィア相手に拳銃をぶっぱなしたり、時には、正義のヒーローの如く悪の組織に勇敢に立ち向かったりするストーリーのことを指す。この手のものは、アニメの歴史に詳しくないから正確なことはいえないが、昔から存在した。とはいっても、複数の男たちの中の紅一点というケースが多かった。あからさまに女キャラが先頭にたって、男キャラ並みに暴力を振るうようになったのは、美少女戦士セーラームーンがヒットしてからだと唱える人がいる。この説について、ここでコメントするようなことはしないが、あえて美少女戦士セーラームーンを取り上げたのは、私はこのような女キャラ武装物に関しては、とりわけ不快感を催さないことを示したかったからだ。なぜならば、セーラー服で戦うなぞ非現実的にも程があるからだ。だから、エロアニメでいえば、例えば、Milkyのファミレス店員のコスプレをしながら悪と戦う「ファミレス戦士プリン」はなかなか興味深く鑑賞することができた。私が不快に感じるのは、戦争などのリアリティのある設定舞台で、まるで鬼神の如く強面の男達をばっさばっさとなぎ倒す女キャラの存在である。この手のものはアメリカ合衆国の創作物に圧倒的に多く、近年、洋物に影響されてか、あるいは時代の流れか日本でもアマゾンのような女が戦場で活躍するストーリーを硬派で良いとする風潮があるように見受けられる。対照的に、お色気キャラ、媚びキャラをこのような舞台に登場させると不評を買うように思われる。戦う女キャラそのものに私は今一魅力を感じないということを前提に、アマゾンよりはお色気キャラ、媚びキャラのほうがまだましだと私は考えている。
 さて、本題の「MAID IN HEAVEN SuperS」のレビューに移る。この作品の出来はなかなか良い。GREEN BUNNY最後の作品にして、最高傑作であると私は思う。その理由はメイド物だからというわけではない。私はメイドあるいはメイド服フェチではない。話がまた脱線するが、メイド服、ナース服、スク水、ブルマと女キャラのエロさを高めるコスチュームは色々ある。その中で、私はどちらかというとブルマフェチである。私の子供のころは体育の授業の女子生徒の下半身の服装といったら一般的にブルマであったが、90年後半ごろからかブルマは次々と廃止され、ハーフパンツが主流となった。その理由は、下肢の露出が多く、ボディラインがくっきり見える服装は性的に不謹慎だからといったところだろう。現代社会は実写、アニメ、マンガなどジャンルを問わずポルノが蔓延している一方で、それ以外の世界では、人間の肌の露出をひどく不潔がる、あるいは抑止する風潮になってきているように感じる。去年の話になるが、紅白歌合戦でのDJ OZUMAの演出が大きな社会問題になったことも、この風潮とあながち無関係ではあるまい。古代ギリシア人や江戸時代以前の日本人、現代でいうならば、南方の土人たちは裸であることに羞恥心を感じることは少ない。対照的に、ユダヤ・キリスト教、イスラム教といった砂漠で生まれた一神教の信者は人間の裸体を極端に忌み嫌う。彼らは霊肉二元論者であり、肉、要するに裸体を不浄なものとみなしている。現代社会はグローバル化されており、日本人が自覚していようがいまいが、ユダヤ・キリスト教の価値観(ここでは、中世のカトリック教徒の価値観ではなく、現在のアメリカ人あるいはヨーロッパ人の価値観ととらえていただきたい。) が日本を席巻していることがこの風潮を生み出している一つの背景となっているのではないかと考えられる。ブルマは一般社会から淘汰された。失われた物への郷愁が私をブルマフェチにさせたのかもしれない。
 話を元に戻す。「MAID IN HEAVEN SuperS」はタイトル通りメイド物である。ただし、一般的なメイド物とは毛色が違う。一般的なメイド物では、メイドは大金持ちに雇われているという設定が多いが、この作品では冒頭のストーリーの部分で説明した通り、主人公、松戸祐介はおせじにも金持ちとはいえない普通のサラリーマンで、一方、同居しているなぎさはメイドのコスプレをしている新妻といった印象で(彼らが結婚しているかどうかは物語からは分からないが) 、妙に家庭的である。私はこのように熱々で、世間と少しずれているバカップルの物語は好きである。他作品で例をあげると、「エルフの若奥様(ピンクパイナップル)」、「忍法乱れからくり(ピンクパイナップル)」、「ダーリン(ちぇりーそふと)」などがバカップル物であるとみなせ、私はいずれも面白く鑑賞することができた。子持ち、しかも、その子供が高校生くらいの人妻、すなわち、熟女を寝取るどろどろとした人妻物は腐るほどあるが、新妻を題材としたバカップル物は案外少ないという事実は大変悲しいことであると思う。
 「MAID IN HEAVEN SuperS」はバカップル物の代表であるといえるが、上記にあげた3作品とは徹底的に違う特徴を有する。それはエロシーンが想像する以上にハードであるということである。主人公、松戸祐介の容姿は現代アニメを象徴するようなやさ男であるが、こと性的行為に関しては妥協を許さない。なぎさに対して、目隠しプレイ、緊縛、二穴責め、浣腸、アナルファックなどあらゆる行為を行い、視聴者を楽しませてくれる。感心したのは、浣腸後の脱糞シーンが、決して力を込めて描かれているとは断固としていえないが、省略されていなかったことである。ここで、脱糞に関して少し言及しておきたい。私は「夜勤病棟 Kranke.児玉ひかる」のレビューで「私は最近AV女優に浣腸して排泄させる実写のスカトロビデオを鑑賞した(案外気持ち悪くない。私はすぐに慣れた。それはやはり映像では便臭がないから云々・・・。) と書いたが、この記述に関して少し補足させてもらう。確かにAV女優が浣腸されて、トイレに駆け込み脱糞程度の動画では何とも無いが、糞を体中にベタ塗りや食糞の域にまで達すると、さすがに実写ではエロを通り越して、グロ以外のなにものでもなくなると近頃実感した。スカトロ描写によるエロさの追求はやはり2D創作物に限ると今さらながら思った。エロアニメでスカトロ描写の頂点をいくのが、くどいようだが、「夜勤病棟 Karte.6&8」であると私はみなしている。アニメにおけるスカトロ描写は、これら2作品を超えていける発展余地がまだまだあるように私には思えてならないが、あれから5年弱経過したにもかかわらず、私は現段階でこれらの上をいく作品に出会ってはいない。
 話が横道にそれ、レビューが尻切れトンボのようになってしまったが、最後に、この作品の抜ける度は1、2話ともに3.5とする。
(りぷとー)


→戻る