THE UROTSUKI(全3巻)

 ストーリー・この世は人間界、魔界、獣人界という三つの世界で作られている。その三界を、数千年に一度、「超神」と呼ばれる神の中の神が現れて、一つにするという。死刑執行を明日に控えた獣人界のお尋ね者、天邪鬼は、突然、獣王の御前に連行された。死刑を免れる代わりに、超神伝説の真偽を確かめるべく、数千年前に闇の彼方へと封印された魔界へ行け、というのだった。




 ・私が重い筆をとり、レビューを書く衝動にかられたのは、以下引用、「女性を乱暴するといった「凌辱系」と呼ばれる日本製のゲームソフトがイギリス議会などで問題となったことを受け、パソコンソフト業界の自主審査機関が今後、こうしたソフトの製造・販売を禁止する方針を決めたことが明らかになりました。」引用終わり、という情報を、マスコミを通して知ったからだ。よって、今回のレビューの前半は、もちろん、この問題を取り上げさせていただく。私は、「超神伝説うろつき童子 放浪篇」のレビューで2Dポルノの暗黒時代突入を予言した。今回の規制が実現されれば、この予言は、悲しくも成就することになる。自己規制だからと思って、甘く見てはいけない。エロアニメが滅びた(私はすでにそうみなしている。)理由は種々あろうが、その一つの原因は、過度の自己規制であると考えられる。エロゲ(正確には、エロゲCG)は規制がアニメより甘く、元々アニメより抜くための実用度が高い作品が圧倒的に多く、2Dポルノの最後の砦ともいうべき存在であった。
 私は2Dポルノに関してはアニメ派であったが、自己規制という鎖で雁字搦めにされたエロアニメを見限り、徐々にエロゲCG派になっていった。その最後の砦が、フェミファシストごろつきども、人権屋等(以下、敵と表記)によって脆くも崩れ去ろうとしているのだ。
 今回の騒動の顛末(結果はまだ出てないが)に関しては、私は敵に不意を突かれたと感じている。敵は2Dポルノの中の児童ポルノ表現を執拗に攻撃していた。だから、規制に手をかけてくるとすれば、まず、こちらが先だと思っていた。だが、敵は矛先を変えてきた。「凌辱物」を一切禁止するという現代版の焚書坑儒ともいうべき暴挙に出始めたのだ。この目論見が達成されれば、エロゲCGは完全な死を約束されるであろう。そもそも「凌辱物」とはいったいどういう定義なのか?この言葉のもつ意味は捉え方によってはいくらでも範囲を広げることができる。最も過激なフェミファシストたちは、男を全て強姦魔とみなしているから、「和姦物」さえ、きゃつらは「凌辱物」と判断してくるにちがいない。もっとも、「和姦物」だけしかなくなったエロゲCGなどその存在価値はないに等しい。
 ことの発端は、引用文でも書いてあるとおり、レイプレイというエロゲ(ポリゴンによる擬似3D物。よって、ここで私が述べているエロゲCGとは厳密には異なる。)が、イギリスのばりばりの観念論者の標的にされ、政治的問題に発展したところにある。今回の騒動では、レイプレイがたまたま槍玉に上がっているが、敵にとっては、どんな作品でも良かったにちがいない。レイプレイはスケープゴートにされたのである。今回、敵にスキをみせてしまった反省点の一つに、エロゲの国際展開があるように思う。私は2Dエロ物に関しては、完全な鎖国主義者である。過度の性的描写を敵対視しているのは、なにも革新的なフェミファシストどもだけではない。彼女らとは普段敵対関係にある古くからの宗教的価値観を大切にする保守的な者たちも含まれる。これらの価値観をもつ国民が圧倒的多数を形成する国家に近年、隆盛を極めていた自由貿易主義者の口車に乗せられて、エロゲを輸出することは、まさに紛争地帯に裸で足を踏み入れるが如き軽率で無謀な行為である。性的描写に関して、日本のようにリベラルな国(過去形?)は、世界中を探してもそんなにないはずである。「日本が誇るべき2Dコンテンツを国際化していくべきだ。」と主張する為政者やマスコミを始めとするグローバリズム信奉者たちは、頭がおかしいのではないかと思ってしまう。ひょっとしたら、こういう人たちは敵の回し者ではないかと勘ぐってしまう。
実際、今回の騒動で、一部の政府関係者が「このような不埒な性描写は、2Dコンテンツの国際化の大きな障壁になる。」という目を疑うような発言をしていた。
 今回の騒動の一舞台であるイギリスという国は性的描写に寛容ではなさそうである。ずいぶん前の私体験だが、私の大学時代、一人のいけ好かない英語教育担当の英国人教師がいた。ある日、彼はなんと英語の授業であるにも関わらず、児童ポルノは絶対に許せないというテーマで講義を展開し始めた。私は正直びっくりした。私は今までフェミニズム信奉者の教師(もちろん、日本人)には何人か出会ったが、ポルノ規制を声高に主張する教師には、それが社会科学専門の教師であろうと、一人も出会わなかったからである。イギリスにはこのような英国人ばかりがいるとは限らないが、性的描写規制に対する英国人の考えを垣間見たような気がする。このような国に対して、のこのことエロゲ市場開拓に勤しんでいたエロゲメーカーは、国際感覚が欠如しているとしか思えない。
 さて、すでにお分かりだとは思うが、私はエロゲCG描写非規制派である。モザイクすら外すべきだ(絶対に実現しそうにないが)と考える過激派でもある。断っておくが、こういったものは個人で、密かにこそこそと楽しむべきであり、公序良俗に反する行為は絶対に許されるべきではない。だが、この個人の楽しみを自分の観念的な主義・主張のためだけに根絶やしにしようとしているやつらを同じように絶対許しはしない。表現の自由を守るため、徹底的にレジストするべきであるが、なにせ敵は政治家をも取り込んだ巨大な利権団体であり、一般世論の操作も思いのままである。悲観主義者でもある私は、エロゲ市場は、敵の残虐な攻撃によりぺんぺん草も生えない焦土と化す未来が見える。私はいつしか「さようなら、エロアニメ」と今後発売されるエロアニメを一切見ないであろうことを誓ったが、今度は「さようなら、2Dエロ物」と言わなければならない日が刻一刻と近づいているように思えてならない。
 では、レビューに移らせていただく。「The Urotsuki」とはバニラブランドで発売されたうろつき童子シリーズであり、全3話構成である。うろつき童子シリーズといえども、以前の作品のストーリーとは何の関連性もなく、まさに別物である。評価は、一言で言ってしまえば、完結篇に続く黒歴史がまた一つ刻まれてしまったなである。「The Urotsuki」は、どんな名作シリーズでも、バニラクオリティにするとこうなるという格好の良い例である。
 ここで、当初は、バニラクオリティについて詳細な考察を挟もうと思ったが、レビュー前半に別のことをだらだらと書いてしまったので、またの機会にさせていただく。多くのエロアニメを視聴してきた者にとって、バニラクオリティが何を意味するのかは自明の理であるように思われる。もちろん、個々人によってバニラブランドに対する印象は違ってくるとは思うが。
 「The Urotsuki」の登場人物は、印象の薄い魅力が皆無なやつらばかりである。一応、うろつき童子シリーズということなので、シリーズの顔である天邪鬼は登場する。彼の声を演じている声優も同じである。彼の子分である黒子も登場するが、天邪鬼の妹である恵は登場しない。そもそも「The Urotsuki」では、天邪鬼に兄弟姉妹がいるかどうかはわからない。初期3部作の主人公、南雲辰夫と同じ名をもつキャラクターも登場するが、性格から何もかも初期3部作の彼とは全く接点の無い別キャラとして描かれている。他にも尾崎、明美、仁木と初期3部作のキャラと同名のキャラが登場する。ストーリーが全くの別物なのに、なぜ名前だけ初期3部作に拘るのか、私には理解できなかった。キャラの一人に柴山百合という眼鏡娘がいる。以前のどこかのレビューで書いたと思うが、私は眼鏡娘が大嫌いである。どんなにエロいシチュエーションでも、女キャラが眼鏡をかけていたら、その瞬間、私にとって、それはポルノではなくなるといっても過言ではないくらいに嫌いである。いつごろからか、眼鏡娘が最低一人はいるというのが2D物のお約束のようになってしまった。これは個人的には悪い習慣であるように思う。もちろん、眼鏡娘キャラを2D物から全て排除しろなどという偏狭な主張はしないが。敵役として「The Urotsuki」には魔界五人衆と呼ばれる集団が登場する。このヒーローorヒロイン物チックなキャラ設定に私は違和感を覚えた。私は子供じみたヒーローorヒロイン物を否定するわけではないが、壮大な物語や、主人公とヒロインの悲しくも感動的な恋愛悲劇を売りにしていたうろつき童子シリーズの続編を仮にも名乗っている限り、こんなチープな設定はいかがなものか。
 ストーリーに関しても、キャラに魅力がないこともあり、全く心に残らない。バニラクオリティなのだから、画力に全く期待できない分、せめてストーリーくらい魅せるものにしろと言いたい。まあ、画力も糞、ストーリーも糞、それがバニラクオリティと言えるわけだが。アニメに関しては、画力がダメダメでも、案外面白いものも存在する。そういうものは大抵、登場人物を極端にしぼって、コンパクトに仕上げている。ストーリーは、シリアス物ではなく、コメディ系、ほのぼの系であることが多い。以上の条件さえみたせば、たとえ動画のクオリティが紙芝居レベルでも、声優の演技やBGM効果で化粧さえすれば、下手に仰々しく見せる作品よりもよほど面白く見える。例えば、「スーパーセクシーアンドロイド ピンキー」は動画のクオリティはお世辞にも高いとは言えないが、個人的に評価できるアニメである。一方で、「The Urotsuki」は自分の力量も省みず、大風呂敷を広げすぎて収拾がつかなくなってしまった感がある。「The Urotsuki」の主人公は尾崎ということになっているが、天邪鬼や南雲も主人公級の扱いを受けている。女キャラにいたっては、柴山、海原、魔界の女王、魔界五人衆の一人、青幻姫、etc.と出演しすぎである。エロアニメにおいては、女キャラが出すぎる作品は、だいたいが駄作になる。時間の都合で、それぞれの女キャラを濃密に描写することができないので、どうしても個々のキャラの印象が薄くなってしまう。ましてやストーリー展開にとっては邪魔でしかないエロシーンを女キャラ全員分用意していたら、中身の全く無い作品に仕上がってしまうのも無理はないだろう。「The Urotsuki」では、バニラクオリティらしく、単調で抜き要素の全くないエロシーンだけはふんだんに用意されている。
 さて、ストーリーで印象に残ったシーンを2,3個挙げてこのレビューを締めくくりたいと思う。第1話序盤では、背景にCGによる擬似3D描写をふんだんに用いている。私は、90年代後半、フルポリゴンで表現されたステージを進むACTに非常に大きな感銘を受けたことを覚えている。その感動が大きすぎて、今でも最新の3DCGよりも当時の粗い3DCGのほうに趣を感じてしまう。だが、エロアニメやエロゲにおいては、3DCGなど無用の長物だろう。ゲームの歴史を見ればわかるように、人物にしろ、背景にしろ、3DCGはどんどん写実的になっていった。だが、特に、人物に関しては今でも不自然さが残る。毛穴等、肌の細かい部分を上手く表現できないので、肌がつるつるのマネキン人形のように映る。
 断っておくが、私はマネキンに見えるからという理由で無用と言っているわけではない。
 たとえ技術が向上し、生身の人間と変わらないような描写に成功し、それをエロ物に応用したとしても、それは多くの労苦を強いられる割には、全く実りのないものになろう。そんなものを鑑賞するくらいなら、ビデオカメラで撮影されたAVを見れば、それで事足りるからである。「The Urotsuki」の制作者は3DCGを駆使することで、技術力の高さを誇示したかったのだろうが、肝心の2D描写がダメでは本末転倒をいいとこである。次に印象に残ったのが、第2話冒頭にて、天邪鬼が青幻姫に首を切られたシーンである。天邪鬼はその超人的な力により首を切られても平気で、生首のまま会話をすることさえできる。もちろん、首を胴体に戻せば、あっという間に元通りである。そういえば、初期3部作第1話においても、天野邪鬼は魔人によって切断された腕を再生するシーンが存在した。獣人とは何と恐るべき再生力の持ち主なのだろう。だが、首を切られてもなんとも無いというのはいかがなものかとは思う。現実の脊椎動物の場合、首を切られたら確実に生命活動を停止する。天邪鬼の正体は不死身のアンデッドかあるいはデュラハンか何かなのだろうか?
 そして「The Urotsuki」で最もインパクトが強かったのが、第2話中盤で登場するブサイク娘、仁木の登場である。エロアニメでブサイク娘は禁じ手だろう。超神云々という話が吹っ飛んでしまうほどの衝撃を受け、そして同時に大いに萎えてしまった。私はこの瞬間、「The Urotsuki」の鑑賞を止めた。だから、第2話中盤までしか私は鑑賞していない。ネットからの情報だが、南雲覚醒の段階で「The Urotsuki」は打ち切りになったらしい。こんな出来ではむべなるかなである。いっそのこと、初期3部作の設定を最大限に生かしたようなストーリー構成にしたほうが、まだ見られたものになっていたのではなかろうか?
 だが、たとえそうだったとしても、私は大きな失望感に満たされたにちがいない。名作、初期3部作がバニラクオリティになって帰ってくることにおそらく私は耐え切れないだろう。「さようなら、うろつき童子シリーズ」、この言葉でレビューを締めくくりたいと思う。
 抜ける度は1である。
(りぷとー)


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