真・超神伝説うろつき童子 魔胎伝(全二巻)

 ストーリー・第2次世界大戦中、ドイツの総統、アドルフ・ヒトラーは世界の覇権を握るため、秘密裏に狂王召喚の儀式をすすめていた。狂科学者、ミュンヒハウゼンは狂王召喚の一切を任されていた。しかし、儀式は失敗、ミュンヒハウゼンはその責任を負わされ射殺される。月日は流れ、舞台は現代日本に移る。魔人族をも震撼させる絶大なる魔力を手に入れたミュンヒハウゼンの息子、ミュンヒハウゼン2世は父の無念を晴らすべく、再び狂王召喚の儀式を執り行うとしていた。




 ・うろつき童子シリーズ、第2段。正式名称は真・超神伝説うろつき童子 魔胎伝(以下、魔胎伝)で、全2巻構成である。魔胎伝は、初期3部作で明美が魔人に襲われてから仁木編に突入する間の物語である。初期3部作では、南雲と明美が相思相愛になってから、仁木編に突入するまで、ほとんど時間がないような印象であったが、どうやらかなりのブランクがあったらしい。個人的には、初期3部作で十分に描き切れなかった南雲と明美の恋愛描写を魔胎伝で補完してほしかったが、2巻しかないので、その願いは叶わなかった。魔胎伝では、南雲には多少の見せ場があるが、明美に関しては、完全な脇役扱いである。魔胎伝での主人公は南雲の従兄弟、桐生武明、ヒロインは天邪鬼の妹、天野恵である。恵は初期3部作にも登場していたが、あまりぱっとしない脇役であった。恵と明美の立場が魔胎伝では完全に逆転しているといえる。魔胎伝は、巷ではうろつき童子シリーズの中で最も完成度が高いと評されることがある。初期3部作は、ど派手なバトルシーンなど、一つ一つのシーンの盛り上がり方は秀逸だが、その一方で、ストーリーの前後関係の矛盾、人物描写の軽薄さがやや目立つ、いわばシリーズ初物にありがちなうわついた作風であった。
 対照的に、魔胎伝は、地味な展開が多くなったものの、メインキャラクターの人物描写に深みが増したように感じられる。特に、上巻〜狂王、復活への祈りで、恵が武明に惚れていく過程は、短い時間ながら上手く表現されている。うろつき童子シリーズの中で、最も優れている恋愛描写はどれかと尋ねられたならば、私は問答無用で魔胎伝上巻の武明と恵の恋愛描写と答えるだろう。
 それでは、魔胎伝のメインキャラクターについてレビューする。まずは、狂王からである。実は、狂王は魔胎伝で一度も登場しないので、メインキャラクターというよりはむしろキーワードといったほうが正確である。初期3部作では全く触れられなかった狂王とは一体何者であろうか?ミュンヒハウゼン2世(以下、ミュンヒハウゼン)は、狂王のことを「魔界、獣人界、人間界、全ての破壊者」、「神の中の神の存在」、「神あらば、悪魔ありきが理なり。超神あるときあるいは狂王あらん。」、「3界を支配するという超神をもってしても敵わぬ存在」と述べている。初期3部作での超神の立ち位置は、現実でいうユダヤ教のヤハウェ、イスラム教のアラーのそれに相当すると私は考えていた。唯一絶対神の御前では、悪の象徴、サタンですら彼の僕にすぎない。旧約聖書、ヨブ記の冒頭では、神と対立する存在ではなく、人間に苦難を与える役目を仰せ付かった御使いとしてのサタンが描写されている。対照的に、善悪二元論の特色が強いゾロアスター教やマニ教などの宗教では、強大な力を有する神が2者おり、彼らは対立関係にある。ゾロアスター教は光明神、アフラ・マズダと悪神、アーリマンの飽くなき闘争がこの世のあらゆる事象を左右していると説く。
 超神と狂王の関係は、ゾロアスター教のアフラ・マズダとアーリマンの関係に酷似しているといえる。狂王は後のシリーズでもキーマンとなり続ける。私は当初、狂王は見るもおぞましい怪物であることを想定していた。しかし、制作者は何を思ったのか、次シリーズで降臨する狂王をアレなキャラクターにしてしまった。魔胎伝でミュンヒハウゼンが幾度と説明する狂王の初期設定を制作者自身が強引に無視し、狂王の立ち位置を大幅に変更させてしまったことが災いしてか、最終的にうろつき童子シリーズのストーリーは、狂王の存在とともに破綻を迎えることになる。狂王については、もっと語りたいことがあるが、魔胎伝のレビューでは保留することにする。
 次に、ミュンヒハウゼンについて述べる。彼は狂王と同じく、後のシリーズでもキーマンであり続ける。彼は出番が多い割には、謎が多い男である。真っ先に疑問に思うのは、彼のもつ魔力である。彼は最もひ弱な人間族に属するにもかかわらず、獣人、天邪鬼と互角あるいはそれ以上の戦闘能力をもつ。そして長寿である。彼の生い立ちは、第2次世界大戦中のドイツ(年代は1944年)で、父親の助手を務めていたということくらいしかわからない。その時の彼の年齢が、若く見積もって高校生くらい(16〜18)だったとして、魔胎伝の舞台、現代日本が魔胎伝の発売日(1990年)と同じくらいの年代であると仮定すると、彼はすでに還暦を迎えている。しかし、彼の容貌はどう見ても30代くらいにしか見えない。これも彼がもつ魔力ゆえであろうが、一研究者にすぎなかった男が、獣人並みの特殊能力を発揮できるようになった経緯は省略せず、丁寧に説明すべきだったと思う。もう一つ腑に落ちないのが、彼の野望である。彼は物語中で「超神を倒したくないか?」、「この世の全てを手に入れるために」と述べている。この言葉足らずな表現から察するに、彼は超神を殺して、3界の支配者になろうとしていることが伺える。そのために、彼は狂王召喚を試みているのだろう。だが、ちょっと待ってほしい。前の方で述べたように、狂王が超神を凌ぐほどの実力者であることは、ミュンヒハウゼン自身が嫌やというほど知っているはずだ。
 その実力者を人間如きが手玉に取れる算段が彼にはあるのか?もし狂王召喚に成功したとしても、彼の手にあまり、結局狂王に殺されてしまうのがオチではないのか?どっちにせよ、世界征服を目論む典型的なヒーロー物悪役にミュンヒハウゼンを仕立て上げてしまったことによって、彼の存在が子供じみたチープなものになってしまったことが否めない。
 狂王を召喚し、世界を恐怖のどん底に叩き落すためには自分の命すら平気で捧げる、混沌を望む狂魔導師という設定にしたほうが幾分ましだったのではなかろうか。もう一つ、彼をチープに見せているのが、彼のやられっぷりである。ミュンヒハウゼンは後のシリーズ、未来編、放浪編にも登場するが、全てに共通して、彼のやられ方が「もうお前に費やす時間はびた一文とない。悪役キャラはすんなりと消え去れ。」という制作者の気持ちが伝わってくるかのようなあっけなさである。彼は普段は冷静で、きざったらしく振舞っており、天邪鬼との戦闘では、常時余裕の発言をして、天邪鬼を牽制する。それらの態度と最後のやられ方との大きなギャップが、彼をヘタレキャラに見せるのに大いに貢献しているといえる。
 主人公、桐生武明について述べる。彼の性格はうぶで生真面目である。うろつき童子シリーズの歴代主人公は、物語序盤とその後でキャラ設定が180°変わってしまうことが多い。
 初期3部作の南雲しかり、未来編の武獣しかりである。その点、武明は物語の序盤から終盤まで性格が安定していたように感じた。
 最後に、ヒロインの恵について述べる。彼女は、天邪鬼と同様に全うろつき童子シリーズに出演する数少ないキャラである。ただ、ヒロインとして扱ってもらえたのは、この魔胎伝を除いて他にない。そして、魔胎伝は恵の恋愛ストーリーと断言できるくらい彼女が優遇されている。他のシリーズでは、誰にでも抱かれて感じる淫乱女というイメージが強い彼女であるが、魔胎伝では、一途に武明のことを思う献身的な女として描写されており、そこが、ポイントが高い。そして、もう一つ評価すべきことは、魔胎伝では、彼女は綺麗な女性語を使うというところだ。原作コミックでは、彼女は兄と同じく、ぞんざいな関西弁を話す。アニメで思い切った言葉遣い変更を敢行した制作者の方々、GJと私は言いたい。
 恵は、次シリーズ以降は、残念ながら、元の脇役に戻ってしまう。さらに悪いことに、彼女は、方々を放浪している兄がピンチに陥った時に、日本(正確には、日本であった場所)からほぼ瞬間移動といっていいくらいの移動速度で彼を助けにゆき、絶大な力で敵を一瞬で一掃してしまうというご都合主義的なキャラクターとして扱われてしまう(この力の源泉は、超神が彼女の肉体を操っていることによると物語上では説明される。)。次シリーズ以降の彼女は武明のことなんかすっかり忘れてしまっているようである。未来編以降のシリーズははるか未来の物語なので、彼女の忘却に関しては、仕方の無いことだとは思うが、魔胎伝で武明に示した彼女の態度を思い出すと何だか切なくなってくる。いっそのこと、初期3部作で恵を覚醒した南雲に殺させていたほうが、彼女の名誉にとって良かったとさえ思えてしまう。
 キャラクターの次は、ストーリーについて述べる。まずは、上巻〜狂王復活への祈りからである。プロローグは第2次世界大戦時のドイツから始まる。アメリカ兵は英語、ドイツ人はドイツ語を話すという凝った演出になっている。ミュンヒハウゼン(親父)はヴリル協会本部で狂王召喚の儀式を始める。ここで、ヴリル協会について簡潔に述べる。ヴリル協会は実際に存在した秘密結社で、ヒトラーに影響を与えた地政学者、ハウスホーファーにより創設されたとされる。彼らがいうには、ヴリルという超常エネルギーを自由自在に操ることのできる地下民族が現れ、彼らが地上を支配するのだそうだ。現実の歴史では、ヴリル協会がいつまで存続していたのかはわからない。ただ、創始者、ハウスホーファーは1941年の段階でヒトラーに煙たがられ、秘密警察の監視下にあったようだ。魔胎伝では、架空人物、ミュンヒハウゼン(親父)がヴリル協会の一員となっている。超常エネルギー、ヴリル及び地下民族といった現実のヴリル協会の教えの根幹をなすキーワードは一つもでてこず、ヴリル協会は狂王召喚を実現する組織ということにされてしまっている。さて、現実でもヒトラーはオカルティズムに非常に興味を示していたようだ。ヒトラーは聖槍(=別称ロンギヌスの槍、キリストのわき腹を刺した伝説の槍)を手に入れていただの、はたまた聖杯(=アーサー王伝説に出てくるキリストが最後の晩餐で用いたとされる伝説の杯)を探していただのその手の逸話の数は枚挙に暇がない。そしてオカルト以外でのヒトラー関連の陰謀説もまたたくさん存在する。ヒトラーがドイツ国民の熱狂的支持を得た最大の理由は彼の経済政策にある。第1次世界大戦の敗戦を受け、ドイツではひどい悪性インフレが起こり、国民の生活は困窮していた。ヒトラーは半ば崩壊しかけていたドイツ経済を短期間で再建し、他国への侵略を可能とする軍事力まで蓄えることに成功した。ここで問題なのは、経済を再建するための資金の出所である。陰謀論者は、ヒトラー(正確にはナチス)に金を貸した存在(例えば、財政家、ヒャルマル・シャハト)こそがナチスを裏で支配していたと考える。彼らには戦後の構想(ブレトン・ウッド体制)がすでにあり、ナチスドイツは最初から負けるように仕組まれていたというのだ。その証拠に、ダンケルクの戦いで壊滅させるべきだった英国大陸派遣軍をむざむざ逃がした、無謀なロシア侵攻などがあげられる。ナチスの采配は敵国を有利にする不可解さが目立つのである。ただし、この陰謀論には、もちろん反論がある。それは、ヒトラーは庶民の扇動に関してだけは天才的であったが、その実体は政治的、軍事的素質がほとんどない低級なオカルティストにすぎなかったという説だ。
 何はともあれ、ヒトラーは色々な創作物に顔を出すことが多い。彼の歴史的役割はどうであれ、現代人をも引き付けるカリスマ性は死してなお健在ということであろうか。
 話を元に戻す。上巻である意味印象的だったのが、南雲が武明を連れて、レズショーを見に行く場面である。南雲は中学生である。これだけでも衝撃的だが、さらに驚いたことに、何度も通っていることを臭わせるセリフまで用意されている。確かに中学時代は、ほとんどの人間が性欲に目覚める時期ではある。言葉を覚えたての乳幼児がうんこ、しっこという単語を面白がって意味も無く頻繁に使用するのと同じように、思春期に入ったばかりの若人たちの中には、セックス、マ○コなどの性的単語を馬鹿の一つ覚えのように連呼して喜ぶ者たちが案外いる。少なくとも私が中学生の時には、そういう奴らを数多く見かけた。だが、レズショーを始めとする風俗に通っていた奴のうわさは、少なくとも私の耳からは聞いたことがない。なにせ、風俗業界は、性欲を満たしてくれる代償として、収入を得ている一般のサラリーマンですら高いと感じるだけの報酬を求めてくる。収入のない中学生、南雲が風俗に通っているという設定には無理がありすぎると私は思った。
 上巻のクライマックスは、間違いなく後半の武明と恵のデートシーンであると断言できる。そしてこのシーンが魔胎伝、もとい全うろつき童子シリーズの中で最も傑出した恋愛描写であると私は思う。セリフ回し、恵の言葉遣い、声優の演技、どれをとっても文句のつけようがない完成度をほこっているといえる。
 下巻〜新宿摩天楼大戦では、上巻冒頭で南雲の血を輸血させられた武明が、自我崩壊して、化け物と化していく過程(全て、ミュンヒハウゼンの策謀)がテーマの中心となっている。
 そんな彼に何もできず、どぎまぎする恵が印象的である。彼女は居ても立っても居られなくなり、兄、天邪鬼に助けを求める。しかし、天邪鬼は武明に興味がないらしく、恵の言葉に耳を貸さず、ただひたすら、淫乱女、獣人ミミと快楽のセックスにふけっていた。ここでの彼の態度は実に彼らしいと私は思った。彼は初期3部作でもそうであったように、正義感で動くのではなく、自分の興味本位で行動するタイプの男だ。もっとも、後半で恵はミュンヒハウゼンの人質になるのだが、さすがに唯一の肉親、恵が心配なようで、彼は血相を変えて恵を助けに行く描写がある。
 下巻、最後のクライマックスは、お互い化け物と化した武明vs.南雲、その傍らで狂王召喚を試みるミュンヒハウゼンvs.それを阻止しようとする天邪鬼という構図である。本来ならば、このシーンはかなり盛り上げなくてはならないはずであるが、ここへ来て、上下2巻しかないことの弊害がいよいよ顕著となる。特に、ミュンヒハウゼンと天邪鬼との戦いは時間の都合で、十分に描写しきれていないと感じる。上のほうでも述べたが、ミュンヒハウゼンが天邪鬼にあっさりと敗れる様は拍子抜けである。ミュンヒハウゼンが物語の方々で見せる余裕と自信は一体何だったのかと疑いたくなってくる。魔胎伝、最後の一連のシーンで、もう一つ私をがっかりさせたのが、ミュンヒハウゼンの狂王召喚シーンが上巻冒頭の完全な使いまわしであるという点である。生贄となった女たちが奇妙な機械装置でレイプされるシーンがあるのだが、彼女たちの顔さえも全く書き直されていない。1944年、ヴリル協会本部で生贄として死んだはずの彼女たちがミュンヒハウゼンの魔力で蘇ったとでもいうのかとつい突っ込みを入れたくなってしまった。魔胎伝全体の中では完成度が低いと言わざるをえないラストシーンではあるが、それでも最後の武明死亡のシーンは涙を誘う。彼は南雲ではなく、結果的に恵に殺される。武明が異形の者となってしまった自分を恵に解放してもらうべく、自ら死を選んだとも受け取れるこのシーンは哀調を帯びながらも感動的である。
 魔胎伝の総括としては、純愛悲劇物としての出来は、全シリーズのうちで最も良いといえる。2巻構成ではなく、3巻構成にしていれば、シナリオ展開にもっと余裕がでたと思われる。個人的に残念だったのが、最初のほうでも述べたように、初期3部作のヒロイン、明美が完全な脇役扱いだったことである。魔胎伝では、南雲「かわいいパンツだね。明美ちゃん。」明美「いやーん。恥ずかしい。」という会話からもわかるように、彼らのバカップルぶりが発揮されるシーンがわずかにある。もし魔胎伝が3巻構成で、そのうちの1巻が、南雲と明美の束の間の幸福な時期に焦点をしぼったバカップル物であったのならば、魔胎伝はさらなる名作となったであろうに。とはいうものの、これはぜいたくな不平不満であろうか。締めの言葉としては、魔胎伝は、初期3部作に匹敵する名作で、見る価値あり。ただし、抜ける度は1である。
(りぷとー)


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