超神伝説うろつき童子 放浪篇(全三巻)

 ストーリー・東国(あずまのくに)を離れ、超神の拠点、大阪城を目指す武獣一向。その道中、突如として発生した深い霧が武獣たちの行く手を阻む。「狂王を大阪に行かすまじ。」超神の意思が自然現象をも左右しているというのか。その霧は深い断崖絶壁から生じていた。
 彼らが断崖絶壁を降り立つと、南雲に破壊し尽された都市の廃墟が見渡すかぎりに広がっていた。東国にシーザーが新たな秩序をもたらしていたように、そこでも新しい人の営みが育まれていた。彼らに招かれた武獣たちはやがて驚愕することになる。この部落は子供が大人を支配するという規律が存在するのであった。




 ・うろつき童子シリーズ、第4段。私はこの放浪篇を駄作とみなしている。ストーリーの部分で少し仄めかしてあるのだが、放浪篇の第1話と第2話は特殊な能力をもつ「子供」たちをメインとした物語である。この設定が、そもそもの間違いであった。アダルトアニメは90年代からすでにチャイルド・ポルノの規制が厳しい。放浪篇も例外なく、物語に出てくる「子供」たちのエロシーンは一切存在しない。ヒロインであるはずのヒミですら、年齢設定が幼いためかエロシーンが全く与えられていない。第1話、第2話では彼女の裸体すら拝むことができない(前シリーズでは堂々と裸でいたにもかかわらずだ)。放浪篇をロリアニメであると期待して鑑賞すると、大きな肩透かしを食わせられることになるだろう。
 私はアダルトアニメの描写規制の堅苦しさを知っていたので、それほどの落胆はなかったが、それでも、ヒミの扱いに関しては幻滅してしまった。
 さて、世紀の悪法、児童ポルノ法改正法案が衆議院に提出された(08年6月12日現在)ことに対する憤りもあるし、放浪篇のレビューでは、主にチャイルド・ポルノについて言及しようと考えている。チャイルド・ポルノという重い話題を取り上げることには正直ためらいもあったが、私の駄文ごときに当局がわざわざ監視の目を向けることなどあり得ないと思われるので、言いたいことを言わせていただく。児童ポルノ法改正反対論者の一般的な主張の主旨を大雑把にまとめるとこうだ。「児童ポルノは絶対に許せないということを前提に、今回の改正法案では司法権が乱用される危険性があるから反対だ。乱用されるのは、単純所持さえ処罰の対象になるという部分だ。例えば、失脚させたい人間に児童ポルノ画像をメールか何かで秘密裏に送りこみ、通報さえすれば、その人はロリコン犯罪者ということになり、合法的に社会から抹殺されることが起こり得る。」この総括は何か喉に閊えるような、本質をはぐらかされたような、そして何より偽善的であると私は思う。反対論者のこの代表的な意見にはロリコンの視点が全く欠けている。いや、むしろ前半部の主張から考えるに、ロリコンに対して敵対心さえ抱いているようにも受け取れる。現在ネット上での反対論では、ほとんどこのようなつまらない一般論しかお目にかかることができないが、数年前に1度だけ、チャイルド・ポルノについて詳細に言及してある良サイトを私は訪れたことがある。残念なことに、そのサイトのアドレスや詳細な内容は忘れてしまったが、チャイルド・ポルノについて鋭い洞察力を用いて、擁護論を展開していた珍貴なサイトであったことだけは今でも覚えている。そこで書かれていたことの一つに、うろ覚えで恐縮だが、ロリコンは果たして特殊な性癖なのかという読者への疑問の投げかけがあった。その作者の考えでは、私自身もそうなのだが、もちろん否である。ロリコンは有史以来、男にとっては切っても切れない関係であろう。ソースは見つけられなかったが、日本では平安文学において、すでにそれと匂わせる描写があるそうだ。史実を反映しているかどうかは別として、司馬遼太郎の歴史小説を読んでいると、児童性愛者が案外多く登場するのも示唆に富む(ロリコンよりはショタコンのほうが多い気がするが(笑))。
 チャイルド・ポルノがエロいと感じるのはなぜだろうか?私なりに考えてみた。以下、箇条書きすると、
@ 肌が綺麗な点 当たり前ではあるが、アトピー性患者でもない限り、子供の肌はもっちりとして、すべすべである。対照的に、大人の場合だと、例えば、実写AVでしばしば見かけるのが、特に臀部の肌荒れが目立つ鮫肌AV女優である。奴等の汚い尻がアップになる度に、エロい気分が萎えてしまうのはよくあることだ。
A まな板状の胸あるいは発育途上のペチャパイ 私は巨乳が嫌いであり、比較的小さい胸を好む。乳房の話題といえば、雌猿の乳房は膨らんではいない。あの大きく膨らんだ胸は成人女特有の特徴である。ある進化学者は「女の乳房は男に性的にアピールするために進化した。」という説を唱えている。私はこの主張には懐疑的である。
B くびれ切れていない腰まわり 胸と同様、臀部に脂肪が特異的についていない幼い体つきに惹かれる。ここで誤解してほしくはないが、私は寸胴が好みだというわけではない。
 体つきというのは、もちろんシュイプアップである程度は変えられるが、遺伝による部分が大きい。洋物ポルノの白人(あるいは黒人)女を見た後に、日本のAV女優の裸体を観察すると、一般的に後者のほうが明らかに寸胴で不恰好なのは言うまでもない。私はここで洋物ポルノのほうが優れていると主張しているわけではない。飽くまで体つきの優劣について言っているだけである。
C パイパン 陰部が無毛というのは、無駄毛がない = 美という観点からかそそられる。
 ただし、成人女が陰毛を剃り、パイパンだと主張するのには萎える。陰毛の話題ではないが、世の中にはわき毛に性的魅力を感じるわき毛フェチというのがいる。確かに、美女がボサボサにわき毛を生やしているシチュエーションは、そのギャプからエロいと言えるかもしれない。特に、2D物では、料理の仕方によっては、わき毛を上手く活かせそうだ。エロアニメのわき毛描写に関しては、私は見たことがない。一方で、エロゲではタイトル名は忘れたが、確認されている。
D 世界的に絶対悪とされ、過剰に規制されている点 西洋に「禁断の果実は最も甘い。」という諺があるように、規制されればされるほど、見たくなるのが人間の感情というものだ。
 以上を総括すると、美肌、パイパンから連想される裸体美、まな板状の胸、くびれていない腰まわりから連想される成人女とは明らかに異なった体つきそして必要以上に規制されていることに対する反立こそがチャイルド・ポルノのエロさに繋がっていると思われる。
 ただし、エロさを決める最も重要なファクターは、ロリであろうがなかろうが、最終的には顔形であると私は考えている。要するに、不細工であったら、例えロリであろうが、エロくはないということになる。もう一つ、さり気無く重要なのが、髪型である。私は比較的長い髪形を好む。ロリの場合、短い髪の毛であると少年を連想してしまい、萎える。裏を返すと、顔がかわいく、髪の毛が長く、ついでに女装さえしていれば、ショタでもO.K.ということになる(特に、2Dでは)。ショタキャラといえば、エロゲ、「ふたなり♪ミルクセーぇキ、Moe. & Moe♂」に登場する下連雀すすきはエロい。アダルトアニメでは、やはり規制が厳しく、ショタキャラはあまり見たことが無い。「こどもの時間、ファイブウェイズ」にでてくる良一、光司、理の3人は小学生であり、年齢的にはまさしくショタキャラである。ただし、このアニメは小学生の男子児童が高校生の女、早紀を陵辱する(規制のためか、挿入描写は一切ない)というのをテーマにしており、男子児童は100%攻め手である。ショタは受け手のイメージが強いので、このアニメはショタコン向けとは言い難い。マイナーなエロアニメだが、「爆発寸前、あかとんぼ」にショタっぽいキャラ、もときがいる。彼は姉の恵とその女友達の性欲の捌け口にされている受けキャラである。もとき本人は全くその気はないが、ゲイの友人、雄司がいる(ゲイシーンは一切ない)。このように色々とショタ要素はそろっているものの、もときの年齢は不詳、声優は男と、実際のところは、絵柄自体がそのキャラを幼く見せているだけにすぎない部分があり、このアニメはショタ物というよりは逆レイプ物に分類されるのが自然だろう。「背徳の少女、ファイブウェイズ」のユウキはまさしく男向けの理想的なショタキャラであると考えられる。彼女、もとい彼は前述の顔がかわいい、ロングヘア、女装という三拍子が見事にそろっている。そして声優が女である。アニメ、もしくはエロゲのショタもしくはシーメールの場合、声優が女であるということは非常に重要なことである。ショタとは関係ないが、「肉体転移、グリーンバニー」の第1話はひどいものだった。序盤に主人公、健一と淑美という女の体が入れ替わってしまうシーンがあるのだが、その後、健一(肉体は淑美)はオナニーをし始める。その時、健一(くどいようだが、肉体は淑美)は野太い男の声でセリフを連発する。挙句の果て、「気持ちいい。」とまでほざく。たとえ外見がかわいい女キャラにみえても、声優が男であったのなら、いかに気分が萎えてしまうのかをこの作品は証明しているといえる。何はともあれ、狙ったショタキャラに男の声優を登用するなどという愚かしげなことをなす制作者はまずおるまい。声優が女の男キャラといえば、「パンチラティーチャー、ディスカバリー」の第2話で、浅月明という男キャラが女子高生の制服と長髪のカツラを身につけさせられて、逆レイプされるシーンはエロかった。彼は高校生であるため、ショタとは言いがたいが、美人のシーメールを連想させるような妖艶さが感じられた。
 ショタの話題はこのくらいにしておいて、話をロリに戻す。ロリとは何歳以下の女を指すのであろうか。現行児ポ法では18歳未満の実在の女を児童と定義し、彼女らのポルノを児童ポルノとみなしているが、これはあくまで法律上での話である。実際のところは、高校生をロリだと主張するやつは少ないだろう。私からすれば、中学生ですらロリとしての価値があるかどうか疑わしい。思春期に至ってしまうと、女体は見た目では、ほとんど成人女と区別がつかなくなってしまう。ロリとしての魅力が最も高まるのは、個人的には思春期に入る直前(小学校3年生〜小学校5年生)くらいだと考えられる。世の中には、ロリの裸体はポルノではなく芸術だと主張し、児ポ法による規制を憂い、規制肯定派に議論を吹きかけるやつがいる。私は肯定派と反対派のこの水掛け論自体には全く興味がない。むしろ規制反対派には芸術云々と薀蓄を垂れるなと言いたい。私の主張は、単純にロリの裸体はエロい(正確には、エロい場合が多い)である。
 さて、現在において、権力側はチャイルド・ポルノを目の敵にして、絶対悪に仕立て上げようと必死である。エロの分野では、背徳的とみなされているものに、例えば、獣姦、屍姦、近親相姦などが挙げられるが、チャイルド・ポルノははっきりいってそれら以上の悪玉とされている(前者3つはロリに比べれば、圧倒的に嗜好者の割合が少ないと思われるので、注目されていないだけかもしれない。個人的には、獣姦は2D物に関してのみ、料理の仕方によってはエロくなると思うのだが)。アメリカ合衆国、ルイジアナ州では、児童(18歳未満)をレイプすると児童レイプ罪に問われて、最高刑として死刑判決を認める州法まで存在する(さすがに、これはやりすぎだと、最近(08年6月26日現在)米連邦最高裁はこの州法に違憲判決を下した)。世界はなぜチャイルド・ポルノをまるで朝敵の如く扱うのだろう。ここで、私の好きな陰謀論の話になるのだが、世界を支配しているのは一体誰だろうか。陰謀論者は、やれユダヤ人だの、やれフリーメイソンだの、世界政策の決定機関、300人委員会が存在するという説まで打ち出すやつがいる。我々凡人はこれらの説の決定的証拠を掴む術をもたず、いつまでたっても、これらは電波云々と揶揄される運命にある。私個人としては、これらに近い存在は間違いなく世界に存在すると思う。それはユダヤ人にちがいないとか、はたまたフリーメイソンだといったような固定観念は持ち合わせてはいないが。ここでは、便宜的にそれを世界権力と呼ぶことにする。日本政府は、当然の話だが、自国のみの判断で政策を決定しているわけではない。アメリカ合衆国が毎年、日本に規制や制度の改変を要求してくる書類に年次改革要望書というのがある(表面上は、同盟国同士のパートナシップを高めることが目的ということで、日本も米国にそれらしきものを送っているそうだ。)。あの有名な郵政民営化も年次改革要望書の要求項目の一つであった(民営化反対派や反米派はこれを揶揄して、郵政民営化を郵政米営化と称することもある)。
 これらをきっかけに、世界権力 = 米国とみなしている者たちもいるようだが、それは早計な判断だろう。米国を担っている米国民自体は総体的には連邦政府の管轄下にある。その連邦政府の高官たちは世界権力の代理人にすぎないという陰謀論がある。世界の金回りを牛耳っている国際金融の拠点が、ヴェネチア(イタリア)→アムステルダム(オランダ)→ロンドン(イギリス)→ニューヨーク(米国)と時代とともに移ろっていることから、世界権力は日本、米国、イギリス等、国民国家の枠組みに囚われず、将来的には世界連邦政府を樹立しようと目論んでいると唱える者もいる。その前座、準備段階として国際連合やEUが設立されたと彼らは考えている。国際機関には、例をあげると、IMF、世界銀行、OECD、WTO、ILO、UNICEF(OECD、WTO以外は国連の専門機関。但し、UNICEFのみは国際連合総会の補助機関)などがある。これらの機関の役割は様々ではあるが、その中で共通するものは、加盟国の規制や制度の是正勧告を行ったり、条約の批准を迫ったりすることにある。
 ロリ規正強化に関しては、国際的にはUNICEFが精力的に表立って活動している。日本では、日本ユニセフ協会(UNICEFの直接的な下部組織ではない)という民間組織がロリ規正に対する先鋒の役割を果たしている。そして彼らの声高な主張を大手マスコミがこぞって宣伝する。私は新聞を毎日かかさず読んでいる。新聞を読んでいて思うことは、質の悪い陰謀論よりはよっぽど権力側のプロパガンダを読み取ることができるということだ。彼らの常套手段は、まず、男女平等、児童保護、外国人労働者の人権、環境保全等の現代版錦の御旗を掲げ、反対論者の主張を極力封印することにある。そして彼らの主張が世論の多数派になるように扇動するというわけだ。男女平等や外国人の人権を毎日のように声高に喧伝するのは、裏にパートの増加や外人労働者の増加による人件費の削減を狙っていると主張する人がいる。また、ある人は、近年、時めく地球温暖化騒ぎは、排出権取引による金儲けや原発への積極投資に対する策略だと主張する。これらの主張が正しいのならば、権力側の望むものは、金ということになる。金さえ儲かれば、庶民の生活がどうなろうが知ったことかというわけである。これは自民党に多そうな利権政治家タイプを想像する。
 一方、権力者の中には、ほぼ宗教的情熱という言葉が相応しいくらい自分たちの理念、哲学が100%正しいと信じて疑わない頑なで傲慢な自称正義の味方がいるかもしれない。これは民主党に多そうな理念政治家タイプを想像する。世界権力の人々は、利権政治家タイプなのであろうかあるいは理念政治家タイプなのであろうか。おそらくはそのどちらの属性も兼ね備えているだろう。
 話が仰仰しくなり、収拾がつかなくなってきたので、話をロリに戻す。世界権力がなぜロリ規制に本腰を入れているのか、そしてその本当の目的は何なのか、私ごときでは見当もつかない。ただし、これだけは言えることだが、日本に対してロリ規制の強化を強いろうとしているのは目に見えてわかる。そして忠実な下僕、日本政府も彼らの要請に応じて動き出していることも確かだ。現在、2D画像の規制の強化がさかんに叫ばれている。「18歳未満の設定キャラは問答無用で規制すべきだ。」「たとえ18歳以上と明記してあっても、18歳未満に見えたら規制の対象とすべきだ。」「声優の声が幼ければ、規制の対象とすべきだ。」キチガイの戯れ言が政局で真面目に語られているのだ。これが机上の議論にすぎないのならば、ただ嘲笑するだけであろう。だが、恐ろしいことに、きゃつらにはそれを実現するだけの権力がある。選挙による政権交代でそれを阻止する?それは無理な話だろう。
 改革政党民主党には、ロリと聞くだけで居丈高に規制を叫ぶ理念主義者が自民党以上に多そうだ。たとえ民主党政権になったとしても、事態がそれ以上悪化することはあっても、良くなることはないだろう。2Dポルノはまもなく暗黒時代に入る、心底そうならないように願いたいが、おそらくは・・・ 規制に関してだけは常に時代の先をゆくアダルトアニメはもうすでに暗黒時代に突入していることを考えると、ただ絶望するのみである。
 さて、チャイルド・ポルノの話はここまでにしておいて、放浪篇のレビューに移る。以下はネタバレに注意してもらいたい。冒頭でも述べたとおり、放浪篇の第1話と第2話は廃墟で生活を営む「子供」たちがメインである。規制が強いため、ロリ物を期待して鑑賞すると、拍子抜けするだけである。「子供」たちがメインといえど、名前のわかる「子供」は、部落のリーダー的存在、少年エルスと少女ユフラだけである。エルスは少年のはずだが、その声は野太い。すでに声変わりの時期に入ったのかあるいは声すら規制の対象となっているのか、私には知る由もない。規制先進国、米国でのアニメやゲームは、少年という設定でも、その声優に男をあてることが一般的であることを考えると、エルスの声に関しても、ショタ規制が入ったのかもしれない。他方、声優が女の少年キャラといえば、「こどもの時間、ファイブウェイズ」の3人の少年を思い出す。彼らはその甲高い声により、いかにも幼いというイメージを醸し出していた。まあどちらにせよ、エルスにしろ、「こどもの時間」の3人の少年にしろ、その外見はまさしく少年然としており、男向けショタキャラとはとても言いがたく、エロさとは無関係なので、規制云々はどうでもよい話ではある。一方で、少女ユフラの規制の強さに関しては、正直参った。彼女のガードは固い。裸体どころかパンチラすら見せてくれない始末だ。そして第2話では衝撃の展開が待っている。彼女は実は年齢的にはすでに大人で、子供にしか発揮できない超能力を保つために、大人の姿になるのをその超能力で抑制していたというのだ。この驚愕の事実を知り、私は思った。何というご都合主義的な展開だと。ロリ規制のためですと言わんばかりの便宜的で軽率な設定であると。この時点で、私はかなり萎えてしまったが、それに追い討ちをかけたのが、次シーンだ。エルスの手配で、彼らの拠点の一室で休んでいる武獣の前に一人の女が立ちはだかる。私は最初この女を見て、どうして何の脈絡もなくいきなり娼婦がでてくるんだよと本気で思った。驚いたことに、彼女は大人の姿になったユフラであった。
 口紅を唇にべっとりと塗り、髪型も違う、おまけにボンデージ服までに身に着けている。
 アニメでここまでしたら、もはや別人に見えるのは当たり前だ。彼女は少女から一気に20代後半から30代前半まで老けてしまったようにも見える。エロシーンを見せるためだけに、一人のロリキャラに対してここまでやるのか。放浪篇制作者のこの徹底した描写規制の態度に私は感心してしまった。もう一人のロリキャラで、ヒロイン(?)のヒミは、放浪篇全話に渡り、エロシーンすら用意されていない。それどころか第1話、第2話では裸にすらならない。「お願いだ、ヒミ。エロアニメのヒロインなら、せめて裸くらいにはなれや。」と私は心の中でそう思った。同時代のアニメ(正確には、放浪篇のほうが古い)に「魔法少女メルル」というのがある。あれは、クオリティーは散々だったが、それなりのロリキャラにエロシーンが用意されていた。ヒミに関しては、未来篇のまな板状胸ではさすがにアニメではまずかろうが、少し胸を膨らませさえすれば、十分にエロシーンも可能だったんじゃないかと思う。まあ、前述したユフラの悪夢を再現させるくらいなら、エロシーンなどないほうがましだが(実は、次シリーズ、うろつき童子の黒歴史、完結篇でその悪夢が現実のものとなる)。
 以上、ロリキャラが登場する割には、ロリ物としての価値が全くないということで酷評したが、別の観点からみても、放浪篇は駄作であるとしか言いようが無い。まずは、第1話と第2話の作画のクオリティーが、素人目からも分かるほど、前の3シリーズに比べて低く感じる。セル画毎のキャラの顔形が安定していない。ボディのバランスも微妙に悪い。
 制作会社の内情はよくわからないが、予算的にもかなり苦しかったのだろうか。これと関連してか、次シリーズ、完結篇は1話のみの制作で早々打ち切りとなってしまった(打ち切りの理由に関しては、様々なうわさが流れているが)。物語の筋も悪い。うろつき童子シリーズは、色々なキャラが出すぎて、猥雑という負のイメージが少なからずあるが、以前のシリーズまでは、主人公とヒロインに焦点を合わせた描写(主に、恋愛描写)は、肝心な所ではしっかりと描かれており、押さえるべき物語のつぼはきちんと押さえられていた。だが、放浪篇ではどうだろうか。初期3部作のレビューで私は、うろつき童子シリーズの真のテーマはある時代、ある場所での主人公とヒロインの恋愛模様にこそあると述べた。この持論に沿うならば、放浪篇は主人公、ヒロイン不在の物語であるといえる。主人公を強いて挙げるとすれば、それは武獣であろうか。でも、武獣はヒロイン(?)のヒミとは歳が離れすぎているし、武獣にとって、ヒミは自分の娘のようなものだから、彼女との恋愛関係が成立するわけがない。この時点で武獣は、主人公としての資格を剥奪されているといえる。
 未来篇での武獣は、正真正銘の主人公で、その性格は豪胆無比という印象が強かったが、放浪篇では、娼婦を抱くことに余念がないドスケベおじさんという印象しかない。第1話と第2話では、規制の関係上、女を抱ける最も適度な年齢のメインキャラは武獣しかいなかったために、彼はエロシーンをほぼ一手に引き受けることになったので、上記の印象が生まれたのだと考えられる。ヒロインはやはりヒミなのであろうか。しかし、エロアニメにおいて、全話を通してセックスシーンどころか裸体描写もほとんどない女キャラをはたしてヒロインとみなせるかどうかだが。しかも、第3話の序盤では、ヒミは熱にうなされて寝ているだけでろくにセリフも用意されていない。金髪のロリキャラ、ヒミ、潜在的な魅力に関しては、うろつき童子シリーズの中でもトップクラスであるにもかかわらず、放浪篇では、その魅力が全然活かされなかった。彼女のパートナーとなるべき主人公が不在であったのが、放浪篇を駄作に至らしめた最も大きな痛手であったと私は考える。放浪篇には本当に主人公として適切なキャラはいなかったのだろうか。いや、いるではないか、ヒミと年齢的にも近い最適なキャラが。それは魔獣族の少年、イダテンである。私は彼こそ放浪篇の主人公にするべきであったと考える。放浪篇で最も優れた名シーンは、個人的には第3話のイダテンとヒミの二人っきりでの会話シーンである。彼らはそこでお互いに異性として意識し始める。このときの赤ら顔のヒミが本篇の中で最もかわいらしく見える。
 非常に残念なのが、イダテンとヒミの絡みがこの名シーン以外にはほとんどないということである。放浪篇は、イダテンとヒミ中心の物語にするべきであったのだ。言い換えれば、イダテンを脇役から主人公に昇格させ、ヒミとともにもっと活躍させるべきであったのだ。
 さすれば、第3話最後の悲劇(イダテンが復活ミュンヒハウゼンに斬首される)もより悲愴的になり、悲劇物としても名作たりえたであろうに。制作者の最大の汚点は第1話と第2話で、キャラ数が多くなりすぎるのを避けるためか、武獣一向を二手にわけた(武獣、ヒミ、ガシムチームとルドル、イダテン、D-9チーム)ことにある。正確にいうと、二手にわけること自体は別に構わないが、イダテンとヒミを別々のチームにしてしまったのが問題である。結果、第1話と第2話でイダテンとヒミが絡むことは全くなくなってしまった。極論を言ってしまえば、第1話と第2話のより道的なストーリーはいらなかったのではないかとさえ思う。OVAは一般的に連載TVアニメと違って、短時間で物語をまとめなくてはならない。その分、ストーリーの選定には細心の注意を払わなくてはならない。放浪篇の制作者はストーリーの選定を誤ったように思える。第1話と第2話は話数に余裕があったのなら、挿入すべきエピソードであったと私には思えてならない。もう一つ惜しむべきところは、イダテンとヒミの和姦ぐらいあっても良かったのではないかと思う。前述したとおり、ヒミは本篇の最後の最後で裸体になる。彼女の裸体は未来篇の時とは打って変わって、初々しさこそ残ってはいるものの、とてもロリとはいえない体にまで成長している。あの肉体をロリと定義したら、他のエロアニメの大部分がロリ物に分類されてしまうだろう。
 イダテンとヒミに関して、初期3部作の南雲と明美のセックスシーンを髣髴させるような描写があっても、罰は当たらなかったのではないだろうか。
 次に、第1話と第2話のキャラ、ケンとユミについて述べる。彼らは、エルス率いる部落の人間で、恋人同士である。両者ともすでに思春期を迎えており、特殊な能力は失われている。この部落の規律では、成人を迎えた人間は子供たちの奴隷にならなくてはならない。彼らはその規律を破り、逃亡しようとしたためにエルスに罰せられることになる。彼らの物語上での役回りは大雑把に言ってこんなところであるが、彼らに対しては、本来はイダテンとヒミが担うべきうろつき童子シリーズでは最重要と思われる恋愛描写を突如として現れた脇役が全てかっさらってしまったという負のイメージが大きい。ユミに関しては、第1話の最後でエロシーンも十分に用意されており、まるでヒロインなみの扱いである。そしてこれが意外にもエロい。彼女のあどけなさの残る表情や熟しきれていない肉体がエロさを醸し出すのであろうか。ユミのこのエロ描写が許されるのなら、ヒミのエロシーンがあっても全然おかしくはなかったと思う。それにユフラを年増の娼婦に見せるあの萎える演出も必要なかったのではなかろうか。放浪篇はエロシーンのチョイスに関しても、制作者の錯乱が目立つ。
 次に、第3話にでてくる妖炎姫について述べる。彼女は初期3部作で天邪鬼と死闘を演じた水角獣の妹である。水角獣に妹がいるという伏線は前3シリーズのどこにもなかったはずである。彼女はいかにもキャラのネタ切れで困った制作者の苦し紛れの後付設定キャラという印象が強い。私はマガジンに連載されていた医療漫画「ドクターK、真船一雄、講談社」を思い出してしまった。彼女の役回りを一言でいうと、セックス担当である。第1話と第2話にて、エロシーンを担当するのに適切な年齢の男キャラが武獣のみであったように、第3話では、妖炎姫くらいしか適切な年齢の女キャラがいない。彼女は、序盤ではアンデッド(?)ミュンヒハウゼンとセックスし、後半では天邪鬼とセックスをする。彼女はミュンヒハウゼンに操られる前までは、比較的穏やかでかわいらしい顔をしていたが、操られた後は、まるで般若のお面をかぶったように恐ろしい形相になってしまう。般若顔での天邪鬼とのセックスシーンは正直言って萎える。こんなシーンは一切カットしてしまって、その分、イダテンとヒミの二人っきりの名シーンを長引かせたほうがどれだけ有意義だったかと思えてしまう。
 最後に、魔胎伝から連続で出演している愛すべきヘタレキャラ、ミュンヒハウゼンについて述べる。彼はこの放浪篇においても、そのヘタレっぷりを全開している。彼は物語のキーパーソンの一人であるはずなのに、第3話でようやく登場する。しかも、物語の序盤と後半にちらっと登場するだけである。このぞんざいな扱われ方は、まさしくヘタレに相応しい。彼は登場の仕方もヘタレである。未来篇第3話で彼は天邪鬼との決闘中、突如として現れた天邪鬼の妹、恵による衝撃波で吹き飛ばされる。その後、音沙汰がなく、彼がどうなったのか心配だったが、どうやら海(湖?)に落ちて、腐乱死体になっていたらしい。
 腐乱死体になっても生き続ける彼の魔力には畏怖を感じるが、そもそもヘタレでなければ、腐乱死体自体にならないだろうとも思う。アンデッド(?)の彼は妖炎姫の魔力を奪い、肉体を蘇らせる。彼はみるみる若々しくなり、魔胎伝の時代の頃の容姿を取り戻す。せっかく彼の調子が上がってきたのを尻目にその後、場面は急速に一転、ヒミたちの所に移り、彼が再び物語に登場するのは、なんと終盤である。終盤でやっとこさ出番を与えられた彼を見た時の私の第1印象は「細っ!」である。彼は今まで欠かさずマントを着用し、ボディラインが隠されて見えなかったのだが、マントをはずした姿がここまで細かったとは。若い女がうらやましがるくらいに細い。ただし、男としてはどうだろう。ただのガリにしか見えない。彼は強力な魔力を有しているから、体を鍛える必要はないということなのかもしれない。そして彼は活躍する間もなく、いきなり最期が訪れる。イダテンをはずみで殺してしまったことにより逆上したヒミが狂王の真の力を発揮し、彼女の周りに光が溢れ出す。その光に触れたミュンヒハウゼンはあえなく昇天。まさに、その間わずか2秒(バキ、板垣恵介参照)である。彼は、最期の最期までヘタレを貫いた理想的なヘタレキャラであると心底思う。
 総括として、放浪篇を一言で表すと、名作になる資質は十分にあったのに、名作になりそこねた駄作である。もはや叶わぬ夢だが、制作者にはイダテンとヒミの追加エピソードをぜひともつくって欲しかったように思う。抜ける度は1である。
(りぷとー)


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