超神伝説うろつき童子 未来篇(全四巻)

 ストーリー・破壊の使者、南雲は世界を瞬く間に半壊状態に陥らせた。それから、20数年後、人々の生活は再び秩序を取り戻しつつあった。このような状況下、大阪城で超神が降臨する。「100年後に降臨すると約束したのに、なぜ?」こう問いただす天邪鬼に超神が答える。「東国(関東地方?)で狂王が降誕した。悠長なことは言っていられなくなった。」子供の姿で、未だ力が不完全な超神は、狂王を大阪城に近づけないように天邪鬼に命じる。命を受けた天邪鬼は直ちに東国へ駆けつける。彼がそこで見たものとは・・・




 ・うろつき童子シリーズ、第3段。正式名称は超神伝説うろつき童子 未来篇(以下、未来篇)で、全4話構成である。前シリーズまでの古典的な学園物の世界観から一変し、よりSFチックな作風となっている。路線変更により従来のファンからは賛否両論があり、かつ大味な展開が目立ち、唐突なイベント、前後関係の矛盾、伏線の乱発(もちろん、ほとんどが未消化で終わる。)が当たり前のようになってしまっている欠点をも有するが、視聴者を引き付けるカリスマ性は依然健全である。今回のレビューでは、一つ一つの展開に意見するというスタイルでやっていこうと思う。よって、未来篇を既に見た人向けのネタバレレビューであることをご承知願いたい。
 「第一話 真超神の誕生」の冒頭は、7分強、前回までのあらすじ、その後の5分強、南雲が世界中を混沌で覆うシーンで占められている。随分と長いプロローグで、なんと本編に突入するのが、13分後である。本編は世界崩壊後、20年経った時の話である。舞台は日本(だった場所)である。南雲の破壊活動は、描写が仰々しかった割には意外にも小規模であったようで、旧秩序は崩壊したが、生き残った人々は細々と生活をしており、しかも新しい勢力がすでに誕生している。ユダヤ・キリスト教の神は旧秩序を壊すとき、自分が選んだある特定の人間だけを救済する。例えば、創世記のノア、ロトの逸話はあまりにも有名である。また、ヨハネの黙示録では、額に神の刻印を押された者のみ、患難期にて加護があることが示されている。対照的に、うろつき童子の世界の超神は、誰々を生き残らせようという明確な意図はなく、at randomに人々の殺害や建築物の破壊を行ったようにしか見えない。
 未来篇のキーワードはシーザーズ・パレスと魔獣(まけもの)である。シーザーズ・パレスとは廃墟となった東京に新たに建てられた宮殿で、その近辺の領土をシーザーと呼ばれる男が支配している。未来篇は、主にこのシーザーズ・パレスを舞台に進んでいくのだが、この舞台設定には突っ込みどころがある。それは、シーザーズ・パレスの科学技術力が世界崩壊前のそれよりもはるかに勝っているところである。南雲覚醒が1980年代後半の日本であることを考えると、未来篇の舞台は2000年代後半、まさしく現在我々が生きている時代である。現実では、もちろんこの間に世界崩壊など起こるはずもなく(激動の時代であることにはちがいないが)、時は推移していった。科学技術を発展させるには、それなりの経済基盤が必要である。研究開発には、設備にしろ材料にしろ莫大な費用がかかる。それを支えるだけの十分な財源が求められる。もう一つは、人々が研究開発をするモチベーションが必要である。それはやはり金だろう。利益が出る見通しがなければ、研究開発なんて誰もしない/できないに決まっている。アダルトアニメが現在技術的にも全くさえないのは、制作するのに多大な手間隙がかかるにも関わらず、利益がほとんど得られないからであろう。利益が出ないから制作費をけちる。制作費をけちるからアニメの質が落ちる。質が落ちるから、客離れがますます進み、さらに利益が出にくくなる。察するに、現在のアダルトアニメ業界はこのようなスパイラルに陥って、抜け出せないのだろう(アダルトアニメが没落していったもう一つの原因は性的表現の過度な規制にあると私は考えている)。以上のことから、南雲により壊滅的な打撃を受けたうろつき童子の世界で、科学技術が発展する余地などどこにもないのである。よって、南雲の破壊活動とその後に突如として現れた超科学文明との時間的繋がりがどうもしっくりとこず、最初は鑑賞していて違和感を覚えずにはいられなかった。未来篇はハイテクSF物にするのではなく、ロストテクノロジー物にするほうが自然であったように私は感じる。
 次に、もう一つのキーワード、魔獣について述べる。彼らはシーザーら支配層に強制的に重労働をかせられている被差別種族である。彼らの外見は基本的には人間と似通っているが、ストリートファイター2のブランカのように肌の色が緑色の男がいたり、ドラゴンボールZのフリーザ第3形態のようにやたら頭が長い男が確認されたりすることから、ファンタジー物にしばしば登場する亜人と呼ばれる種族に通ずるものがある。そして彼らの最も特徴的な部分は、臀部に尻尾のようなものが生えており、実はこれが彼らの男性器で、性的に興奮すると、触手のように長く伸びるところにある。うろつき童子の世界には人族、魔人族、獣人族の3種類の種族がいることが知られているが、なぜ未来篇になって魔獣という新種族が突如として登場したのであろうか。私が考えるに、彼らは魔人族の代わりなのだと思う。魔人族は、初期3部作や魔胎伝をみればわかるとおり、絶大な能力を誇っており、非力な人族が彼らを支配する設定には無理がありすぎる。かといって、異形のものが触手を用いて女体を弄るというシチュエーションは捨てがたい。おそらくこういうジレンマがあって、異形ではあるが、能力が人間とはほとんど変わらない劣化版魔人族、魔獣という種族が導入されたのだろう。とはいっても、彼らの中には、飛行能力をもっている者もおり、実は、身体能力は人間をはるかに勝っているのではないかと疑ってしまう。未来篇は、被支配層である彼ら魔獣の政治的反乱を一大テーマにしていると考えられる。
 未来篇に登場するメインキャラクターについて述べる。未来篇の主人公は武獣(ぶじゅう)と呼ばれる魔獣の無頼漢である。物語冒頭で、天邪鬼は彼こそが狂王であると勘違いしていた。天邪鬼は初期3部作においても尾崎を超神と勘違いしていたことから、随分と早とちりな性格のようである。ただし、今回の勘違いに関しては、無理もない部分もある。なぜならば、武獣は東国(あずまのくに)で東の狂王と呼ばれて恐れられていたからである。彼は人族の部落を単独で襲っては食糧、金品財宝をかっさらい、性欲を持て余したら、有無も言わせず、女をレイプする、要するに、典型的な極悪人である。魔胎伝の主人公、武明はどこか繊細で大人しげな印象の強い男であったが、それとは対照的に、武獣は物語序盤から妥協の無い悪役ぶりを見事にこなしている。ただし、初期3部作の主人公、南雲がヘタレから一変して、逞しげな男に変貌をとげたように、物語中盤以降、武獣は性格もすっかり丸くなり、悪党からとたんに豪胆無比が売りの典型的なRPGの勇者のような性格に様変わりする。とはいっても、自分と敵対する者たちに対しては、問答無用で息の根を止めようとする情け容赦の無さには変りがない。豪胆無比な英雄と傍若無人な極悪人は正反対のようで実は同類なのかもしれない。人物評というものは、その人物のもつ思想・イデオロギーに賛同するかしないかでころっと変わってしまうものである。そういえば、一昔前、RPGの正義の味方 = 勇者を批判的に描写しているゲームに「MOON(アスキー(現エンターブレイン)、1997)」というのがあった。このゲームは独特な雰囲気をもっており、典型的な勇者像に対する風刺もきいていて、なかなか趣があったのを今でも覚えている。
 未来篇のヒロインは、アレクトーという女である。彼女はシーザーズ・パレスのボス、シーザーの娘であるとされている。なぜあいまいな表現を使うのかというと、これは「第2話 シーザーズ・パレスの謎」でわかることなのだが、彼女は、実はシーザーの愛娘、故アレクトーをモデルとして造られたヒューマノイドだからである。彼女の見た目は驚くべきことに、生身の人間と全く変わらない。それどころか、人間と同じような思考能力をもち合わせているし、なんと子供まで産めてしまう仕様のようだ。この設定だけでも、シーザーズ・パレスの突出した科学技術力を説明するのに十分である。アレクトーの性格を一言で表すと、受身である。個人的には、受身な女キャラは好ましいと考えている。うろつき童子シリーズを私がすばらしいと感じる所以の一つに、ヒロイン選定のセンスの良さが挙げられる。ただし、ストーリーの流れからすると、彼女の取る行動には不可解な点が目立つのは残念だ。まず一つ目が、彼女がパレスに捕らえられた武獣に外界に連れていってほしいと懇願するところである。彼女は箱入り娘であり、生まれてから(製造されてから)一度も外界に出たことがない。だから、外界を見てみたいという気持ちは分からないでもないが、なぜならず者で罪人の武獣にやくやく頼むのか疑問が生じる。案の定、アレクトーは、道中偶然に立ち寄った古寺で武獣に犯されてしまう。そしてこれが2つ目の不可解な点だが、武獣が追手に襲われた時、アレクトーは自分自身が汚されたにもかかわらず、体をはって武獣を守ろうとする。その結果、彼女は重体になる(故障する)。彼女はヒューマノイドのため、シーザーによりすぐさま復旧される。3つ目のおかしな点は、武獣が再びシーザーズ・パレスに侵入した時、彼女は喜び勇んで彼に会おうとし、また厄災に巻き込まれる。彼女の性格は受身と書いたが、武獣に対する恋愛のみに関しては、むしろ積極的であるといえる。彼女の行動は武獣を愛するがゆえと説明されるのかもしれないが、彼女が武獣を好きになる過程が全く描かれてないから、行動の一つ一つが不可思議に見えてしまうのである。この間、武獣がアレクトーに対してとった行動といえば、レイプくらいしか思い浮かばない。ストーリー展開において、武獣のレイプとアレクトーの献身的な行為がどうしても繋がらないのである。そういえば、初期3部作においても、南雲と明美は何の説明もなく、いつの間にか恋愛関係になっていて、ちょっとしたもどかしさを覚えた。説明不足は1話約45分完結のOVAの宿命なのかもしれないが、前シリーズのおさらいを7分もやる余裕があるのなら、こっちに力を入れてくれと言いたくなってしまう。アレクトーに関してもう一つ書いておきたいことは、彼女はなんと第2話で近親相姦されてしまう。
 「やめて!お父様」嫌がるアレクトーをよそに、シーザーは自分の肉根を彼女の二穴に挿入する。私は近親相姦にはそそられないから、このシーンが特別印象に残ったというわけではないが、アレクトーはヒューマノイドだから、シーザーとは血がつながっていないので規制しなくても良いと制作者は判断したのだろうか。血がつながっていないといえば、「愛・姉妹(ピンクパイナップル)」を思い出す。あれは父とも母とも血がつながっていないのみならず、姉と妹も血がつながっていないといういったいどういう家族だと突っ込みを入れたくなるような設定であった。考えてみれば、実の親子の近親相姦(レズ描写を除いて)をアダルトアニメで私はほとんど見たことがない。「カナリヤは籠の中(ミルキー、2003)」でマナが借金苦で狂った親父に犯されたエピソードくらいしか思い浮かばない(短くて、挿入描写すらないが)。話はそれるが、この作品はエロくて、なかなかおすすめである。
 次に、シーザーについて述べる。レビュー冒頭で述べたように、シーザーは東国を統べる、いわば大名のような存在である。彼の権力がどこの土地まで及んでいるかは、残念ながら物語中ではわからない。ただし、一つだけ言えることは、シーザー領土にしろ、超神のおわす場所にしろ日本列島なのである。次シリーズのタイトルが放浪篇「英語名:INFERNO ROAD」という名前であることから連想するに、シーザー領土から超神の拠点、大阪城まで果てしのない距離があるように思えてしまうが、何のことはない東京から大阪までの短い道のりしかないのである。未来篇及び放浪篇は、その舞台として狭い日本列島に拘りすぎたために、南雲の破壊活動は日本だけだったの?やら、放浪篇での武獣たちの冒険活劇は大げさな割には、東京→大阪縦断に過ぎなかったの?といういらぬことが頭をよぎってしまい、気分が幾分萎えてしまった。私は当初、「東国」、「東の狂王」というキーワードが物語中で連呼されていたにもかかわらず、シーザー領土は中国大陸のどこかにあると勝手に思い込んでいた。やはり物語の壮大さを醸し出すためには、日本列島という狭い土地に拘らず、外国まで舞台を広げるべきだったと思う。シーザー(彼はおそらく外人であろう)や魔獣たちが出てくる未来篇において、舞台が日本であることに固執する理由は一つもないのである。シーザーズ・パレスは中国大陸のどこかにあるという設定にしておいて、次シリーズ、放浪篇は武獣たちの前途遼遠の征東にしたほうが、よっぽど空間的なスケールが増大したように私は思う。話をシーザー本人に移す。シーザーの世界崩壊前の立場は、どうやら現実において陰謀論者が声高に叫ぶフリーメイソンやイルミナティを連想させるような秘密結社のリーダー的存在であった。彼の組織(といっても物語中では、彼以外、下級会員らしき者たちしかでてこないが)はすでに卓越した科学技術力を有しており、シーザー本人は自身をサイボーグ化して、半永久的に生きることが可能のようだ。彼は日本政府をも影で操っており、東京の地下の研究所で超神に関する研究を秘密裏にやらせていた。ここで、話はそれるが、私は陰謀論が好きである。その中でも、特に政治や歴史の陰謀論に興味がある。陰謀論は一般的には、トンデモだと一括されて嫌悪あるいは嘲笑される傾向があるが、私はその内容によっては十分に示唆に富み、価値のあるものだと考えている。それでもやはり、トンデモはたくさんあるわけであり、それを見分ける一つの指標があるように思う。それは端的に表現すれば、擬似科学が含まれているか否かである。
 擬似科学は、行き過ぎた科学信仰(私は一般的に認められている科学すら信仰にすぎないと思っているが)により生じた空論であると私はみなしている。だから、高周波活性オーロラ調査プログラム(HAARP)で地震やらハリケーンやらを創出できるだとか、中国で一時期流行った流行風邪、SARSは何者かが作り出したウイルス兵器であったなどと考える陰謀論を私は全く信用していない。人間は(他の生物もそうだが)破壊活動は得意であるが、何かを創造することは苦手である。人間は科学技術により自然をもある程度支配できるようになったと主張する者たちがいるが、それは傲慢というよりはむしろただの自惚れである。人間は単細胞生物一匹すら創れはしないというのに。話を元に戻す。シーザーは自惚れて(サイボーグにヒューマノイド、あれほどの科学技術力を有しているので、倨傲になって当然とはいえるが)、超神を超えた存在になろうとした。ご多分にもれず、シーザーは傲慢の罪で超神に裁かれることになる。彼は唯一の愛娘、アレクトーを失う。その後のシーザーの消息は世界崩壊後、20数年経つまでわからない。しかし、南雲の厄災を逃れ、廃墟と化した東京にシーザーズ・パレスを建てたことは間違いない。このあたりの描写は完全に省略されてしまっているので、残念である。シーザー関連でもう一つ言いたいことは、秘密結社のリーダーをやっていたころは、若くて、スマートで、色男なのに、シーザーズ・パレス領主のシーザーは、老醜で、かつ醜く太っている。彼はサイボーグなのだから、おそらく顔貌や体系のパーツを自由自在に変えられるはずなのに、なぜ怪異な容貌のままでいるのか謎である。
 次に、ミュンヒハウゼンについて述べる。彼は魔胎伝からの登場人物であり、今回は名目上シーザーに仕える宮廷のお抱え魔導師を演じている。シーザーからはファウストと呼ばれて、信頼されている。彼はシーザーと同様にその外見が昔と様変わりしている。顔は老け(実年齢は80歳くらいか)、左目は義眼、右手は義手である。魔胎伝での天邪鬼との死闘で、彼がいかに重傷をおったのかが伺える。今回も彼は狂王に拘っており、超神打倒の野心は消えていないようである。シーザーも懲りずに超神打倒を企んでいるようで、彼らは共通する野望のため、結託したのであろう。ミュンヒハウゼンの見せ場は、「第3話 シーザーズ・パレスの崩壊」での天邪鬼との死闘である。シーザーが超神打倒のために大阪城目掛けて6本の核ミサイルをはなつ。核ミサイルの上に搭乗するミュンヒハウゼンの前に天邪鬼が立ち塞がり、彼らはバトルとなる。バトルシーンは初期3部作のころからうろつき童子シリーズを盛り上げる十八番であり、このシーンは未来篇の中でも屈指の見せ場であると考えられる。ただし、バトルの終結の仕方がなんともはや強引で中途半端なのは残念なところである。シーザーは核ミサイルの他に南雲に殺された人々の怨念の塊を集結させた最終兵器「ファブネル」をも大阪城に向かわせていたのだが、魔胎伝のレビューでも少し触れたように、超神に操られた天邪鬼の妹、恵が物凄い勢いでファブネルに衝突し、ファブネルはシーザーズ・パレスまで押し戻され、大爆発を引き起こす。このような大惨事にもかかわらず、天邪鬼と恵はほぼ無傷というご都合主義的な展開である。ひどい扱いを受けたのが、ミュンヒハウゼンで、彼は恵の高エネルギーによる衝撃波で吹っ飛ばされたのかあるいは逃げたのかはわからないが、その場で消息を絶つ。私は「第4話 未知への旅立ち」で彼は再び現れるのだろうと思っていたが、結局最後まで音沙汰がなかった。
 これは次シリーズのそれも最終話でわかることだが、彼はどうやらあの衝撃波で吹き飛ばされていたらしく、水 (海or湖?) の中で腐乱死体となっていた。それでもアンデッド?として生きているのだから、彼の魔力には恐れ入るが、魔胎伝の時と似たような彼のあっけないやられっぷりとその後のぞんざいな扱われ方を見ていると、彼は本当に愛すべきヘタレキャラだと私には思えてならない。
 最後に、狂王について述べる。狂王の名は魔胎伝でも触れられており、ミュンヒハウゼンが追い求めている人物(神)である。彼が言うには、狂王はこの世に破滅をもたらす超神をも超える存在であるそうだ。狂王は魔胎伝ではその姿をおがむことができなかったが、未来篇で初お目見えする。狂王の登場の仕方は唐突で、武獣たちが訪れた古寺にて黒子族によって匿われていた。狂王は乳飲み子の姿をしており、黒子族からはヒミと呼ばれていた。
 外見から判断すると、一物がないので、性別は女だということがわかる(もちろん、スジは表現されていないが(笑))。このシーンは、乳飲み子の裸体すら児童ポルノ認定されてしまう今のご時勢では考えられない珍貴な描写なのかもしれない。ここで、黒子族について述べる。マスコットキャラ的存在だったので、今までのレビューではあえて言及してこなかったが、初期3部作と魔胎伝には、天邪鬼の子分で、黒子と呼ばれるキャラが存在する。
 外見は小柄で、肌の色は灰色、例えるなら、まるで地蔵のようなキャラクターである。空を自由に飛べたり、バリアを張ったりすることができることから、種族は魔人族に分類されると推測される。彼らの一族は、魔胎伝の一シーンより狂王伝説と深くかかわっているようだが、どうやら伏線だけで終わってしまったようだ。未来篇においても、狂王(以下、ヒミという)がなぜ名も無き古寺におり、黒子族の世話になっているのか全く説明がない。
 ヒミがこんなにあっさり、何の前触れもなく現れてしまっては、あれほどまで大掛かりな召喚儀式を行ったミュンヒハウゼン親子が報われないというものだ。ヒミは第3話にてまるでかぐや姫の如く急激に成長を遂げる。そしてここが未来篇の中で私にとって最も衝撃的だったのであるが、乳飲み子から少女へと姿を変えたヒミの体が実に幼い。彼女の胸はほぼまな板で、ドラえもんのしずかちゃんのそれよりもおそらく小さい(しずかちゃんが小○5年生と考えると、ヒミの年齢は小○3 〜 4年生くらいか)。今までのところ、エロゲー及び漫画(特に漫画)と比べて、アダルトアニメは元来よりロリ規制が厳しい。私は数多くのアダルトアニメを見てきたが、ヒミほど胸がまな板のロリキャラの裸体はほとんど見たことがない(正確にいうと、哀・奴隷(バニラ、1997)の主人公、レイチェルの幼いころの入浴シーンが同タイトル第1話の冒頭に少しだけある)。 大の男が数人近くにいるにもかかわらず、ヒミは裸のままで全く恥ずかしさを感じていないようである。このあたりはヌーディズムを彷彿させる。その男衆の中に、武獣も含まれているのだが、第1話の悪党だったころの彼であったのなら、間違いなく「うまそうな童女だ。いただき!」などと言いながら、ヒミをレイプしかねないだろうが、すっかり正義の味方になってしまった彼は、泣きじゃくるヒミに対し、「泣くな、ヒミ。」と優しくいたわり、まるで彼女の父親のようである。
 武獣の子と言えば、第3話にて、魔獣の反乱で没落していく自国を前に絶望したシーザーとシーザーズ・パレスの地下にある巨大コンピューターとの対話を思い出す。このコンピューターはとんでもない代物で、未来を予測することが可能である。コンピューター曰く、「魔獣(武獣)とヒューマノイド(アレクトー)の間に授かった子供は超神の干渉を越えて、この世界を動かしていく云々」物語中で淡々と語られているこのセリフは、未来篇の中でも最も重要な伏線の一つであろう。ただし、この伏線は以後のシリーズで完全に無視され、武獣の子は結局一度も出てこなかった。超神、狂王そして武獣の子と超越的な存在が3者になると、ややこしくなってしまうからであろうか(コンピューターがただ単に未来予想をはずしただけだとしたら失笑物だが)。この伏線無視は、細かい突っ込みですませられるような話ではないと思う。武獣とアレクトーとの子がヒミ(= 狂王)という設定にしたほうがよかったと私は考える。南雲と明美が超神を誕生させたように、武獣とアレクトーが狂王を誕生させるという設定で、物語の主人公とヒロインが超越神の親となり、彼らだけでなく、世界そのものの運命が彼らの子によって翻弄されてしまうという初期3部作のデジャヴのような展開にすれば、視聴者にもわかりやすく、伏線破綻も起こりにくかったのではないかと推測する。まあ、なにやかやで、ヒミはかなり良い萌えキャラだ。未来篇のヒロイン、アレクトーが(彼女も魅力的なキャラクターであることにはちがいないが)どうでも良くなってしまうぐらいだ。ヒミは制作者が狙ってだしてきたロリキャラだろうが、見事にあたったといえる。上記の記述と明らかに矛盾するが、超神だの狂王だのそういった設定などもうどうでもいい。以後のシリーズのタイトルを「超神伝説うろつき童子」改め「魔法少女ヒミとその愉快な仲間たち」に変えて、コミカル路線にしたほうがどれほど有意義であっただろうか。なぜこんなことを書くのかというと、以後のシリーズは、シリアス路線に固執したためか、ヒミという魅力的なロリキャラを全く生かしきれなかったし、超神や狂王に関するエピソードも結局未消化のまま終わってしまったからである。
 さて、未来篇のエンディングは、うろつき童子シリーズの中で最も優れていると私は思う。シーザーズ・パレス陥落、人族と魔獣族の争いによるおびただしい数の死傷者、ハッピーエンドとはほど遠いが、深い傷を負った魔獣の戦士に水を与えようとする人族の少年の描写は、絶望的な状況ながら、かすかに希望の光がともされ始めたことを暗に意味しているといえる。例えるならば、第2次世界大戦敗戦直後の日本のようだ(戦後経済大国として繁栄した結果を受けた後付論にすぎないわけであるが)。エンディングでは、メインキャラクターたちがぞくぞくと集結する。武獣に、ヒミ、そして今まで触れてこなかったが、魔獣反乱軍のリーダー的存在、ルドル、魔獣族の長老であり、知恵袋のガシム、まだ子供だが、勇敢さなら誰にも負けないイダテン、シーザー軍の秘密兵器、サイボーグのD-9らが超神のいる大阪城を目指す。神1人、魔獣族4人、サイボーグ1人と普通の人族が一人としていない濃いメンバーだが、いずれも魅力的なキャラクターばかりである。彼らが旅立つ様は、さながらRPGでよくありそうな、メインキャラクター集結→心機一転、ラスボス打倒のために新たなる旅立ち、を彷彿させる。うろつき童子シリーズのエンディングはなんとも後味の悪いことが多いが、未来篇のみに関しては、すかっとした爽快感を感じる。
 後の駄作のオンパレードを考えると、このまま潔く打ち切りにしてくれたほうが、有終の美を飾れて良かったとさえ思えてしまう。ここで細かい突っ込みを入れると、反乱軍のリーダー、ルドルだけは東国に残ったほうが良かったのではなかろうか。シーザーズ・パレス陥落の目標は達成できたとはいえ、人族との和平、東国の復興と残された問題は山済みされていると思うのだが。旧秩序を破壊するだけ破壊しておいて、後は一切関係ありませんでは、リーダーとしていかにも無責任だと私は思った。肝心のヒロイン、アレクトーはエンディングでどうなったのかというと、武獣の大剣で一刀両断された父親(造りの親)、シーザーの生首といっしょになぜかスペースシャトルで地上を離れる。彼女は考えようによっては、うろつき童子シリーズの中で最も悲劇なヒロインであるといえる。まずは、超神の裁きで殺される(このアレクトーはヒューマノイドのアレクトーとは別人だが)。次に、主人公にレイプされる。そんな主人公をかばって仮死状態になる。主人公を慕うさまに父親が逆上し、父親にすらレイプされる。挙句の果てには、魔獣反乱軍のごろつきどもの一物でたらいまわしにされる。とどめとして、最愛の父親(レイプはされたが)が同じく最愛の恋人(こちらにもレイプされたが)に殺される。これだけ不幸が連続した彼女の心境はいかほどのものであっただろうか。それでも健気に振舞っていれられるのは、彼女が生身の人間ではなく、ヒューマノイドであるからかもしれない。エンディングで彼女が地上を離れたのは、か弱い体では過酷な旅についていくことも出来ず(武獣が自分の親殺しでは、心境が複雑になって、いっしょにいづらいというのもあるだろう)、かといって、東国にそのまま残っていては、暴君、シーザーの娘として魔獣たちに命が狙われる危険性があったからだろう(シーザーは物語中では、暴君のイメージが強いが、東国で暴利をむさぼっていた武獣たち、賊どもを積極的に取り締まっているシーンが冒頭で見受けられることから、人族にはある程度慕われていたと推測される)。
 最後に、未来篇は近年では絶対にお目にかかれない18禁アニメの名作であると私は思う。うろつき童子シリーズのすごいところは、初期3部作、魔胎伝、未来篇と3シリーズとも名作の威厳を維持できたところにあると考えられる。ただし、どんな名作シリーズでも、シリーズが長引けば必ず糞になるという法則は、うろつき童子シリーズといえども、抗うことはできなかったようだ。結果的に、未来篇はうろつき童子シリーズ最後の名作となってしまった。抜ける度は、このシリーズは抜き用のアニメとは言いがたいので、1とする。
(りぷとー)


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