超神伝説うろつき童子・超神誕生編

 ストーリー・魔神「天の邪鬼」は、伝説の超人を捜し求めて人間界へとやってきた。その超人、南雲を巡って、様々な魔物と陰謀がうごめき始める・・・。




 ・超神伝説うろつき童子(以下、うろつき童子)、最初のシリーズ。巷では初期3部作と呼ばれ、ファンの間ではシリーズ中最も人気が高いと言われている。私がうろつき童子を鑑賞することになったきっかけは、最近のアダルトアニメに失望していたからだ。私が近年発売されたアダルトアニメにほとんど期待していないことは以前のレビューで何度か述べた。
 いくつかの新作を鑑賞する度に、まず出るのがあくび、途中で不愉快になってきて、早送りしてしまうこともしばしばだ。こんな状況下に辟易していたところ、気分転換に昔のアダルトアニメを鑑賞しようと思った。そこで私が選んだのが、うろつき童子シリーズである。私はこのシリーズを昔から名前だけ知っていた。ただし、うろつき童子は、初期3部作の続編として、魔胎伝、未来編、放浪編、完結編がある長編シリーズで、全部鑑賞しようとすると、およそ8時間はかかってしまうということで今まで敬遠していたが、この際、初期3部作だけでも鑑賞してみようと考えた次第である。いざ鑑賞してみると、なかなかどうして、世間の評判通りの良作ではないか。イボイボ氏が、「その恐るべき完成度でエロアニメファンのみならず一般視聴者までもの度肝を抜いた傑作」と惜しげもなく絶賛した気持ちが分かるような気がした。確かに、うろつき童子シリーズは視聴者に続きをぜひ見たいと思わせる魅力に溢れた作品だ。私は初期3部作のみならず、続き様に全シリーズをあっという間に鑑賞し終えてしまった。そして鑑賞後の感想を無性に書きたくなってしまった。このような経緯で、この先私はうろつき童子のレビューをシリーズごとに行うつもりでいる。
 まずは、初期3部作のレビューである。と言いたいところだが、その前にうろつき童子のシリーズを通しての特徴を簡潔に述べようとすると、そのキーワードは「触手物(淫獣物)」、「純愛悲劇物」、「ハルマゲドン物」であると私は考える。1つ目の「触手物」に関しては、イボイボ氏によると「「触手モノ」というジャンルを完成させた功績も大」とあるので、うろつき童子が「触手物」の元祖なのであろう。「触手物」といえば、私はピンクパイナップルの淫獣シリーズを思い出す。ピンクパイナップルはやたらと淫獣に凝っていた時期があって、淫獣という名がつくタイトルが8個もある。私はその全てを鑑賞した。各々が特徴的で興味深く楽しめたという印象を今でももっているが、その中でも、「淫獣女教師2話、3話」が私の中では傑作である。ピンクパイナップルの淫獣シリーズの話はこれくらいにしておいて、私はエロさを観点にすると、「触手物」というジャンルにあまり興味をそそられない。触手に絡まれている女に卑猥を感じないのだ。その理由はおよそ感覚的ではあるが、非現実的すぎるからであろう。だから、女キャラが触手らしきものをもつ化け物に犯されるのが大半であるうろつき童子シリーズは、全般的にエロさに関しては実用的ではない。そして全シリーズを通して、アダルトアニメであるということがストーリー展開の足を引っ張っていると感じることがしばしばあった。エロシーンというのはどうしても退屈な展開になりやすいし、そして何よりも時間をくう。うろつき童子シリーズは多彩な登場人物が織り成す壮大な物語である。ただし、その壮大さゆえに、舞台設定の説明不足、メインキャラクターの人物描写の浅はかさ、伏線の未消化が目に余り、何とも言えない物足りなさを感じたのも事実である。どうでも良い脇役のエロシーンを削り、これらの補完に当ててくれたのなら、どれだけ有意義だったかと思ってしまう。
 次に、うろつき童子は「純愛悲劇物」であると私はみなしている。そしてこれこそがうろつき童子シリーズを名作たらしめていると考える。うろつき童子の主人公は、公式では天邪鬼ということになっている。しかし、天邪鬼は主人公の役割を担っているというよりはむしろ語り部に近い。天邪鬼は獣人であり、人間と違い、何百年と生きていられる。そんな彼が目撃したある時代、ある場所での二人の男女(彼らこそがその物語における主人公であり、ヒロインである。) の恋愛模様こそがうろつき童子シリーズで制作者が本当に描きたかったことではないかと推測する。そして「純愛悲劇物」であるから、彼らの仲は必ずラストで引き裂かれる。ベルギー人のある映画監督が日本人はなぜフランダースの犬に共感するのかをテーマにした検証映画を作ったということが一時話題となった。その映画のプロデューサーの一人が、日本人の心には、信義や友情のために敗北や挫折を受け入れることに、ある種の崇高さを見いだす「滅びの美学」を有していると述べている。このベルギー人たちは、反日感情むき出しで日本人を皮肉っているにすぎないと捉えている人たちも少なからずいるので、この話題は不適切な例だったかもしれないが、確かに昔から日本人は判官びいきで知られるように、薄幸な立場の登場人物に共感し、不幸な結末にある種の趣を感じる一面をもっている。私の立場としては、ハッピーエンドが好みか、バッドエンドが好みかという問いに対しては、ストーリーによるとしか答えようがない。ただし、悲劇を強引な展開でハッピーエンドにもっていこうとするものはあまり感心しない(i.e. ブラッドロイヤル(ディスカバリー))。また、ハッピーエンドの後にエピローグをおくものがあるが、あれはいらないと私は考える。ハッピーエンドの後の展開くらい視聴者(あるいは読者)に想像させる自由を与えるべきである。それを制作者が阻害すると、だいたいは後味の悪い終わり方になってしまう。うろつき童子シリーズに関しては、恒例のバッドエンドはストーリーの展開上必定であるように思われた。なぜならば、主人公とヒロインの悲劇的な結末が、次シリーズに繋がる布石となっていることが多いからである。
 最後に、「ハルマゲドン物」とは私が勝手に命名したのだが、要するに黙示文学的な終末を描写している作品のことを指す。ノストラダムスの恐怖の大王のような超越的な存在が、その力を暴走させ、人々を焼き殺し、都市を破壊しつくす。うろつき童子シリーズが壮大にみえるのは、シリーズごとに時代、場所、登場人物が転々としていくということもあるが、常軌を逸した破壊描写を上手に描写できていることによる部分が大きいと考えられる。
 さて、初期3部作のレビューに移る。以下はネタバレに注意してもらいたい。冒頭でも書いたように、うろつき童子シリーズの最高傑作はこの初期3部作とみなす者が多い。私もこの意見に概ね同意する。キャラの魅力、バブル崩壊前の古き良き日本を彷彿させる雰囲気(そこで展開されるストーリーは暗いが。) 、気合の入ったバイオレンスシーンなどは、視聴者の目を最後まで離させない。初期3部作の冒頭は、プロローグの後、明神中学校を舞台に始まる。ここで注目すべきことは、中学校という部分である。初期3部作の主人公、南雲辰夫、ヒロイン、伊藤明美はなんと中学生である。ロリキャラを扱う時、歳が18歳以上であることをわざわざ明言することもある昨今のアダルトアニメ(i.e. 犠母妹(ディスカバリー)) に比べて、昔はすいぶんとルーズだったものだ。もっとも、この設定はやはり色々問題があったようで、劇場版では、明神学園と書き換えられ、中学校か高校かの区別がつかなくなり、うろつき童子、最後のシリーズ、完結版では彼らは高校生であると設定変更がなされている。海外版では大学生(college students)にされてしまっているようである。
 ロリ規制の問題については、うろつき童子を語る上ではかかせないだろう。特に、それを感じたのが、うろつき童子、放浪編である。ロリ規制については、重い問題で語るに忍びないが、放浪編のレビューで私の考えの一片なりを表明できればと考えている。
 それでは、初期3部作の主人公とヒロインについて述べる。主人公、南雲辰夫は、その性格が物語序盤とその後でまるで違う。序盤では、女子更衣室をのぞき、鼻の下をのばしたり、尾崎という生徒にあしらわれ、たくさんの生徒から笑いものにされたりする、いわばヘタレキャラであったのが、途中からうって変わって、明美をリードし、彼女が魔族に魅入られた学生、仁木にさらわれた時には、自分の身を省みず助けにいく勇敢なキャラに変貌していた。これは超神の成せる業なのであろうか?ここで、超神について説明する。
 うろつき童子の正式なタイトルは、超神伝説うろつき童子であるように、超神はうろつき童子シリーズのキーマンである。設定では、超神は人間界、獣人界、魔界を創造し、それから3000年後、再び地上に降臨し、三界を統一し、新世界を創りあげるとされる超越的な存在である。この設定は新約聖書、ヨハネの黙示録をもじったものだと思われる。イエス・キリストが再降臨し、千年王国を築くというあの有名な伝説である(象徴的な文章なので、色々な解釈があることは最初に断っておく。)。キリストはその際異端者、異教徒どもを死滅させる。その役目を代理で行うのが天使たちである。彼らがラッパを吹くたびに、地上は大いなる厄災に見舞われる。うろつき童子シリーズで、その天使の役割を担うのが、南雲である。南雲は異形の者に変化をとげ、世界を破滅へと導く役目を超神に強いられる。
 それでは、超神はどのように降臨するのであろうか。キリスト教では、キリストは天からやってくるとされている。うろつき童子では、超神は明美の腹から生まれることになっている。キリストは1回目の降臨では処女から生まれたが、超神は南雲と明美の間にできた子供として受肉する。さて、うろつき童子で特徴的なのは、超神は人間界の他に2つの世界、獣人界と魔界を造ったという部分である。制作者が魔界という舞台を用意したのはわかる。なぜならば、うろつき童子は触手物であり、触手をもつ異形の者たちが絶対に必要だからだ。では、獣人界の必要性は?全シリーズにレギュラーで登場する物語の道先案内人、天邪鬼が獣人であることは前に述べた。獣人は、長寿、飛行及びバリアなどの特殊能力を備えており、人間を優に超える存在である。しかし、これらの特徴は魔人ももっている。物語では、獣人と魔人の差別化が上手くいっていないように感じた。現に、天邪鬼の妹、恵は獣人であるにもかかわらず、魔界に帰ろうと言うシーンがある。制作者自身も獣人と魔人を一緒くたに考え、錯乱していたことを示す証拠である。物語の核心とはあまり関係のない細かい部分のつっこみではあるが、気になったので、ここに記した。
 次に、初期3部作のヒロイン、伊藤明美について述べる。明美はすごく良いキャラだと素直に思う。「顔形」、「性格」、「言葉遣い」、「声色」、どれをとっても申し分のない萌えキャラである。初期3部作がうろつき童子シリーズの最高傑作であると私が考える理由は、偏に彼女の存在故といっても過言ではない。明美をよりかわいく見せているのは、何といってもあのツインテールである。私は今までのレビューで「髪型」について言及したことはなかったが、「髪型」は実写、2D物ともに性的興味を高めるのに重要な要素である。特に、2D物は顔のパーツがどうしても単調になってしまうため(それが2D物の強みでもある。) 、髪型でキャラの容姿を差別化することが多い。蛇足だが、私は女キャラのショートヘアはあまり好きではない。さて、明美が中学生であるということは前に述べた。とはいっても、狙ったロリキャラであると感じたことは微塵もない。現に、最初明美は高校生だと私は勝手に思い込んでいた。ロリキャラとはいえないが、豊潤な肉体をもつ年増女でもない、熟しきらない色気をもつ女キャラというのはなかなか良いものだと感じた。
 初期3部作について、1話ずつ順を追って書いていくことにする。まずは記念すべきうろつき童子、最初の作品、「超神誕生編」からである。メインのエロシーンに関しては、冒頭の明美が魔人に強姦されているところだろうか。輝川 流一氏は、このシーンは最後にもっていくべきだったと言っておられる。確かにストーリーの展開的にも、このシーンが最初にあるのは幾分不自然である。超神がだれだか全くわかっていない、かつ南雲と明美の仲が全く進展していない物語序盤で、魔人が選択的に明美をつけねらった理由が希薄であるからだ(魔人は単に美人の女を犯したかっただけだったのかもしれないが。)。魔人族は超神を殺すためにわざわざ人間界に足を運ぶことになったことが後にわかる。とすると、南雲が超神であると疑われた (実際は、超神の父) 物語後半で、彼をおびきだすために、魔人が南雲の恋人である明美を人質にとり、ついでに犯してしまったという流れにするほうが自然ではなかっただろうか。もっとも、このシーンは明美が南雲を好きになる重要な伏線(彼女は南雲が自分を助けたと思い込んだ。実際は天邪鬼が魔人を殺した。) であるので、最初にもってこざるをえなかったのかもしれない。次のクライマックスシーンは尾崎というサブキャラクターがメインとなる。うろつき童子シリーズでは、メインキャラクターですら最終的には死ぬことが多い。いわんや、サブキャラクターをやである。例外なく、尾崎はあっけなく死んでしまう。彼は序盤で南雲をあしらった男である。彼は超神の父である南雲の血に触れたことによって特殊な能力に目覚めてしまい(この設定は次シリーズで大きな役割を果たすこととなる。) 、そのために魔人に襲われることになる。彼は得られた超能力で魔人を返り討ちにするものの、超神の力を試してみたくなった天邪鬼にあっさりと殺されてしまう。ここで、天邪鬼の行動原理について述べるが、彼は超神の創る新世界を興味本位で見てみたいと思っているにすぎない男である。だから、彼にはこれといった野心や理想があるわけでもなく、その行動は気まぐれである。しかし、獣人族としての巨大な力が、彼の気まぐれな行動を後のストーリー展開を左右するほどの重要な伏線に仕立て上げてしまうことがしばしばある。彼が魔人族としばしば対立するのは、魔人族が超神の新世界創造を妨げる勢力だからである。「超神誕生編」の最後のシーンでは、不意の交通事故で重体になった南雲が、病院で破壊の使者として覚醒し、病院周辺を崩壊させるところで終わる。このシーンをなぜ「超神誕生編」にもってきたのか本当に謎である。なぜならば、次の「超神呪殺編」では、このシーンがまるでなかったかのように南雲と明美の学園生活が描かれているからである。「南雲、明美とセックス」→「明美、超神を受胎」→「南雲、不慮の事故」→「病院にて南雲、破壊の使者として覚醒」→「世界崩壊」の流れが自然である。だから、この病院でのシーンは次章、「超神呪殺編」の最後におかなければ、辻褄が合わない。輝川 流一氏は「「超神誕生篇」と銘打ってるが、そもそも続編を出せたかどうか判らない時代でもあった。」とおっしゃっている。私が察するに、「超神呪殺編」は「超神誕生編」が視聴者に好評だったことを受け、急遽終章、「完結地獄編」の間に挿入されたのではないだろうか。そう考えなければ、「超神誕生編」のフィナーレと「超神呪殺編」の冒頭とのつながりがあまりにも矛盾していることを説明できない。
 次に「超神呪殺編」のレビューである。「超神呪殺編」でまず印象に残ったのは、登場人物の鼻がやや団子鼻に描かれており、ヒロイン、明美がやや不細工に見えるところか(そんなに気にするほどのことでもないが)。「超神呪殺編」では、主人公、南雲よりもサブキャラクター、仁木の存在感が光る。「超神呪殺編」は彼のストーリーとみなしても過言ではないほどである。彼はクラスメートにいじめられ、おまけに家庭内暴力も受けているという不幸な少年で、明美に片思いをしている。これは、家庭内暴力を除いて、まんま初期の南雲のポジションではないか。虐げられた男が、誰にも煩わされない力を願望するということは現実でもよくあるし、物語のテーマにもなりやすい。創作物では、こういう時に必ず悪魔が忍び寄ってきて、その男を手玉に取ろうとする。うろつき童子では、魔人がその悪魔の役をこなす。その時の契約内容が自分の陰茎を切断し、代わりに魔人の陰茎を取り付けるというのが、いかにもアダルトアニメらしいが。魔人に魂を売った仁木は、その後憎き両親を殺す。その死体の放置の仕方が残酷で、父親は大鍋で煮込まれ、母親の切り刻まれた死体は冷蔵庫に保管される。こういう現実にありそうな猟奇殺人の描写は、「完結地獄編で破壊の使者、南雲が人々を虐殺して回る非現実的なシーン以上におぞましさを感じる。
 実際、タイの死体博物館には夫の死肉が保存された冷蔵庫と殺人者の妻がいっしょに写っている写真が掲載されているそうだ。力を得た仁木は、魔人にそそのかされるまま、南雲を殺そうとする。彼は明美を人質にとり、南雲を呼びつける。女を奪い合う二人の男の戦いが始まる。それとは平行に天邪鬼は魔人族のリーダー的存在、水角獣と壮絶なバトルを繰り広げる。イボイボ氏はこのシーンを「天の邪鬼が都市上空で繰り広げるバトルは映画並みの迫力」と表現されている。確かにこのバトルシーンは逸材な出来ではあるが、個人的には、天邪鬼と水角獣は出しゃばりすぎていると感じる。彼らは物語の冒頭でも5分程度も時間をかけて擦ったもんだしていた。彼らの見せ場は「完結地獄編」にも十分にあるのだから、もう少し自重してもらいたかったものだ。
 終章、「完結地獄編」のレビューに移る。最初のクライマックスは、南雲と明美の和姦シーンだろうか。仁木を殺して後悔の念にかられ、そして化け物として目覚めかけて、自我崩壊寸前でたじろぐ南雲、そんな彼に未だ好意を寄せ続け、彼を受け入れようとする明美が結ばれるシーンは一見といえよう。しかし、その幸せなシーンは一瞬で、南雲はすぐに破壊の使者として覚醒してしまう。次のクライマックスは、天邪鬼との戦いで死んだはずの水角獣が復活し、彼が海の魔王を召喚し、町を破壊し続ける南雲に挑むところであろうか。このバトルシーンは、まさに天使とサタンの最終戦争、ハルマゲドンを彷彿させる。
 もちろん、ハルマゲドンでは天使の勝利があらかじめ約束されているように、南雲と海の魔王との死闘では、最終的に南雲が勝利を収める。最後のクライマックスは、超神の母にされてしまった明美が、超神に抗い、消された記憶を一瞬だけ取り戻し、南雲にあなたを愛した状態のままで殺してほしいと嘆願するところだろうか。破壊の権化、南雲もその時だけわずかに理性が蘇り、悲しみの涙を流す。しかし、超神の定めた運命からは決して逃れられず、南雲は世界を破壊しつくすまで、明美は超神を出産するまで、死すら許されない軛を負うこととなる。天邪鬼はこの事態を目の当たりにし、超神が破壊の後に創ろうとしている新世界と超神に翻弄され続ける被造物を見守り続けることを誓う。彼はこの時の心境をこう語っている。「そうかい。ほな、わいは生きるで。100年でも、1000年でも。うろついて、うろついて。お前(超神)の未来を、南雲と明美の未来を見届けてやる。それまでわいは死なへんで。」と。うろつき童子というタイトルは、天邪鬼のこの名台詞に由来しているのであろう。「完結地獄編」の総評としては、シリーズ冒頭の学園のこぢんまりとした雰囲気から随分とかけ離れた大仕掛けな展開になってはいるが、初期三部作の終章にふさわしい綺麗なまとまり方をしていると思う。
 最後に、初期3部作全体の評価としては、最初の2部、「超神誕生編」と「超神呪殺編」を南雲と明美の純愛物にしぼって、もっとコンパクトに仕上げたほうが良かったように思う(仁木関係のような暗いエピソードを織り込むのはあり)。初期3部作は、南雲と明美の恋愛模様こそが最たる見所であると私は考えている。だから、舞台は学園に拘る必要性はないが、彼らがどのようにお互い心引かれるようになったのか、そして彼らの幸せな一時期についてもっと十分に描写するべきであったのだ。この部分に力さえ入っていれば、「完結地獄編」での南雲と明美の悲劇的な別れは、一入感動的になったものを。初期3部作は名作であることには違いないが、何かすっぽり抜けたような物足りなさを感じるのは、そのせいである。察するに、3作品全てを荘厳華麗にしようとしたことが間違いではなかったろうか。大掛かりな展開にこだわりすぎて、こぢんまりとした展開がかすんでしまったことと、短い時間しか許されていないにもかかわらず、様々なキャラクターに焦点を当てすぎて、主人公とヒロインをなおざりにしたことが残念でならない。初期3部作は、鑑賞後に熟慮すると、不平不満も多い作品であるが、アダルトアニメの範疇を超えた名作であることは揺ぎ無い事実であるように思われる。ただし、エロさを観点にすると、その評価は格段に低くなる。よって、抜ける度は1である。
りぷとー


 ・この作品を発売当時、18歳未満で見た奴はオレも含め何人かは居る。オレが見たのは高校一年の時じゃなかったっけかなぁ。レンタルで借りたんだが、一般コーナーに当時は置いてたんだよ間違ってな。だってよぉ!「18禁」がパッケージに小さく一文しか書いてない上に18禁シールも無しだろ?18禁の一文はおそらく店員の目には入っていない。おまけにアニメ。ただのハードな作品だろうと思われたらしく、堂々と一般のOVAコーナーに並んでたよ。しかも、当時のOVA誌「アニメV」に、18禁でなくなったとの誤報まで載ってた。まぁ、その誤報のおかげで見ることになったけど、「これが一般アニメなのか、なんだかアダルトアニメの立つ瀬がないなぁ。」これが始めてみた際の感想だ。紛れも無く18禁です。

・この作品には二つのヴァージョンが存在する。目にするほとんどが再販ヴァージョンになる。初版はレンタルか、ごく一部の中古VTぐらいと思われる。手持ちのLDも確認したが再販ヴァージョンだった。おそらくペントハウス版VTのみとは思われるがその確認の方法と内容について。ビデ倫18禁のシールが貼ってないものが初版で、それ以外の全てが再販となる…はずなのだよ!確認のためにレンタルで借りてきたんだ!「間違いなく初版だ!」でも、内容は再販版。あれれ?…と言うわけで、それは目安でたのむ。もちろん18禁のシールが貼ってあるからには再販だが。おっと、一部の人は「ペントハウス版と、近年の日本コロムビア版では?」と聞き返すかも知れない…その分け方もあったね。そちらの違いはパッケージと社名ロゴの張り替えの違いだけ。それに関しては、内容から「同じ」としている。無論、その微妙な違いからそろえてみるのも良いかも。

・ペントハウス版には二つのヴァージョンが存在し、再販版には「修正」が加えられている。挿れねばならない所にモザイクが入るそちらの修正ではない。適した言葉を捜せば「訂正」だ。なお、ペントハウス再販版以降の全ては…宇宙企画のハイブリッド版CD-ROM(基準の違いかさらに「修正」が加わる)、日本コロムビア版VHS・DVDも含め、ペントハウス再販版がベースで、初版版は使われていないようだ。確認できた訂正内容は以下の通り。なお、「本編○分頃…」はDVD版を使用。

(1)オープニング、文字フォントが違う。
(2)同じくオープニングナレーションの文「三つの界を一つとし…」→「三つの世界を一つとし…」へ。


(3)同じくオープニング、魔界のシーンに移る場面でナレーション背景との切り替えタイミングが違う。
(4)本編5分頃、尾崎がゴールを決めた後の群集シーンで天邪鬼の行動「群集の後ろへワープ」→「すでに居る」ポーズも食い違っている。

(5)本編9分50秒頃、明美と先生のレズシーンの最中、保健室外での南雲のセリフ「君は確か今日転校してきた…」での口パク「なし」→「あり」へ。
(6)本編11分頃から11分40秒頃、明美のレイプシーン内での魔人のセリフを全て削除。明美のあえぎ声を前面に押し出す。魔人主体のシーンから明美主体のシーンへ。
(7)本編18分45秒頃、南雲と明美のキスシーンの後の夜景の傾き「平行」→「斜め」へ。


(8)本編22分35秒頃、尾崎が魔人に喰われてから擬似超神となって出てくるまでのエフェクト処理全般の変更。
(9)本編23分45秒頃、擬似超神の背景の看板「無し」→「有り」へ。
(10)本編26分25秒頃、天邪鬼が「超神やとおもたのに…」のセリフを言ったシーンでの背景がずれている。
(11)本編33分頃、恵が腕を掴まれているシーン、叫んでる時のカットが描き直されている。アングルが「横」→「斜め前」へ。



・抜ける度は明美と先生〜魔人との一連のシーンには3以上をあげても良いけどシーン構成が断続的過ぎるな。他のシーンはどうかと言えば、明美シーンのインパクトを超えたとは言い難い。いや、それが全てかも。「超神誕生篇」と銘打ってるが、そもそも続編を出せたかどうか判らない時代でもあったし。元から続編を出せる時代だったら、あのシーンはむしろ最後に持っていくべきだっただろう。平均した抜ける度はそれでも2〜3かな。努力は評価すべし。

・アニメとしてのお勧め度は2〜4。近年、日本コロムビアからDVD・VHS共に発売されており、内容も発表当時のままの映像が収められてる(もちろん上の11項目の訂正は加えられている)わけだし、値段も4000円を切る。VHSレンタルもそれなりにおいていてくれてるはず。エロ・スプラッタ共に初めてという人にはお勧めしがたいが、ハードなアニメを見てみたいと言う人には貴重な一本になるだろう。
輝川 流一


 ・後に劇場公開までされ、その恐るべき完成度でエロアニメファンのみならず一般視聴者までもの度肝を抜いた傑作である。ストーリー性とエロティシズムがこれほど高次元で融合している作品というのは、その後もちょっと例を見ない。誰が超人なのかというサスペンスの盛り上がりには、エロということを忘れて手に汗握ってしまうほどである。
 「触手モノ」というジャンルを完成させた功績も大。明美の触手レイプシーンは、当時としては出色の出来だった。
 前田俊夫原作らしからぬ、アニメ調に振れた作画も好印象。どことなくZZガンダム調で楽しい。
 声優陣も豪華で、特にヒロイン明美のキャスティングには当時呆気にとられたものだ。アニメファンにとっては願ってもない垂涎のキャスト。涙ちょちょギレである。
 いずれにせよ、プロデューサーとスタッフの並々ならぬ意気込みが生み出した、エロアニメ黎明期の一大エポックメイクな優良作と言えるだろう。必見!
 「抜ける度」は3+としておく。
(イボイボ)



 ・確かに明美はいいよね。あの超有名作のキャラを連想しながらアヘ声を聞くと味わいひとしおです。(^^;)
 しかしこの娘、魔物に犯された途端に、ヤケクソ調のヤリマンになってしまうのはいかがなものか。いや元々先天的ヤリマンなのかな。前田先生原作だし。
 「抜ける度」は3。
(彩雲11型)


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