ドラゴンナイト

 ストーリー・風来の剣士、ヤマトタケルは旅先で空腹となり、こっそりある城の厨房に忍び込んだ。女兵士に盗み食いの罪で捕らえられたヤマトタケルはその城の王女と謁見することになる。彼女の統べる国はストロベリーフィールズと呼ばれ、女だけが住まう国である。ヤマトタケルが王女の命により城から追い出されそうになった時、神官の娘、ルナが王女にこう進言する。「この者は我が国をあの忌まわしきドラゴンナイト一族から救い出すことのできる勇者です。」と。ヤマトタケルはルナとともにドラゴンナイト一族が拠点としている塔に乗り込むこととなった。




 ・ドラゴンナイトはエルフ原作のRPGを1993年にアニメ化したものである。ポリスターというあまり聞きなれないメーカーが製作・販売を担当している。エルフはドラゴンナイトの続編を4作まで作っている。ドラゴンナイト4が最も名高く、ウィキペディアによると、PC用だけでなく、スーパーファミコンやプレーステーション等の家庭用ゲーム機にも移植された。ドラゴンナイト4はピンクパイナップルから4話構成で18禁アニメ化された。
もちろん、ポリスターのドラゴンナイトとの直接な関わりはない。
 さて、私、りぷとーの今までのレビューは、私のいくつかの駄文を見て下さった方にはお分かりであると思うが、テーマとしているアニメの主にストーリーに関して、その理非を論っては揚足を取るというスタイルが大半であった。今にして思うと、本当にこれで良かったのかといささか懐疑的である。インターネット上には、私のやってきたレビューを一言で表現できる便利な言葉がある。それは「ネタバレ」である。「ネタバレ」は今までにそのアニメを見たことの無い者にとっては、ストーリーの先取りということになり、非常に不愉快である。一方で、すでにそのアニメを見た者にとっては、他者の一つの感想としてレビューを見る分には「ネタバレ」は決して悪い存在ではないとは思う。このようなことから、以後、私は個々の作品のレビューにおいて、なるべく「ネタバレ」を避け、対象となるアニメを種として、私のアダルトアニメに対する考えのようなものを一般論的に述べたいと思う。この試みが上手く行くかどうかは今のところ分からない。また、もしこのレビューのスタイルがこのサイトでルール違反だとするならば、管理人様、遠慮なく私に警告してください。
 私たちがアダルトアニメを見る理由は何だろうか?それは偏に「抜く」ためであるかもしれない。もしそうだとしたら、ストーリーなどいらない。実写のアダルトビデオを見る時を想像してほしい。「あのAV女優が出演しているビデオのストーリーは○○で良かった。」という感想を一言でも漏らす者が果たして存在するだろうか?別にいても構わないが、そんなことを言う人はほとんどいないだろう。「あの女優はかわいかった(もしくは不細工だった。)。」、「あのシーンはエロかった(もしくはエロくなかった。)。」という感想が大方を占めることとなろう。要するに、かわいい女優が演じていて、エロいシーンが豊富なアダルトビデオが優れているということになる。当然、再生時間中ずっとエロいということは到底有り得ないから、もう一度見たいと思った時は、個々人がエロいと思ったシーンのみを再生し、そこで「抜く」だけである。これは実写だけではなく、アニメに関しても十分に当てはまることではないだろうか?この観点からすれば、このドラゴンナイトを始めとする昔のアダルトアニメのほとんどはエロシーンが弱いため、ただの駄作とみなされよう。
今時、女キャラが裸になるだけで(実際、ドラゴンナイトではセックスシーンすらない。) 、抜けるナイーブな野郎がどれだけ存在することやら。
 実写AVでストーリーを楽しむ余地はないが、アダルトアニメにはまだそれが残されていると考える人がいるかもしれない。私はアダルトアニメのみならず、アニメ全般では決して人を大きく感動せしめるようなストーリーは作れないと思う。アニメは小説に比べて圧倒的に言葉の情報量が少ない。特に、アダルトアニメの場合、ストーリー展開の合間にエロシーンを挿入しなければいけないので、ストーリーの背景の説明不足がより顕著となる。
ドラゴンナイトでは、30分弱の短い時間でストーリーを完結させることを強いられたことから、ストーリーが完全に綻びてしまっている。かつてのアニメーターであり、現漫画家の安彦良和氏は彼の講演会で、自分はアニメが嫌いだとはっきりと公言したそうだ。安彦氏は「アニメではろくなものがつくれない。漫画では好きなものを好きなだけ書ける。」と言明したそうだ。これは彼の講演を視聴した人のブログから私が勝手に引用したものであり、この簡潔な文章だけでは、安彦氏が本当に言いたいことは不明瞭であるが、私が察するに、漫画では、自分の主張したいことを、キャラクターの台詞等を通して十分に言葉で表現できるのに対し、アニメでは時間の制約その他もろもろで自説を強く言い張ることができないと安彦氏は考えているのだろう。相手を説得したり、感嘆させたりするには言葉が最も重要だと私は考えている。その点において、アニメのストーリーでは言葉数がどうしても少なくなりすぎる。
 以上のことから、どんなアダルトアニメでも、そのストーリーは、場合によっては初見した時、小さな感動を与えてくれるかもしれないが、後考すると、とどのつまり稚拙でぞんざいでしかないとみなすようになるのではないか。ならば、アダルトアニメで「抜く」こと以外の見所はあり得るのだろうか?そこで、私が以前「マジカルトワイライト」のレビューで主張した女キャラに萌える4大要素「顔形」、「性格」、「言葉遣い」、「声色」の後ろの2つ、「言葉遣い」、「声色」に注目してみる。小説や漫画と違って、アニメで使われる言葉は専ら会話表現のみである。この会話表現をどれだけ魅力的なものにするかにアニメの出来栄えは大きく左右されるのではないかと私は思う。近年の日本語は残念ながら、劣化するばかりだ。この状況を危惧してか、「美しい日本語の辞典、小学館辞典編集部編」やら「美しい日本語のすすめ、美しい日本語について語る会編」(どちらとも某首相の著作「美しい国」を喚起させる題名だ(笑))のような書物がどこの本屋にでも陳列してある。これらの本をふと立ち読みしてまず思うのは、言語の専門家が自分の語彙の豊富さをひけらかしているにすぎないということだ。ここで、誤解してほしくないが、私は語彙の豊富な人に尊敬の念を抱いている。ただ、現在の日本語の劣化と語彙力の低下とは大いに関係はあるが、本質ではないことを指摘したいだけだ。会話で難解な単語が次から次へと出てくるとしたら、それはそれで結構なことだが、必要最低限の、それこそ小学生レベルの語彙力でも会話は十分に成り立つ。現在の日本人の日常会話ではこの必要最低限の表現レベルですら、なおざりにされているのが問題なのだ。以下、私が劣化しているとみなす会話表現=言葉遣いを箇条書きにして示す。
@リ抜き、ナ抜き言葉 ラ抜き言葉(食べられる→食べれる)が有名であるが、これは別に不愉快ではない。むしろ、やっぱり→やっぱ、食べっぱなし→食べっぱ のほうが不愉快である。
Aラ行撥音化、ナ行撥音化 分からない→分かんない、〜かもしれない→〜かもしんない、〜してるの→〜してんの、〜じゃない→〜じゃん、〜なので→〜なんで
Bサ付き言葉 一般的には、飲ませられる→飲まさせられる等の誤用に用いられるが、私が用いる場合には違う。現代人は文節の間にさを挿入することが多い。例えば、「俺、昨日あのアニメを見て思ったんだけど、」→「俺さー、昨日さー、あのアニメを見て思ったんだけどさー、」となる。この聞くに堪えない会話表現を私はサ付き言葉と呼んでいる。
C疑問文の劣化 違わない?→違くない?、〜じゃない?→〜じゃね?
D汚い形容詞、形容動詞 気持ち悪い→キモい、うっとうしい→ウザい、まずい→ヤバい、本当に?→マジで?
E熟語の省略 就職活動→就活、自動車学校→車校
以上は日本語の劣化のほんの一部である。これらを見れば分かるとおり、小学生でも理解できるほど簡単な部分の劣化である。日本語はすでに根本的に腐敗しているとみなしてよいだろう。日本語はすでに変わってしまったのだ、より乱雑な方向へと。かくいう私も上記の言葉遣いを全く使わないというわけではない。実世間での日本語の改善はもはや無理だろう。然るべくはせめてアニメくらいはという次第である。しかし残念ながら、とりわけ近年のアニメでは上記の劣化表現が作品によっては当たり前のように使われている。一方で、昔のアニメのほうが、上記の劣化表現があまりないという意味では、丁寧な日本語が使われている傾向がある。アニメではないが、昔のRPG、例えばドラゴンクエスト1-4の会話を調べてみると、汚い会話表現がほとんど使用されていないことがわかるだろう。
私はアニメを見る上において上記の点を注視している他に、殊にアダルトアニメに関しては女キャラがメインとなるので、彼女たちが女性語を使うかどうかにも気に留めている。
私が日本語の女特有の言い回しである女性語を高く評価していることはマジカルトワイライトのレビューですでに書いた。悲しいことながら、女キャラが近年女性語を使用する頻度はだんだんと減少傾向にある。正確にいうと、若い女キャラがほとんど使用しなくなり、熟女専用の言い回しである熟女語にそれは変容しつつある。従来から女たちは日常会話で女性語をほとんど使用してこなかった。そういった意味で、女性語は今も昔も小説、漫画及びアニメにしか登場しない文学表現である。だから、個々の女キャラが女性語をしゃべるか否かは、アニメでいうなら脚本家の女性語に対する価値観如何で決まる。しかしながら、たいていの脚本家は女性語に対してさして拘りをもっていないのが現状だろう。女キャラだから、慣用的に女性語を語らせよう程度の浅薄な思考をしていよう。ある特定の女キャラが女性語をしゃべたり、しゃべらなかったりして脈絡が無いケースが多いのはおそらくそのせいであると私は考えている。例えば、「〜してるのよ。(女性語)」が「〜してるんだよ。」と混在していたり、「いいわよ。(女性語)」と言ったかと思えば、またある時は「いいよ。」と言ったりする。私はほとんど神経質といえるほど執拗にこれらの相違に拘るが、正直なところどうでもいいと思っているのが、いわゆる普通の脚本家であろう。一方で、ドラゴンナイトの脚本家は、おそらく意図的なものではなく、単なる気まぐれであろうが、登場する女キャラのほとんどに極めて安定で統一のとれた女性語を使用させていた。この点で私はドラゴンナイトを高く評価している。
 次に、「声色」について考える。私は以前「声色」をあまり気にしないと書いたが、その考えを訂正する。私が「言葉遣い」を相当重要視しているのは上記の文章を見ればわかると思うが、「声色」はその「言葉遣い」に味付けをする役目を果たしているといえる。例えるなら、「言葉遣い」は素材であり、「声色」は調味料である。良い素材に良い調味料を加えれば、最高の料理が仕上がる。対照的に、良い素材に悪い調味料を加えると、せっかくの素材が台無しになってしまう。それくらいなら、調味料を加えないほうがはるかにましと言えるだろう。その悪い見本を「淫獣学園、1992、大映」で見出すことができる。ヒロイン巫女の姉、ミユ役の声優は素人といっても差し支えのないほど演技力が欠けていた。
彩雲11型様の情報によると、ミユはあるAV女優が演じていたらしい。彩雲11型様は−これがムチャクチャにヒドイ!(^^;)いやもう学芸会なんてレベルじゃありません。あまりの下手クソさに、聞いてると頭痛がしてきます。肝心のアヘ声は本職だけあってややマシなようにも思いますが、普段のセリフは聞けたモンじゃありません。−とおっしゃっている。
私は彩雲11型様の意見に賛同する。話は変わるが、私は実写AVを見る場合、消音にすることが多い。それは周りに聞こえないようにするためでは決してない。AV女優の拙いセリフを聞いても気分が萎えるだけだからだ。私は彼女たちの喘ぎ声すらどうでも良いと思っている。世間で喘ぎ声フェチがどれだけいるか知らないが、少なくとも私はほとんど興味がない。アダルトアニメの楽しみ方に実写AVにはない声優の演技に聞き惚れるというのがある。特に、昔のアダルトアニメはエロくない代わりに、普通のアニメにいくつもレギュラー出演しているような豪華声優が案外声役を担当していることが多いので、その点では優れている。ドラゴンナイトでは、どのキャラの声役も巧妙である。その中でもルナの声優に深い感銘を受けた。その理由を説明すると、私はギャルゲー(今では死語か?) はめったにやらないのだが、数年前唯一購入して熱中したソフトで、ある萌えキャラと出会った (彼女ほどの萌えキャラと遭遇することはもう一生ないだろう。)。そのキャラの声優がルナの声優と声から判断して同一人物だったのである。声優(声色)の力は、日本語の言い回し、そして女性語の魅力を何倍も高めてくれることを肌で感じた次第である。ルナの声優が誰であるかは分からない。いや、私は敢えて知ろうとしない。声優がいかに優秀だとしても、詮ずる所調味料でしかないからである。素材(言葉遣い)が悪ければ、縦い最高級の調味料を振りかけたとしても、決して旨い料理はできない。だから、私は近年の日本語の劣化を誰よりも杞憂しているのだ。最後に、ドラゴンナイトの抜ける度は1である。この作品の魅力はキャラ達の生き生きとした会話を傾聴するところにあると私は考えている。
(りぷとー)


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