夜勤病棟参 Experiment.1

 ストーリー・瀕死の重傷を負ったその男(空)は、とある病院の前に倒れていたところを八神 優というナースに助けられる。特別病棟へ移ることになった彼は、美しき院長・御影 麗佳と面会する事に。そこで彼は、新薬の被験者になって欲しいと頼まれるのだった。親も兄弟も無い彼は、その被験者になることを承諾する。そして彼の担当ナースとして、八神 優がつくことになったのである。この日を境に彼の運命は大きく変化してゆくことになる……。『もう誰も止められない……』




 ・エロゲー、夜勤病棟シリーズ第3弾を原作としたOVA。ストーリーに関しては、無印夜勤病棟とは何の関連性もない。ちなみに、この作品の前作にあたる夜勤病棟弐も数年前にすでにアニメ化されている。こちらの販売元はディスカバリーではなく、D3である。夜勤病棟弐に関しては、私はまだ未鑑賞であるが、七瀬恋が出演していることから、無印夜勤病棟となんらかの関係がありそうだ。さて、私のこのアニメの評価は可も無く不可も無いといったところか。
いつものことだが、本作のレビューは後半にまわすことにして、アダルトアニメについての雑感をとりとめもなく書き連ねることにする。アダルトアニメ販売レーベルのブランドとして「ピンクパイナップル」、「ミルキー」、「バニラ」、「ディスカバリー」、「グリーンバニー」を私は挙げることができる。古参の「ピンクパイナップル」、2006年7月3日に消滅した「グリーンバニー」を除いては、その歴史は意外と新しい。「ミルキー」は2001年発足、「バニラ」はホームページの資料によると、「哀・奴隷T(1997)」が一番古いが、1999年以降の作品がほとんどである。「ディスカバリー」は1999年発足である。要するに、1999年以降、これらの主力レーベルが凌ぎを削って、より多くのアダルトアニメが作られるようになったといえるだろう。このような背景から、私は以前アダルトアニメの全盛期は2000年から2003年と主張したが、この場でそれを訂正させてもらう。多くのアダルトアニメを鑑賞していくうちに、90年代にも優れたものはいっぱいあるし、2004年以降に発売された作品に関しても、同様のことがいえることに気づいたからだ。しかしながら、新参レーベルの興起を皮切りに、この時期のアダルトアニメ市場は小さいながらも、活気付いていたことは間違いないだろう。もう一つ言えることは、1999年以降のアダルトアニメは、どの作品に関しても、ストーリーを犠牲にして、エロ描写を重視する傾向がある。アダルトアニメとしては、こちらが正道というものだろう。もっとも、そのような風潮に甘えてか、退屈なエロシーンを無下に垂れ流す駄作も、特にバニラ作品でたくさん生まれたわけであるが。一方で、それ以前のアダルトアニメの大まかな特徴として、
1.RPG風のファンタジー物、SF物、淫獣物(触手物?) が多い。
2.声優が豪華であることが多い。
3.エロシーンが少ない代わりに他の演出(戦闘シーンやストーリー展開)が丁寧なものが多い。
の3点が挙げられる。私は今でこそ数多くのアダルトアニメを見てきた身であるが、90年代からの愛好家であったわけではない。私が始めて見たアダルトアニメはマイナー作品「微熱症候群?保健室へようこそ(1997)」であった。なぜそれを見ようとしたのか、今では覚えていない。今にして思うと、これは同時代の作品の中でもかなりレベルの低いほうに入るのではないだろうか。私は、アダルトアニメは所詮この程度かという偏見を抱いてしまい、それ以降ある時期まで鑑賞を敬遠していた。その後、私のアダルトアニメに対する価値観の転機は突如として訪れる。私が次に見たアダルトアニメは「夜勤病棟 Karte.2(ディスカバリー、2001)」であった。これを初めて見たときのえにも言えぬ感動は、いつぞやに書いた私の
夜勤病棟 Karte.2のレビューに書いてある。これが、私がアダルトアニメ愛好家になったきっかけであるといえる。「微熱症候群」のトラウマのせいか、私は90年代以前のアダルトアニメを故意に敬遠していたが、偏見を取っ払って、いくつかの作品を見てみると、昔のアニメも決して悪くはないと見直した。一方で、昨今のアダルトアニメに関して、私はどう思っているのかというと、いささか悲観的である。私はこれまでのいくつかのレビューで最近のアダルトアニメ市場は衰退しつつあると主張してきた。これは「グリーンバニー」が市場から撤退したこと、身近な話で言えば、アダルトアニメを取り扱うレンタルビデオショップが数少なくなってきたこと等である程度裏付けることができるが、近年の詳細な販売数等を私は把握しているわけではないので、半ば確証にかける表現であったことをここで謝罪する。私はこう言うべきであったのだ。昨今のアダルトアニメには、個人的にあまり食しがそそらないと。その理由は、近年のバニラ作品の傾向である程度説明可能なように思われる。バニラ作品は発足当時からそのクオリティーの低さから、バニラクオリティー等、様々な表現でののしられてきたが、近年色々な意味でそれにさらに磨きがかかっているように思われる。これについての詳細は、バニラ作品のレビューでいつか言及したいと思う。一方で、ディスカバリーレーベルに関しては、「夜勤病棟」というブランドシリーズのみに目を奪われがちだが、その他にも「犠母妹(2002)」、「誘惑(2003)」等、秀作が多く、個人的には好感がもてるアダルトアニメメーカーであった。ただし、2005年
2月に「パンチラティーチャー第2話」が発売されたのを最後にディスカバリーはすっかり鳴りをひそめてしまった。「パンチラティーチャー第2話」の次に発売されたのが、「新体操(真) etude.1(2005年6月)」であるが、これが発売されるまでのブランクがなんと4ヶ月もある。元々ディスカバリーは年間販売本数自体がそれほど多くなかったが、この4ヶ月のブランクは私にとって異様に映った。当時の私はディスカバリーもとうとう終焉を迎えたかとせつない気持ちでいっぱいであった。「新体操(真)」で見事復活を果たしたディスカバリーではあったが、命の残り火を必死になって灯しているようにしか見えなかった。「新体操(真)シリーズ」、「夜勤病棟Krankeシリーズ」どれを見てもバニラクオリティーという形容がふさわしい駄作ばかりだったからだ。この夜勤病棟参Experiment.1はディスカバリーがこのような状況の中、発売されたものである。
さて、しばし私の戯れ言に付き合っていただきたい。このアニメは全体的にエロさが足りない。エロさに関しては、「夜勤病棟 Kranke.1」のレビューで「顔形」、「体つき」、「アングル」、「モーション」にしぼって私なりに考察してみた。今回は別の観点でエロさについて語る。私は純愛物よりも陵辱、SM物を好む。私はアニメにおいて普通のセックスシーンで発情することはほとんどない。よって、セックス描写をはじめとする性的表現が極端に制約される純愛物は、抜き用のアダルトアニメとしての価値を全く有していないといっても過言ではないだろう。それでは、強姦シーンでありさえすれば抜けるかといったらそれもまた違う。強姦と和姦との違いは偏に女キャラが嫌がっているか、嫌がっていないかにつきる。私としては強姦と和姦の違いはエロさにさほど寄与しないように思われる。エロさに重要な項目を思いつく限り箇条書きにして書いてみる。
1.チラリズム。一般的に、スカートがめくれてパンツが一瞬だけ見えることに用いることが多いが、ここでは、この用語をもっと拡大解釈して使いたい。要するに、全裸ではなく、なんらかの装着物を羽織りながらの性的描写もチラリズムと呼ばせてもらう(強引すぎるが、これ以上適切な単語を思い浮かべることができなかった。) 例えば、上半身あるいは下半身のみ裸の描写であったり、靴下のみを身に着けていたりする描写がそれである。眼鏡娘の眼鏡もこれに当てはまるといえる。もう一つが時間軸におけるチラリズムである。これは、例えば、ある女キャラがストーリーの中盤までは上着一つ脱がなかったにもかかわらず、終盤では全てをさらけ出して全裸になることを指す。この手法はアダルトアニメでよく用いられる。このアニメに登場する如月 ひよりのエロシーンは今回一つもない。次回までのお楽しみというわけである。チラリズムとは、つまるところ、想像する楽しみである。スカートの中はどうなっているのだろう?眼鏡娘の素顔はどうなのだろう?等の想像が性欲を高めるのである。ただし、チラリズムはこれだけでは完結しない。想像力で喚起される性欲など左程のものではない。実際にパンツが見えてこそはじめてチラリズムは成立する。
隠れた状態とあからさまの状態、この2つが両方存在することで相互依存的にエロさが高まるといえる。この効果を世間で知られている単語、チラリズムと私は表現したまでである。一方で、最も私を萎えさせるのが、隠れた状態のみである場合である。例えば、「フーリガン、バニラ(2001)」のマルグレーテや「魔界天使ジブリール、ANIMAC(2007)」のラブリエルは期待させておいて結局最後まで脱がない。もう一つ、隠れた状態といえば、モザイクについての言明は避けられないだろう。モザイクはエロさにおける最大の障壁といえるのかもしれない。
2.身体を束縛する器具。目隠し、よだれ玉、手かせ、縄等である。特に、私は目隠し状態に性的興味を覚える。女キャラの体の一部が束縛されるとどうしてエロさが高められるのだろうか?支配欲がその理由の一つといえるが、目隠しに関しては上記のチラリズムが大きく関係する。目は、とりわけアニメにおいては人間の表情を知るのに重要な器官である。
そこが隠されれば、その下の表情を想像するという楽しみが生まれるのである。
3.スカトロジー。広辞苑によると、スカトロジーとは「糞尿や排泄行為を好んで取り上げる趣味・傾向」とある。どうやら性的な意味のみではないらしい。そういえば、子供はうんこや小便という表現が好きだ。糞と小便は汚いと嫌悪しながらも、生まれてから死ぬまで一生人についてまわる存在である。人は誰しも本能の片隅にスカトロジーを内包しているのかもしれない。また、人の生殖器が下腹部にある(男の場合は、尿道を通して精液が排出されるのだから、生殖器の一部が排泄器官と同化しているとさえ表現できる。) のとスカトロジーには何らかの関連性があるのかもしれない。
4.アナルセックス。肛門にペニスを挿入する行為は日本では背徳的なイメージがあるが、海の向こう側ではどうやらそうでもないらしい。なぜならば、ポルノの本場、アメリカのAV女優は普通のセックスとほぼ同感覚でアナルセックスを行うからだ。どうやら人間は糞が排出される肛門に性的興味を覚えるようだ。大雑把に言ってしまえば、アナルセックスはスカトロジーの一種とみなせなくもなく、これがポルノの世界で一般的になっていることからも分かる通り、やはりスカトロジーは一部の変質者のみの性癖では決してなく、人間の本能に則したものと考えるほうが妥当であるのかもしれない。
5.身体を束縛するため以外の器具。例えば、バイブ、アナル玉、浣腸器などがそれである。
基本的に私は器具によるアナル責めにエロさを感じる。これは無印夜勤病棟の主人公、比良坂先生の影響かもしれない。思えば、比良坂先生は色々な器具を用いて創意工夫をこらし、エロさを演出してくれたものだ。残念ながら、Krankeシリーズの比良坂先生はただのエロ親父にすぎないわけだが。
以上5つの項目がエロさにとって重要だと思われる。私が陵辱、SM物を好むのは、これら5つの項目がどれも含まれている可能性が高いからだ。もちろん、5つの項目が全て含まれていたからといって抜けるとは限らない。キャラデザ等他の要因を絡めると、抜けるか抜けないかは、とどのつまり個人の感覚に依存するわけであるが、これら5つの項目がわたしにとってエロさの指標になることには間違いない。
以上のことを踏まえると、この作品はエロさが弱いといわざるをえない。夜勤病棟シリーズの醍醐味であるスカトロジーは無印でないからかどうかは知らないが、存在しない。アナルセックスすらない。メインのエロシーンは2つあり、その中の一つがストーリー中盤において主人公、空がヒロイン、八神 優を強姦するシーンであるが、あまりぱっとしない。
夜勤病棟参のヒロイン、八神 優の性格は七瀬 恋と非常に良く似ている。清楚可憐で大人しく、相手の性的行為に対しては常にほぼ無抵抗だ。陵辱物では、すぐに従順な雌奴隷になるタイプだ。私はこういうタイプは決して嫌いではないが、無印夜勤病棟の七瀬 恋のようにことあるごとにしゃしゃり出てくると食傷気味になってしまう可能性が大きい。一方、主人公の空の性格や立場に関しては、一話を見ただけではよくわからない。彼は記憶喪失でやや精神分裂ぎみである。訳もわからず、病院に監禁され、その後、院長・御影 麗佳に薬の被験者になるように頼まれる。この薬の正確な効果は今のところ不明だが、どうやら性欲を増強させるもののようだ。空が優をレイプしたのもこの薬の効用によるものが大きいと臭わせる描写があったからだ。空は精神分裂ぎみだから、訳のわからない行動をしばしば起こす。例えば、もう一つのメインのエロシーンで、彼は巨大ウナギを優の膣の中に挿入する。その理由は鬼畜行為を行いたかったからではなく、純粋に彼女に喜んで欲しかったかららしい。嫌がる彼女を見て動揺する彼の様子を見ると、彼は巨大ウナギプレイを本気で善意ある行為と思っていたと見受けられる。巨大ウナギプレイはエロシーンとしても微妙で、彼の意味不明な行動と相俟って、ただただ滑稽に見えた。
以上余談が大半を占めた拙いレビューであったが、この作品はエロさが弱いというアダルトアニメとして致命的な欠点を内包してはいるものの、作画の安定性はKrankeシリーズをはるかに凌ぐ。それに、今回エロシーンこそお預けだったもののロリキャラ、如月 ひよりは、言葉遣いをはじめとして私にとってかなり壺にはまりそうだ。ただのウザキャラと化した児玉 ひかるとは雲泥の差で愛着をもてることが期待される。駄作Krankeシリーズに比べれば、夜勤病棟参は綺麗にまとまりそうだ。ただし、販売元であるディスカバリーはホームページ更新の停滞から察するに、今度こそ完全に息の根が止まってしまったようだ。
夜勤病棟参シリーズは3作目まで出ていることが現在確認されているが、どうやら打ち切りで終わりそうだ。非常に残念なことである。ちなみにこのアニメの抜ける度は2とする。
(りぷとー)


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