No.7 如月ハニー


 今回のお題は初代キューティーハニーであるが、別に彼女に対する思い入れを書いてみようというのではない。



 正直申し上げて、オイラは本作の熱心な視聴者ではなかった。永井作品は大好きだが、アニメの「ハニー」は何となく退屈な作品だったという印象がある。当時としては尋常でないレベルだったお色気描写が、幼児だったオイラにアピールしなかったわけはないと思うのだが、どうもハニーでおっ勃ったという記憶がないのである。不思議だ。



 では本稿で何を書くのかと言えば、まあたまにはアカデミックごっこというか(^^)、当時「ハニー」が何を描こうとしていたかっつーのを、オイラなりに読み解いてみせようという試みである。したがってまるでスケベではないが、こんなのもあっていいだろ。



 さて初代ハニーは、見ての通りにシンプルなお色気エンタテイメントであるが、原作者たる
永井豪氏には、実は相当な覚悟と目論見があったのではないかと思う。そのキーワードは、「愛の戦士」というアオリであり、敵役たる「パンサークロー」のキャラクターイメージである。



 そもそも主人公たる如月ハニーは、およそ「正義」のヒロインというイメージとはしっくりこない。



 彼女は厳格なお嬢様学園の女学生だが、スキあらばそこを抜け出して男と遊びに出かけてしまう、無邪気で奔放と言えば聞こえは良いが(良くないか)、要するにおつむの弱い不良少女である。



 彼女にはその命を狙う宿敵がいて、それがパンサークロー一味であるが、その幹部らは皆とうのたった中年婦人であり、でによってその身体を宝石でゴテゴテと着飾ることに血道を上げる。つまりパンサークローとは、「オバハン」の集団なのだ。



 さて、実は人造人間であるハニーの体内には、「空中元素固定装置」なるスーパーテクノロジーが内蔵されていて、パンサークローたちはそれを狙っている。この装置さえあれば、ダイヤだろうが何だろうが無尽蔵に作り放題だからである。



 しかしその目的とは別に、パンサークロー一味は、如月ハニーという少女を激しく憎悪しているようだ。なぜならハニーは、彼女らパンサークローには「既に出来なくなってしまったこと」を、ヌケヌケとやらかしているからなのだ。それはつまり、「愛の戦士」たるハニーが、まさに「愛(性)」を謳歌してアッケラカンとしていることそれ自体である。



 と書いてくればもうお分かりであろう。本作で示された「パンサークロー」なる敵役は、「良識」という恐ろしい武器を手に、執拗に「愛(性)」を攻撃してくる、オバハン軍団のカリカチュアなのである。



 パンサークローは、「愛」の快楽を知らないわけではない。かつては彼女たちも、奔放に「愛」を謳歌したのだ。しかし容色の衰えてしまった今では、その同じ快楽を、存分に享受することはかなわない。だから彼女たちは、その補償としてダイヤモンドを愛し、ついでに今や手の届かなくなってしまった「愛」を、他人にも楽しませてなどやるものかと決意する。そしてその「愛」のシンボルたるハニーを、彼女たちは憎んだのだ。恐らくは、自らの心の闇に無自覚なまま。



 永井氏は、当時彼の作品を「ただ下品なだけ」で「教育上甚だ好ましくない」とし、焚書にしてしまえとまで攻撃したオバハンたちに対し、彼女らの内奥に潜むさもしい心根を、「パンサークロー」という邪悪な形に投影することによって、暴き出して見せたのであった。



 シスタージルたちが、その熟れきった肉体に、不必要なほどグロテスクに戯画化された面相を乗せているのは、永井氏がその作家としての直感で看破した、オバハンたちの心の顔だったのであろう。そしてそれを徹底的に描き出すことこそが、「キューティーハニー」のテーマだったのである。



 あれから30年、パンサークロー一味は潰滅したであろうか?世間を見渡してみると、いやいやどうして、彼女たちは不滅なようである。
 男たちが、若く美しい者にだけ愛を与える限り、「愛」を渇望しながらも「愛」を憎悪するアンピバレンツな軍団、「パンサークロー」は決して滅びないのだ。



 P.S. 実はオイラ、「パンサークロー」って「中ピ連」のもじりではないかとまで邪推しているのだけど、これってやっぱ深読みしすぎでしょうか?

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