No.3 森雪


 「宇宙戦艦ヤマト」の本放映当時、幼稚園児だとか小学生だった児童、つまり物心のついていく年頃だった世代にとって、やはり森雪というキャラクターは特別な意味を持っていると、オイラなんかは思うのである。



 といっても、それはいわゆる「アニメにおける
松本ヒロイン」のハシリとしてではない。森雪は松本ヒロインではないからである。



 
メーテルに代表される松本零士氏のヒロイン像というのは、まあハッキリ言っちゃえばどれも皆同じであって、そこに共通するのはあからさまに強烈な「母」のイメージ・・・主人公(読者)の全てを許し、受け入れ、愛してくれる、大地母神のような存在だ。松本氏が大マザコンであることは推して知るべしである。



 それ故、松本ヒロインというのは性の匂いが希薄である。つまり、主人公が恋心を抱く相手にはなり得ないのだ。



 例えばメーテルだが、彼女は人前だろうが何だろうがかまわず肌をさらすし、陵辱の危機にあっても常に超然としている。それは彼女が松本ヒロインだからなのだ。つまり、この世界の男共は全て自分の息子であり、息子が母を犯せるわけがないというテーゼを自覚しているのである。



 ところが森雪は、主人公の恋愛対象としての肉体的実感、すなわち視聴者が性的なイマジネーションを抱けるキャラクター性を、ギリギリの所で有し得ている。これはやはり原作者(と勝手にのたまっている)である松本氏のカラーではなく、プロデューサーたる西崎氏や石黒氏の手柄であると評するべきでしょう。



 てわけで松本氏のくびきから解き放たれた雪ちゃんは、それ故「女の子」としての普通の表情を見せ、主人公と共に傷つき、泣き、笑い、人として成長の道を歩んで行くことが出来る。そこには視聴者が感情移入する余地が(大きくはないが)あり、性の対象として想像の世界に遊ぶ余地もあったのだ。最初から全てを知っていて、ただ微笑んでいるだけのメーテルとはそこが違います。



 実際、当時性的な自我が芽生えつつあった幼児にとっても雪のキャラクターは印象的で、いかにも松本的な、ビジュアルだけは「淫ら」なデザイン(裸体にボディペイントしただけみたいなコスチューム)と、少女としての恥じらいを併せ持ったミスマッチ感覚はそそりました。アナライザーにスカートをまくられて悲鳴を上げるシーンなんざ、子供の未発達な嗜虐感を刺激するには十分だったもんね。



 しかもその「悲鳴」を
麻上洋子がアテてるんだから、たまりませんぜアンタ。(^^)



 「ヤマト」こそは現在の声優ブームのハシリとなった作品であるが(それまでは、視聴者はアニメの向こう側に声優を意識することすらなかった。信じられますか、お若いアナタ?)、オイラ的には麻上洋子こそ初恋の声優である。



 甘く、ねちっこく、ややもするとダミ声とも聞こえてしまうあのハスキーボイス!うおお今でもスキっスよ〜洋子さ〜ん!



 てわけで、オイラにとって、何かトラウマじみたキャラではあるな、森雪。こんなガールフレンドといたしてみたい・・・なんて思わされた初めてのキャラかもしれない。



 「イヤーッ、古代クン、あたし死んじゃう〜!」とか「お願い、もう許して古代クン〜!」とか耳元で言われたら、それだけでバーニングファイヤー一気放出だな、オイラ。(^^)



 デスラーとか狂ったアナライザーとかにジュクジュク犯されちゃうシチュエーションてのもいいぞ。あのポッコリした下腹部を、思うさま撫でくり回してやりたいってのは人情でしょう。



 うーむ、同じ感慨を抱く同世代人も多いと思うのだがいかがだろうか。

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