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（ＩＶ） 報復と嘘
4日後、ロネはケセラの病室を訪れた。一般の医療機関の利用は機密保持のための工作に手間がかかるため、ある程度の外傷や疾病に対処できる人材と施設を雛罌粟は有している。とはいえ看護までは手が回せないため、支局内に正式な病室は今ケセラの入っている一部屋のみだ。
部屋を見回すと新患はなく、唯一の患者は頭までキルトをかぶっていた。起こすこともないが、息苦しくないようキルトをずらしてやろうと思った。
枕もとに来てロネがキルトに両手をかけた瞬間。
手を払いのけられ、同時に鼻先に小刀が突きつけられた。
「っ！」
ロネはまばたきした。ベッドから現れたのはもちろんケセラである。
「…なんだロネか」
緊張を解いたケセラは小刀を回して、ロネの顔から離した。
「悪い。脅かしたな」
「また物騒なものを病室に置いて」
「あれから男どもがやたらと見舞いに来るものでね」
抑揚のない話し方に威圧されてロネは釈明した。
「俺は何も言ってない」
「疑ってないさ。経緯は想像がつく」
―――あいつが言いふらしたに決まっている。
おかげで見舞いがてら触っていこうとする人間が続出し、ケセラには気の抜けない4日間になった。ちなみにせっかく病室にいるので一人のときは薬学書を読みあさって過ごした。
「調査の経過報告かしら」
「話は4つあるが…」
「全部吐け」
部屋の中にばかりいると生きた情報が恋しくなるということを学んだケセラは、ベッドの上にあぐらをかいて真剣な顔をした。
ロネが部屋の隅から椅子を運んできて報告を始めた。
「ひとつ。シャフトはアリシアの身柄を押さえていた。間違いなく誘拐だろう」
「きたきたー」
満足そうに笑うケセラに構わず続ける。
「ふたつ。シャフト総裁アルファンの妹がアリシアと共に逃亡」
「裏切りか？」
「そういうことになる」
気づいていないけれど、彼女はもう総裁の妹に会っている。
「じゃ今の所在はわからないのね。
―――待って。アルファンが私とタメだったはず…妹はいくつ？」
「16」
「…！おてんばだなぁ(死語)」
ケセラは感心さえ覚えていた。もっとも、次の話を聞いて撤回するのだが。
「みっつ。その妹さんがアリシアを運ぶ途中、子爵の家臣に見つかり捕らえられた」
……。
「ごめん意味がわからない」
「まあ人質を入れ替えたような構造に…」
「違う、妹は馬鹿なのか？まさか公女を土産に子爵に寝返る気？」
ケセラは困惑した。16歳で裏切った理由が想像できない。
「いや、逃げ切れずに捕まったらしい」
雛罌粟に子爵周辺の情報はかなり正確に入る。ロネも額に手をやった。
「謎だらけだよ。お前の見たのがアリシアならなぜそこで披露したのか。総裁の妹…ティミイだっけ？彼女はなぜ裏切ったか。なぜのこのこ子爵の屋敷の近くまで行ったのか―――」
「アリシアを返すしか」
「だけど」
「ヲルに毒されているなら自力じゃ歩けないわ。保証する」
ケセラが保証した。
「でも街に放せば警察が保護するし、屋敷まで行く理由にはならないよ。無謀過ぎる」
ちなみにこの情報はもともと入る予定であったため、公女誘拐の件もケセラの貢献なしに発覚したであろうことを追記しておく。
ロネは視線を外し窓の外を見やった。
「しかし、その謎を解明するため雛罌粟が動き始めた。
よっつ、『ティミイを救出しよう』」
「介入しないって言ったくせに」
自分が提案したときは却下されたのだから当然納得がいかない。
「状況が変わった。子爵の屋敷にならうちの局員もいるし、何しろティミイはシャフト総裁の妹だ。助け出したらお礼がもらえるに違いない。技術提供とか」
「ロネ、そういうのを俗に誘拐って言うんだ」
「だが『ティミイが捕まった』という情報はない」
ケセラはさらに怪訝な顔をする。
「言ってることがバラバラじゃないか」
「いいか。『ティミイがアリシアを逃がして消えた』『アリシアと一緒にいた娘が捕らわれた』情報源の違う2つの話から仮説を立てたに過ぎない」
「真相っぽい仮説だけど。でもそれってもしかして―――」
ロネが黙って続きを促す。
「―――子爵もシャフトも知らない仮説？」
「おそらくね」
2つの話の前者はシャフトの情報、後者は子爵の情報だ。片方だけではこの仮説に行きつかない。子爵も捕らえた娘はゲマインシャフトにつながりがあると推測するだろうが、総裁の妹とまではわかり得ない。
「っても、バレるのは時間の問題だろうから、先手を取って救助チームを派遣した」
「誰を」
「シャルテと、ミモザ」
シャルテは支局でも人気が高く、年の近いケセラとは親しくしている。
つまり、シャルテが心配だ。
「ミモザはないっ。もっとマシなのがいるだろ」
「あいつは有能さ。いろいろさせてみたくなる」
「『有能』ですって。やだやだ。
…シャルテは錠対策に？」
錠の扱いならシャルテはブローカ支局でもトップクラスの技能をもつ。
「それもあるが、彼女は犬笛を使える。屋敷の周りを警備犬が徘徊し始めて簡単に近づけないからな」
「っていうからには、もちろんミモザにも何かスキルがあるのよね？」
ケセラは意地の悪い眼差しを向けた。
「これといってないけど、あいつ飲み会のとき『シャルテとひとつになりたい』って言ってたから…」
「言ってたから、何？！」
驚愕するケセラに、ロネはきょとんとして言った。
「モーションをかけるチャンスと思って」
「……」
ケセラはこの男の下で働くことに不安を感じた。
グラッド=ジオ=ブローカ
子爵にして8代領主。
暴君ではないが領主相応に威圧的である。悪意なく労働の搾取を当然とする在り方は、権力者には珍しくない。
それゆえ抗う者は腕ずくでねじ伏せる。娘の誕生後圧政は加速し、彼女ひとりのために莫大な資産が注がれた。抵抗組織ゲマインシャフトは話し合いを要求したが、黙殺されテロに化けた。
シャフトの提示したアリシア解放の条件は減税、議会の開設。
子爵が折れるはずがなく、声明を無視したが水面下では躍起になって手がかりを探していた。
ところがアリシアは自分から帰ってきた。全身のケガと疲労で今は眠っている。
一緒にいたという娘―――シャフトとの関係は不明―――についてアリシアは「助けてくれた人」としか言っていない。話を聞ける状態に回復するまでその娘の始末は保留することにした。
しかし…
ティミイは恐怖に襲われていた。軟禁部屋から離れの牢に移され今は壁に拘束されている。
両腕を鎖で吊られる、Y字型の磔(はりつけ)。
彼女の不安を煽っているのは移動する前にかまされたままの布切れ、つまり猿ぐつわである。
今まで軟禁されていたのは自分が何者かわからなくて対処できずにいたからと考えると、この措置の変化は身元がわれたことを意味するといっていい。
警備犬の存在を知らずドジを踏んだが、アリシアを屋敷まで連れていこうとしたのがそもそもの間違いだった。飛んで火に入る夏の虫である。
足音が聴こえた。
細い鉄柱の隙間見える通路にも向かいの牢にも人影はない。迫り来る足音だけが静寂を埋めて響く。
「（…殺すつもりならもっと簡単にやる、と思う）」
通路を歩いてきた男がティミイの牢の前に立った。
「ティミイ=スカーレ。ゲマインシャフト総裁の妹に違いないな？」
男は灰色のマントを羽織っていた。
眼差しと身のこなしに威厳が滲み出る。歳は40前後だろうが、肩幅や背丈に若者より体格の劣る印象はない。
問われてもティミイは今口を塞がれている。予期していた問いに動じず子爵を睨み付けた。
それを肯定と受け取り、男は牢に入った。扉の鍵は開いていた。
「アリシアを助けてくれて、ありがとう。父として礼を言う」
彼がブローカ子爵であることは一目でわかった。通路からのランプの薄明かりで十分だ。
礼をされる者の待遇でないこともわかっている。
「しかしゲマインシャフトという忌むべき犯罪組織を無視はできない」
扉も閉めず子爵はティミイに歩み寄る。目立つ武器を持っていないが、拳銃くらいは携帯しているだろう。
目の前に立った。
「女を締め上げるつもりはない。兄君に手紙を書いてくれればいい。
ただ、その前に―――」
懐から小刀を抜きティミイの服を切り裂くと、乱暴に剥いで肌着に手をかけた。
ひるまずティミイは全力で蹴り込んだ。だが子爵は体勢を、表情すら崩さず彼女のみぞおちに拳を入れ返した。
「うッ！」
壁を背に拳を打ち込まれ苦しそうに咳き込む。子爵は強引に肌着も引き剥ぎ、ティミイのあごを上げた。
「―――アリシアの純潔を穢した報いは受けてもらう」
「（？！）」
小刀を鞘に収め、柄の先を秘所にあてがうがティミイがかなり抵抗したため、もう一発腹を殴って黙らせた。
「私は今非常に機嫌が悪い」
語勢を強めた子爵の表情が歪んでいく。震える手でヴァギナに浅く埋めた小刀を握り、一思いに突き刺した。
「ぁぁぁぁぁぁ！！」
耳を裂く悲鳴が部屋中に響いた。反射的にきつく閉じた脚で、3分の2ほど埋まった小刀のさらなる蹂躙をかろうじて食い止めている。
思うように入らなくなり、子爵は小刀を突くのをやめ上下にかき混�ぜた�
「あ゛ッッ！！あ゛ぅぅぅ！」
内腿を血が垂れるのも構わず激しく上下させると、ティミイは電圧がかかったように躍り狂った。おとなしくなるまでしばらくかき回した後、手のひらで再び限界まで押し入れた。
「ひはッ…！」
ティミイが壊れるような音を発した。それでも小刀は入りきらず先端がはみ出した。
「この意味がわかるか？おい、わかるのかと訊いている！」
「（だけど、アリシアはあのとき―――）」
子爵はティミイの髪を掴み、顔を上げさせた。
「領民ごときが！」
いよいよ怒りを露にし、小刀をめり込ますように股間に膝蹴りを入れた。
「っあ゛あ゛！！」
壁に叩きつけられ痙攣するティミイに容赦なく膝が入り、一撃ごとに砕いていく。
「ぎイッ！ッッ！い゛ぃッ！！……あグっ…！」
涙が頬を伝った。
ようやく腕の鎖を外され、ティミイは床に崩れた。
「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ…」
嗚咽とも咳ともつかない声を漏らして悶える。見下ろす子爵は再び怒りを無表情の隙間に隠した。
「総裁にここへ来るよう伝えてくれ。護衛つきでも構わん。
それが嫌なら…」
ティミイを足で仰向けにし、小刀を踏み込んだ。
「い゛ぁぁぁぁぁ！！！」
二度ほど身体が跳ねたが、もがくだけの力がなくそのまま彼女の瞳は焦点を失くした。
子爵はマントを翻し牢を出た。
ロネの策略でティミイ救出に向かったミモザとシャルテ。
警備犬に警戒して徒歩で山を越えるため、麓まで乗ってきた馬2頭と連絡役を残して二人は夜の山に入った。合図のあったとき、二人が戻らないときに馬を連れ帰るのが連絡役の務めだ。基本的に留守番なので新人が任につくが、シャルテなどそれほど歳も違わない。それだけ彼女の成長は目覚しいといえる。
山を抜け屋敷の裏に出ることを提案したのも彼女だ。忍び込むことを考えてはじめてシャルテは屋敷の立地を理解した。建設は何代も前だし、山林を堀として利用しようとしたのだろう。森が堀として機能を弱めたこの頃警備犬を配した訳だ。山越えは徒労にも思えるが、少しでも警備犬遭遇の危険を避けたい。
犬笛を過信するのは危険である。
シャルテが前に立ち、洩れる月明かりと羅針盤を頼りに進んでいく。互いに面識はあったが話したことがないので、息の合った仕事ができる関係を築くためシャルテが話しかけようとした矢先、ミモザが突然口を開いた。
「ずっと考えていたんだけど、たい焼きは頭から食べるか？」
「頭です」
こういう問いに惑わず対応できるところに彼女の器量が垣間見える。
「そうか。俺はしっぽからかな」
「…空腹なら猪でも狩りますか」
仕事には冷徹だがシャルテは人当りが柔らかい。
「いや、これは性格分析だよ」
「性格分析ですか(…たい焼きはギリギリね)」
予想した展開だが、せっかくだからシャルテは続きを促した。
「たい焼きからすれば、食べらてしまうと表現できる。頭から食べるってことは、たい焼き自ら飛び込んでくる、つまり食べられることに合意していることになる。これは何かに例えると、和姦だ」
「……」
シャルテはきょとんとした。
「だが逆にしっぽから食べるのは―――」
「いい、聞きたくない」
思わず続く言葉をさえぎった。シャルテはこの男の相棒として働くことに不安を感じた。
子爵とアリシアの証言は相容れない。
覚醒と昏睡の狭間で、起き上がることもできずティミイは自問していた。床の冷たさが眠りから意識を保っている。
「(子爵が嘘を―――？)」
それは妙だ。暴行するのに口実はいらないし、彼にとって不快でしかない戯言である。
本当はなんとなくわかっている。
アリシアなら嘘の理由があること。
ただ、単純に考えたくなかった。彼女が自分を気遣うという想像もしなかった。
結局重傷のアリシアを診察した医師が見抜いたという可能性が今は妥当に感じられる。
突然足音が響いて、ティミイは身構えるように身体を起こした。
「！！」
…ものの、刺さったままの凶器の刺激にうずくまった。
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