0、首輪



 ベットの上の少女を二人の人間が両脇から見つめていた。
「これが今回の娘か?これまでで一番可愛いんじゃないか、なあソアラ?」
 微かな寝息をたてて気持ちよさそうに寝入っている少女を見て、黒いフードを着た年老いた男は興味深そうに言った。
「そりゃそうよ。危険度も一番だったんだから、それに見合う娘を選ぶに決まっているでしょ。」
 フンと鼻を鳴らして、ソアラと言われた女は男に言い返した。

 公爵館に御用商人の使用人として、部下とともに入り込み、この男に調合させた睡眠香を嗅がせてやっとのおもいでこの少女を連れ出してきたのである。
 本来なら大貴族の屋敷などは警備が厳しく、そうそう一般人が出入りできるものではなかったが、公爵に信用されて特別に便宜を図ってもらっていた御用商人がソアラの顧客の一人であることが事を運びやすくした。
 その商人に頼んで使用人に成りすますことでソアラ達は、うまく館内に潜入することが可能だったのである。
 
「まあ、貴族の館に忍び込むのは何も初めてってわけじゃあなかったし、これからこの娘が稼いでくれることを考えればこれぐらい安いものよ。」
 ソアラは楽しげに眼を輝かすと、仰向けに寝ている少女の首筋を撫で上げた。少女は少しくすぐったそうに身をよじったが、よほど深く眠っているのか起きる気配はなかった。
「それじゃあそろそろ、始めてもらいましょうか。」
「うむ、首輪と石をこちらに・・・。でこの娘の名は?」

「サユラーナよ。」

ソアラは腰から吊していた布袋にいれてあるその二つを取り出すと、男に手渡した。
骨張った手でそれを受け取った男は、厳かにこう告げた。

「それでは、禁呪を行う。」




「終わったぞ・・・」
 激しく息を吐きながら男はそう言った。
「ご苦労様、外に待っているカムジンに報酬の品を持たしてあるわ、持っていってちょうだい。」
 ソアラはそう言いつつ早く出ていくように身振りで促した。
「やれやれ役目が終われば即お役御免か、今回の言葉は数が多くて疲れたというのに。」
 男は愚痴をいいつつ、素直にドアから廊下へと出ていった。

 男が部屋から遠ざかっていくのを確認してから、ソアラはベットの上でこれからの未来を知らず幸せそうに眠っているサユラーナを見下ろした。
「ふふふっ、こんな上物は初めてね。」
 確かにベットの上の少女は、万人が美しいと賛嘆するであろう魅力を持っていた。腰までありそうな艶やかな黒髪に、星の瞬きの如く白く輝く肌。顔立ちは幼さを残しながらも美の女神がこの少女を一心に寵愛したかのように整っており、瞳は閉じているもののその美しさは些かも損なわれないものだった。
「貴族の間で噂になっていたのもわかるわ。」
 これまでソアラが扱ってきた女たちも皆それぞれ際だった容姿をしていたが、このサユラーナには敵わない、とソアラはにっこりと微笑んだ。

「さあて、そろそろ麗しの公爵令嬢様には目覚めてもらおうかしら。」
 暫くの間サユナーラを眺めていたソアラはそう告げると、瓶をベットの脇の引き出しから取り出し、サユラーナのツンと上を向いた形の良い鼻へと近づけた。

「・・・う、 ぅう〜ん。・・・・・・あ、あれ。」
 サユラーナは閉じていた目をパチパチとまばたきすると、その後当たりを見回した。
 ほんの僅かの間、状況がわからないようで困っているようだったが、自分を見下ろしている見知らぬ女性がいることに気づき不思議そうな顔で問いただした。
「ここはどこなのでしょうか?私は確か自宅にいたはずなのですが・・・」
 それに対するソアラの答えは、状況が飲み込めていない少女をもっと困惑させた。
「おはよう、ここがこれからのあなたの住まいよ。そうここが自宅ってわけ。」
「いったい何の・・・」
 ことなのですか、と続けようとしたが頭がはっきりしてくるにつれ、サユラーナは一つの結論に達した。
「私を誘拐したのですね?」
 立っている女性から逃げるようにベットの反対側に素早く降り身を庇いつつ、問いただした。女性は誘拐犯というには若すぎ、また愛くるしい容姿をしていたが、その顔には危険を告げる微笑みが浮かんでいた。
「正解、正解。あたしは誘拐した張本人兼ね、これからはあんたの御主人様。であんたは性奴隷として御主人様に命令されて娼館で働く娼婦になるの。」
 なんの罪悪感もなさげにソアラはそう宣言すると、サユラーナの首の辺りを指さした。
(こ、この人何を言っているの、ご主人様? 奴隷?)
 サユラーナは怯えてドアの方にじりじりと向かいつつ、指さされた首筋に手をやった。
「 何なのこれ!!」
 なんと首の所にぬめっとした感触の物が巻かれていたのである。しかも横に手を滑らせると、ごつごつした石のようなものがいくつかその中にはめ込まれていた。
 サユラーナはぞっとして、なんとかそれを剥がそうと力を込めて引っ張ってみたが、手が痛みを覚え赤くなっただけで、一向にはずれそうもなかった。

「それはねえ、禁呪の首輪って言うの。術者にしか外せないわ。」
 ソアラは同じぐらいの年齢の少女を楽しそうに眺めてから、ドアの方へ大声をあげた。
「入ってきていいわよ!」
「失礼します。」
 
 ドアの向こうから声が聞こえてきて、サユラーナはびくっとドアから遠ざかった。その動きはまるで怯えた子鹿のようだった。
 そしてドアが部屋に開き入ってきたのは、二十歳前とおぼしき女性であった。
「セレン、彼女をちょっと押さえておいてもらえる?<拒絶>の言葉をはめ込まなきゃならないの。」
セレンと呼ばれた女性は長い睫毛を伏せ、ため息をつきながらソアラにこう言った。
「眠っている間につけてしまわれればよろしいのに・・・」
「それじゃあ、抵抗がなさすぎておもしろくないじゃない。セレンの時みたいに反抗してもらわなきゃ。」
 それを聞いたセレンは悲しげにサユラーナを見てからまた顔を伏せ、わかりましたと答えた。
(隙をみて逃げないと、この人たちの言いなりになる訳にはいかない。)
 自分を取り押さえると聞いてサユラーナは怯えたが、貴族のプライドか気丈に二人を睨みつけた。
 
しかしサユラーナは見てしまった。ソアラに従順な対応を示すセレンの首筋に皮の首輪が着いているのを。
 それは自らの未来を見てしまったに等しいことを、この時はまだサユナは気づいていなかった。



「ふぅ、やっと入った。結構いい運動になったわ。ねえセレン?」
 サユラーナを背後から羽交い締めにしていたセレンにソアラは尋ねた。
「は、はい。」
三人とも汗だくになり、特にサユラーナは全身で息をしているかのように激しく身体を前後に震わしていた。
「さて、準備も整ったしみんなにご挨拶にでも行きましょうか。」
「着替えをした方がよくありませんでしょうか?」
 セレンはサユラーナから離れながら、ソアラに言った。
「このままで十分よ。この娘なんかいかにもご令嬢って格好でしかも少し着衣が乱れてるし、この方がみんなもそそるわよ。」
 ソアラは、白を基調とし所々に鳥の刺繍の入った、ドレスといっても差し障りのないサユラーナの高価そうな服装を眺めた。
「わかりました。ではみなさんにお伝えしてきます。」
 そう言うとセレンは、ドアを開け部屋から出ていった。ただ出るときにちらと、呼吸を整えようとしている、サユラーナを静かに見やって行った。
「じゃあ、あたしたちも行くわよ。え〜と」
「あんた確か家族にはサユラって呼ばれていたわね。同じ館に住むんだからこれからサユナって呼ぶことにするわ。うん、決まり。サユナほら来なさい。」
 サユナはベットに腰掛けながら、小さな石が付いた皮の首輪を諸悪の根元のように、何度も取ろうともがいていたが、ソアラに言われるとさっと立ち上がった。
 サユナは意志の強そうな瞳を見開いて唖然とした。
(何故私は立ち上がっているの?家族か親友にしか呼ばれたことのない、サユナという名前をあなたなどが呼ばないで、と言おうとしただけなのに。身体が勝手に反応している?心はサユナと呼ばれることを受け入れている?)
「どういうことなのですか?私に何をしたのです!」
ソアラに詰め寄りながら、サユナはまた首輪に手をやった。


→進む

→禁呪のトップへ