開幕話『 流れ星に願いを 』前篇
彼女が欲しい、って思ってきた。
これまでに彼女なんて出来なかったし、告白されたこともなかった。そのための努力は惜しまなかったし、実際にいい雰囲気になったこともある。
俺の行動は打算的なものだったが、善行は善行だろう。
あの某主人公のように、無償の善行だけを積み重ねることなんて、俺にはできない。
(その主人公に憧れてこそいるが……)
それも可憐な同居人、学校一の美少女、世話を焼いてくれる後輩。彼女らに囲まれている状況も含めてだな。
結果的に俺の行動は徒労に終わった訳だが、後悔だけはしてない。
少なくとも、彼女たちのために俺が好きでやったことだ。
「…………」
そしてその中には、
(あ、この娘は…俺に気があるんじゃないのか?)
(これ、いい雰囲気じゃないのか?)
(…告白したら、念願の彼女持ちになれるかも、な)
と、勝手に思ったりしたものだった。
もし彼女が出来たら・・・
通学路を共に歩いて登下校したい。
街中で手を繋いで歩いてみたい。
昼休みを一緒に御飯したい。
帰りは少しだけ時間をかけて、週末にはデートする。
キスにだって興味はある。そして程々に親密な関係になれたら、セックスだって・・・。
高望みはしない。いや、できない、だな。
彼女は可愛いことに越したことはないが・・・
だから俺は、彼女が欲しいって常に思っている。
俺の名は、『佐竹義久』。
西条高等部の一年・・・春には二年生になる十六歳だ。
この西条学区の一般居住区画で生まれ育ち、この十六年間の間、彼女は無論、告白はおろか、ラブレターの一通さえ貰ったことがない。
完全なるロンリー マイ ウェイ。
つまり、全くモテないのだ。
(…自分で言っていると、悲しくなるな……)
『 ! 』
・・・よし、時間だ。
休憩中はできるだけ雑念に耽り、休憩終了と同時に頭の中を切り替える。このやり方で思考をクリアな状態にする。
「よし!!」
両手で頬を張り、気合を入れて雑念を吹き飛ばした。
トレース・オン!
(なんてな……)
俺は魔術師なんかじゃない。だから基本骨子は解明できないし、構成材質を補強することだって出来やしない。
勿論、『剣製』は出来ないし、『投影』だって不可能だ。
でも、この「トレース・オン」というフレーズは、昔のアニメ(親父のコレクション)の影響からだったが、この言葉が妙に俺の中で馴染んでいた。
「まだ気が弛んでいるな?」
「…っ……」
・・・実はその攻撃を待っていた。
「…?」
自宅の道場で一人の男と立ち合っている。
「ほぉ……誘ったか」
相手の名を『佐竹義隆』。
俺の親父だ。この近代学園都市の中央署に所属する現職の刑事である。階級は警視。かつては中央地区の所長に薦められるほどのエリート街道を突っ走ってきた人物だが、今から十年前の出来事によって、親父はその道を閉ざしている。
普段は中央地区の官舎で寝泊まりし、連休の非番の日にだけ自宅に帰ってきては、こうして俺に稽古を付けてくれている。
「今の受け流しは中々だったな…」
「今ので、倒れてくれねぇのかよ?」
年齢を考えろよ、親父。
手刀と蹴りをそれぞれ受け止め、俺は距離を置く。
親父も追撃を諦めて、間を置いた。
およそ親父は和服の似合う人物だ。
(きっと袴姿とかも合いそうだしな…)
故に胴着姿も様になっている。
親父の裏拳を受け止め、背負いへの体勢をフェイントにして、水面蹴りへ移行。だが、それを跳躍で避けられ、反撃をガードする。
「…っ…」
勝負所だと思った。
一気に距離を詰めて、互いに攻撃と防御を繰り返す。親父は俺の師であったし、俺は親父の一番弟子だ。自ずと攻撃の軌道と息は重なり合う。
だから・・・
最後の背負い投げなど、親父なら潰せたはずだった。
全盛期の、親父なら・・・だったが。
「えっ?」
「……」
投げられた親父よりも、投げた俺の方がより驚いていた。
(親父を投げられた……けど……)
確かに俺の技量が上達していたこともあるのだろう。しかし、それ以上に親父の体が衰えていたのかもしれない。
俺と親父の年齢差はちょうど三十。俺が十六歳なら、親父は四十六歳になっていた。技のキレなどを争う短期決戦ならまだともかく、単純な体力勝負の長期戦ともなれば、若さと勢いで俺の方に軍配が上がったのだ。
初めて、親父を投げれた。
初めて、親父に勝った。
できれば全盛期の親父に勝ちたかった、というのは、自惚れであろう。先にも触れたように、親父は現職の刑事。街の治安を守る警官である。
また先程の一戦は稽古だった。真剣の全力勝負を行えば、長期戦に持ち込まれる前に親父が圧勝するだろう。
道場を片付けて、二人で場に一礼する。
中庭で星を眺めた。
今日は月が出ていない。
故に星が良く輝いて見えた。
(あれはオリオン座に、北斗七星(小熊座の一部)だ)
冬の星座の代名詞、その代表格だろう。
「なぁ義久…」
「ん?」
「何を真剣に悩んでいたんだい?」
親父の質問のそれが、休憩中のことだと解かる。
「ん、早く彼女が欲しいなぁ、って…」
俺は正直に答えた。
(いくら休憩中でも、神聖な道場で考えることじゃ……なかったかもなぁ……)
怒られるかな、と思ったが、親父は少し苦笑しただけで。
「…そうか」
「俺は焦っているのかな…」
もうすぐ高校二年にもなって、彼女おろか告白されたことさえもない。
こんな童貞野郎なんて稀有なんじゃないだろうか?
「でも、義久には郁子ちゃんが居るんじゃないか?」
親父が幼馴染の名を口にする。
「うげっ…か、勘弁してくれ……」
「すまない、すまない」
恐らく親父に悪気はなかったのだろう。
それだけは解かる。
でも、だからって郁子だけはない。
幼馴染である『榊原郁子』だけは・・・
「僕も……父さんもね、恋愛は不得手なんだ」
「親父…」
俺の親父である佐竹善隆は、大学卒業後に今は亡き『佐竹詩織』と結婚した。
佐竹詩織・・・俺のお袋だ。
なんでも病弱の御令嬢であったお袋に親父がぞっこんで、破談になりかけた縁談を直談判し、直接親父がお袋を口説き落としたらしい。
と、言うのが親父の談だか・・・
(…真相は逆だ……)
ぞっこんだったのはお袋の方だったらしい。微弱を理由に破談になりかけた縁談を、単身上京して来てまで親父に願い出たのが、お袋なのである。
(…死人は口なし、だから……)
きっと親父は今でも、自分がぞっこんだったと言い張るのだろう。
実際に親父は不器用だったが、愛妻家ではあった。
だから、仕事で死に目に立ち会えなかったことを今も悔やんでいるし、毎年の墓参りも欠かしたことがない。
十年の歳月が過ぎた今でも、親父はお袋を愛している。
それは親父の美点だと思った。
料理はできない。洗濯や掃除をさせても雑だ。家事なんて一切できないだろう。
だが、俺は親父を尊敬しているし、刑事という親父の職業に憧れているのは、親父の影響が大きい。
親父は恰好良いんだ。緊急時には非常に頼りになるし、その際の判断力は的確であり、様々な知識と経験も豊富だ。
(いずれは俺も親父のような刑事に……)
って、今の成績では厳しいかもしれないが。
だが、学校の成績以上に今の俺の思いは・・・
・・・彼女が欲しい、であった。
(あ…流れ星が……)
星が瞬くオリオン座に、流れ星が通り過ぎていった。
――同時刻。
関東地方千葉県の房総海域にある人工島『近代学園都市』から離れた、東北地方青森県の夜空。
千葉県から見た星空も、青森県から見た星空も、それほどに大きな差異はない。
(あ、流れ星……)
一人の少女がそのオリオン座を眺めていた。
流れ星に願い事を叶える力があるのなら、彼女の願いはきっと成就されるのだろう。
彼女の願いもきっと、たったの一つなのだから。
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