第一話『 近代学園都市 』

 
 夢を見た。



 数か月前に見たあの娘(美少女)の夢だ。



 透き通るような白い肌。

 艶やかな腰まである長めの黒髪。

 均整の取れた可憐な顔立ち。

 何処かの中学生の制服を身に纏った華奢な肩。

 年相応に膨らみ始めている胸。

 彼女の存在そのものがとても幻想的で・・・

 こうして夢を見ているだけでも、息が詰まった。



 この数か月で彼女の夢を見るのは、これで何回目だ?

 きっとそれだけ強い印象を受けたのかもしれない。

 彼女のような存在を『超絶美少女』と言うのだろう。

 とっても可愛い娘だった。

 ただ、ただ・・・美しいって。

 綺麗だって。ずっと眺めていたい、って思った。

 こんな美少女を俺の彼女にしたい、って、さすがにそこまで無謀なことは思わない。同じ学園都市の学生になるのかもしれないが、きっと俺とは住む世界が違うって。



 そう、彼女にはオーラがあったんだ。







「寒いな……」

 玄関の戸締まりをして外を見る。

 戸締まりと言っても、『携帯端末・ミーティア』と呼ばれる手の平サイズの長方形型をした薄板で施錠するだけだか。

「ああ、寒いわけだ……」

 もう春の、既に四月だというのに。

 真っ白な曇り空だった上空を眺めながら、近代学園都市。そう呼ばれるその一学区。この西条学区にも雪がゆらゆらと舞い降りてきているところだった。





「そりゃあ祐樹も、郁子も先に行ってるよな……」

 いつもの合流ポイントに二人の幼馴染の姿はない。別段に二人が薄情という訳ではない。

 俺が遅過ぎたのだ。



 周囲にもう人影はない。

 登校時間は無論、出勤時間からも外れているこの時間。

「まずったな……」

 完全に遅刻だ。

 怪しくなっていた目覚まし時計が完全に天昇され、昨晩は夜遅くまでVRゲームに熱中してしまった。

 その結果・・・四条学区による合同の入学式を明日に控えた始業式当日から、盛大に遅刻をやらかしてしまった。



「げっ……マジかよぉ」

 乗車降車ポイント地点と呼ばれる場所に到達して、待機自走車が『0』を示していることに愕然とする。

 西条学区だけに限らず、この学園都市では自動車も自転車も存在しない。その代わりに都市側が用意したのが『自動自走車』と呼ばれる乗り物だった。

 学園都市にはだいたい2Km間隔毎に乗車・降車ポイントがあり、『携帯端末ミーティア』に登録させてあるポイントを指定するだけで、後は自動で移動してくれる。

 車両制御もルート選定もオート。料金は格安であり、降車するポイントでの定額制。ルート選定で例え遠回りになっても金額が変わることはない。

 自動自走車専用路は上空にあり、イメージとしては、本土の高速道路に近いだろうか。高速道路入り口で乗車し、料金所で下車する感じだな。

 だから学園都市には信号がないし、道路には歩道との区別もない。

 ついでに電柱もない。(電線は、この地下だ)



「空きを待つか…隣のポイントまで走るか?」

 学園都市の学区内における自動自走車以外の移動手段が徒歩となっている以上、俺だけに関わらず、自らの足を動かす以外にない。

「仕方ない。走るか……」

 幸い体力だけには自信がある。

 性欲と精力には自信はあり過ぎるが・・・



 昔は学園都市にも自転車だけはあったらしい。

 だが、「この世から歩きスマホは無くならなかった」という格言(既に本土でもスマホは無くなった…)が残されているように、「ながらスマホ」も無くなることはなかった。

 その結果が、幼等部数名を巻き込んだ大参事へと発展してしまった。それが何件か続いた結果、学園都市では自転車の通行も全域禁止となった、のだと俺は聞かされている。





 俺は走った。

 通勤ラッシュ、通学ラッシュの結果だろうか。

 隣のポイントでの待機自走車も「0」だと解かると、もう気にならなかった。どうせ、もう遅刻である。しかも合同始業式ということで、高等部校舎ではなく中央地区まで。

 四条学区はそれぞれ100区画の正方形で構成され、学区の中心にあるのが中央地区と繋がる「駅」である。西条学区の場合はそれが「西条駅」に該当する。

 自走車の乗降車ポイントの登り口に必ずある電光掲示板。盤面には西条学区の全域を表示している。本土で例えれば、駅や道の駅などによくある市内主要マップに近いな。

 これを参考に自身の携帯端末に降車ポイントを登録し、自走車に乗車したら、降車ポイントを指定した端末を所定箇所にセットするだけで、後は機械が自動で処理してくれる。



 俺は自然とその場で足を止めていた。

(あ、あれは……)

 まさか、って思った。

 今朝、夢にまで見た少女がそこにいたのだから。



 幾つもの粉雪が舞い降り続けており・・・

 それだけに幻想的な世界にさえ思えてしまっていた。

「…………」

 『美少女』って・・・いや、『超絶美少女』という形容詞でさえも、実際の彼女の可愛さには、その容姿の可憐さには物足りなくないかと感じてしまう。少なくとも、彼女に匹敵する存在を、俺は片手の指にも満たない程度にしか挙げられない。

 幼馴染の一人である『榊原郁子』も、健康的美少女と持て囃されていて、世間一般的には「美少女」と呼んで差し支えない。が、その幼馴染でも彼女の足元にも及ばないだろう。



 その息を呑むような美少女が俺の存在に気付いた。

「あっ………ごめんなさい」

 この寒さからか、頬に赤みが僅かに差す。

 やばい。その声質からして予想以上だ。脳裏に甘く痺れるように響く。

 透き通るような、傷や痣など一つない白い肌。艶やかな黒い腰まである長い髪。均整の取れた可憐な顔立ち。やや小柄かつ華奢な身体ながらも、歳相応に膨らみ始めている胸。白を基調とした雪柄模様のワンピースに、淡い桃色のトレンチコート。

 同世代の男子生徒なら、誰でもときめくことだろう。



「あ、ああ……」

 どうやら彼女は俺が利用者だと勘違いしたようだ。

 俺が「西条駅」に来たのは、学区内を走る自走車に乗るためではなく、中央地区へ向かうリニアに乗るためだ。

「大丈夫。気にしないでくれ」

 見惚れていた、なんて気付かれないよう、俺は懸命に平静を取り繕う。



 彼女にとって初対面だろうが、俺は違う。

 あれは四条学区の入学試験会場の手伝いに駆り出された日のことだった。

 幼馴染(郁子)の姉、担任の爽ちゃんによって。

 無論、爽ちゃんには感謝している。俺が不祥事・・・部の中に蔓延していた上級生によるイジメに耐えきれず、自分が虐められていた訳でもなかったのに、見て見ぬ振りが俺にはできなかった。

 その結果、有段者だった上級生数人が血の海に沈んだ。

 文字通りに、だ。

 柔道部を退部した今でも、まだ俺が特待扱いを受けていられるのは、明らかに担任である彼女の尽力のおかけだろう。

 同世代より下にしか見えない、あんな外見でも、彼女は昔からとても頼りになるお姉さんだった。

 その代わり、って訳ではないだろうが、俺は四条学区入学試験会場の手伝いを申し付けられた。勿論、内心では渋々だったが・・・今では感謝している。

 現金なものだな。

 一応、自覚はしている。

 学園都市に入学してくる容姿に秀でた者は多い。特待制度には『美少女枠』がある、って噂があるほどだ。

 その一般受験会場で俺は彼女を見つけた。

 彼女はただ黙って所定の座席に着いただけ。それだけで周囲は唖然とさせられていた。俺を含めた男子受験者は呼吸を忘れるほどに魅了させられていたし、女子受験者たちも惚れ惚れとしていた。

 その時点では彼女がどこの学区・・・四条学区のいずれを受験したのか、までは解からなかった。が、心の中では俺と同じ『西条』であることを、心の何処かで願っていた。





「あの……?」

「ああ、す、すまない……」

(…………)

 もっと彼女の声が聴きたい。

 もっと彼女の姿を眺めていたい。

 本能は正直で、高嶺の花だと知りつつ、股間の息子は元気に覚醒している。一度も用いられることもなく、このまま果てるかも知れないともいうのに、だ。

「何か、困りごとかい?」

 俺の心は疚しい思いを隠して尋ねた。

「え、あ…自走車が起動してくれなくて……」

「ああ、なるほど……」

 彼女の陥っている状況は、近代学園都市に来たばかりの外来者に多い現象だ。

 受け取ったばかりの『携帯端末・ミーティア』は当然に真っ新な状態、つまり初期化されているようなもんだ。当然に連絡先も、指定降車ポイントも登録されていない。

 次に降車ポイントを登録する。

 現に彼女の携帯端末にも、女子寮区画一帯とされる場所の降車ポイントが登録されてあった。

 最後にもう一つ。降車ポイントリストを開いて、下車したい降車ポイントを指定する必要がある。これを指定していないと自走車は動きようがない。

 言って見れば昔のタクシーなる乗り物に、行き先を告げないで乗り込むようなものだろうか。



「えっと……ここを開いて、と……」

 俺は彼女の携帯端末を操作しつつ、彼女の名前が『南部深雪』であること。年齢が『十五歳』であること。そして目敏く『処女』であることも確認させて貰ってしまっていた。

 『携帯端末・ミーティア』は、所有者の脳波・脈拍・体温などから、所有者の状態を正確に表示してくれる。彼女の目を気にしなければ、彼女のスリーサイズから、今日は安全日なのか、それとも危険日なのか、まで調べ放題だ。

(こうゆう悪巧みに利用されるから、簡単に作動中の携帯端末を他人へ渡しちゃダメだよ……と注意しておきたいな)

 勿論、そんな藪蛇は出来ない。

「ここを開いた状態で…指定して……これで大丈夫」

「ありがとうございます」

 その疑う気持ちが微塵もない、感謝の言葉が心に痛いな。その代わりにという訳ではないが、携帯端末と自走車の扱い方は真剣にレクチャーしたし、乗車ポイントまで同行して、後はセットするだけのところまで導きもした。



 彼女の呼び出した『自動自走車』が目の前に停止する。

 この夢のような時間も、もう僅かとなるだろう。

「私、西条高等部に入学しました、南部深雪と言います」

「ああ、俺は佐竹義久。高等部の二年だ」

 俺の中では既に『なんぶ みゆき』と深く名前が刻まれている。今後、彼女がどんな世界で名を馳せても、俺は彼女を絶対に忘れることはない。

 彼女が俺と同じ西条学区、西条高等部の生徒でも、彼女と俺とでは生きる世界が違う。恐らく俺の名前も彼女の記憶には残らないとしても。

「えっ……さ、さたけ…よしひさ、様?」

「ん?」

 彼女の反応に違和感を憶える。

 受験会場で眺めていた俺と違って、彼女にとって俺は初対面のはず。いくら同じ高等部の先輩だからといって、さすがに「様付け」は大仰だろう。

「様って……俺はそんな、柄じゃないぞ?」

「え、あ…………」

 御先祖様はどうか知らないが、少なくても俺はそれほどの人物ではない。学績は低空飛行だし、将来も周囲に比べれば期待薄もいいところ。

(特待が外れたら、卒業さえも危ういだろう)

 俺は目の前の深雪とは住む世界違う、低下層の住人だ。

 彼女は一体どんな未来を進むのだろうな?

 芸能界か、富豪に見初められての第一級婦人。いずれにしてもそれだけの容姿があれば、選び放題ではないだろうか。

 本来なら、俺がどんなに足掻いても、話しかけてもいい相手ではないはずだった。



「そ、それじゃ……せめて…せめて義久、先輩、と呼ばせて貰っても…宜しいですか?」

「ああ、勿論さ……」



 彼女に名前を憶えて貰えた。

 彼女のその唇から、俺の名前が出た。

 その痺れる声質で、俺なんかの名前を・・・

 それだけで俺は今、結構(猛烈に)感動していたりする。



「それじゃ……よ、義久先輩……」

 『自動自走車』に乗り込んで、車中の窓から俺を見上げてくる。

(うわっ、いくらなんでも無防備だろう、それは……)

 その衣服でその角度からだと、ワンピースの衿から覗ける年相応に発育させている谷間を強調させて、上目使いに見上げているそれは、俺に確認させているようなもんだ。

(…ゴクッ……)

 み、見えそう・・・

 薄ピンク色の、その小さそうな先端・・・。

 いや、見えそうで見えない。も、もう少し・・・。

「三年間……よろしくお願いします」

「あ、ああ、いや……俺、二年だし……二年間だな」

 さすがに留年する予定はない。

 でも、彼女と三年間を過ごせるためなら、一年ぐらいの留年も悪くはないか、と思ったりもするが。



(いいもんを見せて貰ってしまった……)

 肝心なところはさすがにギリギリで見えなかったのだが、それでも超絶美少女の、しかも処女の、胸の谷間である。

(たぶん、薄いピンク色…な気がする)

「あっ! やばい……」

 彼女を乗せた自走車を見送ってから、俺はようやく中央地区に急いでいたことを思い出した。

 各四条学区から中央地区に移動できる唯一の手段『スカイライン』のホームに向かい、出発寸前のそれに乗り込むことができた。

 もしこいつを見逃してしまったら、また次の発車までの三十分を駅のホームで迎えなければならなかったところだ。





「…………」

 今年、西条高等部に入学した超絶美少女。

 その容姿の外見も何一つ申し分ないが、彼女の声質にも、男を・・・少なくとも俺を魅了するものだった。

 あの声をもっと聴きたい、と何度も思った。

(カラオケで彼女に歌わせてみたいな…)

 まぁ、俺なんかが誘ったところで来てくれようはずもないだろうが。

(しかし、さっきの体勢は……)

 車中からこちらを上目使いで見上げてくる。

 俺はあれを網膜に焼き付けていた。

 もう少しで生乳首が拝めそうだったのが返って口惜しい。

(しかも……処女とはね)

 俺の直感も彼女の存在は『処女』だと断定していたが、こちらは彼女の『携帯端末・ミーティア』でも確認できた。

 南部深雪は間違いなく『処女』である。

(十万。いや二十万出しても、俺なんかにくれないよな)

 俺は正直に欲しいと思った。

 南部深雪は間違いなく、西条高等部・・・いや学園都市を代表するだけの美少女の一人であり、そんな美少女が処女だと解れば、自分が破瓜したいと思うのは男の性だろう。

 だが、俺には彼女を抱ける光景が思い描けない。一般人が芸能アイドルの処女を欲しい、って思うぐらいに分不相応の願望だ。

(あんな美少女を彼女にできたらなぁ……)



『義久先輩! 私と……付き合ってください!』

『せ、先輩、それ以上は・・・それ以上はダメです!』

『先輩、今日は…危険日なんですからぁ……』

『解かっていました。せ、先輩はエッチなんですから…』

『危険日なのに……』

『もし出来ちゃったら、責任。取ってくださいね』



 やばい。妄想しただけで、こっちの方が元気に・・・。

 特にさっき網膜に焼き付けた絶景もあって、もうビクンビクンって、汁が出ている気がするぞ、これ。

(セントラル(中央地区)に着いたら、すぐに処理するしかないな……)





「…南部、深雪か………」

 振動のない車中、外観の景色を眺めながら、俺はもう彼女のことだけを考えることにした。

 姓からして東北? 青森、岩手県に多いのか?



 青森には俺にも縁がある。

 俺のお袋が青森県出身であり、その出身である青森の墓所に納骨されている。

 今からちょうど十年前のことか。

 あの時は親父と一緒に母の葬儀を終えて・・・

(…あれ……あの時……)

 刑事だった親父は、宿泊先のホテルに保護してきた少女を連れていた。

『義久…暫く、この娘と一緒にいてくれるかな?』

(………?)

 なんだろう。これ。俺は、何かを・・・

 俺は親父に保護された少女と一緒に居ただけだ。

 だが、俺は決定的に当時の記憶が薄れかけていた。

 もう十年前のことだ。無理もない。

 だが・・・

 あの時の少女と、さっきの美少女の面影が被る。

(まさか……あの時の、少女?)



 まさかな、って思った。

 またもし、南部深雪があの時の少女であった、としても、何も変わらないとも思った。

 俺はただ、親父に保護されてきた彼女と一緒に居た、ただそれだけ・・・



 ただ、それだけ・・・なのだから。



 車外の学園都市は、ただ淡々と静粛に雪を降り落としていた。

 ただ、淡々と・・・


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