第二話『 セントラル 』

 
 夢を見た。



 昨日、西条駅で出会えた美少女との邂逅。

 彼女は自動自走車の車中から、こちらを見上げてくる。

 整った顔立ちの口から覗けるは綺麗な歯並び。

 そしてワンピースの隙間から、無防備な胸の谷間。

 夢では見えた。肝心のあの部分が・・・

 薄いピンク色の・・・小さなぽっちだ。

 恐らく夢のそれと現実の実物には差異はない。

 俺の研ぎ澄まされた直感が、この夢想の中で完璧に補完、完全に再現させてくれたのだろう。

『よ、よしひさ様……』

 あの脳髄を刺激する美声が言葉を紡ぐ。

 彼女がセイレーンだと言われても信じるだろう。

 彼女の声が再現され、耳朶に届くと同時に、脳髄が痺れるような刺激をその度に繰り返す。

『三年間……よろしくお願いします』

 ああ、見える。彼女が動くたびに、その先端が。

『三年間……よろしくお願いします』

 同じ台詞がリフレンする。

 ああ・・・俺も三年間。その乳首とよろしくしたい。

 彼女は『後輩の乳首』ちゃんだ。

 とっても綺麗な、凄く美しいと思った。

 ただ、ただつい口に含んで、吸ってみたい、って。

 舐めてみたい、転がしてみたい、と思ってしまった。

『義久、先輩……』

 夢の中の俺はいつの間にか、同じ車中に居た。

 運転手もない自動自走車の、二人だけの密室。

 その声をもっと聴きたい、って思った。

 その声で嬌声を上げさせたい、そんな邪な想いが。

『先輩は……えっちなんですね……』

 ああ、俺はエッチで、とってもスケベだ。

 それも飛びっきりだろう。

 だから、諦めてくれ・・・





 ・・・とは、言えない。

 夢の中では、この絶景を繰り返すだけだからだ。

 それだけ、純白のワンピースに薄桃色のトレンチコートの彼女が無防備に晒したこの情景から離れられないのだろう。



 夢の中の彼女の名前は『南部深雪』

 俺の知っていることはまだ少ない。

 西条高等部に本日、入学することになる一年生。

 十五歳の『超絶美少女』

 彼女の女子寮の名前が『ラキシス』

 容姿は何一つ申し分がない。その存在自体が既に異性を魅了し、同性をも圧倒するだろう容姿の持ち主。

 更に容姿同様に異性を魅惑する美声。



 そして・・・『処女』だということだけ。





(俺の夢。もう一回、繰り返してくれ……)

 要望しなくても、繰り返されるのは同じ光景、同じ展開だけ。だが、俺はそれだけで満足だった。深雪の姿を何度でも眺めたかった。深雪の声をもっと聴きたかった。その彼女が晒した無防備な体勢を、何度も何回でも。

 俺はそれだけで満足だ。

(もう、一回だけ……)



「い、い、か、げ、ん、に………」



 途端に俺は意識を覚醒させる。

 本能が「やばい」と警告したのだ。

 深雪の声を『セイレーンの美声』だと例えれば、この声はさしずめ獲物を前にした『野獣の咆哮』だろうか。

 唐突に勢いよく、俺の部屋の扉が開かれた。

「起きろぉぉ、って言ってんでしょうがぁぁ!!!」

「い、郁子……ま、待て!!」

 俺の咽喉元に突き付けられたのは、彼女が親父の義隆から受け取った愛刀の木刀だ。彼女はこの木刀を肌身離さず、一日に何百回、何千回と振り落としている。

 その空気を切り裂く音は、もはや危険域レベルだ。

「今、お、起きたから……」

 木刀なのにキラリと光るのは止めて欲しい。



 彼女の名前は『榊原郁子』

 俺の幼馴染にして、隣の家の「榊原家」四姉妹の一番下。俺とは同じ年の、生まれながらの腐れ縁だろう。

 長い髪を一つに束ねたポニーテール。すらりとした無駄のないスタイルライン。とても整った顔立ち。たまに見せるのは屈託のない眩しい笑顔。

 彼女は良く「健康的美少女」と称えられる。

 彼女の美しさは、例えば『南部深雪』のような儚いような幻想的なものとは異なり、まるで雌豹や雌虎のような危険としなやかさを兼ね備えたものだ。

 彼女の家は佐竹邸の隣。俺と彼女は幼馴染であり、姉弟同然のように育ってきた。また俺の父親である善隆から剣術を教わり、現在ではあの親父から免許皆伝さえ許されるぐらいの腕前である。



「あんたね。昨日、目覚ましが壊れたから、起こしてくれって頼んできたのは、あんたの方でしょう!?」

「ああ……そ、そうだな」

 それは正直に感謝するしかない。

 実際、郁子が来てくれていなければ、俺はあの心地良い、完全に網膜に焼き付けている夢から、目覚めることを拒否していたに違いない。

 それぐらいの凄まじい破壊力がある、何度でも見直したいと思える夢だった。

「あ……郁子、居間で待っててくれるか?」

「なんでよぉ?」

「ああ……その、着替えるからさ……」

 下着がカピカピだったのだ。

(…俺は一体どんだけ夢精してるんだよ?)

「あのねぇ、あんたなんかの着替えなんて、もう見慣れてるわよ……」

 だろうな。

 俺と郁子は同じ年。まして親父は職業柄不在が多く、お袋を早期に亡くしていた俺は、よく「榊原家」に預けられていた。

 だから郁子とは幼馴染というより、姉弟という感じに近いだろう。

(…ふぅ)

 突き付けられた木刀が納められ、強烈なプレッシャーから解放される。

「いや、でもな……着替えは、な……」

「し、仕方ないわね……早くしなさいよね!」

 郁子は俺から背を向けた。

 だから、俺には彼女の表情が解からない。

 いや、背を向けていなくても、俺には解からなかったかもしれない。

「珈琲でいいのよね?」

 居間で淹れてくれるらしい。

「サンキュー、すぐに行くから」

「ふん!」



 郁子が部屋から退出すると、俺は即座に下着を取り替え、高等部の制服に着替えた。

「よし……トレース・オン!」

 白いシャツに袖を通して、例の合言葉で気合を入れる。

 最後に詰襟に徽章を付ける。これが『特待生』の証ではあるが、俺がこれを付けていられる日はそうは長くはないかも知れない。

「柔道部を辞めちまったからなぁ……」

 あくまで俺のような低学績が特待を受けれたのは、親父から教わった柔術の、その応用がある程度にできる柔道があったからに過ぎない。

 今も尚、特待を外されていないのは、その辞めた事情の一端が学園側の非でもあると認めており、また郁子の姉でもあり、担任でもある『榊原爽子』の尽力によるものだろう。

「だから今日は、遅れないようにしないとなぁ…」

 今日は『中央地区・セントラル』において、四条学区高等部の合同による入学式が行われる。

 昨日の始業式のほとんどを大遅刻ですっぽかしてしまったそれだけに、今日は遅れる訳にはいかない。

(まして……)



 『後輩の乳首』ちゃんの・・・

 いや、『南部深雪』の入学式なのだから。





「…二人とも、遅いぞ」

 不機嫌そうな声音で、俺の知る限り一番のイケメンであろう、もう一人の幼馴染がそう嘯いた。

「あたしのせいじゃないわよ!」

「悪りぃな、祐樹。少し遅くなった」



 不機嫌そうな彼の名前は『本多祐樹』

 先にも触れたように、精悍な顔立ちで長身のイケメンだ。

 ただ性格はぶっきらぼうで基本的に無表情。非常にクールな性格とも言える。それだけに付き合いは人が選ぶし、本人自身が孤高を好むような傾向もある。

 ただし、情には厚い。

 祐樹には子犬を抱き上げて、「俺は後何回、あの子と子犬を殺せばいい…?」と言って貰いたい。無論、そんなことを頼めるはずもないのだが。

 西条高等部サッカー部のエースにして特待生。

 公式戦では本土に行くことが非常に多く、いずれはプロになれるんじゃないか、と思われる。攻守に優れたオールラウンダーのプレイヤーで、セントラルMFがポジション。

 また恋愛には一切興味を示さず、「恋愛は自由だが、結婚は親が決める」が本人の談。中等部時代、告白された人数は数知れず。それでも余裕で三桁に届いたと思われるが、祐樹はその全てを拒絶している。

 正直、勿体無い・・・そして羨ましいと思った。

 これまでに告白されたことがない、モテない僻みだな。

 俺のそれは・・・。







 『近代学園都市・中央地区セントラル』



 四つの四条学区と中央地区の五つで構成される人工島。

 その中で唯一に日本本土と行き来が可能なのは、中央地区にある飛行場であり、主に成田国際空港と東京国際空港への空路が開けているからだ。

 尚、海路では近代学園都市には港がなく、また不審侵入者対策の一環である防災隔壁の存在によって、侵入は決して容易なことではない。



 中央地区が他の四条学区と大きく異なるのは、学業に関係がない一般市民が気軽に旅行気分で訪れて、幾つもの宿泊施設に滞在することもできる、唯一に解放されている区域ということだろう。

 四条学区に移動するには、学園側が無償で貸与する『携帯端末ミーティア』が必要不可欠で、これを無くして四条学区で生活するのは非常に難しい。

 一応、現金やクレジットカードも使えなくはないが、自動自走車は扱えないし、各種(寮や自宅も含めて)施設の開錠もできない。

 もはや四条学区では携帯端末が生活必需品だった。



 四条学区と中央地区を結ぶ『スカイライン』の車中。傍から見た中央地区の感想を幼馴染の一人に尋ねると、

「でっかいショッピングモールね!」

 となる。



 実際、中央地区の駅となるセントラルは、広大な建造物の中にあり、その中は繁華街の街並みと変わらない。

 数えきれないほどの飲食店が並び、呉服屋が列を成し、複数のコンビニが同系列なのにも関わらず、何店舗も展開されている。

 噴水自然公園があれば、水族館や映画館、動物園などの娯楽施設などもある。勿論、宿泊施設やラブホテルなどもあるのだろう。

 更にセントラル周辺には普通の一般企業である勤務地があれば、旅行会社や結婚式場、教会、スタジアムなど、中央地区に行けば手に入らない物はない、と謳われるほどに様々な施設が必ずある。

 あ、唯一に港だけがないな。

 ・・・飛行場はあるのに、な。





 それらが一つの建造物の中、その『セントラル』の中にあるのだ。(一部は直通路で繋がっている)

 如何に『セントラル』が壮大な建物か解かるだろうか。

 それも近代的な洒落た作りであり、その幼馴染の感想を聞けば、さぞ『セントラル』を建造した建築者らは大きく落胆したことだろう。

「あによぉ!?」

 俺の視線に郁子が噛みついた。

「いや、何でも……」

「今のあんたの、義久の視線がキモかったわ!」

「なんだよ、それは……」

「あー、気分超最悪。全身穢された気分だわぁ!」

「……っ……」

 今朝の夢を指摘されたかのような、郁子に見透かされたような罪悪感が過ぎった。だが、穢したのは郁子ではなく深雪であり、夢の中では「三年間よろしく」との許可を得た上でのことだ。

 俺は三年間、夢の中ではあの乳首によろしくされたのだ。

 だから、俺は悪くはない!

(……悪くない、よな?)





 と、まぁ、一時万事。俺と郁子だけで会話すると、こんな感じになる。段々とヒートアップしていって、そして際限がないのだ。

 そして決まって、こうなると・・・

「郁子、それぐらいにしておけ」

 こんな感じでもう一人の幼馴染が必ず仲裁に入る。

 それが俺たち三人の、暗黙の了解であった。

 了解、であったはずが・・・

「周囲の迷惑だ」

 祐樹の体が俺と郁子の間に割って入る。

 その際に、俺には聞き取れないほどの声量で(それに、義久の視線はお前には格別だろ?)と囁いていた。

 俺には何を告げたのかは解からない。

 だが、郁子の反応は劇的だった。

「あっ、あっ、あぅ………」

 郁子は顔をあからさまに真っ赤にして、言葉に詰まる。

「何て言ったんだ?」

「たいしたことじゃない」

 郁子を黙らせるほどの魔法の言葉。

 彼女との口論に辟易している俺としては、何としても知りたいと思ったが、祐樹の口を割る自信が俺にはない。

「ゆ、祐樹、あんたぁ! それ言ったら……」

「解かってる……そろそろ到着するぞ」



 祐樹の言葉通り、それから間もなく車両が中央地区の駅に該当するセントラルに到着し、『スカイライン』からぞろぞろと降車していく。

 俺らもその流れに洩れず、大衆に続いていった。

「うひゃあ、さすがに凄い人の数ねぇ………」

 セントラルは学園都市でも唯一、本土から来た一般人にも解放されている区画の建物ということもあって、混雑しているのは日常茶飯事だろう。

 まして今日は四条学区高等部の合同による入学式。

 西条高等部二年の俺たちは、1クラス約100人の、1200クラスまである。つまり、一つの学年だけで単純計算しても一万二千人。三学年の全体にすると、西条高等部だけで三万六千人にまで膨れ上がる計算だ。

 これを四条学区に換算すると、約十四万四千人の生徒が一同に集まることになる。

「集合場所はいつものところだよな?」

「ああ。急ごう」

 

 四条高等部全体入学式会場はセントラルに隣接した高等部専用会館『登竜門』で、その収容人数は二十万人。

 今回の合同入学式では、主役である新入生の三万六千人は正門の中央路から、会場の中心へと向かう。一方の歓迎する側となる上級生(二・三年生)は、二階、三階、四階、五階から、それぞれの学区用通路を経て、会場中心を囲うように着席していく。

 舞台裏がないのだから、そのため演説者は大変であろう。だが、四つの四条学区、十四万人以上の大勢である以上、構造的に致し方のないことだった。

 また上級生は西条高等部だけで二万四千人。これが一度に入館しようものなら、間違いなく混乱を呼ぶことになろう。故に各クラスで別々に集合場所を決めておき、列を成して入場する運びとなる。

 恐らく他の四条学区の高等部も同様であろう。

 西条の一介の生徒に過ぎない俺には、他の北条、南条、東条の仕組みが解かるはずもない。

 更に四条学区は同じ『房総大学付属』の名を冠してこそいるが、制服も校風も異なる。もはや他校という趣が強い。そのため、収拾を乱すような真似をすれば、他の三校の笑い物にもなりかねないのだから、高等部の担任ともなれば、自然と生徒に毅然な姿勢を求めるのだろう。



「よーし。今日は始業式を大幅に遅刻して、ほとんどサボりやがった佐竹の奴も、無事に、珍しく、遅れることもなく到着したな」

 うちの担任である『榊原爽子』からしてこれである。

「爽ちゃん。昨日、遅刻しただけじゃないか……」

「教師を“ちゃん”付けで呼ぶなぁ! 馬鹿者!」

 教師・・・一応、俺らの担任である。

 彼女の姓「榊原」からでも解かるように、彼女はあの外見にして郁子の姉であり、俺たちの幼馴染である。まぁ歳は離れていたから、遊ぶ機会は決して多くはなかったが、当時から彼女の背は低く、親しみ易かったのは今でも覚えている。

「何度言ったら解かる! この馬鹿者!」

「っ……」

 手にした扇子で俺の額が叩かれた。

 見た目は中等部ぐらい女生徒にしか見えないが、顔立ちは整っているし、また威厳もある。だが、身長と胸と貫録が全くない。

 「榊原家」四姉妹の中でも一番年下にしか見えず、彼女の大学生時代、子供心に正直に告げたら、三日間は口も利いてくれなかった。

 それが『榊原爽子』という、少女みたいな大人だった。

「だいたい貴様はいつも、いつも……」

「…………」

 周囲にはこれがご褒美に見えるらしい。

 なるほど。確かに外見はせいぜい中等部の女生徒ぐらいにしか見えず、美少女然とした女性。扇子も適度に加減されて決して痛くはない。まして俺は彼女おろか、告白されたこともない憐れな男子生徒だ。

 それでも俺はこの教師……爽ちゃんを尊敬している。感謝もしているし、そして恐らく俺の初恋の人でもあった。俺と彼女の年齢差は九つ。勿論、年齢差がなくても相手にされるはずもなく、憧れ程度で俺の初恋は昇華されていたが。







 それでも俺がまだ『特待生』で居られるのは、彼女の尽力してくれた賜物であり、いつまでも同じ待遇を受けていられるとは思っていない。

 最悪、退学を免れただけでも御の字だろう。

「祐樹! この馬鹿の御目付役を命じる」

「了解した」

「黙っててもこいつはすぐにトラブルに巻き込まれて、いつのまにか中心に居座っている存在だからな」

「……了解している」



 そこは否定してくれよ、親友。


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