閉幕話『 流れ星に願いを 』後編

 
 (視点・直江巽)



 南部の豪邸に向かう雪道を、ゆっくりと進んでいく自動車の後部座席。車外を見上げる深雪お嬢様と私は、向き合う形で乗り込んでいました。
『今夜は星が?』
『……』
 久しく聞ける、彼女の声。
『ええ。深雪お嬢様……』
 それだけに私は歓喜に震えていました。
 十年間の歳月を経て、お嬢様は、ようやく人並みの感情を取り戻すことができたのですから。
『………』
『貴正殿。車を止めて下さい』
 だから私は、運転手の『石川貴正』に停車を命じた。
 深雪お嬢様は無言のまま、下車して、雪の大地を踏みしめる。東北北部地方では昨夜までの記録的な大雪もあり、この青森では降雪地帯はなかったほどです。
 恐らくまた明日からも降雪は予想されますし、夜空の星も見ることは叶わないことでありましょう。
『…オリオン座……』
 彼女の目に留まったのは、冬の星座の代名詞ですね。
 誰もが知る星座の代表格でありましょう。
『…ペルギウス。リゲル、ベアトリクス、サイフ…そしてアルニタクにアルニナム……あれがミンタカ?』
 お嬢様が星の名を一つ一つ上げていた時でした。
『あ、流れ星……』

 流れ星には願い事を叶えてくれる、という、そんな縁起があります。それが事実なのでしたら、きっとお嬢様の願いも叶えられるのでしょう。

 深雪お嬢様の願いは……
 …常に、たった一つなのですから。


『…………』
 その夜空の星を眺め続ける彼女を、私は静かに見守り続けました。
 この僅かな時間でも、彼女の時間を壊さないように。
 音を発てずに、ただ静かに……

 腰まである長い、艶やかな黒髪。
 見る者が息を呑むほどに整った顔立ち。
 華奢な身体。その身体に合わせて、成長がより期待できるだろう、胸の慎ましさ。
 引き締まった括れの腰。
 お嬢様の存在そのものが、まるで幻想的な超絶美少女でありました。
 お嬢様の中学時代。
 同校に在籍していた男子生徒の全員を魅了し、他校の男子生徒は無論…中には、男性教師までも虜にしてしまったほどです。
(本当に……本当に、美しくなられましたな……)
 私は思わず口元を綻ばせる。
 そうですね。断言させて頂きましょうか。
 もはや深雪お嬢様以上の美少女などは、この世の何処にも存在しない、とね。

『深雪お嬢様、夜風は御身体に障ります…』
『巽……』
 私の名は『直江巽』。
 …どうぞ、お見知りおきを。
 この『南部深雪』お嬢様の「南部家」に仕えさせて頂いています、序列第一位の執事長であり、深雪お嬢様にとっては「護衛兼家庭教師」の一人に該当します。
 勿論、私は教育係の、その一人にしか過ぎません。
 かつては東北に「拳鬼」あり、と言わしめた若気の経歴もありましたが、今の私ではせいぜい、無力な老執事の好々爺と思われてしまうことでしょう。
 私がもっと若く…いえ、お嬢様と同世代であったのなら、などと詮無きことを、幾度となく思ってしまうものです。

『巽……』
 つい先日まで意思の疎通さえも難しかった、深雪お嬢様の可憐な表情が破顔する。
(これが……深雪お嬢様の、本来のお姿……)
『届きました!』

 深雪お嬢様は一通の通知を大事そうに抱えていました。
 まるでそれが、この世に二つとない宝物のように。
 そう、彼女にとってそれは……長年に渡って夢にまで見てきた希望を叶えることができる、そのための成果に違いありません。
 お嬢様には宝物に相違ない、と言えるのでしょう。
 近代学園都市(千葉県房総海域の海上)から、遠く離れた日本本土の東北地方、青森県。例年以上に豪雪となったこの時期に、「南部家」に届けられたのは、一通の合格通知。
 これによって深雪お嬢様が入学を望めば、彼女は来春より近代学園都市、西条大学付属・西条高等部の新入生となります。

『それは、おめでとうございます』
 もっとも同じ四条学区の南条高等部でしたら、受験をする必要もなく、特待生として入学することも可能だったのですけどね。
 同じ近代学園都市の四条学区とはいえ、深雪お嬢様が通いたかったのは、南条ではなく西条だったのです。
『そのことで、旦那様がお待ちでございます』
『…解かりました。すぐに帰りましょう』
 父親の元にも同じ通知が届いたことを、聡いお嬢様はそれだけで察したのでしょう。これから彼女は、父親である『南部晴和』と、最後の交渉に及ばなければならないことを。

『お嬢様……本当に宜しいのですか?』
 この十年間における彼女の凄まじい努力の成果を否定する気はありません。
 ですが、正直に申しましょう。
 私もお嬢様の西条高等部への進学には……南部の家を出ることには反対でありました。
 高校の進学はいい。大学だってお嬢様の経歴を踏まえれば進学しておくべきでしょう。ですが、なんでわざわざ、近代学園都市などという……遠地まで進学を選ぶのか。
『巽…?』
『………』
 深雪お嬢様は自身の魅力に無自覚でした。いや、無関心と言ってもいいでしょう。
 お嬢様ぐらいの年齢の御令嬢ならば、自分をもっと着飾ったり、素敵な異性を見つけては恋をしたりして、人生をもっと彩ったことではないじょうか?
(…もっとも、着飾る必要性さえ皆無なのですがね……)
 お嬢様が望めば、多くの男が奮い立つことでしょう。
 彼女が微笑めば、その大半が死も厭わないかもしれない。

(ええ。私自身が、そうなのですからね……)



 東北の名家『名五師家』の「南部家」
 傍流のその分家とはいえ、遡れば、戦国時代から代々続く由緒正しき家柄の名家。
 その総裁(上杉財閥を有する上杉家のみ総帥、他の名五師家は総裁、その他の名家では当主)の『南部晴和』様は、現在五十七歳とは思えないほどに、まるで大樹のような揺るぎない体躯と精神を併せ持つ偉丈夫。
 お嬢様のコートを受け取り、彼女の背後に続く。
 本邸の居室へ、まっすぐと進む。
 その途中、本邸に詰めるメイドや他の執事が頭を垂らしたが、つい先日までの……普段の深雪お嬢様の性格をよく知る彼らが話しかけてくることはなかった。
『………』
 感情を取り戻したお嬢様の方でも、今更ながら、そんな周囲の最低限の反応など歯牙にもかけない。
 深雪お嬢様はこれより、最後の交渉に及ばなければならなかったこともありましょう。
 学園都市への進学は、お嬢様が選んだ道です。
 父親の……晴和様の思惑と希望に背いてまで……。

 居室の扉の前で立ち止まる。
『はぁ…』
『深雪お嬢様……』
『大丈夫よ、巽。大丈夫だから……』
 重厚な扉に触れながら、まるで自分に言い聞かせているように、お嬢様は同じ言葉を繰り返す。
 大袈裟に感じられるかもしれませんが、これからお嬢様が対面するのは、この「南部家」の総裁……『名五師家』とも呼ばれる、日本でも代表される一大人物です。その娘とはいえ、重圧を受けないはずがありません。
『御父様!』
『深雪……帰ったか』
 居室のテーブルに着くのは、深雪お嬢様の父親にして、この「南部家」の総裁でもおられる『南部晴和』様は、今年で五十七歳。ですが、その威厳と風格にはいささかも衰えを見受けられず、今も尚、健在でありました。
 深雪お嬢様が晴和様の向かいの席に着き、私は部屋の隅に待機する。ここが居室における私のポジションです。
 晴和様にも、深雪お嬢様にも、同じテーブルの着席は許されているのですが、これでも私は「南部家」の執事序列一位の身ですからね。
(まぁ、これは私の譲れないポリシーでしょうかな)
 久しく父娘がテーブルの席に着いたのにも関わらず、重々しいばかりの沈黙だけが場を占める。
『…本日、西条高等部より、お前の合格通知が届いた』
『はい。御父様……』
 深雪お嬢様は、その晴和様の鋭い視線を真っ直ぐに受け止めた。
『約束です!』
『……』
『西条高等部に……あの人の処に、私を行かせて下さい!』

 それが十年前。この父娘の間で交わされた約束であり、そして果たされた結果の仕儀でもありました。

『私に決めさせてぇ!』
 まだ当時の深雪お嬢様は幼稚園児でした。
 そのお嬢様のためを思って、色々と思う処のある晴和様に対し、深雪お嬢様は『運命の相手』だけは、自身で選ばせて欲しいと嘆願したのです。
『私は義久様がいいの!』
 …即ち、この時に『佐竹義久』なる少年を、まだ小学生にもなっていなかった深雪お嬢様は、自身の『運命の相手』に指定したのですね。
『………』
 これが一般家庭における話なら、微笑ましい話ではありましょう。ですが、名家と呼ばれる家柄には『不文律の誓約』なる条約があり、おいそれと簡単に応じられるような話ではありませんでした。
 勿論……名家の令嬢として生を受けました深雪お嬢様も、そのことは重々に教育を施されました。
 もし深雪お嬢様が、その『佐竹義久』なる少年を『運命の相手』としてしまった場合、この「南部家」と……お嬢様の母方である「戸沢家」の後継問題までが、その誓約に縛られてしまうのですから。

『戸沢としては、別に構いませんよ?』
 とは、「戸沢家」の当主『戸沢義光』様の言葉でした。
 深雪お嬢様が成す二人目を男女に関係なく、喜んで戸沢の後継者として迎える手筈と請け負って下さいました。

 幼稚園児の言葉ですので、とりあえず晴和様は静観して様子を見る方針を取りましたが、思いの外に深雪お嬢様は頑固な処がありまして……
 ええ。深雪お嬢様はこのことに関してだけは、頑なまでに主張を変えることはありませんでした。
『…誰に似たのか、強情な奴めぇ…』
 深雪お嬢様が小学生になった時のことです。
『そこまで意地を張る、と言うのなら……』
 こうして厳格な晴和様と頑固な深雪お嬢様の間で、口約が結ばれました。立ち会いの証人は…ええ、私です。

『ね、念のために聞いておく……』
 だから、晴和様にも解かっているのでしょう。
 深雪お嬢様の説得は絶対に不可能であると……
 彼女の性格はまさに父親譲りです。
 それでも聞いておかなければならないのです。
 それが、「親」というものであり、
 そしてこの「南部家」の現総裁という立場でありました。
『決意は変わらないのだな?』
『はい』
『……そうか』
 晴和様はそのまま黙して目を閉じた。
 無理もない。最悪……今春がこの父娘の、今生の別れとも成り得るのですから。
『……そうか……』
 この「南部家」は傍流の分家とはいえ、それでも戦国時代から続く名家の一つであり、現代では『名五師家』の一つに挙げられるほどに、由緒正しき家柄でもあります。
 深雪お嬢様は、その「南部家」の一人娘。
 深雪お嬢様の誕生に合わせて、亡くなられてしまった雪菜奥様のことからも、いずれは深雪お嬢様が婿を迎えて、この「南部家」の……そして「戸沢家」のお世継ぎを得ることこそ、唯一の正道だったと言えるでしょう。
 少なくとも、晴和様はそう望んでいたことに違いありません。しかし、深雪お嬢様の望みは婿を迎え入れることではなく、嫁に出ることを選んだのです。
 もしも仮にお嬢様の思惑が外れて、心に決めた人物に嫁ぐことが叶わなかった、としても、もう深雪お嬢様がこの南部の家に戻ることはないのかも知れません。

『御父様……今まで、ありがとうございました』
『深雪……』
 旦那様は困ったように苦笑する。
 確かに晴和様は深雪お嬢様には、甘くて優しい父親ではありましたが、それはあくまで父親としてのこと。「南部家」の総裁としては、とても厳しく峻烈でもありました。
 こと深雪お嬢様との間で交わされた口約に関しましては、特に厳しい態度でありました。だが、それも「南部家」の一人娘でありながら、その我儘を許すか否かの攻防だったのだと思えば、それは妥当な応対だったのかも知れません。
(ですが……深雪お嬢様はやり遂げてしまった)
 この十年間、という歳月ですよ。
 晴和様の課題は定期的に出されていきました。
(時には私の目にも、それは無理難題にしか見えませんでした、がね……)
 そのために一日僅かな……必要最低限の睡眠時間にまで削り落とし、食事と入浴のそれ以外の時間は、勉学と御稽古、課題とされた練習だけに費やされました。
 お年頃にも関わらず、遊ぶことも……恋はおろか、人との意思疎通さえもままならないほどまで、常に極限の状態にまで身を置くしかなかったのです。
 それも当然でした。
 深雪お嬢様が我を通すためには、何一つとして、出題された課題を取りこぼすことは許されなかったのですから。
(そして…見事なまでに、結果だけを残してきました)
 私は自家の贔屓目を抜きにしても断言できましょう。

 この深雪お嬢様こそ…南部の『最高傑作』である、と。


 容姿は完璧、と言えましょう。
 まぁ、これでもう少し…身長が伸びて、もう少しだけ胸の膨らみが増してくれれば、言うことなしでしょうな。
 勉学においては、既に大学卒業レベルに達しています。
 晴和様の組んだカキュラムは、膨大かつ異常でもありましたが、深雪お嬢様はそれをスポンジのように吸収されていかれました。
 ピアニストとしては、国際コンクールにて受賞。
 運動でも旦那様の指定された個人種目で大会記録を連発。学園都市の南条を始め、数えきれないほどの高校が、推薦や特待生として勧誘してきたのは、当然の流れでありました。
『……っ……』
 それだけに私は惜しむのですよ。
 それはきっと、晴和様も同様でありましょう。
(何故に……)
 何故に、この最高傑作を出さなければならないのだ!
 …と。
 いや、人妻になることを夢見るのは、決して悪いことではありませんよ。心に決めた殿方の伴侶となることは、一人の女性にとっては最高の…そして生涯の夢ではありましょう。
 そこまでは、私たちも理解はできるのです。
(……ですが、)
 その殿方となる相手が、幼少の頃に僅かの間、一緒に居ただけの少年……無名の相手ともなれば、話は大きく変わってしまうものでしょう。
『深雪は…義久様の処に行きます』
『……っ……』

 ……『佐竹義久』。

 それが幼少の頃に……深雪お嬢様の御心に刻み込まれた、唯一無二の名前なのです。
 何処の馬の骨、などとは申しません。
 彼の父親『佐竹義隆』警視殿は、私や晴和様にとってこの「南部家」を救ってくれた大恩ある御身です。そして、義久殿は、その義隆殿の子息なのですから。

『もし、その望みが叶わなければ……?』
 晴和様が一縷の望みをかけて問う。
 ですが、その可能性は確かにありましょう。

 もし、その義久殿が深雪お嬢様を忘れていたら?
 もしかすると、既に他界されている場合もあります。
 もしくは、既に異性と恋仲となっている……
 既に結婚の約束をしたお相手がいるかも知れませんね。
 考えられませんが、深雪お嬢様をお気に召さない(その時は私が誅殺して差し上げます、がね?)……そんな極僅かな可能性だって、あることでしょう。

『その時は、義久様の所有物として、この身を捧げます』
『……っ……』
 深雪お嬢様は自分の価値観を全く理解していない。
 いや、全く正確に評価(できない、のではなく)しないのです。意中の『佐竹義久』なる人物の気に入るものであればよし、気に入らないのであれば切り捨てる。
 それぐらいに極端な二択でしかないのです。
『義久様の所有物として生き、私の未来の全てを捧げます。私が持てる権利の全てを与えて、私の全てを差し上げます。義久様が欲しい、と思われるものは何でも与えて、不要だと言われるものは全て捨て去ります』
 深雪お嬢様の想いは、まさに徹底しています。
 やる、と言えば、本当にやってしまうのです。
 これはこの十年間の歳月が物語っていました。
 晴和様の下した無理難題な課題。時には私自身も、これは不可能です、と思いましたよ。
 ……それを十年間。本当にやり遂げてしまったのです。
『もし、義久様に意中のお相手が居れば、私はその二番目でも…義久様の妾でも、性欲の捌け口としてでも、私は厭いません』

 眩しい笑顔で恐ろしい言葉が次々と紡ぎ出されていく。

『その場合……南部家と戸沢家。最低でも二子は、義久様にお願いしなくてはいけないかも……ですね』
『…………』
 深雪お嬢様が御子を成せば、それは誰が父親であっても、この「南部家」と母方の「戸沢家」の血を唯一に受け継いだ御子でもあります。
 もし義久なる若者が「抱かせろ」と言えば、深雪お嬢様は何処であろうと、如何なる状況であろうとも、その若者の意思を尊重するのでしょう。
 危険日だろうが、排卵日でしょうが、膣内射精されていく光景が目に浮かんでは消えていきました。
 もしお嬢様が身籠ったとして「通院させるのも面倒だ」などと言われれば、お嬢様は自らの手で出産手術を(麻酔無しで)行うことでしょう。
 その結果、自らが死ぬことになっても、彼女は義久なる若者の子を宿せた幸福だけを抱いて、笑って逝くことに違いありません。

 この深雪お嬢様が二番目、妾などと……断じてあってはならないというのに。
(お、おのれぇぇ……佐竹義久ぁぁぁ!!)
 晴和様も、私も……頑なに決意する。
 もしそのような事態になれば、絶対に殺す、と。
 いや、殺すなんて生易しいものでは済ませない。

(跡形も残さず抹殺してくれよう……天誅である!)
 ……と。

(…当然なのでしょう……な)
 重ねて断言させて頂きますが、

 『南部深雪』お嬢様こそ……
 不世出の、人類における『最高傑作』なのですから。


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