序章
度重なるリュナン公子との擦れ違い……傷心のエンテのこと、リーヴェ王国のメーヴェ王女は、この大陸全土を揺るがした戦乱の源ともいうべき、ガーゼル教団の教皇グエンカオスとの直対決するため、彼女にとって重い記憶でしかない、水の神殿へと足を踏み入れた。
「……」
彼女にとって、この水の神殿の彩る光景は、全て見慣れているものばかりである。もっとも、それに慣れ親しむはずもなかったが……エンテは今年で十六歳。その生きてきた約十六年間のうち、十余年もの間も、この水の神殿で幽閉されてきたのである。そんな彼女にとって、見慣れた光景とは、心を自然と重くするだけの存在でしかなかった。
だから、彼女は初めて触れた外界の美しく、生きた光景に一つ一つに感動を憶え、そして、今までに得る事が許されなかった戦友、たくさんの仲間と時間を共有する事ができた。そして一度手にしたそれを失う事を恐れたが故に……
「どうして、話してくれなかったんだ?」
そのアイスブルーの瞳には、明らかな非難の色を帯びている。
「そんなに、僕が信用できませんでしたか、王女様……」
痛烈な追従であった。
「これ以上、リュナン様の手を煩わせる訳には……」
澄んだ水色のローブに薄紫色の外套を身に纏う彼女の姿は、清楚で可憐であり、神秘的な雰囲気を漂わせ、この整然とした光景が更に彼女の存在を引き立ててもいる。
晴天を抱かせるようなスカイブルーの長い髪がなびき、思わず吸い込まれてしまいそうな瞳には、哀愁の色を漂わせる。そして、容良い唇はかたく閉ざされ、彼女の意思の強固さを物語っているようであった。
だが……
――ラゼリアの公子、リュナン
彼の名前を口にした時、エンテの胸が痛んだ。彼女にとって、ラゼリアの公子の存在は、今や淡い恋心というには余りに強烈に過ぎたものであった。だからこそ、彼女は自身の存在を政治的な道具として置き換え、彼に祖国の全てを委ねようと……結婚を申し込んだのである。
無論、相手への慕情が後押ししたとはいえ、それによって、リュナン公子にはリーヴェ王国を統治する絶対者の資格が生じ、自己主義の象徴ともいうべきリーヴェ貴族に対しても、権勢を振るう事も可能であった。少なくても現状のように、苦悩する事はなかった事だろう。
だが、彼は……リュナン公子は、エンテの申し出を拒んだ。
その理由に、公子の若いゆえの高い理想との不順、精神的な未熟さと、エンテに対する些細なわだかまり……如何に操られていたとはいえ聖竜ミューズとなり、公子の父親ごと和平への道を閉ざしたのは、紛れもなくエンテの所業に、それを打ち明ける事ができなかった事実に、未だ公子の心には重く圧し掛かっていたのだ。また、エンテを政治的道具に見なす憐憫さも、そこに含まれていたかも知れない。
だが、結果として拒絶された事には変わりはなく、一国の王女の前に一人の女性であったエンテには、やはり衝撃的な返答であった。
故に彼女は決意する。
この戦乱の時代を断ち切るために、公子の苦悩を和らげるために、ガーゼル教団の教皇グエンカオスの野望を阻むのだ。
「例え刺し違える事になったとしても……」
こうして彼女は単身、水の神殿に足を踏み入れていった。
ラゼリアの公子への想いを胸に秘めて……
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