激しい風が扉を叩く。
 外の喧噪とは裏腹に、宿屋の酒場は静かに過ぎていく。
 テーブルの上には、一人の少女が引き起こした乱痴気騒ぎの跡が残っている。
 そのテーブルに一人腰掛けている男。
 金髪、青い目が特徴的な、一人の剣士。
 ガウリイ・ガブリエフ。
「あいつも今日で二十歳……」
 ガウリイはグラスを傾けながら、呟いた。
「早いもんだ。あいつと会ってから、一体何年になるんだろう? 出会ったときはほんのガキだったのにな」
 ため息をつくガウリイ。
「もうそろそろ、かな?」
「なにがもうそろそろなんでしょう、ガウリイさん」
 突然、何もない空間から現れる漆黒の闇。
 しばらくすると、それは人の形を取る。
「ゼロスか?」
 興味なさそうな声で呼びかけるガウリイ。
「おや、もう少し驚いていただかないと。わたしとしても張り合いが……」
「ごたくはいい。……何しにきた?」
 絶対零度の氷を思わせるような声。
「取引に」
「帰れ」
 ゼロスの言葉に間髪を入れず答えるガウリイ。
「待って下さい、とってもいい話なんですから」
 いつものニコ目で話を進めるゼロス。
「またぞろ、リナを引き回そうというんだろう? 懲りない奴だな」
 ガウリイはブラストブレードに手を掛ける。
 もちろん、ガウリイは目の前の男に剣が通じるとは思っていない。
 ただ、自分の意志表示のつもりで、剣に手をやる。
「いえいえ、今日はあなたに話があってきたんですよ」
 予想外の言葉に、眉をひそめるガウリイ。
「……どういうつもりだ?」
 その言葉に、ゼロスはにっこりと微笑む。
「リナさん、美しくなりましたね。胸の小さいのは相変わらずですけど、匂い立つような女の香りをさせて、なかなかの美人ぶりじゃあありませんか。ガウリイさんもさぞかし獣の欲望を抑えるのが大変でしょう?」
「…………」
「いつまで保護者でいるつもりです? もうリナさんは保護者のいる年齢じゃあありませんよ?」
ゼロスの問いに、笑って答えるガウリイ。
「ああ、確かにその通りだ。リナは今日で二十歳、もう保護者のいる歳じゃあない。リナの保護者は今日限りやめる」
「リナさんとの約束を破るんですか?」
 抜け目ない表情でガウリイを窺うゼロス。
「……盗み聴きだけは、相変わらずのようだな」
 憤慨するガウリイ。
「まあまあ、いつもやっているわけではありませんから」
「どうだかな」
 軋るようにつぶやくガウリイ。
「それにしても、あのリナさんをよくここまで手なずけましたね。さすがは……」
「それ以上言えば斬る! ……リナとおれとはそういう関係じゃあないことは、お前が一番よく知っているだろう?」
「たしかに……」
 苦笑するゼロス。
「だが、これ以上一緒にいれば、おれはおれの一番いやな部分をあいつの前にさらすことになる。だから、保護者も今日で終わり、あいつと旅をするのも今日で終わり」
「ずいぶん勝手ですね。それに嘘つきです」
 ピクッとガウリイの眉が動く。
「本当のあなたは、そんな優しい人ではない。リナさんに近づいたのも、実は……」
「そうだ、リナを喰いモノにするつもりだった。世間知らずの女の子を騙し、骨までしゃぶり尽くして捨てるつもりだった」
 ため息をつくゼロス。
「それも嘘ですね。あなたは彼女に恋してしまったんですよ。魔族のボクがこんな事をいうのも変ですが。あなたは彼女を自分一人のモノとして独占したかった。誰にも渡したくなかった。彼女にちょっかいをかけたときのあなたの感情、とても美味でしたよ」
「……くだらないな」
 つまらなそうにいうガウリイ。
「ふふふ、まあそういうことにしておきましょうか、話が進みませんから」
 ゼロスは人差し指を振った。
「今日は他でもありません。実は獣王様に、リナさんを無力化するように命じられましてね。それで、こうしてはるばるやって来たという訳ですよ」
 シャッ
 閃光が酒場の中できらめく。
 神速の速度で、剣がゼロスに襲いかかる。
 伝説の名剣ブラストブレード。
 いかな上位魔族でも、直接喰らえば痛いどころの話ではなくなる。
 しかし、この事を予期していたのか、難なく避けるゼロス。
 舌打ちをするガウリイ。
「あぶない、あぶない、落ち着いて下さい! 別にリナさんを殺しに来たわけじゃあありません。リナさんを『無力化』しにきたんですよ」
「どういうことだ!」
 ガウリイの怒りの声に、ゼロスは冷酷な笑みを浮かべる。
「われわれとしては、リナさんの命を狙って返り討ちにあうなんてパターンはもうしたくないというわけです。しかし、リナさんをそのまま野放しにしていれば、いつかはまた我々と、死に物狂いの戦いを演じることになる。そこで、ガウリイさんにお願いがあるということです」
「願い? 脅迫じゃあないのか?」
「お願いですよ。リナさんを囲い込んで、自分の女にして、無力化して欲しいという、ささやかなお願いです」
「……なんだと?」
 ガウリイの言葉に怒気が混じる。
「ふふふ、わかってますよ。その人の好い表情の裏側で、リナさんにどれだけ薄汚い欲望を抱いていたか。心の中で、リナさんの衣装を引き裂き、さんざん貪っていたことも、ボクにはちゃあんとわかっています。なかなかいい見物でしたよ」
「貴様!!」
「あなたのその欲望を叶えてあげようというんです。もちろん、いやとはいわないでしょうね?」
 悪魔の笑みを浮かべるゼロス。
「…………」
 沈黙するガウリイ。
「何をためらっているんです? 極上の獲物が無防備で目の前に転がっているというのに、優秀な狩人のあなたがためらうなんて、らしくないですね」
「リナとは、そういう関係ではないといったろう!」
 大きな声を上げるガウリイ。しかし、先ほどまであった迫力が失われている。
「そうですか、残念ですね。それじゃあ、リナさんを盗賊さん達に投げ与えましょうか。何十人もの盗賊に犯され、ボロボロになっていくリナさんというのも、そそられるものがありますし……」
「ゼロス……」
 ガウリイが思わず絶句する。
「勘違いしてはいけません。僕の目的はあくまでリナさんの無力化。盗賊さん達にレイプされ、人格が崩壊し、リナさんが廃人になったとしても、それはそれでかまわないんですよ? あるいは、盗賊さん達に調教されて、セックス奴隷にされても、僕は別にいいんです。いいんですが……あなたには耐えられないでしょう? ねえ、ガウリイさん」
「くっ」
 ガウリイは絶望の声を上げる。
 自分が断った場合、ゼロスはリナを言葉通りにするだろうと確信する。
 そして、リナを失いたくないという欲望が、リナを貪りたいというどす黒い欲望がわき上がってくるのをガウリイは感じていた。
「確かに、いまのあなた達はそういう関係ではありませんが、これからもそうでなければならないってものでもなし、欲しくないんですか? リナさんの胸、リナさんの手、リナさんの足、リナさんのくちびる、リナさんの……」
「やめろ!」
 獣じみた表情で言葉を遮るガウリイ。
「ふふふ、やっと本性を現してくれましたね。そう、あなたは保護者なんかじゃあない。可憐なリナさんに欲情する、獣でしかないんですよ。ねえ、素直になりましょうよ。そうすればお互い、幸せになるんですから」
 ガウリイの目を見るゼロス。ゼロスは自分の勝利を確信した。
「……今日の夜の十二時から一ヶ月、僕がリナさんの魔力を封じて差し上げます」
「必要ない」
「いえいえ、これはほんのサービスで。あなたの調教師としての腕には全幅の信頼をしていますから。では、また会いましょう」
 そう言い捨てると、ゼロスは空間の中にとけ込んでいく。
 ガウリイはしばらく無言でゼロスの消えた後を睨んでいたが、やがて視線を机に向けた。
「リナ……か」
 散乱したテーブルを愛おしそうに眺めるガウリイ。
 まるで本人がそこに居るような錯覚にとらわれる。
 精気に満ちあふれ、活動的で、周囲に強烈な印象を与え続ける、光輝いている少女。
『……盗賊さん達に投げ与えても……』
 ゼロスの言葉が脳裏を横切る。
 ギリッ、
 ガウリイの歯ぎしりの音が、周囲に響く。
 心の中が定まらないままに、ガウリイは食堂を後にした。


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