No.26 そこへは行けない(2)


 以前にアップした拙稿「そこへは行けない」に関して、ビジターさんから御質問のメールをいただいた。



 この記事はSM趣味について書いたもので、中で取り上げた
矢作よね小口末吉というSMバカ夫婦に関するお問い合わせがあったのだ。
 この夫婦はとにかくもうバカでスケベであって、SM趣味の果てに旦那(末吉)が女房(よね)を過失死させてしまうのだが、末吉がその後どうなったのか、関心を持って下さった方がいたらしい。どうやらこの記事への直リンがどこだかの掲示板に貼られたそうなのである(2ちゃかな?)。



 実のところ、オイラは末吉がその後どうなったのかは知らなかった。記事のネタ本に載っていなかったからである。
 だからお問い合わせのメールに対して「スイマセン知らないです」とつっけんどんに返しても良かったんですが、こんなマイナーなコーナーの記事に関心を持っていただいたのが嬉しかったので、一応は調べてみることにした。甘い話であるが、管理人としてはこのささやかなコーナーに不思議と愛着があるのです。



 古本やネットで調べてみたところ、末吉のその後は案外簡単に判明した。それを記してメールには返信したが、せっかく調べたことであるから、毎度貧乏くさくて恐縮であるけれど、記事としてサイトにも掲載させていただくことにした。まあSMに関するプチトリビアとして気楽にお読みいただければ幸いです。



 さて大正6年の3月、小口末吉は警察に逮捕された。言うまでもなく、女房を虐待死させたという容疑であった。彼は栃木出身の大工で、当時29才。



 何しろ妻よねの遺体はヒドイ有様で、背中と腕に「小口末吉の妻」という文字が火箸で焼き入れられ、手足の指6本が切断欠損、全身には刀傷と火傷が縦横にあり、その傷口の多くは腐敗していた。ために敗血症を起こして死に至ったのである。



 しかし逮捕された末吉は傷害致死容疑を否認した。傷付けたくてやったのではない、全部女房に頼まれたからやったのだというのだ。SM趣味が高じた上の不幸な事故であって、しかも自分はそもそもサディストですらない、マゾの女房に付き合わされただけだと主張したのだった。



 当然検察はそんなことを信用せず、起訴に持ち込んだ。
 世の中にSMという性の嗜好があることを、我々は経験的に理解は出来る。しかしいくら何でも、自分が死んでしまうまで身体を傷付けよと欲する極端なM趣味はちと想像しにくい。当時の検察官もそうだったのだろう。


 
 ところがたまげたことに、近所住人の証言の多くは、末吉の供述を補強するものであった。
 よねが末吉にイジメ殺されたという検察の主張が真実ならば、その折檻によってよねが悲鳴を上げたり、近所に救いを求めたりということがあったはずだ。しかしそんな事実は全くなかったのである。
 どころかよねは生前、「マヲトコシタ(間男した)」と大書した半紙を背中に貼り、末吉と一緒に仲良く往来を歩いているところを目撃され、物笑いになっている。
 無論これは人々に見てもらいたくてやったことで、自らを貶めることで興奮する、よねの異常な性癖を証明している。近所では、救いようのないSMバカ夫婦として、2人をちゃんと認知していたのだ。



 しかし結局末吉の主張は司法には容れられず、傷害致死により懲役12年という重刑が言い渡された。これはまあ、SMなどというものがまだ社会的にはタブーであった、大正という時代のせいかもしれない。
 末吉は控訴したが、刑が確定しないうちに獄中で病死したという。変態の奥さんを持ってしまったばっかりに、何とも不憫な人生の結末であったと言えよう。



 末吉事件については以上だが、オマケとして、ほぼ同時代を生きたもう1人の有名な変態さんについて記しておこう。今回末吉について調べた際、余録として得た知識がもったいないからだ。全く持って貧乏性を恥じ入ります。



 もう1人紹介するエロ人間は、あの有名な
池田亀太郎である。
 通り名の出歯亀(デバガメ)は現在でもノゾキ趣味を指す言葉として通用するし(一説に、彼はそう目立つほどの出っ歯ではなかったとも言う)、だからオイラは彼のことを、当時有名であったノゾキの大将か何かかと思っていた。しかしさにあらず、彼は強姦殺人という重犯罪の容疑で逮捕されていたことを今回知って、ちょっとビックリしました。



 彼が逮捕されたのは明治41年3月というから、末吉の事件の10年ほど前ということになる。
 新宿区大久保(当時は大久保村)で銭湯から帰宅途中の主婦が強姦され、首を絞められて殺されるという事件があり、彼はその容疑者だった。
 と言っても何か具体的な証拠があったわけではなく、植木職人の池田が近所でよくノゾキ行為をしていると評判だったため、これは怪しいと見込み逮捕されたのだった。



 彼は取り調べで殺人を自供したが、公判では否認に転じた。
 自分はセックスが弱い、女に触れただけでも射精してしまう、だから強姦なんかするはずはないというのだった。
 だが法廷は彼の訴えを容れず、無期懲役が言い渡される。彼はその後13年間を獄中で暮らすことになったのだった。



 果たして池田は真実殺人を犯していたのか?
 それは誰にも分からない。ただ当局のやり方は見込み捜査で逮捕、起訴、物証無しという乱暴さだったから、大正年間であればともかく、今日ならば公判の維持すら困難なんじゃないかと想像される。
 彼は自白をしたじゃないかという向きもあろうが、取り調べの厳しさからやってもいないことを自白するなんてのは現代でもある。まして取り調べ中の拷問が珍しくもなかった当時では、その信憑性が疑われるのも仕方がないとは言える。



 さて仮出所を果たした池田は、植木職に復して真面目に働いていたらしい。
 しかし昭和8年5月、彼は再び警察に逮捕される。
 牛込にあった風呂屋を覗いているところを、折悪しく通りかかった警察官に取り押さえられたのだった。
 殺人を犯したかはともかく、ノゾキが好きな変態クンだったことは確かなようである。当時の彼はすでに60才を超えていたはずで、それでまだ趣味にいそしむ元気があるのだから、「セックスが弱い」もないもんだ。



 オイラは精神病理のことなど分からないが、巷間聞くところによれば、覗き趣味(せっ視症)というのは性倒錯の一種であり、つまり病癖であるから、本人が反省したり恥ずかしいと自覚していてもなかなか直らないのだそうである。
 タレント生命が絶たれることを分かっていてもノゾキが止められなかった
田代まさし氏なんかを思うと、なるほどそういうものかなという気もする。


 
 さて末吉にしろ池田にしろ、ひいては(引き合いに出して悪かったけど)田代氏にしろ、ケースは様々なれど、いずれも「性」という人の身の内にあるものによって警察のご厄介になったり人生が狂ったりしたわけで、明治だろうが昭和だろうが平成だろうが、彼らの同類が星の数ほどいるのだろうことを思うと、人という生き物の業の深さを思わずにはいられない。
 オイラだってこんなサイトをやってるのだから、「そこへは行けない」なんつって他人事と収まりかえってられる立場じゃないかもなあ。他人から見ればおんなじ懲りないドスケベかもしれないもんなあ。

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