第2章 屈辱の俘囚アイーシャ-3 

 「エルフの里」は、その中にいる者の主観からすれば、中心からそれぞれ20キロほどの拡がりを持つ球形の空間であり、その内と外の境界は、有って無いような混沌とした場所である。20キロを越えてどこまでも進んでいくことも出来るが、次第に感覚があやふやになり、方位も時間も分からなくなってしまうのだ。


 だから、光の神イヴァンが祝福したのはこの40キロ径の空間だけなのだろう・・・エルフたちはそう納得して、狭いこの土地に隠れ暮らし続けていた。
 元々エルフたちの人口はごく少ないし、この空間の中ならば人間に怯えることもなく生きていけるのだ。それに「エルフの里」は常に初秋のようなしのぎやすい気候に保たれ、作物もふんだんに収穫できる。ここは正に、イヴァンによって守られた別天地と言ってよかった。


 「まったく、お話になりません・・・」
 エルフの神官長を守護する「光の盾」の幹部である18歳の神官モニカは、「光の盾」の本部が置かれ、「盟約の樹」と呼ばれている壮麗な建物から足早に歩み出て帰途についた。
 少々下がり気味ではあるが、大きく、ハッキリとした目に長い睫毛。形の良い鼻と唇・・・それら美しい面立ちと濃い緑色の髪は妹のアイーシャとよく似ていたが、その髪を長く伸ばして後ろに流し付け、額を広く出していることが、透けるような肌の色と相まって、妹に比べて穏和で物静かな彼女の印象を際立たせていた。


 今回の事件に対してどう対応するのか、今日も結論は出なかった。エルフの里と人間の世界をつなぐ鎮守の森で、同胞たちがもう三名も行方知れずになっているというのに!
 円満な性格で、普段は決して人と争ったりしないモニカが、いつになくイライラと呪いの言葉を口にしたのはそのためだった。


 (・・・そう、いつもだったら、私も大人しくハスデイア様に従ったかもしれない・・・でも、今度だけは・・・・・)
 ハスデイアというのは第27代、すなわち現在の神官長のことで、150歳を越える高齢のためか、最近では守りに徹した保守的な決断を下すことが多かった。そして今回も、行方不明の神官達の捜索を打ち切り、「エルフの里」を完全に人間世界から隔離しようと提言したのである。
 それに対して、平均年齢が20歳そこそこの若々しい幹部たちは激しく反発し、親衛隊の総力をあげて、未知の脅威と戦おうと進言して、互いに譲らないのであった。


 (手続きに乗っ取っていつまでも議論を尽くしていては、手遅れになってしまうかもしれない・・・)
 モニカがそう心配するのは、行方の分からない幹部の一人、マグダレナが、彼女のかけがえのない親友だったからである。
 マグダレナは由緒正しい神官の家系に生まれ、貧しい工芸職人の娘だったモニカとは全く身分が違ったけれども、家が近く、同い年だったこともあって、まるで実の姉妹のように仲むつまじく育ってきたのであった。
 そのマグダレナが、奇怪な事件に巻き込まれ、その生死も分からないのだ。それを見捨て、忘れろなどとは・・・いかに穏和なモニカであっても、素直には従えない、ハスデイア神官長の言葉であった。


 (イザとなれば、私の独断でもマグダレナを捜しに行かなければ・・・。そのためには、妹の、アイーシャの力を借りなければならないかも知れない・・・)
 心ひそかに決意を固めながら、モニカは家路を急いだ。
 神術の才能では「西の礎」の長たる自分を凌ぐかもしれない、早熟で勝ち気な妹、アイーシャ。その彼女と善後策を話し合うために・・・。


 けれどもモニカは、やがて帰り着く我が家が、ガランと人気無く静まり返っていることを知らない・・・。
 ましてや愛する妹が、愚かな独走の末に凶悪な敵の手に落ち、羞恥と屈辱の底であえいでいることなど、全く想像するすべもなかったのである・・・。


→2へ戻る

→4を読む

→最低書庫のトップへ