「ベスマ様ッ!・・・」
昏倒した姉モニカには目もくれず、今や闇の使徒と化したアイーシャは、満身を血に染めて倒れている魔女に駆け寄った。
「・・・しっかりして下さいッ、すぐにお手当を!」
「構わん。このくらい、どうって怪我じゃあない。大丈夫だ・・・」
指を切断された右手をうるさそうに振って見せ、ベスマは血だまりの中からヨロヨロと立ち上がった。
全身に及ぶ刀傷はそれぞれ相当に深く、特に鎖骨の上下に受けた傷は、その部分の肉をえぐり取って、骨を丸見えにしている。「大丈夫」どころか、普通の人間やエルフならば、失血によって死んでいるはずの深手であった。
「・・・このベスマ様は、伊達に永く生きてきたワケじゃないよ。どれも、少し眠れば塞がる程度の傷さ。・・・この指も・・・」 と、ベスマは、落とされた指の切り口を覗き込みながら、
「・・・半日もすりゃあ、元通りに生えてくるさ・・・」
事も無げに言って見せた口調が、強がりではなさそうなことに安堵したのか、アイーシャは、ややくつろいだ様子になって頭を下げた。
「も、申し訳ありません。あの意気地のない姉が、このような大胆な挙に打って出るとは、全く思いも寄りませんでした・・・」
そう言うと、怒りがぶり返したのか、正体無くうち伏しているモニカを、毒づきながら足蹴にする。
「ったく、この罰当たりめがッ!よくも、よくもベスマ様をッ!・・・」
「およしッ、アイーシャっ!」
ベスマは、今や忠実な下僕と化した、かつての神敵を厳しく制止すると、
「そいつは大切なお客様だよ。それに、たまに獲物が牙を剥いてこそ、あたしも張り合いがあるってもんさ・・・」
言いながら、ベスマは激しく傷ついた足を引きずってモニカに歩み寄り、そのふっくらとした白い顔を見下ろした。
「しかし、正直言って虚を突かれたよ。『黒界鎖』で神術を封じてあるからと、タカをくくってたんだ。・・・まさか刃物で立ち向かって来るとは思いもしなかった。だから不意を喰らっちまったんだ。・・・何百年も気合いの入ったケンカをしてないんで、あたしもヤワになっちまってたんだねェ。神術使いは神術で攻撃してくるものと、決めてかかっていたんだよ・・・」
右手に残った三本の指で、ベスマは自らの血にまみれた短刀を拾い上げ、ニヤリと笑って見せた。
「こんな刃物じゃあ、あたしを殺すことは出来ないが、心臓にでも突き立てられていたら、しばらくは動けなくなるところだった。・・・お前が丁度よく目を覚ましてくれて助かったよ、アイーシャ・・・」
「い、いいえ。しかし、ご無事で何よりでした・・・」
心底恐れ入った様子で頭を垂れているアイーシャを、ベスマは満足げに見上げ、見下ろした。
元は光の使いであったこの少女の変貌ぶりは、はらまされた暗黒の子が、順調に生育していることを示していたからである。
やがて生まれてくる御子は、百年以上の永きに渡って、この世に破壊と混沌をもたらすだろう。それこそがベスマの、そして暗黒神ネラの望む世界であり、時代であった。
「あたしは、少し眠って傷を癒す・・・」
と、ベスマは、召使いに対するような口調で言い、
「なぁに、この程度の傷ならば、夜中までには完全に治っちまうさ。・・・アイーシャ、お前はそれまで、このモニカ姉様を見張っていておくれ。もう剣など振るえんように縛り上げてね・・・」
「は、はい・・・」
アイーシャは一旦素直に頷いたが、すぐに何か邪悪な事を閃いた顔つきになり、
「あのう、差し出たことを申し上げるようですが・・・ベスマ様がお休みになる間、私が姉に『仕置き』をしてやることを、お許し下さいませんでしょうか?身の程というものを存分にわきまえさせ、二度とベスマ様に逆らったり出来ないよう、一通りの行儀を仕込んでご覧に入れますが・・・・」
「ふうん・・・」
ベスマは一瞬、相手の心根を値踏みをするように眇(すがめ)になったが、すぐに、アイーシャの全身から立ちのぼる確かな邪気を感じとって、顔をほころばせた。
「よし、頼んだよ。気の済むまで可愛がっておやり」
「ありがとうございます!」
アイーシャは心底嬉しそうな笑顔を見せ、足下のモニカを見下ろした。
「ベスマ様が私に教えて下さったよう、こいつにも、身体の内奥に淫らな欲望が満ち満ちていることを思い知らせてやります。そのためには・・・」
「ああ、分かっているよ。瓶の中の媚薬は、好きなだけ使っていい。闇の快楽を、身体の隅々にまで覚え込ませておやり。・・・ただし・・・・」
「はい、心得ております」
アイーシャは、口の端を曲げて、ベスマそっくりに邪(よこしま)な笑みを浮かべ、
「『最後のお楽しみ』は、ベスマ様がお目覚めになるまで、手つかずに取っておきます。私は、そのための下ごしらえを抜かり無く・・・」
「クククク・・・・」
ベスマもつられたように下卑た笑顔になった。
「では楽しみにしていよう。奥の部屋で休むから、夜中には起こしておくれ」
「かしこまりました」
「それから言っておくが、お前は一応、身重の身体なんだからね。その腹に入っているのは、恐れ多くも神の御子だ。滅多なことで流れたりはしないが、大事にするに越したことはないからね。そこん所をわきまえておきなよ」
「はいッ、肝に銘じます!」
足を引きずりながら室外に去るベスマを、アイーシャは深く頭を垂れて見送っていたが、やがて意識のないモニカに向き直ると、内面の凶悪さを誇示するかのように歯をむき出した。
その表情には、かつては光の聖女だったという名残のかけらも見られない。・・・アイーシャはすでに、ベスマ同様に、闇の祝福を受けた魔物であった。
「さて・・・二人で存分に愛し合おうねェ、愛しいお姉様・・・・」
獣じみた笑顔を張り付かせたまま、アイーシャは、グニャリと弛緩したモニカの豊満な身体を抱き起こす。
かつて自分も藻掻きさまよった性の地獄へ、未だ無垢な姉を引きずり込むために・・・・。
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