第4章 聖女モニカ、闇との激闘!-3 

 ヘイゼル・ダヤン・・・モニカの忠実な部下であるこのエルフの少女は、森の中にある巨大な神世杉の根方に腰を下ろし、すっかり夜の帳が降りてしまった天を、ぼんやりと仰いでいた。


 「イオーズ(永劫)」と呼ばれるこの杉の木は、この森、つまり「イヴァンの掌」が形作られた当初から、変わらずここにあったと言い伝えられる古木で、「エルフの里」へと続く神域の、いわば門柱のような役割を果たしていた。ここに立って神術を行使することにより、異世界への扉が開かれるのである。


 「モニカ様・・・」
 無意識にそう呟いて、ヘイゼルはふと我に返ったように辺りを見回した。
 昼でも薄暗い森の中は、今ではすっかり闇に沈んでいる。唯一の光源といえば、厚く組み合わさった梢の間から、ほんの僅かに漏れ落ちてくる星明かりだけだ。
 ヘイゼルは、たった今我知らずに名を呼んだモニカの命(めい)によって、ここに一人待機しているのだが、そのモニカは、もう半日近くも行方知れずであった。


 (いくら何でも遅すぎる・・・もしやモニカ様までが、あのベスマとかいう魔物の手に?・・・)
 モニカが出かけていった、悪魔との会合場所・・・・「中庭」と呼ばれているその花園は、ここから東に十五分程しか離れていなかった。
 夜とはいえ、神術によって身の回りを照らし出し、そこへたどり着いてモニカを探し求めることは出来る。しかしヘイゼルは、この場を動くことを、モニカから堅く戒められていた。


 「たとえ、どんなことがあっても・・・」
 出かける前に、そうモニカは言ったのだった。
 「たとえ、どんなことがあっても、そう・・・仮に私が帰ってこなくても、明日の昼までは、決してここを動かずに待っていて下さい。しかし一日以上音信が無いときには、それ以上待つ必要も、私を捜す必要もありません。一人速やかにエルフの里へ帰還して、ハスデイア様に一部始終を報告しなさい」
 ・・・そのモニカの言いつけを、ヘイゼルは、半分だけは堅く守るつもりであった。・・・そう、明日の昼まではここを動かないということだけは・・・。
 しかし、単独でエルフの里へ帰還するべしという命令には、全く従うつもりはなかった。なぜならそれは、敬愛するモニカが恐ろしい闇の魔物に敗れ、アイーシャ同様に惨たらしい俘囚と化すことを意味していたからだ。


 万が一、モニカが戻らなかったとき・・・ヘイゼルは、あのベスマとかいう千古の魔物を何としても独力で捜しだし、かなわぬまでも決戦を挑む覚悟であった。
 (・・・一人だけ逃げ出すなんて、絶対にイヤ。モニカ様のいないエルフの里なんて、私には何の生き甲斐も無いもの・・・)


 栗色髪のこのエルフの少女は、物静かで草花のような印象とは裏腹に、上官であるモニカに対して、まるで恋にも似た激しい思慕の念を抱いていたのである。モニカとは堅い血縁と愛情で結ばれたアイーシャに対して、軽い嫉妬を覚えるほどに・・・。
 (そう・・・モニカ様にはアイーシャ様がいるし、アイーシャ様にはモニカ様がいる。慈しみ合い、頼り合える肉親が・・・。でも、私にはモニカ様しかいないんだ・・・)


 彼女、ヘイゼルもまた、モニカ達と同様に孤児であり、血のつながった者は、もうこの世に一人もいなかった。しかも一生を神に捧げた身では、この先愛し合う異性と巡り会える道理もない。
 ヘイゼルにとって、自分の神術の才能を認め、心から信頼して側に仕えさせてくれたモニカだけが、愛情を注ぐ対象であり、この世に生きていく甲斐であった。そのモニカを見捨てることなど、出来るわけがない。


 (でも・・・)
 と、ヘイゼルは不安げに首を巡らすことをやめ、足をそろえて膝を抱え直した。
 (でも今は、モニカ様を信じよう。信じて、明日の昼まで待つんだ。モニカ様はきっとお戻りになるわ・・・)
 誰よりも敬愛するモニカが、そう誓って出かけたのだから、とヘイゼルは自分に言い聞かせることで、沸き起こってくる不安を打ち消そうとした。


 それにヘイゼルは、モニカが妹を救い出すために、尋常ならぬ覚悟を固めていることを知っていた。その「覚悟」のために、モニカは、この人間世界まで一人でやって来ることをせず、ヘイゼルをここに待機させたのだ。
 だから、あのベスマがいかに恐ろしい魔物とはいえ、モニカが一矢も報えずに敗れ去るとは思いたくなかった。


 (だから・・・)
 ヘイゼルは抱えた膝の間に顔をうずめ、軽く目を閉じた。
 (だから、今は待つんだ。再び光に満ちた昼が巡ってくるまで。モニカ様の勝利を信じて・・・・)


 身の回りの闇はいよいよその濃さを増していたが、ヘイゼルは不思議と恐ろしさを感じなかった。
 闇の中にはあのベスマが徘徊しているのかもしれなかったが、もしそうならば、モニカは敗れ去ったという事であり、モニカのいない世界には、ヘイゼルもまた生きている理由は無いのだから・・・。
 やがてヘイゼルはうつうつと眠り、モニカの夢を見た・・・。


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