第一章 悪意のるつぼ・メガトキオ-1

 「たッ、助けて下さいッ!」
 午前十時を少しまわった頃に飛び込んできた初老の男は、開口一番そう喚いて辺りを見回したが、室内の様子に気が付くと、怪訝そうな表情になって目をしばたたいた。
 そこは2LDKのマンションを利用した小綺麗なオフィスで、男のいるリビングは、エントランスから真っ直ぐ奥に入った所に位置している。


 「・・・あの、ここは・・・S・T(サルベージ・トレーディング・救出業務、及び業者のこと)を請け負ってくださる、早坂探偵事務所では?・・・」
 訝しげに男がそう尋ねたのは、そこが「探偵事務所」にはおよそ似つかわしくない風情と思えたからだろう。
 ガランとした室内には簡素な応接セットがおざなりに配されているだけで、他には書類戸棚はおろかデスクすら無い。
 部屋の南側一面はバルコニーに続くガラス戸になっており、入射する午前の陽光が、それを背にして立つ人物の身体に濃い陰影を作っていた。


 「ここは確かに早坂探偵事務所ですよ。ようこそいらっしゃいました。何かお困りですか?・・・」
 柔らかな声音で不意の客に応じたその人物こそが、男の感じた違和感の、真の大本なのかもしれなかった。
 なぜなら彼女・・・そう、その人物は女性で、しかもどう見ても未成年としか思えない、いたいけな少女だったからである。


 長めのページボーイにカットされた、艶のある漆黒の髪、化粧気のない健康的な肌の色、意志の強そうな太くハッキリとした眉、綺麗なアーモンド型の眼と黒い瞳、形の良い唇のすぐ右下に、小さく打たれたほくろ・・・。
 そんな顔の造作が渾然となって、少女は女性としての色気を存分に発散させていたが、軽い内巻きの前髪をふわりとまとめた白いヘアバンドが、彼女の印象を崩れたところのない清楚なものにしていた。


 「・・・ああ・・・そう、困っている。緊急にS・Tをお願いしたいんです。早坂先生にお取り次ぎを願いたいんですが・・・」
 どぎまぎと言葉を継ぐ男に、少女は微苦笑を浮かべて見せて、
 「このオフィスは私が借りているんです。私が早坂です。ここのオーナーなんです」
 「あなたが?」
 男は目を丸くして、未だあどけなさの残る少女の美しい顔を凝視した。  
 「あなたがやっているんですか?・・・その・・・S・Tを?」
 「こんな小娘が、と御不審なのは良く分かります。だけど私は、過去二年間に17件の救出業務を手がけ、しくじったことは一度もありません」
 言いながら少女は、男にソファに腰を降ろすよう勧め、ニッコリと微笑んだ。


 「どうか落ち着いて、事情をお話し下さい。必ずお力になれると思いますよ・・・」
 少女の名は早坂恵麻里(えまり)。早世した父の後を襲って危険な探偵業にいそしむ、18才の乙女であった。


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