| 
			  暗闇の底で、恵麻里は夢を見ていた。 
			 夢には、電話で激しい言い争いをした、あの青井慎也が現れた。 
			 彼は何も言わず、恵麻里に微笑を向けて、ただ闇に立ち尽くしていた。 
			 (何?私に何が言いたいの、慎也さん?) 
			 恵麻里は問いかけようとしたが声が出ず、身体も全く動かない。前方に朦朧と立つ慎也の笑顔が、何故かひどく悲しげなのが、彼女の胸をついた。 
			 
			 父の助手をしていたこのたくましい青年に、恵麻里はずっと、強い思慕の念を抱いてきた。それはきっと、初めて出会った、彼女が12才の頃からだ。そして慎也も、恵麻里が高校に進学する年頃からは、彼女を一人の女性として意識してくれていたように思う。 
			 それだけに、父の死後、彼があっさりと独立したことによって、恵麻里は「早坂探偵事務所」ではなく、女としての自分が彼に見捨てられたように感じ、意固地になってしまったのだ。 
			 
			 (・・・でも今、私の本当の気持ちはどうなのだろう?・・・) 
			 慎也の陽に焼けた端正な顔を見つめながら、恵麻里は考える。 
			 (私は本心から、慎也さんのことを吹っ切れているだろうか?・・・ううん、そんなはずはない・・・) 
			 ・・・そう、生まれて初めて、しかもあれ程強く焦がれた異性を、た易く忘れ去ることなど出来る道理がなかった。 
			 もし彼が電話などではなく、直接強引に会いに来てくれたら・・・そしてもし、自分のことを愛しているとでも言ってくれたら・・・。 
			 恵麻里はきっと、過去の確執も、S・Tへのこだわりも全て捨てて、彼の胸に飛び込んでしまうだろう。 
			 
			 恵麻里は、自分のその気持ちを慎也に伝えたいと思った。何処だか分からないこの暗闇の中でなら、何故か素直にそれが言えるような気がした。 
			 (慎也さん・・・) 
			 鉛のように重い唇を押し開けて、歯の隙間から何とか声を絞り出そうとしたその時・・・。 
			 「!・・・・」 
			 目の前がパッと明るくなり、恵麻里は一瞬にして現実の世界に引き戻されていた。 
			 
			 彼女は何か柔らかい物の上に仰向けに寝かされており、見上げた天井には、彼女を覚醒させたらしい照明建材が白く光っている。 
			 (・・・私・・・どうしたのかしら?・・・・) 
			 まだハッキリとしない頭を打ち振り、恵麻里は周囲を見回した。 
			 そこは二十平米程の殺風景な部屋で、鉄製らしい灰色のドアの他には窓一つ無い。 
			 インテリアも、レザー張りの大きなソファが二つ、向かい合うように並べられているだけで、恵麻里が寝かされているのはその内の一方だった。 
			 (ここは何処?それに、いつの間に眠ってしまったのかしら?・・・) 
			 
			 「目が覚めた様ね・・・」 
			 不意に呼び掛けられ、恵麻里は思わずギョッとなって、声の主の方へ首を捻り向けた。 
			 「あ・・・・」 
			 彼女の寝かされているソファの背もたれ越しに、霜の降ったグレーのジャケットを着て立っている女性が見える。 
			 クリス・宮崎だった。 
			 (!・・・・) 
			 瞬時にいきさつを思いだし、恵麻里は立ち上がって身構えようと身体をくねらせたが、見ていた夢がまだ続いているかのように、何故か全く四肢の自由が無い。 
			 「あッ!・・・」 
			 思わず自分の足下に目をやって、恵麻里はすっかり狼狽えた声を上げた。 
			 動けないのも道理、彼女の左右の足首は、革製らしい暗赤色の拘束バンドによって束ね留められていたのである!そして後ろに回された両手首も、その感触からして、恐らく同様の物で縛められているらしい・・・。 
			
			  
			 
			 「こ、これはどういうことですか、クリスさん?」 
			 叫ぶように言う恵麻里を見下ろしながら、クリスはゆっくりとソファの前に回り込み、 
			 「どういうって、つまりそういうことよ。あなたは私たちの捕虜になったの」 
			 (捕虜・・・・) 
			 そのあからさまな言葉に恵麻里は当惑した。 
			 相手が犯罪者であることは見当がついていたが、ジャーナリストを装っていた自分に、何故露骨に牙を剥いて見せたのだろう?・・・。 
			 「どうしてそんな・・・私はただ取材を・・・」 
			 「取材?・・・そう、あなたは取材に来たんだったわねェ・・・」 
			 クリスの口元がキューッと歪み、ククッという嘲りの笑いが洩れ出した。 
			 「もうお互いにお芝居はやめておきましょう。ね、S・Tの早坂恵麻里さん?」 
			 「!・・・・」 
			 愕然として、恵麻里はクリスの白い顔を凝視した。 
			 (私の正体がバレていた?一体何故?・・・) 
			 「サンクチュアリ」を訪れてから、恵麻里は無論一度も本名を名乗っていないし、ましてS・Tであると気取られるアイテムも持ってはいない。なのに何故、クリスは全てを看破していたのか?それに何時どうやって恵麻里を昏睡させ、捕縛したのだろう? 
			 
			 「色々と納得がいかないようね。いいわ、分かるように事情を説明してあげる」 
			 クリスは恵麻里の内心を見透かしたように言うと、反対側のソファに浅く腰掛けて足を組んだ。 
			 「まずあなたを捕まえたからくりは、あのエレベーターよ。あれはね、昇降ボックス全体が『仕掛け罠』になっているの・・・」 
			 そう言われて恵麻里は、クリスと共にエレベーターに乗った直後からの記憶が、全く欠落していることに気が付いた。 
			 「あのボックスの中には、針の付いた電導索を打ち出すスタンシステムが、合計六カ所に仕込まれているのよ。その一つを私が操作して、あなたの足首に打ち込んだワケ。瞬間電圧にして55000ボルトはあるから、死にはしないにしても気絶は免れないわね。・・・そうそう、あなた頭から倒れておでこを切るところだったのよ。とっさに私が抱きとめてあげたんだから感謝してね」 
			 クリスの声音は、広報担当として恵麻里に応じた時と同様朗らかだったが、その物言いはずっとくだけた、見下すような調子に変わっていた。 
			 
			 「この施設には、同じような仕掛けが至る所に設けてあるの。つまり施設全体が『召喚』のための罠と言ってもいいわね。・・・そう、あなたの睨んだ通り、『新世界準備会』はその手の組織なのよ」 
			 (何てこと!・・・相手の本性に気付いていながら、みすみすその術中に陥ってしまうなんて!・・・) 
			 うつむいて唇を噛み、恵麻里は自らの迂闊さを呪った。クリスはやや憐れむような表情になって、 
			 「まあそんなに落ち込まなくてもいいわ。あなたがS・Tとして、取り立てて間抜けだったってわけじゃないんだから。あなたの敗因は、最初から私たちに正体がバレていたという一点に尽きるわね。・・・そう、私たちは、あなたがここへ来ることを知っていたのよ。そして優れた実績を持つS・Tだということも全部ね。早坂恵麻里ちゃん・・・」 
			 
			 「ど、どうして?・・・」 
			 さすがにそれ以上身分を偽ることをあきらめ、恵麻里は敵意に満ちた目でクリスを睨み据えながら言った。 
			 「なぜ私の名前を?・・・それにS・Tだってことまで?・・・」 
			 「それは追々教えてあげるわ・・・」 
			 クリスは言い、組んでいた足を解いて立ち上がった。 
			 「わ、私をどうするつもり?」 
			 内心の動揺を悟られまいと、恵麻里はクリスを見上げて精一杯強気の声を出した。 
			 「S・Tは商売の邪魔だから、痛めつけるなり殺すなりしようってワケ?」 
			 「馬鹿ねえ。うちの組織がS・Tに邪魔立てされたってワケじゃなし、あなたに恨みなんか無いわよ」 
			 クリスは苦笑し、不意に身をかがめると、恵麻里の顎を優しく摘み持った。 
			 「う・・・」 
			 思わず身を硬くする恵麻里の耳元に唇を寄せ、クリスは囁く様な声を出す。 
			 「言ったでしょう?ここはそういう組織なのよ。あなたの様に若くて可愛い、上等の『ゲーム』をどう扱うかは決まっているじゃない・・・」 
			 
			 「ゲーム(獲物)」・・・・性の商品にするために囚われた者を指すその隠語を聞き、恵麻里の全身を、改めて激しい屈辱と、そして恐怖が貫いた。 
			 それは、S・Tとして、過去に幾多の実例・・・囚われた獲物がどれほど惨めに精神をなぶり抜かれ、肉体を過酷に責め苛まれるのか・・・をつぶさに見知ってきたからである。そして今、自分がまさにその一人として処刑に科せられようとしているのだ! 
			 
			 (い、イヤよ!よりによってS・Tの私が、こんな奴等の慰み者にされてたまるもんですか!) 
			 恵麻里はことさら激しくクリスの顔を睨み付け、自らの闘志を奮い立たせようとする。 だがしかし、一体どうやって、この窮地を脱すればよいのか? 
			 いかに合気道の有段者だとはいえ、四肢の自由を奪われた今、その力の振るいようがないではないか!・・・・ 
			
  
			
			→2を読む 
			
			→前章へ戻る 
			→最低書庫のトップへ
 
		 |