第二章 それは煉獄の扉-2

 静音・ブルックスは、「サンクチュアリ」なる施設の裏手に止めた車の中で、携帯用のデジタル端末から流れてくる音声に耳を凝らしていた。
 ややくぐもって聞こえるその話し声は、雑誌記者と偽って施設内に潜入した恵麻里と、彼女に応対するクリス・宮崎のものだ。
 静音は恵麻里のヘアバンドに仕込まれたマイクロ集音機を通して、パートナーの様子を逐一モニターしているのである。


 (随分愛想のいい応対ね。この団体は犯罪とは無関係なのかしら?・・・)
 クリスの朗らかな声を聞き、静音は訝しむ顔つきになって軽く頭を振った。後ろに撫でつけられた薄いブルネットの髪が豊かに波を打ち、陽の光を受けてキラキラと照り輝く。
 白く美しい額に引かれた幅広の眉は、しかし髪と同じ淡い色であるせいか、どことなく頼り無げな印象を受ける。
 瞳の色は明るいグレー。縁なしの眼鏡を乗せた鼻先に、ほんの薄く散りばめられた桃色のそばかすが何とも愛くるしい。


 静音のその日本人離れした麗な容姿は、全てイギリスの軍人だった父譲りのものだ。
 2022年の太平洋震災の折、静音の父は国際的な救援作業隊の一員として来日し、学生ボランティアとして被災地で働いていた日本人の母と結ばれたのである。
 しかし二人の間に静音が生まれると、父は逃げるように単身故国へ帰還し、その後音信不通になってしまった。


 一人とり残された母は静音を育てはしたが、愛そうとはしなかった。むしろ忌み遠ざけさえした。
 母にとって静音は、その容姿ゆえに、自分を裏切った不人情な他国者(よそもの)を思い起こさせるだけの、イラつく存在だったのかもしれない。
 その家庭環境は、静音を暗く塞ぎがちな少女にしたが、生来気弱で物静かな性格だった彼女は、グレることも出来ずに、鬱々と高校に通学していた。


 そんな彼女の日常に劇的な変化が訪れたのは、つい二年ほど前のことである。
 その綺羅々しい容姿が犯罪組織の目に留まるところとなり、「召喚」・・・即ち誘拐の標的にされてしまったのだ。
 学校からの帰宅途中に数名の暴漢に組み付かれ、無理矢理車に押し込まれそうになっている静音を救ったのは、偶然現場を通りかかった早坂恵麻里であった。
 当時すでに駆け出しのS・Tとして活動していた恵麻里は、見知らぬ少女の危機に素早く対応し、得意の合気道でたちまち暴漢を蹴散らしてしまったのだ。


 (そう、あの時・・・)
 デジタル端末越しに恵麻里の声を聞きながら、静音は彼女との初めての出会いにふと思いを馳せる。
 (・・・あの時の恵麻里さんは、私にとって運命の女神のような気がしたわ・・・)
 決して大袈裟ではなく、静音には恵麻里との出会いが、惨めな自分の生活を変えてくれるきっかけ・・・神の差し伸べた救いの手のように感じられたのだった。


 静音は思いきって家を飛び出し、学校も中途退学して、恵麻里の事務所に身を寄せた。そして彼女のパートナーとして、探偵業に手を染めることになったのだ。
 恵麻里にとっても、静音との出会いは、願ってもない優秀な共闘者の出現だった。
 静音は幼い頃からデジタル情報機器に深く親しんでおり、それが恵麻里の仕事を強力にサポートすることになったからだ。


 静音の役割は、大まかに言えば、恵麻里が犯罪組織に侵入する環境を整えることと、侵入後はその身辺をモニターして、緊急事態に備えることである。例えば恵麻里がクリスに渡したデジタル身分証も、静音の偽造した物なのだ。
 そして万が一恵麻里の身に危険が及ぶようなことがあれば、組織の監視装置を電子的に麻痺させてから、静音自身が組織に侵入し、恵麻里や救出目標の女性を助け出す段取りになっていた。
 ・・・もっともそんな不測の事態に陥ったことは、これまで一度もなかったが・・・。


 (・・・この組織も、今までのところ、何の危険も無さそうね・・・)
 どうやらエレベーターに乗ったらしい恵麻里達の声は、やや聞き取りにくくなったが、その朗らかな調子は相変わらずだ。
 静音はややくつろいだ表情になり、シートの上で大きく身体を反らせる。恵麻里とお揃いの緑のジャケットの胸元が、豊かすぎる女体を包みかねたかのようにピンと張り切った。
 と、その時・・・・。


 「?・・・」
 怪訝そうな顔つきになり、静音は前方を凝視した。
 10メートル程先にある「サンクチュアリ」の裏口がゆっくりと開き、中から人影が現れたのだ!
 「あ、あの娘は!・・・・」
 戸口に歩み出た、髪を短くシャギーに刈った少女に、静音は見覚えがあった。
 そう、つい先程3Dの情報映像で見せられたばかりの救出目標・・・遠山深雪という、さらわれた女子高生だ!


 「やはりここに囚われていたのね!・・・それにしても、何てひどい!・・・」
 思わず静音が呟いたのも無理はない。
 情報映像の中ではノーブルな制服姿だった少女は、今は一糸もまとわぬ全裸であった。しかも手足をそれぞれ革製の手錠で縛められ、ヨチヨチと不自由な歩みを強いられている。
 どのような仕打ちを受けていたのか、その顔は強い恐怖心で血の気を失っており、映像で見せた快活な表情は微塵も残っていなかった。


 (隙を見て、自力でここまで脱出して来たのかしら?・・・とにかく保護しないと!・・・)
 静音が車のドアを開けかけた時、少女の肩越しに、何者かの腕がスーッと突き出された! 
 「あッ!・・・」
 静音が叫ぶのと同時に、その腕は少女の首を巻くように締め上げ、弱々しく抗う少女を強引にドアの中へ引きずり戻そうとする!
 明らかに、誘拐犯たちに逃亡が露見したのだ!


 恵麻里と違って、一人で凶悪犯と渡り合ったことなど無い静音だが、躊躇している状況でないことは分かりきっていた。
 (待っていて、今助けます!・・・)
 彼女はダッシュボードからゴム弾を発射するノンリーサルガン(非殺傷銃)を抜き出すと、初弾をコックして車から走り出た!


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