「んッ・・うン・・・・」
恵麻里はようやく意識の暗闇から浮かび上がり、小さく呻きながら目をしばたたいた。
身体の下に、ヒヤリとした冷たい感触がある。
目の前には、消灯された医療用の巨大なライト。薄暗い周囲には、用途の分からない電子機器が所狭しと並べられているのが見える。
そこはやはり「サンクチュアリ」の内部であるらしかったが、さっきまで彼女がいた部屋とは明らかに違っていた。
静まり返った室内には、寝かされた恵麻里以外に人の気配はない。
「あッ!・・・・」
自分の身体の状況に気付き、恵麻里は思わず耳までを赤く染めて大きな声を上げる。
ブラジャーもパンティーも、全てを剥ぎ取られ、全裸にされていた。
彼女が寝かされているのは黒いビニールレザーに覆われた背の高い寝台で、その四隅からはガッシリとした関節付きの金具が放射状に伸びている。
要するに産婦人科医が用いる診察台と同じ構造の寝椅子で、恵麻里の四肢は四つの金具にそれぞれベルトで繋ぎ止められ、大きく開かされていた。
(よくも・・・よくもこんな!・・・・)
羞恥の部分を全くあからさまにされた惨めなポーズに、思わず悔し涙がにじむ。同時に、自分の身に加えられた悪夢のような陵辱がまざまざと思い出されてきた。
(私・・・もうバージンではないのね・・・・)
自分から決別を告げた青井慎也以外に純血を捧げたい相手がいたわけではなかったが、敵である犯罪組織に無理矢理散らされてよいはずのものでも勿論ない。恵麻里の心に、黒々とした絶望と後悔の念が渦を巻いた。
ほんの僅かな油断と慢心から、まさにミイラ取りがミイラとなってしまったのだ。
(だけど、処女を奪われただけならまだしも、性の商品として売られてゆくなんて絶対にイヤだ!何とかしてここから逃げ出さなければ!・・・)
必死に首をひねり、何か脱出の手がかりになるものはないかと周囲に目を凝らす。
「あ・・・」
思わず小さな声が出た。
周りに並んだ電子機器のいくつかには灯がともっていて、そのうちの一つに時計機能らしいデジタル表示が明滅しているのだ。
表示は「14:31」と時を刻んでいた。
(・・・私が最初に気絶させられてから、2時間と経ってはいない・・・。だけど、静音は何をしているの?もし異常を感じていたら、とっくに助けに来なければおかしい時間だわ。・・・モニター装置に故障があったのか、それとも・・・・)
静音がやむなくモニターを中断してしまったことを知らない恵麻里は、パートナーの不手際を一瞬呪う気持ちになった。そして、静音のあの気弱な性格からして、犯罪組織へ突入することに怖じ気付いたのではないかと、チラリと想像した。
親友を疑うのは気が引けたが、何しろ静音には実際に悪漢と渡り合った経験がないのだ。
そして、不可解なことは他にもあった。
そもそも恵麻里があっけなく捕虜となってしまったのは、彼女の正体が、最初から「新世界準備会」にバレていたからだ。
彼女の顔形や、そして調査に乗り込んできたS・Tであることまでも、あのクリス・宮崎には、何故か先刻承知済みだったのである。
(私の事を、この組織に密告した奴がいるんだわ。それは誰なの?一体何の目的で?・・・私に恨みを持つ者の復讐?・・・)
プライベートならともかく、仕事がらみならば、大勢から恨みを買ってもおかしくはない。恵麻里の救出業務によって美味しい商売を妨害された悪党は、それこそ何人もいるからだ。
しかしそれが具体的に誰かとなると、皆目見当もつかなかった。
今の恵麻里に分かるのは、そいつが許しがたい卑怯者であり、ここを抜け出せたあかつきには、必ず探し出して叩きのめしてやらなければならないという事だけだった。
と、その時・・・。
空気がかすかに動き、何者かが室内に入ってきたのが分かった。恵麻里は思わず、磔にされた裸身をこわばらせた。
「ほほォー、目が覚めとったのかね?・・・」
恵麻里の足下の方にあるドアを開け、室内灯を点けたのは、あのクリスではなく、白衣を着た老人であった。
(この人、確か・・・)
ボサボサの白髪を肩まで垂らしたその風貌に、恵麻里は見覚えがあった。
「ワシはアゲット。カルビン・アゲット。・・・この『サンクチュアリ』の医療顧問じゃよ」
(やっぱり、あの男だわ・・・)
施設の一階にある屋内プールで、会員達に何事か指示をしていた、(クリスによれば)科学者だという老人。・・・この男もやはり、卑劣な犯罪組織の一員だったのだ!
「こッ、こっちへ来ないでッ!」
笑顔で近づいてくるアゲットに対し、恵麻里は叫ぶように言って身をすくませる。
大股開きに固定され、女体の急所を完全にさらけ出している下半身の前に立たれることは、処女を失ったばかりの少女にとって、まさに消え入りたくなるような恥辱であった。
「何も恥ずかしがることはないさ」
アゲットはニヤリと笑い、乱杭歯ををむき出しにした。
年齢は、もう70才近くだろうか。縦横に皺の寄った顔は、遠目に見たときよりもはるかに老け込んで見える。
「こう見えてもワシは医者じゃよ。職業柄、若い娘のあられもない姿を見ても、おかしな気を起こしたりはせんのさ」
「フン、医者が聞いて呆れるわね」
油断なくアゲットを見据えたまま、恵麻里は強い口調で言った。
「人さらいを商売にしている悪党のくせに!あの勿体ぶった健康法だって、どうせ女の子をおびき寄せるためのデタラメなんでしょう!」
「とんでもない濡れ衣じゃな・・・」
と、アゲットは苦笑して、
「『アクア(水法)』は、ワシが長年かかって組み立てた、正真正銘の健康法じゃ。只のデタラメに、あれほど人が集まるわけがないじゃろう?それにワシは、別に金が欲しくて『召喚』稼業に手を貸しとるわけじゃない。要するに、学問的探求心というやつからなんじゃよ・・・」
「何のことだか分からないわね」
恵麻里は言い募った。
「女性を拐かして、性の商品に仕立てているのは事実じゃない!それも非合法の麻薬まで使って!」
「ワシ自身は、薬にも興味は無いよ」
言いながらアゲットは、寝かされた恵麻里の顔のそばに立った。
「まあ、そう硬くなりなさんな。あのクリスに相当意地悪く責められたようだから、警戒したくなる気持ちは分かるがね・・・」
「・・・・・」
「あの女は全くイカれたサディストでな。他人をネチネチと虐めている時だけが幸せなんじゃ。だからこの商売は、あれにとっては趣味と実益を兼ねとるわけじゃよ。・・・まあワシも、別の意味でそうじゃがな・・・」
「別の意味?・・・」
「言ったじゃろう?ワシはお前さん達『ゲーム(獲物)』に、医者としての興味しかない。何しろワシは、こっちの方がてんでダメでな・・・」
心持ち照れ臭そうに言いながら、アゲットは白衣の上から股間を押さえつけてみせた。
「年齢のせいというわけじゃない。原因は分からんが、若い時分からそうなんじゃ。だから仮にお前さん達にイタズラをしようとしても出来ないってわけさ・・・」
「そ、それならなおさら・・・」
恵麻里はそれまでの敵愾心に凝り固まった表情を引っ込め、すがるような声音で言った。
「この縛めを解いて、私に着る物をちょうだい。それに出来ることなら、ここから私を逃がして。もうこの組織には関わらないと約束するから・・・」
無論恵麻里とて、そんな虫の良い懇願が直ちに聞き入れられると期待したわけではない。しかし、あの一片の人情も持ち合わせていないようなクリスに比べ、この老医師には、ダメもとでも許しを乞うてみる気にさせる、物腰の柔らかさが感じられたのだ。犯罪者にこう言うのもおかしな話だが、何となく「話せば分かる」ような気がしたのである。しかし・・・。
「バカなことを言っちゃイカンよ、お嬢ちゃん」
恵麻里のはかない期待をあざ笑うかのように、アゲット医師は言った。
「勘違いをされちゃ困るね。そりゃことさらに手ひどく扱うつもりはないが、あんたが我が組織の『獲物』であることには違いないんじゃよ。そしてワシの仕事は、その『獲物』を立派な商品に加工することなんじゃ。その作業こそが、医者としてのワシの楽しみなんじゃよ」
「こ、これ以上、私に何をする気なの?」
アゲットの意味不明な物言いに、恵麻里は不安げに身じろぎをした。
「何をする?いや、ワシの仕事はもう終わった後じゃよ。ワシはその仕事の仕上がり具合を確認しに来たんじゃ」
「な、何ですって?」
意表を突かれ、すっかり狼狽えた声で恵麻里は叫んだ。
彼女が最後に意識を失ってから、まだ一時間少々が過ぎたばかりのはずだ。そんな僅かな間に、この老人は恵麻里に何をしたというのか?
自ら不能者だと明かしているのだから、陵辱をされたのではなさそうだ。ではしかし、何を?・・・・
「フォフォ・・・医者のワシがやることといえば見当がつくじゃろうが・・・」
恵麻里の内心の疑問と不安を見透かしたかのように、アゲットは笑い声を立てた。
「オペ(手術)じゃよ。お前さんの身体に、十分程で済む、チョイとしたオペを施させてもらったんじゃ」
「お、オペって?・・・」
仰天し、恵麻里は自らの縛められた身体を眺め降ろした。しかし輝くような裸身には、一見したところ、傷ついたり出血したりしている部位は見当たらない。
「心配せんでも、お前さんの身体を切り刻んだりする類(たぐい)の手術ではないよ。大事な売り物にいらぬ傷を付けるわけがないじゃろうが」
「わ、私に何をしたのよッ?」
恵麻里の声がヒステリックに跳ね上がる。正体不明の恐怖感が、じわじわと心中にこみ上げてきつつあった。
「フォフォ・・・お前さんの身体には、ミクロスケールでメスを入れさせてもらった。痛くもなければ、血も出やせんわい。もっとも、身体を動かされたりしては困るから、下半身だけは完全に麻酔させてもらったがね・・・」
そう言われて恵麻里は、自分の身体に起こっている異常に、初めて気がついた。
腰から下に全く感覚が無く、両脚は指一本にいたるまでピクリとも動かせない。
四肢を繋ぎ止められているための不自由だとばかり思っていたが、実際は薬によって神経が麻痺させられていたのだ。どうりで破瓜の疼痛が微塵も残っていないはずであった。
「麻酔はごく短時間用のものじゃから、もうじきに覚めるよ。その頃合をみて、こうしてやって来たんじゃ。同時に手術の効果も、そろそろてきめんに現れてくるはずじゃからのォ。フォーッ、フォフォフォフォ・・・・」
身体を揺すって不気味な笑い声を立て始めた老医師を、恵麻里は言葉もなく、恐怖に凍り付いた面もちで凝視した。
彼の濁った瞳の奥で、次第にその輝きを強くしつつあるもの・・・。
それはまぎれもなく、理性の歯止めを完全に失った、狂気そのものの色だったからである・・・。
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