第六章 慟哭・裏切りの黄昏・・・2

 いかなる方法でか、恵麻里たちの経歴を綿密に調べ上げていたらしいクリスは、恵麻里が三枝瑠璃花と親しい間柄であることも承知済みだった。つまり恵麻里ならば怪しまれずに瑠璃花に近づき、苦もなく彼女を拉致できることも当然計算されていたのである。
 どうやらクリス達は、性の商品とする目的で、以前から瑠璃花に目を付けていたらしい。そこで罠に掛かった恵麻里を、すかさず新たな誘拐に利用することを思い付いたのだろう。
 S・Tである自分が召喚犯罪に手を貸すなど、これ以上は無い恥であり、屈辱である。しかし相棒の静音を人質に取られ、自らの肉体も無惨に改造されてしまった今、恵麻里には大人しく敵の言いなりになる以外、選択の余地は無かったのだ。


 「ここで立ち話も何だから、どこかでお茶をしましょう?私、車で来ているから、どうぞ乗ってちょうだい」
 そう瑠璃花に言って、恵麻里は通りの反対側を指差した。
 なるほど、見覚えのある恵麻里の青いハイブリッドカーが停車しているのが見える。
 (どうしよう・・・・)
 父との約束にチラリと考えを巡らせ、瑠璃花は一瞬ためらう気持ちになった。しかし考えてみれば、ここで待ち続けても父が確実に現れるという保証はないのだ。だとすると、久しぶりに訪ねてくれた恵麻里とこのまま出かけてしまうのも、悪くない選択には違いない。


 「分かりましたわ」
 思い切りよくそう言って、瑠璃花は手にした鞄から自分用の携帯端末を取り出した。
 「でもその前に、ちょっと電話をさせて下さい」
 「あら、先約があったの?だったら悪かったわ・・・」
 「いえ、そんな大げさなのじゃないんです。でも一応、お父様に断っておかないと・・・」
 言いながら、瑠璃花が父の呼び出しコードをプッシュしかけた時、大通りを左から走ってきたアイボリー色の高級乗用車が、恵麻里の車のすぐ後ろに停車するのが見えた。
 「あ・・・・」
 恵麻里が小さく声を上げた。
 車から降り立ったのは五十年輩の格幅の良い紳士で、グレンチェックのザックリしたジャケットを羽織り、度の強そうな鼈甲ぶちの眼鏡をかけている。
 彼は恵麻里が小さな頃から肉親同様に慕ってきた亡父の友人・・・つまりは瑠璃花の現在の継父、三枝祐太朗その人だった。


 「お父様っ!」
 弾むような声で呼びかけた瑠璃花に、祐太朗も笑顔で手を挙げて応えながら横断歩道を渡ってきたが、校門の間近まで来てギョッとした様子で立ち止まった。
 「やあ恵麻里じゃないか。久しぶりだね。・・・今日はどうしてこんな所へ?」
 朗らかな表情のまま、しかし怪しむような目つきになって、祐太朗は恵麻里を眺めた。
 「こんにちは叔父様。あの、ちょっと、瑠璃花ちゃんに用事があって・・・」
 思いがけない祐太朗の出現に、恵麻里はどぎまぎとしながら言葉を継ぐ。彼が、恵麻里のいつもと違う下卑た装いに不審の念を抱いているのは明らかだった。
 むろん恵麻里とて、自ら望んでこんな格好をしているわけではない。
 はぎ取られた服を返してくれるよう、懸命にクリスに懇願したのだが許されず、代わりにこの淫らなワンピースを与えられたのだ。
 顔見知りの前に下品な姿をさらすことによって、更なる恥辱を恵麻里に味あわせようという、クリスのサディスティックな企みであった。


 「お父様、恵麻里様は今、お仕事でちょっと変装をなさっているのですって」
 継父の不審そうな視線に気が付いた瑠璃花がその場を取りなすように言ってくれたが、祐太朗は納得していない様子で、
 「変装というと、盛り場で張り込みでもするのかね?」
 「は、はい。調査対象の女性が風俗店に勤めていますので・・・」
 「・・・ふうむ、仕事熱心なのは結構だが、その格好で街をうろつくのは感心しないな。ちょっと扇情的すぎて、余計なトラブルに巻き込まれないとも限らないぞ」
 「・・・・」
 「それに、あまり効果的な変装だとは思えん。服装がふしだらなだけで、化粧っ気の無いお前の顔には全く似合っていないよ。それではすぐに怪しいと見破られてしまう」
 「はい、気を付けます・・・・」
 うなだれ、顔から火の出るような思いで、恵麻里は祐太朗の言葉を聞いた。


 彼の厳しい態度は、同業者としての忠告というより、自分が恵麻里の父親代わりだという自負、つまりは愛情故のものだろう。しかし恵麻里は、もうその愛情に応えられないばかりか、彼を裏切り、その愛娘を毒牙にかけようとしているのだ。
 (ごめんなさい叔父様!・・・私もう、叔父様に顔向け出来ないことになってしまったの!・・・・)
 心中で悲痛な声を上げながら、恵麻里はミニの裾を固く握り、僅かでも下へ引き下げようとする。かすかに覗いている薄紫色をしたパンティーも、クリスに無理やり身に着けさせられたものである。面積の小さい、下品なデザインのそれを、少しでも祐太朗の目から覆い隠したかった。


 「ところで・・・」
 と祐太朗はようやく柔和な口調に戻って、
 「私は今晩、瑠璃花と食事の約束をしていたんだが、恵麻里も一緒にどうかね?・・・この娘に何の用事があったのか、食事をしながら私にも聞かせてもらえんか?」
 「はあ、それは・・・・」
 恵麻里は思わず口ごもった。
 祐太朗に同行されては、瑠璃花を拐かすチャンスは皆無になってしまう。それに何より、ゆっくりと食事をする時間などはなかった。


 現在恵麻里の肉体は、先程までの淫靡な感覚がまるでウソのようになりを潜めていて、歩くのにも何の不自由もない。それは、埋め込まれたバイオチップを一時的に不活性化する薬をアゲット医師に処方してもらったからだ。
 しかしその効果は約二時間弱と限られていて、「サンクチュアリ」を出た時間から考えると、残された猶予はもう一時間程しか無いはずだった。
 もしも食事の最中に薬の効果が切れたりしたら、恵麻里は衆人監視の中であられもない痴態をさらすことになってしまう。そうなればとても瑠璃花をさらうどころではない。
 では、今ここで祐太朗に全てを打ち明け、救いを求めてはどうか?彼は名うてのS・Tだし、恵麻里よりもはるかに修羅場をくぐっている。この窮状を打破するのに、これ以上はない味方になってくれるだろう。
 ・・・いや、それも出来ない相談だった。
 恵麻里は「サンクチュアリ」から出される時、クリスから、この先自分には絶えず監視が付き、少しでも不審な行動をとれば静音の無事は保証できないと脅されていたからだ。
 今は周囲に見張り役らしい人影は見えず、クリスの言ったことが真実なのかハッタリなのかは分からない。しかしハッタリでなかったとしたら、静音は確実に廃人にされてしまうのだ。そんな危険な賭けを打つ勇気は、今の恵麻里にはとても湧いてこなかった。


 「お父様、恵麻里様には私がお願いして来ていただいたんです。二人きりでお話ししたい事があったので・・・」
 唐突に、思いもかけない言葉を挟んできた瑠璃花を、恵麻里はエッという顔になって振り返った。
 祐太朗も意外そうな表情になり、
 「おいおい瑠璃花、お前、今日は外で一緒に食事をする予定を承知していたはずだろ?私をスッぽかすつもりだったのかい?」
 「ごめんなさい、急に困ったことが出来たもので・・・。恵麻里様と女同士の相談がしたいと思って・・・」
 言い訳をしながら、瑠璃花は恵麻里に向かって軽く片目を閉じてみせた。
 「一緒に食事を」という父の提案に何故か困惑している様子の恵麻里を見て、事情は分からないが瑠璃花なりに気を利かせたつもりなのだろう。
 そんな心根の優しい少女を、自分は今から地獄に突き落とさなければならない・・・。恵麻里の心は激しい自責の念で張り裂けんばかりだった。


 「ふうむ・・・」
 祐太朗は二人の少女の顔を見比べるように眺めていたが、不意に思いついた顔になり、
 「その『相談』というのは、いわゆる『恋の悩み』ってヤツじゃないだろうね?・・・瑠璃花も年齢相応に色気付いてきたのかな?」
 「イヤですわお父様。そんなんじゃありません!」
 「ハッハッハ!・・・分かった分かった。何でも大いに相談してきなさい。二人きりでね」
 ふくれっ面になってブレザーの胸を反らせた瑠璃花に、祐太朗もついに破顔し、大きな笑い声を立てた。
 「年寄りは退散するよ。今日は母さんも婦人会の旅行で家にいないから、私はにわかやもめってワケだな。せいぜい一人、孤独を楽しむさ」
 「ごめんなさい、お父様・・・」
 「いいんだよ、食事はまた今度にしよう。しかし帰宅が遅くなるようなら、必ず家に電話をするんだよ。・・・それじゃあ恵麻里、瑠璃花を頼む」
 「ハイ。済みません、叔父様・・・」
 苦笑しながら横断歩道を引き返していく祐太朗に、恵麻里は深く頭を下げようとしたが、出来なかった。
 いつの間にか目の縁一杯に盛り上がってきた涙が、下を向いた途端、一気にこぼれ落ちてしまいそうだったからである・・・・。


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