第七章 それぞれの黄泉路・・・

 「静音ッ、静音ぇーッ!!」
 金切り声に近い恵麻里の絶叫が響き渡る。
 そう、カプセル様の円筒には、彼女のパートナーにして無二の親友、5日前に別れたきりの静音・ブルックスが閉じ込められていたのだ!
 もちろん、そのことだけで恵麻里がかように錯乱する道理はない。彼女が衝撃を受けたのは、友がその身体に受けている、あまりにも凄惨な仕打ち故だった。


 円筒内の溶液中に全裸でうつ伏せに浮かんだ静音は、目を閉じた頭をガックリと下に垂れ、逆に四肢は背中側へ吊られるようにして上に向けている。問題はその手足だ。・・・4本とも、半ばから先がスッパリと無くなっている!!
 腕は肘と肩の中間付近、足はヒザのすぐ上で(恐らくは外科的に)切り落とされ、切断面には金属製らしい銀色のキャップが被せられている。キャップからはそれぞれに太い鎖が伸び、それが円筒の頂部へひとまとまりに接続されていた。
 美しいハーフの少女は、その手足を永遠に奪われた状態で、カプセル内に標本されていたのだ!!


 しかるにそんな身体にされていても、静音は死んでいるわけではなく、息のあることがすぐに見て取れた。
 そのあまりに豊かすぎる乳房から下腹にかけての肉が呼吸のために規則正しく波打っているし、閉じられた瞼から美しく反り出している睫毛は、時折ピクピクと引きつれたように震えている。
 口は両側からコの字型の金具らしいもので閉じられないよう固定され、こじ割られたその紅唇とほぼ同径のパイプが深々と挿入されていた。
 パイプは透明で、鮮やかな青色をした薬液らしいものが内部を送られているのが分かる。薬液が微かに泡を含んでいるのは、あるいは呼吸のための酸素を運んでいるのかもしれない。
 径はずっと細いが似たようなパイプは円筒内に多数浮いていて、それらは先端に注射針様のアタッチメントが付いており、静音の裸身の胸と言わず腹と言わず無造作に突き立てられていた。いずれのパイプもカプセル下部の金属ユニットから水中花のように生え伸びていて、薬液はそこから供給されているらしい。
 「生きている」とは言え、静音のその様は、人間としての尊厳を毫も顧みられていない、まさに実験動物そのものの惨たらしさであった。


 「な・・んて・・・何て・・ことを・・・・」
 ひとしきりのパニックめいた悲鳴をようやく収めた恵麻里は、つぶれた声でそう呻くと、次の瞬間再び半狂乱になってクリスに食ってかかった。
 「このケダモノっ!あなたたちは気が狂ってるわッ!・・・よくも静音を、こんな、こんな・・・・畜生ッ、殺してやる!絶対に殺してやるからッ!!」
 叫びながら、我知らずに涙があふれてくる。
 「サンクチュアリ」に監禁されてからの5日間、散々に陵辱を受けたとは言え、それでもまだ脱出の望みを完全に捨てきったわけではなかった。しかし親友をこんな姿にまでされては、もうどうやってもまともな世界に帰還が可能だとは思えない。
 怒りと絶望がどす黒く胸を燃やし、恵麻里は刷り込まれたクリスへの恐怖心を忘れて、激しい呪詛の言葉を吐き出し続けた。


 「ウフフフフフ、これは傑作ねェ」
 恵麻里の激昂ぶりをキョトンとした表情で眺めていたクリスは、ややあって不意にニヤニヤ笑いを浮かべると言った。
 「何をそうカリカリする必要があるの?これは夢よ。あなたがチープだと言った仮想世界の中なのよ」
 そう言われて恵麻里は虚を突かれた表情になった。見せられた光景のショッキングさに、一瞬ではあるが完全にサキュバスのことを忘れていたのだ。
 「夢の出来事でいちいち泣いたり怒ったりなんてナンセンスでしょ?それにお楽しみは、これからやっと始まるのよ」
 クリスは言うと、円筒の表面を平手でパンパンと打ち据える。その振動を感じ取ったのか、液内に吊られた静音は、伏せた長い睫毛をノロノロと持ち上げた。
 淡い灰色の瞳はしばしボンヤリと焦点を結ばずにいたが、やがてのこと揃って前を向き、ちょうど正対する位置の壁に縛められている恵麻里と視線を交差させる。
 「!・・・・・」
 静音の顔がみるみる歪み、残酷に処刑されてしまった身体を恥じ入るような、また何か赦しを乞うているようにも見える複雑な表情が浮かんだ。彼女の意識はクリアーで、恵麻里のことも瞬時に認識したらしい。


 「目が覚めた?静音ちゃん」
 クリスが再び円筒の表面を打って呼びかける。静音がビクッとした様子で顔をそちらに振り向け、その表情が、今度は恐怖心によってか激しくこわばるのが分かった。
 「夢の中で『目が覚めた』ってのも妙だけれどね。でも私たちは仮想空間の『キャラクター』なんだから、ストーリーに影響しない部分では、可能な限り人間同様に振る舞うようプログラムされているの。寝もすれば食べもする。したくなったら排泄もセックスもするわ。分かる?」
 言いながらクリスは恵麻里に向き直って、
 「要するに、私たちキャラクターはこの世界で実際に暮らしてるってことよ。恵麻里ちゃんがここに来る前からね」
 「・・・・・・」
 「今静音ちゃんが私のことを怖がってるのは、もちろんそうプログラムされているからでもあるけど、それだけじゃなくて、この世界で私やアゲットから受けた仕打ちを覚えているからよ。ここにも時間の流れがあって、その中で静音ちゃんは、腕を切られ、足を切られ、こんなダルマみたいな格好にされちゃった記憶をちゃんと持ってるの。他にも色々と可愛がってあげたけど、その記憶もね。例えば・・・」
 クリスは脇にあるロッカーを開け、中からペットボトル大のガラス容器を取り出した。容器は上部で栓をされていて、何か薄緑色をした液体が一杯に詰まっている。


 「これが分かるでしょ、静音ちゃん?」
 容器でコツコツと円筒の表面を叩き、クリスは言った。
 「あなたの大好きなお薬よ。ようやく主役の恵麻里ちゃんもやって来たことだし、パーティー開始の乾杯代わりにたっぷり飲ませてあげるわ」
 静音の瞳がキュッと縮んだようになり、強い恐れの色が黒々と表情を隈取る。不自由な身体を可能なだけ大きくよじって、必死に拒絶の意を示そうとしているのが分かった。
 「し、静音に何をするつもり?それは何の薬なのッ?」
 恵麻里が噛み付くような調子で問いかける。そうせずにはいられなかった。
 静音の様子はどう見てもただごとではない。彼女は明らかに、これから何か恐ろしい呵責が加えられることを知っているのだ。


 「これが何かですって?」
 クリスは容器をチャプリと振って見せ、
 「あなたもイヤと言うほど知ってるでしょう?至福にいざなう天使の薬、ゾニアンよ」
 「なッ・・・」
 愕然として、恵麻里はガラス容器を凝視した。
 ゾニアンには散々に地獄を味合わされたが、こんなに大量のそれは見たことがない。親指大ほどのアンプルに詰められているのが常で、しかも実際投与される量はそのうちの数滴分に過ぎないからだ。
 「ゴージャスでしょ?現実世界でこれだけの量のゾニアンを用意しようとすれば億の単位のお金がいるけど、ここでは使い放題ってワケ・・・」
 クリスは恵麻里の驚愕を見透かしたように言い、静音の入れられた円筒の基部にかがみ込んだ。
 底蓋に当たるその金属パーツからは別の小さな円筒が斜めに50センチほど生えだしていて、頂部にはヒンジ式のキャップが付いている。クリスはそれを開けると、中空になったその中に、ガラス容器のゾニアンを残らずドボドボと注ぎ込んでしまった。


 「さあ、存分に味わいなさい」
 ニヤリと笑ってクリスが立ち上がる。異様な雰囲気に、恵麻里が思わず制止の声を上げようとするより一息早く、魔女は靴の底で小円筒の頂部をグッと踏み付けていた。
 シリンダー状の仕組みになっているのか、それが丈の半ばほど基部に沈み込むやいなや、静音の沈められているオレンジ色の溶液内に、ゾニアンの薄緑色が下から雲のようにワッと広がっていく!小円筒は、外部から薬液を送り込むためのポンプだったのだ。
 「・・・・・・!!」
 分厚い樹脂ごしなのでくぐもってはいたが、恵麻里は静音の発した「キイッ」という金切り声を確かに感じ取った。
 小さな齧歯類が鷹の爪にかかった時のように、あからさまな断末魔を思わせるそれは、カプセルを八方に突き抜けて部屋中の空気を震わせる。同時に静音は、手足を失った豊満な裸身を、信じられないほどダイナミックに躍らせもがき始めた!


 「クァァッ!ギッ!ひキィィィィィーッ!!」
 思わず耳を塞ぎたくなる、もはや悲鳴とも言えない、何か動物的な叫喚が、パイプを挿入された少女の紅唇から絶え間なく噴きこぼれる。激しく振られる頭の動きにつれ、長く柔らかな髪が銀色の海草のように揺らめき躍った。 
 その無様な狂態も無理からぬことだ。
 一滴投与されただけでも全身を官能のみに支配されてしまう劇薬なのに、それをあろうことかボトル一本分も注がれては!
 皮下注射をされる場合よりも効果は減じるかもしれないが、その圧倒的な量ゆえ、想像も出来ない異常な官能が静音を責め苛んでいるはずだった。少なくとも快感とは程遠い、正気を完全に打ち砕く、耐え難い苦しみと言って良い感覚のはずだ。


 「止めてッ!静音をそこから出してやって!これじゃ死んじゃうわッ!」
 壁に張り付けられたまま悲痛な声を上げる恵麻里に、クリスは相変わらずの嘲笑を浮かべたまま、
 「馬鹿ねェ、さっきも言ったでしょ?これは夢なのよ」
 「そんなこと関係ない!こんなの見てられないわッ!」
 恵麻里は言い募った。親友の悶絶する様を、例え現実でないにしても正視などとても出来ないし、そもそもこれがサキュバスによる仮想世界だという確証があるわけでもない。もしもここが現実世界であったなら、静音は実際に命を落としかねないのだ!


 「見たくないったって見てもらわないと困るわね。あなたがこのパーティーの主賓なんだから」
 クリスはフンと鼻を鳴らした。
 「大丈夫、静音ちゃんは死なないし、現実世界でのように『砕けて』しまうこともないわ。一時的に正気を失うことはあるけど、すぐに回復する。・・・まあ本人にとっては、死ねないことがかえって辛いかもしれないけどね」
 クリスはロッカーから更にガラス容器を取り出し、中のゾニアンをシリンダーに注ぎ込む。それが円筒中に噴射されると、静音の身もがく様は一層狂気じみた激しさに変わった。
 手足を失った人間にどうしてそんな運動が可能なのかと思えるほど、豊かな裸身が溶液中を泡立たせながら上下する。 
 かけられたままの眼鏡の奥で、元々大きな目が皿のように見開かれ、縮みきった瞳を裏返る寸前にまで上に寄せているのが凄惨かつ哀れであった。
 まるでそれは、飼われている水槽中にニコチンを落とされ、逃げ場もなく悶絶、絶息していくだけの熱帯魚を思わせる。美しい極彩色の魚体がやがて動かなくなり、冷たい死の灰色へと変わっていく様子が、強烈なリアリティを伴って恵麻里の脳裏にフラッシュした。

 「やめてよ・・・もう、やめてあげて・・・・」
 あまりの残酷さに打ちのめされ、次第に弱々しい、嗚咽混じりの哀訴を繰り返すだけになっていく恵麻里に、クリスはせせら笑うような声音で言った。
 「あなたもそろそろ、ノンキにお友達の心配ばかりしている場合じゃないでしょう?さっき私が言ったことを忘れたの?」
 「え?・・・・」
 壁に張り付けられたまま、恵麻里は涙にふくれた目を上げた。繰り広げられる狂気じみた光景の連続に、頭がぼうっとし始めている。


 「さんざ恐ろしい目に遭わせて、心底屈服させてやると予告したはずよ。夢の世界ならではの拷問を加えてやるって。ゲストキャラに過ぎない静音ちゃんじゃなくて、主賓である恵麻里ちゃん、あなたの体と精神にね」
 「・・・・・・」
 「それともう一つ・・・」
 言いながらクリスは、円筒の表面を撫でさすった。
 「こうも言ったはずよね。この中に入っているのはあなたの『運命』だって。夢の中であなたがどうなるかという『運命』だとね。つまり・・・」
 円筒の中では、精神の堪えられる限界を官能(と呼ぶべきなのか)が超えたのだろう、静音が身もがくのを止めてグニャリと吊られるままになり、その全身をピクピクと痙攣させ始めている。
 完全に裏返った白目の周囲では、あふれ出た大量の涙によってか、溶液のオレンジ色がやや薄く透き通り、小さく渦を巻いていた。
 脆くも死にかけている、親友のその哀れな様を見るうち、唐突にクリスの言葉の意味が理解され、恵麻里はハッと表情をこわばらせた。


 「ま、まさか・・・」
 「フン、ようやく気が付いたの?」
 クリスはニッと歯をむき出し、
 「そう、あなたも静音ちゃんと同じ、手足のない格好にしてあげるわ。やっぱりあんなふうにカプセルに入れて、たっぷりゾニアン漬けにしてあげる。2人仲良く至福を味わうと良いわ」
 「い、イヤッ、そんなこと!」
 引きつった形相で叫び、恵麻里は後じさろうとするかのように身を揺すった。しかし背後にあるのは固い壁であり、それに留められた手足は無論自由にならない。


 「おやおや、ここを『チープな仮想世界』だなんてほざいていた、さっきまでの威勢はどうしたの?」
 相変わらずのイヤミな口調で言いながら、クリスは再び近寄ってきた。
 「馬鹿な娘。チープで安直なのが、かえって恐ろしいってこともあるのよ。現実世界では、やたらと商品を切り刻んだりは出来ないけど、ここでは何でもやりたい放題だものね・・・アゲット、麻酔をちょうだい」
 クリスはそう言って老医師から豆注射器を受け取り、それを無造作に恵麻里の左乳房へ突き立てた!
 「あッ!・・・」
 短い悲鳴と共に恵麻里は上体を藻掻いたが、それが出来たのはほんの一瞬だった。
 驚くほど急速に首から下の感覚が奪われ、手足がグニャリとテンションを失う。壁にベルトで留められていなければ、その場にくずおれたまま立ち上がれなかっただろう。まるで信じられないという面持ちで、恵麻里は自由にならなくなった我が身を見下ろした。


 「よく効く麻酔でしょ?」
 クリスは空になった注射器を床に投げ捨てて言った。
 「仮想の中では麻酔の必要なんかないと思うかもしれないけど、実はそうでもないの。ここでは痛みだってキチンとシミュレートされるから、あまりに苦痛が過ぎると、使用者の精神に回復不能のダメージを与えてしまう。つまり気が狂ってしまうわけ」
 「・・・・・」
 「使用者ってのは、今の場合つまりあなたのことね。向こうで目を回してる静音ちゃんは単なるキャラクターだけど、あなたには人間としての実体があり、しかも加工途中の大切な商品。いたずらにブッ壊すわけにはいかないから、麻酔という具体的な情報で、痛みをブロックする暗示をかけておかなきゃならないのよ」
 言いながらクリスは,麻酔を打たれた恵麻里の乳房をなで回す。
 バイオチップの効果で、いつもならばその愛撫だけで達してしまってもおかしくなかったが、今はまるで他人の身体を触られているかのように何も感じない。
 「効果バッチリのようね」
 確認するように言うと、クリスはやや左へ移動して、後ろに立っていた老医師に場所を譲った。


 アゲットはいつの間にか、その右手に奇妙な棒状の器具を携えていた。
 手元の握りと、その50センチほど前方にある先端部だけが太い円筒形で、その間は細い針金のような部品で接続されている。ちょっと見には、まるで両側がふくらんだドラムバチのようだ。
 「これが何か知っとるかね?」
 器具をチョイと持ち上げて、アゲットは言った。
 「携帯用のレーザー切断機じゃよ。これでお嬢ちゃんの手足をスッパリ切り落としちまおうってワケじゃ」
 恐ろしいことを平然と言い放つアゲットに、恵麻里は紙のような顔色になりながら金切り声を上げた。
 「い、イヤよッ!ヤダっ!そんなのやめてッ!」
 「そう怖がらんでも、切るのは一瞬で済むし、麻酔が効いとるから痛くはないよ。」
 はぐらかすように言って、アゲットは壁に留められた恵麻里の左腕の前に切断機をかざす。

 「こいつはそもそも検死解剖の時に頭蓋を開いたりするためのトーチでな、外科手術に使ったりという乱暴なことはしないんじゃが、まあここは仮想の世界じゃからね。あまりリアリティにこだわるよりも、手っ取り早く済んだ方が良いからのう」
 「イヤいやッ!お願いだから止めさせてッ!」
 恵麻里は今度はクリスに向かって叫んだが、当然に聞き入れられるわけもない。
 「何べん言わせるのよ。夢なんだからビビる必要はないでしょ?目を覚ませば、切られた手足は元通りよ。・・・まあ、目が覚めるって保証なんかどこにもないけれどね」
 ゾッとするようなニヤニヤ笑いを浮かべる魔女に、無駄と知りながら恵麻里がもう一度赦し(ゆるし)を乞おうとしたとき、ジャッという擦過音が起こって激しく左の耳朶を打った。
 そちらを見上げると、アゲットの持ったレーザー切断機が強く発光して壁に押し当てられており、その部分から青い煙が上がっている。
 壁の前には恵麻里の二の腕が留められていて、つまりレーザー光はそれを綺麗に両断してしまっていた。切断面の筋は赤黒く焼けて収縮し、血はほとんど出ていない。


 「!!!!!!!!!!!!!」
 辺り中の空気を切り裂くような凄まじい異音が響き渡り、それが自分の発している悲鳴だと気が付いたときには、恵麻里は血走った両目を飛び出しそうに見開き、背後の壁にぶつかるのも構わず、頭を狂気じみた勢いで前後に振っていた。
 「ああ、ああああ、あひィギャアアアアアアア!!!!」
 冷静にならなければと頭の隅では分かっているのだが、ワケの分からない叫喚があふれ出るのを押さえることが出来ない。
 これがつい数日前まで、凛とした理知的な物腰で、危険な潜入任務をこなしていた少女探偵と同一人であろうか。今の恵麻里は、我が身に加えられた呵責のショッキングさに全く対応できず、パニックから脱することも出来ない、無様で無力な小娘に過ぎなかった。
 しかし無理もない。
 アゲットの言ったとおりに痛みは全く感じなかったが、自分の腕が切断されるのを目の当たりに見て、一瞬でも正気を失いかけない人間がいるであろうか。例えそれが仮想の中であってもだ。


 「フン、サキュバスの恐ろしさを少しは思い知ったかしら?」
 腰に手をやって超然と立ち、クリスは舌なめずりをしそうな声音で言った。
 「でも拷問はまだ始まったばかりよ。静音ちゃんとお揃いの身体になるまでは、あと3本、邪魔っけなものをチョン切ってあげないとね。アゲット、続けてちょうだい」
 魔女にうながされて、老医師が再び切断機のパワーを入れる。2つのドラム状部品が輝くラインで結ばれ、涙と洟(はな)でドロドロに薄汚れた恵麻里の顔を強く照らし出した。
 「ああう・・ひはいァ・・・おェへェエエエエエエ・・・・」
 何らかの哀訴なのか、意味不明の声を上げて弱々しくかぶりを振る少女に、ハイテクの凶器が容赦なく第2撃を振るう。
 ジャァーッ!
 禍々しい擦過音と共に、レーザー光が今度は左の太股へと食い込み、新たな切断面を作り出すのを最後に見て、恵麻里の意識はスーッと闇に飲み込まれてしまった・・・。

*****


 「全く・・・・・ったら・・・・」
 遠くでワンワンと壁に反響しているような、聞き取りにくい声が聞こえる。
 無意識に耳を澄まそうとして、恵麻里は自分の顔が激しく揺さぶられていることに気が付き、ハッと意識を取り戻した。
 「ひッ!・・・」
 目を開いた途端、クリスの顔が覆いかぶさるようにして眼前にあることに驚き、思わずノドが怯えた音を立てる。頭を揺さぶっていたのはクリスだったのだ。


 そこは、窓は無いが明るく照明された室内で、壁の一方だけが大型の電子装置類で占められている。
 部屋の中央付近の床には平たいピラミッド型の大型器具が置かれ、恵麻里はその斜面に寝かされていた。
 器具からは数多くの配線が伸び出し、壁に沿って並ぶ電子装置へと接続されている。これら全体が、つまりはサキュバスシステムであろう。部屋は、サンクチュアリ3Fの東2番ルームだったのだ。


 現実の世界へと戻ってきたらしいことに気が付き、同時に夢の世界での身の毛もよだつような体験を思い出して、恵麻里は慌てて頭を起こし、我が身を見下ろした。
 ・・・・夢の中と同じ全裸であり、ベルトで器具に繋ぎ留められた状態ではあったが、腕も足も不足なく身体に揃っている。声を上げて泣き出したくなるほどの安堵感が、しみじみと心を満たしてくるのを恵麻里は感じた。


 「ホント、口ほどにもないわねェ」
 相手が正気付いたことを見て取り、現実世界のクリスは身体を真っ直ぐに起こして言った。恵麻里を覚醒させようと最前から苦労していたらしく、口調にはやや苛立ちが混じっている。
 「あなたをサキュバスにかけるのは初めてだったから、発狂予防のために精神の限界ストレス値を低めに設定しておいたんだけど、それにしたって意気地がなさすぎない?アッと言う間に失神してゲームオーバーだもの。腕利きのS・Tが聞いて呆れるわ」
 どうやら装置のリミッターのようなものが働き、恵麻里を現実世界へと引き戻したらしい。つまり彼女の精神は、夢の中でそれだけせっぱ詰まった状態に追い込まれていたのだろう。


 「そこに寝ている間・・・」
 と、クリスは寝台上の恵麻里を指差して、
 「あなたワアワア喚いて大騒ぎだったのよ。涙とヨダレをそこら中に撒き散らしてね。・・・あまり機械を汚されても困るから暗示でブロックしておいたけど、そうでなければ大小便もハデに漏らしていたでしょうね。恥ずかしいとは思わないの?」
 確かに、顔面は涙や鼻汁でヌルヌルに濡れているのが分かる。お漏らし云々というクリスの揶揄も、恐らくはその通りだろう。しかし今の恵麻里にとっては、それで自尊心が傷付けられることよりも、あの地獄のような夢幻世界から退避できた有り難みの方が数段勝っていた。
 しかし・・・・。


 「まあ取りあえず、これでサキュバス体験のウォーミングアップは済んだわね。次はもっと限界設定を上げても大丈夫でしょう」
 クリスが言うのを聞いて、恵麻里の表情が激しくこわばった。魔女はこの拷問を、さらに惨たらしく続けるらしい。
 「そ、そんな・・・・」
 口を開いた途端、口中に溜まっていたヨダレが驚くほど大量に顎へと伝いこぼれたが、恵麻里はそんなことを気にする余裕もなく、咳き込むような口調で言葉を継いだ。
 「お願いだから止めて。もうサキュバスはイヤ・・・」
 「止めてくれと言われて止めていたら拷問にならないでしょうが。あなたの反抗心を小骨の一本まで抜き終わるまで、まだまだサキュバスを楽しんでもらうわよ」
 「反抗なんてもうしないわ。何でも言うことを聞くから・・・サキュバスだけは・・・・」
 言い募るうちに、新たな涙があふれ出してくる。それほど鮮烈な恐怖を、サキュバスの悪夢は恵麻里の心に植え付けていたのだ。


 すっかり萎縮している相手の様子に、クリスはまんざらでもなさそうなニヤニヤ笑いを浮かべながら、しかし冷然とした調子で、
 「口先で反抗しないったって信じられるもんですか。大体そのタメ口は何よ。服従を誓った奴隷がそんな口をきくわけがないでしょう?」
 「ご、ごめんなさい。言うこと、聞きます・・・何でもおっしゃるとおりにしますから・・・・」
 ハッとしたように言い改める恵麻里だが、元よりクリスに彼女を放免するつもりなどはない。
 「今さら遅いわね。更に深くて覚めにくい夢を楽しむと良いわ」
 突き放すように言い、壁の装置に何事か情報を入力し始めるクリスの背に、恵麻里の声がすがるような調子で投げかけられる。
 「イヤ、いやイヤッ!お願い、お願いです!今後は決して逆らったりしません!何でもしますから・・・後生です・・・許して下さァいいヒィイイ・・・・・」
 途中から絞り出すような嗚咽に変わっていく訴えに、拘束具の立てるカシャカシャという音が伴奏のように続くのが何とも哀れを誘った。
 涙と鼻水がテラテラと濡らし汚していく上体は、激しく粟が立ち、瘧(おこり)のようにブルブルと震えている。恵麻里の体内を満たしているものは、今はただ一つ、「恐怖」という概念だけであった。


 「今度はまだるっこしい前フリを抜きにして、いきなりクライマックスからの夢にしましょうね。・・・『向こう』で気が付いたときには、あなた手足の無い状態でカプセルの中よ。静音ちゃんと同様、すぐにゾニアンの樽漬けにして楽しませてあげる・・・」
 身の毛もよだつようなことを、わざと相手の言葉を無視するように言いながら、クリスは嬌笑を浮かべた目をチラリと恵麻里の方へ向け、バーチャル世界の開始スイッチらしいオレンジ色のボタンを押し込んだ。
 「じゃ、オ・ヤ・ス・ミ・・・」
 途端に恵麻里の視界が濁った紫色に遮られ、それが次々とフィルターを重ねるように濃さを増していく。
 「やあッ!いヒゃアアアアアアアアアーッ!!」
 勝ち気で向こう見ずが身上だった少女探偵は、最前バーチャル世界で発したのとソックリに惨めな断末魔を上げ、為すすべもなく、再び絶望のみが支配する夢幻地獄の底へと落とし込まれていった・・・・。


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