第七章 それぞれの黄泉路・・・

 静音・ブルックスは、全面ピンク色に塗られたクリス用バスルームの一隅で、身体を壁に押し当てるように縮こまらせて座っていた。
 室内には静音1人だけで、他には誰もいない。大きく清潔なバスになみなみと張られた湯は、入る者もいないのに、自動調温装置によって空しく湯気を立てていた。


 ここに、これまで1人で入れられたことは決してなかった。必ずクリスが共に入浴し、性の調教を長時間ネチネチと加えるのが常だったのだ。
 しかし今日は勝手が違っていた。
 クリスは静音を監禁室から連れ出し、バスルームまで連れてはきたものの、彼女1人を残してそこから出ていってしまったのだ。
 何か用足しにでも行ったのかと思ったが、それから半時間近くが過ぎてもクリスは戻る気配がない。出ていく際に何も説明されなかったので、所在なさが次第に不安に変わりつつあった。


 いつもと様子の違うことは他にもあった。
 静音は、このサンクチュアリに囚われて以来、監禁室にいるときであれ、調教を受けるときであれ、恵麻里の場合と同様に、常に全裸でいることを強いられてきた。
 人一倍羞恥心が強く、また自らの豊かすぎる女体にむしろ大きなコンプレックスを抱いてきた静音にとって、それは心を切り刻まれるような呵責に他ならなかったのだが、どうしたことか今日は、このバスルームへ入れられる際に、服を身に着けることを許されたのだ。
 いや、「許された」というよりは、「着ることを命じられた」と言った方が正しいだろう。あまりまともとは言えない、少なくとも普段着には出来ないような服装だったからだ。


 それは旧世紀の少女たちが体育授業などで着用していた運動着、つまりはブルマ服であった。
 上着は白を基調としており、襟元と半袖の裾が明るいエンジの布地で縁取りされている。その同じエンジ一色で、パンツ部分の布は染められていた。
 もちろん静音がそんな服を持っていたわけではない。ブルマは、先にこの「新世界準備会」に囚われていた遠山深雪という少女・・・クリスによって、惨たらしくも回復不能の脳障害を負わされてしまった・・・が使っていた物であった。


 そも最近の学校では、女子用体操着には小洒落たデザインのホットパンツなどを採用するのが普通で、ブルマはほとんど廃れてしまっている。しかし深雪の通う蓬莱女学院では、各種の学習用品にレトロな趣の物を指定する方針が徹底されており、体操着もその伝によってブルマが選ばれていたのだ。
 静音がクリスによって着せられたのは、誘拐された際に深雪が通学用バッグの中に入れていた体操着であった。
 何しろ持ち主は廃人と化してしまったのだから、もう二度とそれを使う機会はない。体(てい)の良い廃品利用ということかもしれないが、しかし不意に何故静音に服を着せる気になったのか、それが不可解だった。


 クリスは今回、ブルマだけでなく、上下の下着までキチンと静音に着けさせている。彼女がここに囚われた5日前に着けていた物は陵辱の際に引きちぎられてしまったから、この下着は同サイズの品をわざわざ新規に購入してきたらしい。
 あの魔女が、そんな手間までかけて捕虜の待遇を改善するつもりになったとは思えないから、静音は衣服を得てありがたいと思うよりも、何か薄気味悪さの方が先に立ってしまうのだった。


 (一体、今日は何をされるんだろう・・・)
 この5日間、クリスによって散々に犯され、辱められてきただけに、都合の良い想像は何一つ浮かんでこない。不安のあまり、我知らずに首がイヤイヤをすると、お下げに括られた髪がその左右でパタパタと揺れた。
 この髪の毛も、つい今しがた、クリスが脱衣所で整えてくれたものである。
 風呂には毎日(調教がてら)入れられているが、ブローをさせてもらえないのでバラバラに乱れがちだったのを、丁寧にクシを入れ、三つ編みに編み上げてくれたのだ。
 無論これも今までにないことだったから、不審の思いはいや増した。新たな趣向の調教でも加えるつもりなのか、いずれにせよ、何か邪(よこしま)な意図を感じざるを得ないのだ。
 すぐにでもこの場から逃げ出したいような心境だが、それは到底不可能だった。尾錠付きの首輪をはめられ、そこから伸びる鎖によって、飼い犬よろしく壁の金具へと繋がれていたからだ。
 両手が使えれば、何とか首輪を外す試みが出来たかも知れないが、それも人工皮革のベルトによって後ろ手に束ねられてしまっている。すくみ、震えながらも、その場でただジッと待つしかない静音であった。

 と・・・・。
 脱衣所へと通じるドアが不意に開かれ、ノソリと洗い場へ入ってきた者がいた。
 当然クリスが帰ってきたものと思い、ハッと面持ちを緊張させてそちらを見上げた静音は、しかし思いもかけない光景をそこに見て、ポカンと呆気にとられたような表情になった。
 ・・・四十がらみに見える中年男が、向こうも心持ち驚いたような顔つきでドアの前に立っている。
 トランクス一丁の裸体に近い格好で、松の木のような太股から、大きく縦横に割れた腹、そして見事に盛り上がった広い肩へと続く筋の流れが一目で分かる。
 浅黒い肌に、漆黒の長髪。といってルーズな感じはなく、そのもみあげや口ひげは綺麗に整えられている。
 見ようによっては美男子と言えなくもないが、2メートル近くはあるだろう並はずれた長身と、細く吊り気味の目つきとが、男をややヤクザっぽい、威圧的な印象に見せていた。


 「何だ、こりゃあ・・・」
 低く渋い、しかし何か呆れたような声音で男が言った。その視線は、静音のブルマ姿を無遠慮に睨め回している。
 相手がこちらの服装を奇異に思っていることに気が付き、恥ずかしさに身の縮むような思いではあったが、しかしまず、静音には問わなければならないことがあった。男が何者かということをだ。
 サンクチュアリに囚われて以来、静音はクリスとアゲット以外の人間を一度も見ていない。不意に出現したその男が誰なのか、全く見当も付かなかった。


 「あの・・・どなたでしょうか?・・・」
 おずおずと問いかける。間の抜けた質問だとは分かっているが、それ以外には問いようがない。
 「何だ、オレを知らないのか?」
 男は何となく不満そうな顔つきになった。
 「まあ有名人とまではいかないだろうが、テレビのニュースなんかにもたまに出ているんだぜ」
 そう言われてしげしげと相手の顔を見ると、なるほどどことなく見覚えがあるようにも思える。しかしそんな気がするだけで、どこの何という人物なのかは思い出せない。


 男はフンと鼻を鳴らし、見事な筋肉を誇示するかのように胸元をポンと叩いて、
 「オレは比良坂功(ひらさかいさお)。PPO(治安機構)のメガトキオ第六管区長、つまりこの辺り一帯の犯罪を取り締まる、警察組織の最高責任者と言えば分かるかな?」
 「あ、ああ・・・・」
 静音の目が見開かれ、口元からは、そのまま叫び声になるのではないかと思えるほどに大きな溜め息があふれ出た。
 そうだ、確かに男の顔は、過去に何度か、事件捜査に関する記者会見でテレビに映っていたように思う。しかしその際の堅苦しい物腰と、今目の前にいる男のざっくばらんさが結び付かず、すぐには思い出せなかったのである。


 「助けに来てくださったんですね!・・・ああ、良かった・・・・」
 安堵がしみじみと全身を満たしていくのを感じながら、静音は言った。
 今回の依頼主(深雪の父)が、静音達まで行方不明になったことを通報してくれたのか、あるいは「新世界準備会」を独自に捜査していたPPOが偶然踏み込んだのかは分からないが、とにかくこれで、ここから救出してもらえることは間違いない。
 汚職を始めとする不祥事続きでサッパリ市民に人気のないPPOだが、この時の静音には、比良坂管区長がまるで、天から舞い降りた守護天使さながらに神々しく見えた。


 「この施設は、丸ごと全部がサマン(召喚)犯罪に利用されています。私も捕まっていたんです」
 ひとしきり安堵感を噛みしめたのち、静音は堰を切ったように訴え始めた。
 取りあえず我が身の安全は確保されたようだが、それだけではこの事件の解決にはならないことに気が付いたのだ。
 「施設の経営者が犯人なんです。クリスという若い女性と、年取った男性の2人組のようです。すぐに逮捕してください。・・・それから、私の友達も一緒に捕まっているんです。まだこの施設の中にいると思うんですが・・・。お願いです、彼女、恵麻里というんですが、すぐに保護を・・・・」


 「ワッハハハハハハ!」
 何か当惑したような表情で訴えを聞いていた男が、不意に背を反らせて大きな笑い声を立てたので、静音はギョッとなって相手を凝視した。
 「傑作だ・・・『助けに来た』は良かったな・・・このオレがさァ・・・・」
 何が可笑しいのか、腹を押さえていつまでもヒッヒッと笑いを漏らし続けている男に、静音は段々と不安が募り始める。
 「あ、あの・・・」
 堪りかねてかけた声を、男はまだ笑いながら手を振ってさえぎり、
 「お前さん、クリスから何も聞いてないのか?オレはここに、新しい『備品』が入ったというんで呼ばれてきたんだぜ」
 「び、備品って?」
 「なんだ、そいつも説明されてないのかい」
 思わず問い返した静音に、男は次第に呆れたような表情になった。


 「備品ってのは、この『新世界準備会』で使ってる隠語だよ。ここで作られた商品、要するに性奴隷のことだが、そのうちで、すぐには売る予定のないものを、施設の中で色々と利用することがあるのさ。それをつまり『備品』と呼んでるんだ」
 「利用・・・・」
 「そうさ。使い道は様々だ。一見の客に商品見本として示したり、『味』を試させたりな。そこで気に入られれば、そのまま売買が成立することもある」
 「・・・・・・」
 「組織として上手く付き合いたい相手に、ワイロ代わりとして提供されることもある。と言っても高価なものだから、くれちまうワケじゃないぜ。その相手をここへ出向かせて、『備品』に性の相手をさせるワケだ。まあ、無料で利用できる高級娼婦サービスってとこかな。美味しい話だよ」
 「そ、それじゃあ・・・・」
 静音は我知らずに身体を後に引き、震える声を漏らした。
 男が何故あれほど笑い転げたのか、そしてその仮面の下の素顔が如何なるものか、イヤでも気が付いてしまったからである。


 「そう、オレは新世界準備会とは懇ろ(ねんごろ)なんだ。クリスとは、彼女がこの商売を始めたときからの付き合いさ」
 「どうして、そんな・・・・PPOの管区長が・・・・」
 「どうしてって、そりゃ互いに旨味があるからに決まってるだろ?」
 かすれた声で問う静音に、比良坂は苦笑を浮かべて言った。
 「いやもちろん、オレたちPPOだって悪徳にばっかり精を出してるわけじゃない。犯罪取り締まりだってちゃんとやってるさ。だけど日々命を張るに見合うほどの給料をもらってるワケでもない。一つの犯罪組織とガチンコ戦うとしたら、もう一つの組織には片目をつぶってやり、またもう一つの組織とは馴れ合って仲良くやっていく。それくらいのメリハリを付けないと身が保たないってもんだ。そうだろ?」
 その口調には全く悪びれた様子がない。と言って、それが処世術だと大仰に構えているのでもなさそうだ。何か、そうするのが治安維持にとって一番効率的なやり方だとでもいうように、ビジネスライクに割り切っている風がうかがえた。


 「ニュースなんかで聞いて知ってるだろ?少なくともこのメガトキオでは、召喚犯罪なんてのは、取り締まりの優先順位としては下位なんだ。悪いことにゃあ違いないが、大勢人死にが出るわけでもないからな。で、やり過ぎにならない程度には組織に商売をさせてやる。その見返りに、もっと悪質な犯罪の情報をタレ込ませたり、『備品』などのサービスを提供させたりするわけだ。要するに持ちつ持たれつなのさ」
 比良坂は、座っている静音の前に屈み込んだ。
 ちょうど面と向かう位置に顔が来る。
 男の細く吊った目、ガッシリとしたアゴの造り、そこから漂ってくる強いヤニの臭いが、単なるマッチョめいた威圧感という以上に、静音に激しいプレッシャーを感じさせた。


 「もちろんオレだって嫌いな方じゃないからな、有難く役得にはありついてるぜ。今日もお前さんという新しい『備品』の味を見に来たわけだ。クリスのヤツ、当分はお嬢ちゃんを売りに出す気はないようだからな」
 「ち、近寄らないで下さいッ!」
 相手がクリス同様、いやそれ以上に邪悪な人物であるかもしれないことを悟った静音は、壁を背にした横座りの姿勢のまま、出来るだけ比良坂から距離をとろうと身体をいざる。しかし首輪に繋がれた鎖はすぐに壁との間でピンと張り、それ以上の移動を不可にしてしまった。
 「フン」
 比良坂はその鎖をつかんで乱暴に手元へ引き寄せる。
 一瞬息が出来なくなり、苦しげに咳き込む静音のあごに、男は下から手を当てて強引に仰向かせた。
 「あうッ・・・」
 「クリスに聞いたが、お嬢ちゃんはS・Tなんだってなァ」
 相手の怯えきった目の色をのぞき込み、比良坂は楽しげに言った。
 「いや、元S・Tだったと言うべきか?ヘマをやって逆にとっ捕まり、今じゃ自分がゲーム(獲物)として調教されてるんだもんな。二度とS・Tの仕事は出来ねえ。無様なもんだよなァ」
 「放してください・・・」
 哀訴する静音のかすれた声に、比良坂の手にこもる力が逆にジワリと強くなる。あまりの強力に、顔を左右に振ることすら出来ない。

 「オレはな、S・Tって商売が以前から気に入らなかったんだ。ムカついてたと言っても良い」
 「・・・・・・」
 「単に商売敵ってだけじゃない。S・Tが実績を上げるってことは、それだけオレたちPPOの評判が下がるってことだからな。素人のくせに犯罪現場をチョロチョロしやがって、人のショバを踏み荒らしやがって、それがどんなに身の程知らずかってことを、機会がありゃあ一度イヤと言うほど思い知らせてやるつもりだった」
 比良坂のノドが、ヒヒッと下卑た音を立てる。
 「それがまあ、何ともおあつらえ向きじゃねェか。マヌケなS・Tを思うさま嬲ってやるチャンスが到来したばかりか、それがまさかこんな愛らしいお嬢ちゃんだなんてな。神様も粋なはからいをするもんだ」


 男の大きな手の中で、静音の顔が細かく震え始めた。相手の下劣さに身の竦む思いだった。どうして自分は、そんな男を一瞬でも救い主だなどと勘違いしたのか。
 冷静に考えれば、PPOの管区長が自ら、しかもこんな裸に近い格好で、召喚犯罪の被害者を救出にやって来るはずもない。苛酷な捕虜生活でまともな判断力までマヒしてきたかと思い、恥ずかしさと情けなさで頭が熱くなった。比良坂の揶揄したとおり、まさにマヌケで無様な落第S・Tだ。
 こんな男に陵辱されるなどは、まさに死にすら勝る拷問である。しかし今の静音は、ここから逃げ出すどころか、あらゆる抵抗の手段を封じられた状態なのだ。


 「何だ、震えてるじゃねえか・・・・そうだな、よ〜く怖がっといた方が良い」
 顔を間近に近づけると、比良坂は犬歯をむき出しにし、凶悪な笑顔を作った。
 「オレは優しくはないからな。小娘がS・Tの看板なんざ掲げたことを死ぬほど後悔させてやる。心得違いだったってことを教えてやるよ。お前さんの精神(こころ)にも身体にも、徹底的にな!・・・・」


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