第四章 かけもの


「お前、子ども相手に本気で泣くなよ」

わ、私だってあと半年は子ども…

「あ、ハナちゃんが戻ったよ」

地に転がったまま見上げた。ハナちゃんは「お待たせ」という感じに頭へ手をやった。

「大将も着替えてこいよ。あ、他に女に何かしたか?」

「うん、ひざカックンを」

「ショボいなあ。男なら胸くらいさわっとけよ。…ハナちゃん、女の足を押さえてくれ」

言いながらヒゲ男は即座に私の身体を裏返した。仰向けになると縛られた両手が腰を圧迫する。ビールに濡れてはりついた服はまだ身体のラインをなぞっている。

役回りを理解した少年がかがんで手を伸ばしてくるのに気を取られているうちに、両肩も押さえられてしまった。

「いくよ?」

少年の緊張した両手がゆっくり近づいてきた。大人たちも意識を彼に集中しているのがわかる。触れられる、と思った。

そこで手のひらが止まった。

「お父さん」

少年は神妙な顔つきになった。

「あんまり豊かじゃないよ」

「知ってる。さっき運んでくる時ドサクサ紛れにさわった。

お前ら親子はー!!

「でもまあ申し訳程度にはあるからいいだろ」

「うん…。はぁ、きっとこの女は谷間なんて言葉とはまったく縁のない一生を送るんだろうね」

大きなお世話よ!

うあぁ。

「?…柔えー。意外とコレ柔いよ!」

「申し訳程度にな」

感触を受け止めながら小さな手が波打つ。

「早く大きくなあれ」

「ンナッ!ンフ!(黙れ小僧!!)」

強く身体をよじると、少年はあっさり手を離した。それから辺りを見回す。

…誰か通りかかったの?!

「どうかしたか?」

同じように考えたのかヒゲ男の声は真剣だ。

「んー。この辺、トイレないかなあ」

……。

「驚かすなよ。わざわざトイレで抜かなくったって…」

「ム、ネ!」

「いや、つまりたまには自然の中で自然を……待てよ」

気になって視線を上げると逆さまにヒゲ男の顔が映る。多分、目が合っている。

「ない事もないぞ、トイレ」

待て何を考えている?!

案の定後頭部で手の動く感触がして、口にかまされていた布が外された。さらに左右から頭を挟まれ、地面に強く押しつけられる。

「女の口にしちゃえよ」

ヒゲ男が宣告した。とにかく全身でもがくが、足元をハナちゃんに固定されていて思うようにならない。

「子どもには早いんじゃないか?」

「落下地点にたまたま女がいるだけですよ」

「冗談じゃないわ!…っ?」

すかさず口にさっきの布を詰め込まれた。押し入れられる程息がしづらくなる。

「しっかり開いてろ。さ、大将」

少年はしかし躊躇した。

「そんな…女の前で脱げるかよ!」

そう言うと逃げるように走り去った。私はヒゲ男が呆然としているうちに布を吐き出した。

「お、おい…かなりオイシい役振ってやったのにアイツ、場の空気読めよ!全く、親の顔が見たいぜ」

お前だー!!

…でもチャンスだわ。喋ればとりあえず時間は稼げる。コイツら手際悪いし、うまく丸め込めるかも。

ええ、私の頭脳をフル回転すればできる筈。

「ヒゲ男!」

強気で呼びかけた。

「?…オレだけだな髭は。なんだ女、オレはムネミツだ」

会話を続けながら、何か策を立てるしかない。ムネミツの手が離れたのでさっと身体を起こして向き直った。

「じゃあムネミツ、どうして子どもを連れてきているのかしら?」

「性教育のためだ」

…お前何言ってんですか。

「驚いているようだな。そうだ、実はそれはオマケに過ぎない。本当の狙いは別にある」

「おいムネ、それは俺も初耳だ」

先輩も興味を示した。

「冥土の土産に教えてやろう。日本にも近々陪審制が導入される事を知ってるか?もししくじって捕まってしまった時に『性について知りたい』という息子の純粋な想いに応えてやりたかったのです、と証言する事によって罪を軽くする訳さ。陪審員なんて所詮○○だしな。大将が泣いて弁護でもすりゃ骨抜きだろ」

「な、なあ。そんなんで罪が軽くなるのか?」

ならねーよ!

「知らないんですか?アメリカでは自分でコーヒーこぼしたくせに――――」

まあいい、馬鹿のほうが好都合だ。ここは寓話に知恵を借りよう。確かこんな話があった。

 赤ん坊がワニに捕まってしまいました。母親はそのワニに助けてと懇願します。

 “お願いお願い”

“よし、おれが今日なにをするか当てることができたら、赤ん坊は食べずに返してやろう”

 ――ふふ、母親が何を言おうとそれと違うことをすればいい。赤ん坊はいただきだ。

 ワニはそう思いました。ところが母親はこう言いました。

 “では…あなたは私の赤ん坊を食べてしまうでしょう”

 ワニは考えます。

 ――もしおれがこの赤ん坊を食べたら、予言が当たったのに赤ん坊を返すという約束が果たせなくなる。これはつまらない約束をしたものだなあ。

 仕方なく赤ん坊を返そうとして、またワニは思います。

 ――まてよ。このまま返すなら、母親の言ったことは外れるのだから、おれは赤ん坊を食べていいことになる。だが食べたら…

 そんな風にワニが混乱しているうちに偶然猟師が通りかかって、赤ん坊は無事助けられたのでした。

そう、奴をワニのように論理の罠にはめればいい!

「ねえムネミツ」

「――――しかし猫が電器メーカーを…なんだよ女?」

「なかなか策士のようね。でも私だってダテに理系一筋じゃないわ。一つゲームをしない?」

「フッ、胸も知能もない哀れな女が。いいだろう。一つ言っておくが、Bだって主張する女はたいがいAだぜ」

「Aじゃないわよ!」

「ハッハッハ。それで、ゲームというのは?」

「私が、これからあなたのする事を言い当てるの」

「何だって?!」

「もし当てたら私の勝ち。私の言う事に従ってもらうわ」

ムネミツは呆気にとられていた。先輩とハナちゃんも同じような反応だ。

「お前…この状況でオレたちのする事って、アレしかないと思うが」

……。

そうじゃん。

「子どもの前じゃストレートに言えないけど、そりゃファックよ」

あれどうして?先人の知恵なんてこの程度なの?いや考えてみたらワニが喋る訳ないじゃない、私のバカ!

「さ、ゲームはオレの不戦勝って事で、ご褒美をいただこうか」

「なあムネ、その前にサングラスなんとかしないか」

唯一似合っている先輩がクレームをつけた。

「何か問題が?」

「ああ、折角の女がグラス越しじゃモノクロでやる気半減だろ。俺はともかくお前とかハナちゃんはさ」

「一理ありますね。…困ったな、外せば顔がバレてしまうし」

「簡単だよ、女がかければいい」

少年が戦線に復帰した。

「逆転の発想か。タクトは賢いな」

先輩はムネミツの息子を賞賛した。ハナちゃんもまた頷いた。ムネミツはタクトのサングラスを取って私にかけた。

「こ、これは…イイ!最高だ!」

続いて興奮気味に叫ぶ。この暗さだとグラス越しの世界は確かに無味だ。

「1.5倍はそそりますよ」

「む。胸を補って余りある…」

連中はサングラスを外し改めて見つめてきた。雲行きはかなり、悪い。

「…先輩、ここでカミングアウトしないと自動的にオレとハナちゃんに入れる権利がまわります」

ついに具体的な単語が出てきた。

「わかった皆聞け!

 俺は…俺はチラリストだ!」

え。

「なんてこった!」

ムネミツはその場にへたり込み、顔を覆った。

「どういう事、お父さん?」

「簡単に言うとな、オレたちは女を脱がせたいが先輩は脱がせたくない。つまり『今や、先輩は僕らの敵だ―――』」

…仲間割れか?

「じゃチラリストは?」

「それはな。…女、そのスカートのお気に入り度を5段階で評価するといくつだ」

「4」

比較的新しいひざ上たけの白いジーンズ地で、夜は肌寒い。

「うーん、すまないが…」

ムネミツはトランクから裁ちバサミを持ってきた。

「このスカートは自宅着にしてくれ」

そう言ってスカートの左側面に切り込みを入れだした!厚い布地はささやかな抵抗を見せたがあえなく切り裂かれた。

「見てろよ大将」

ムネミツはスカートを切れ目から内側にゆっくりめくった。長い三角形状に腿が露(あらわ)になり、上へと開いていく。

…マズい、今日は確か――――

「ク、黒だ…」

タクトが呟いた。それきり、空気が止まった。

今日は―――黒。

……。

ムネミツがスローモーションで背を向け、震える拳を地に突き立てた。

「先輩…おれノりせいガなクナルまえニ―――」

それはさながら獣化を必死で踏み止まろうとするオオカミ男の姿であった。

「あ、いいぞ穿いてなくても全然。ひ一つだけやってみたかった事があるから、それだけ」

ムネミツの気迫に圧倒されながら先輩はくびれのあるボトルを持ってきた。

「それ、女に飲ませるの?」

タクトが訊いた。見覚えのある形状のボトルだ。

「いや、かける」

「なぜに…?」

「実はな、一度女に醤油をかけてみたかったんだ」

へ?あ…あはは。

「何考えてんですかー!!」

ムネミツが猛然とツッコんできた。

「ほら俺さ、エビフライも醤油で食べるくらい醤油好きだから」

「これはエビフライじゃありません!こんな胸の無いエビフライはいませんよ!!」

「落ち着け、ムネミツわかった。父親の威厳を、守れ」

両手を肩に置かれてムネミツは荒い息を落ち着けた。深呼吸に変わる。

「…取り乱しました。頭の中がもう真っ黒で」

ああやっぱり黒がマズかったぁ。

「ハナちゃんはしかし冷静だな。さすが歴戦の勇士」

ムネミツに称えられ、ハナちゃんは照れ臭そうにした。それを隠すように新しい煙草をくわえ、点火する。

「気になってたんだが、どうしてハナちゃんには台詞が無いんだ?」

「本当、まだ無いですね。まさか…声優雇うギャラが無くて?」

「いやどう間違ってもアニメ化されないから。無口なだけだよな、ハナちゃん」

……。

「実は昨日オールナイトで歌ってきたから喉が痛くて」

ハナちゃんの最初の声は小声だった。

「自分らは既にビールをかけたんです。この上醤油までかけたらタクトが間違って覚えてしまう」

続けて先輩に意見する。

「ああ大将、女にかける一番ポピュラーなものはビールでも醤油でもないんだ」

「それなんだがムネ、ハナちゃん。女に…なんだ、そのポピュラーをかけるのってどう思う?」

タクトに気を遣った表現だ。

「どうって、できちゃったら困る事情があるんでしょう」

「ハナちゃんは?」

「さあ…自分は尽くすタイプですから」

「思うんだが、かけるという行為は高架下のスプレー落書きみたいに、自分の存在を刻みたいという気持ちとかその奥にある独占欲の顕れなんじゃないか?」

「そういう面もありますね」

ムネミツが相槌を入れた。

「だとするとだ、1対多の時かけるのは何故だ。女に他人のがかけられても男は嬉しいのか?」

「ええっ…連帯感があれば、まあ」

「ハナちゃんはどう思う?」

「んー…例えば日露戦争は10年前共に清にポピュラーをかけた両国の仲が良くなかったから互いの独占欲が衝突して…」

「ハ、ハナちゃん」

「すみません、つまり国家レベルでも似たような事はあるんじゃないかと」

「この女はもはや国家の意思に委ねられたって事?」

なんか私置いてかれてるなー。

「決まりだ大将、気分が悪い時は車で休んでろよ」

「お父さん…」

「ああ、国家の意思を遂行する」


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