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 西暦2050年、世界は何度目かの「冷戦」時代に突入していた。「東陣営(イーストブロック)」と「西陣営(ウエストブロック)」の両陣営に二分割された世界は、永久凍結されたはずの核兵器をも「駒」として、睨み合いを続けていた。世界のバランスを保っているのは、時代錯誤にも思えるエスピオナージ活動やエージェントたちの活躍だった。「スパイ」と呼ばれる人種によって世界は、あやうい綱渡りを続けていたのである。

 その時、西(ウエスト)の秘密諜報員ミレーヌ・ホフマンは、東(イースト)の新兵器開発の情報を追っていた。西(ウエスト)の誇る諜報部門00機関の腕利きたちが、その情報を追ったまま何人も姿を消していた。その新兵器が未来予知に関わる代物であるという「噂」も、あながち、ただの「噂」だけではなさそうだった。それが今、「現実」となってミレーヌを追いつめていた。

(ミイラ取りがミイラってトコかしら……)
 東西の国境に分断される雪原の奥深くに、人知れずたたずむ古城へ潜入しようとしたミレーヌの行動は、東(イースト)には筒抜けだった。
 そびえる石灰岩の城壁を、サイボーグ体の腕力と脚力を駆使してよじ登り、荒れ果てた内庭に侵入する。内庭に停められた輸送用のトラックや、そのまま燃料タンクとして使われているタンクローリーの陰から陰へと走り抜け、中央の屋敷へと接近するミレーヌを突然、屋敷の屋根からの眩い探照灯が射抜いた。
 素早く身体をひるがえして、トラックのシャーシー下に身を伏せ、すぐに次の物陰へと跳躍したが、その探照灯は、正確無比にミレーヌを追跡してくる。
(わたしはココよ……、ココにいるの……)
 深層意識にジワジワと染み入る「他人」の感覚に、強力なミュータントの存在を察して、耳朶に収まる思考波妨害装置を作動させたミレーヌだったが、そのテレパシーは、あまりにも強大だった。
「わたしはココよ、ココにいるの」
 ミレーヌの意識が、知らず知らずに、その声に応えはじめていた。テレパシー能力など無いミレーヌに、これだけ明確に知覚できるほどの力である。そのミュータントに最大パワーでテレパシーを送り込まれたら、脳が焼き付いてしまうかもしれない。
(……コレはリスクが大きすぎるみたいね)。
 なによりも生き残ることを優先しろと強く本能が囁く。撤退を決意するのに数瞬のためらいもなく、ミレーヌは低い姿勢で、潜入時に見定めておいた退路を疾った。
(……しまった!?)
 探照灯の光の輪がミレーヌの進路を一瞬遅れて追いかける。グングンと延びるように加速する光の輪は、すぐにミレーヌに追いつき、やがてその背中を照らし出した。
 地面に落ちる自分の影法師を見たミレーヌは、ついに攻守を転じる戦法に打って出る。左か右に跳ぶと見せかけながら真上に跳び、空中で身体を反転させて、このしつこい探照灯を破壊するのだ。しかる後に脱出を続行……。
「イケるわ」
 ミレーヌは走りながら、右に左にとフェイントをかける。
「イマだっ!」
 そして、サイボーグ脚のパワーを活かして真上に大跳躍!
 左右の乳房に仕込まれたバストガンのセイフティを解除し、身体をひねって狙いを定めようとするミレーヌだったが、真正面からの探照灯の大光量に眼が眩んだ。スピードとフェイントに惑わされず、その探照灯は空中に跳んだミレーヌを正確に捉え続けていたのだ!
 逆光のなかに、古めかしい貴婦人の姿をして車椅子に腰掛けた女と、大型のハンドランチャーを構えてこちらに狙いをつけている軍服姿の男が見えた。
バシュ! バシュッ!
 空気が漏れる発射音がして、男の構えたハンドランチャーから弾体が飛んでくる。
「ウッグっ!!」
 天地を逆に宙を舞うミレーヌが、バストガンの初弾を撃ち出すより早く、そのバストガンの仕込まれたミレーヌの両の乳房を激しい衝撃が襲った。ハンドランチャーから撃ち出されたゴム吸盤状の大型弾が、ミレーヌの左右の乳房に、ご丁寧にも一つずつ喰らい付いている。着弾のタイミングを考えれば、明らかに空中で姿勢を変える前に、男は引き爪を引いていた。
バリバリバリッ!
「キャアっ!」
 とっさにむしり取ろうとするミレーヌの動きより早く、バストガンを封じるゴム吸盤弾の尾部に繋がるワイヤーから、強烈な電気ショックがミレーヌの全身にスパークする。それは電極端子を発射する方式のスタンガンでもあったのだ。
バシッ! バシッ!! バシッバシッ!
 あいつぐ電撃の衝撃に、ミレーヌは姿勢を整えることもできず、背中から激しく地面に叩き付けられた。
「ウッグっ!」
 その間も、探照灯は狙いを外さずにミレーヌの姿をクッキリと照らし出し続ける。
「……もう、降参するわ」
 その光の輪の中で、敵にはっきり見えるように大腿のホルスターから抜き取ったレイガンを捨てると、ミレーヌはヒラリと両手を上げた。
「よおし、聞き分けの良いコだ」
 煌々と灯っていた探照灯がようやく消され、ようやくミレーヌは先ほどの男女の姿が判別できるようになる。
 屋敷の屋根部分に設置されたプラットフォームに陽炎の起つ探照灯。その両側に、車椅子に腰掛けた女と、ハンドランチャーを手にした男が居る。中世の貴婦人のような衣装の女の表情は、その顔を隠す濃いベールのためにうかがい知る事は出来なかった。
「西(ウエスト)のサイボーグエージェントだな」
 ゴム吸着弾のワイヤーを手繰りながら、軍服の男が口を開いた。
「9課の獲物は初めてだ。くくくっ!」
 グイグイとワイヤーを強く引き、それに繋がるミレーヌの乳房を引っ張ってもてあそぶ。爬虫類のような冷酷な目つき、薄い唇を舐め回す桃色の舌。
(……どうやら、サイアクの事態ってカンジね)。
 ニイッと、男の口がイヤな笑いの「かたち」に歪む。
バッシィッ!!
 ワイヤーを大電流が走り抜け、ミレーヌの胸にベッタリと喰らい付いたままのゴム吸盤弾でスパークした。
「アっ!」
 その衝撃で意識がブラックアウトし、ミレーヌの身体は、糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた……。


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