【追憶の果てに棲む者】
人馬と西風の月6日 8:30 ネ・クルペシュ湿原



「・・オオオォォ・・・いいですよ・・シアフェル様・・その見事な舌使いも・・王族の気品のうちですかな・・・・・」
「オラ・・オラ・・・今、孕ませてやるからな・・・」
「おう、シェステリちゃんよぉ・・・次はオレたちとまぐわおうぜ・・・」
「アアァ・・・ラナフォン、お前のケツは最高だ・・・・」
――ゴボゴボゴボ・・

ネ・クルペシュ湿原の一角。
兵士たちは魅惑の宴に酔いしれていた。
そしてそれを、横から怪訝な目で眺める『R.I.D』一行がいた。

「・・・・・・」
「ったく、男ってのは皆こうなのかしら・・」
「シェスまでいる事になってますね・・」
「あはは・・まあいいじゃない、お馬鹿なこいつらにはお似合いな最期でしょ」
泥の底へと足元から次第に消えてゆく兵士たちは、自らの肉体が汚泥の中へと沈んでいっている事にも気づかず、皆一様に立ち尽くしたまま、ブツブツとなにやら卑猥な言葉を呟き続けている。
その目つきはどろりと濁りきり、既に生気はない。
「姿を持たないこの姿なき魔物たちは、人の心の隙間につけこんで術に引きずり込むんです。ここでは心を強く持たないといけません・・」
皆に注意を促すオードリーだったが、その声もまた生気が感じられないものだった。

「これがこの沼に魅入られた者の末路・・」
そんな中、ミュラローアは畏怖を帯びた眼差しでその光景を見入っていた。
自然界の弱肉強食の無情さをしっかりとその目に焼き付けるように。
「・・ヘヘ、そんなにいいかぁ?城に着く前までには腹膨らませてやるからなぁ・・ミュラ・・・・・」
――ゴボゴボゴボ・・

やがて、最後の1人が完全に沼に食われると、ミュラローアが呟くように言う。
「さ、行きましょう」
目の前で幸せそうに命を落としてゆく男たちの姿に、声もなく立ち尽くしていた『R.I.D』の一行は、この言葉を待っていましたとばかりに一斉に動き始める。
皆、この場から歩き出すきっかけを待っていたのだ。

チャプ・・チャプ・・チャプ・・・
ひどく沈んだ足音が、自らの絶命に気づかない兵士たちのもとを離れていった。

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

「ラナ、代わりましょうか?」
「いんや、まだ大丈夫よ。あんたたちよりは体力あるし」
足を泥に取られる沼地での移動は、通常の倍の体力を削り取られる。
そんな中、ラナフォンは率先してシアフェルを背負っていた。
必死に自分を殺して一行を率いるミュラローアの姿に、ラナフォンも深い感銘を覚え、できる限りの補佐をしているのだ。

「・・・・・・」
一方、シアフェルはといえば、ここ最近ほとんど喋らなくなっていた。
恐怖、疲労、不安、体調不良・・。
『R.I.D』以上に箱庭育ちの姫君は、何もかもが既に限界に達しているようだった。
だが、それも今のミュラローアたちには救いとなっていた。
無論、主の体調は心配なのだが、この余裕の全くない状況で不平不満を撒き散らされ、そちらに更なる体力の消耗を求められるよりはよっぽどましなのだ。

「足元、だいぶマシになってきたんじゃない?」
後列のシャルキアの呟きで、前列のミュラローアとラナフォンがそのことに気づく。
先ほどまでは水音にも近かった足音が、次第にそうでなくなってきているのだ。
それはもしかしたら、沼の出口が近いということなのかもしれない。
ミュラローアはそれにほっと胸を撫で下ろす反面、そんなことにも気づかないほど注意力が散漫となっている自分の状態にゾッとしていた。

「よっし!ここを抜けたら休める。もうすぐだよ!」
ラナフォンの激励に、俄かに活気付く一行。
皆の表情に幾らかの柔らかさが戻る。
だが、唯一の例外がミュラローアだった。
「・・いいえ。休憩はまだよ」
「えっ?」
「休みたいのはわかるけど、休憩はまだダメだわ」
「ミュー、もう皆限界なんだ。いい加減休まないと、倒れるよ?これじゃ・・」
イラ立ち気味に反論するラナフォンに、ミュラローアも静かに切り返す。
「『沼地を抜けたら休憩』なんて、こんな状況じゃ誰もが考えそうなことじゃない。追っ手がさっきの連中だけだとは限らないのよ?無理してでも、もう少し進んだ方がいいわ」
「でも、あんな連中なら間違いなくまとめて沼の餌食じゃんか。それにオーガたちの足止めだってあるはずなんだ、そんな多数の兵士が抜けてきてるとは思えない。あたしは抜けたところで休んで、次に備えるべきだと思う」
「ラナ、物事は悪い方に考えて備えないといけないわ。ね?シア様をおぶるのは私が代わるから」
「そ、そういう意味で言ってるんじゃなくて!」

「――おっ、お姉ちゃん!あれ!!」

瞬間。
悲鳴にも近いティモットの声に、悪い熱を帯びかけていた場は一瞬で静まり返る。
全員が非常事態用に残しておいた体力と精神力に切り替え、辺りの危険を探る。
だが、ティモットの悲鳴の原因を見つけ出したのはミュラローア1人だけだった。
いや、他の面々の姿が何故かどこにもないのだ。

「――ミュラローア、ティモット、何で俺の言うことをきかねえんだ・・!」

酷く怯える妹の視線の先に、ミュラローアは具現化した恐怖そのものを見出す。
遠き追憶の果てにのみ棲んでいるはずの悪魔。
その姿を見、その声を聞いているだけで、この姉妹の心は不快と苦痛に悲鳴をあげそうになる。

「――なんだ、その顔は?おめぇら、誰が育ててやったと思ってんだ・・あァ?」

まるで地面を這う恐ろしい魔物が如く、ジリジリと姉妹への間を詰めてくる姿は、間違いなく彼女たち2人の父親であるダルクだった。
ミュラローアの精神は即座にある防御行動を起こし始める。
自分と妹に危害を及ぼす敵に対するため、冷たい氷の切っ先へと変化し始めるのだ。
すぐ横には自分の腕にしがみつきつつも、必死に悪魔に向かい合おうとしている妹の姿。
しかし、今はそちらを見る事はできなかった。
この顔だけは、妹に見せたくはなかった。

「――オイ、なんで黙ってんだよ?」

やがて、悪魔は姉妹との距離を限りなく0に近づけ終わる。
彼の武器である『暴力』の捕捉範囲内だ。
それを認識するや、ミュラローアは殴り倒されていた。

「お姉ちゃんッ!」
ミュラローアは咄嗟にかけよってくる妹に手を貸され、ゆっくりと立ち上がる。
殴られ慣れた痛み。
その懐かしい感覚に鳥肌が立った。

否応なく蘇る鮮血の記憶――

実の父親であるダルクの酒代代わりに城に売り飛ばされ、新しい生活にも慣れ始めた頃。
ミュラローアはふとしたことから、町で生活しているダルクが、母ソフェアと一緒に家をでた妹を連れ戻したという話を耳にする。
偶然、近くの村で見かけた母の手から、力づくで奪い去ったらしいのだ。
それは思っても見なかった最悪の事態。
あの父の元に妹がいるなら、以前の自分と同じ地獄の生活を共用されているであろうことは容易に想像がつく。
ミュラローアは即座に最も帰りたくない場所へと出向き、悪魔との交渉に臨むことを決める。
『ティモットも城に売ってはどうか?』
それがミュラローアの用意したカードだった。
城での生活も決して楽ではなかったが、あの地獄と比べればよっぽど健全な環境なのだ。
それに、何せあの父親のこと。
『自分を売った酒代など、もうなくなっているに違いない』
悪魔と面するミュラローアは、相手が一時的な大金に目が眩み、必ず乗ってくると思っていた。
しかし、甘かった。
この憎むべき悪魔は、いたいけな妹に肢体を売らせて酒代を稼がせていたのだ。
それを知った時、ミュラローアの中で何かが冷めた。
熱を持っていなくてはならないはずの何かが、冷めた。
そして、悪魔の手から妹を救うため、自らもまた悪魔に身を落としたのだ。

その数日後、町を囲む雑木林の中でダルクの刺殺体が発見されたが、ほとんど騒がれることもなかった――


「――オイ、酒代がねえってんだよ。どうすりゃいいかくれぇ、わかんだろうが・・オイ!」

昔から罪悪感というものが、この男の中には存在しなかった。
自らの欲求のみが全て。
今もまた、苛立ちのみに身を任せて殴り倒した我が娘のもとへと、更に詰め寄ってくる。

「・・お姉ちゃん、一緒に逃げよう・・」
自分の手を引こうとする妹を、ミュラローアは制す。
そして、静かにダルクと向かい合う。
人殺しという最大級のインパクトを経験した事のあるこの姉にとって、その気になりさえすれば、怖いものなど何もないのだ。

「ティモット、『これ』は幻よ。恐らく逃げ出せばそこに底なし沼が待ってる――」
「・・・っ!」
「それに・・」

「――『これ』だァ?この俺様を『これ』扱いたぁどういうこったよ?」
ミュラローアの言葉に割り込むように、ダルクは再び暴力の範囲内まで近づいてくる。
今にも2発目の拳が飛ばしそうな危うさを孕む顔つきだった。

「・・・。・・パパ?」
しかし、対するミュラローアも完全に感情を凍結させた氷の微笑でそれを迎え撃つ。
「私もティモットも、もう大切な仕事を持っていて1人でちゃんと生活していけるのよ?」
「――あァ?俺は酒の話をしてんだぞ、コラ?」
「言っていることがわからないかしら?私もティモットも忙しいの。もう貴方なんかに構っている暇なんかないのよ」
「――てんめェ・・俺に向かってその口の聞き方はなんだ!」
ここで2発目の拳が唸る。
だが、明らかにミュラローアの顔面を捉えたはずのそれは、空を切るのみだった。
ミュラローアをすり抜けたのだ。
「貴方はもう何もできない。酒を飲むことも、女を犯すことも・・」
「――畜生!何であたらねえ!?何で言うことをきかねえ!?何でだァ!?」
もはや、ダルクの暴力は完全に力を失っていた。
振るい続ける拳は全て相手を捉えることなくすり抜ける。
彼の目の前には、完全に父親との縁をを切り捨てた氷の悪魔のような姉と、どこか遠い哀れみの目を向けてくるいたいけな妹。
そして、その2人の姿が段々と遠ざかっていくと共に、また2人の前からも悪魔は姿を消し始めていた。

「死ぬこともできず、永遠に乾きに苦しみ続けるのが貴方にできる唯一の償い。さようなら、パパ・・」

酷く淡々とした別れの言葉。
ダルクは完全に姿を消した。
ミュラローアはうっすらと霧が晴れていくのを感じていた。
そして、自らの奥に再び熱が戻ってくるのも。

「・・・・・・」
ふと振り向くと、ティモットが複雑そうな顔で幻の消えた辺りを眺めていた。

「可愛そう・・なんて、思っているの?」
「うん・・ちょっとだけ・・・」
「そう。ティモットは優しいものね。本当に、私の自慢の妹だわ」
「・・・・・・」
かすかに肩を震わすティモットを、ミュラローアは優しく抱きしめる。
強く抱きしめられないのは、自分にその資格がないことをわかっている証拠だったが、妹を心配することでしか成り立たないのが、今のミュラローアなのだ。

「あ、いたわ!ミューとティモットよ!」
霧が晴れていく先から、そんなシャルキアの声が飛び込んでくる。
だが、一息つこうとしたミュラローアの耳に、それを遮るかのような次の言葉。
「え、オードリーは一緒じゃないのか!?」

一難乗り超えたモード姉妹が合流した仲間の中、何故かオードリー・スコットの姿だけが見えなかった――


→戻る

→ロワイヤルゲームのトップへ