【まどろみの淵】
人馬と西風の月6日 8:00 ネ・クルペシュ湿原



不気味な静けさが支配する。
魔境ネ.クルペシュ湿原。

――コポコポコポコポ・・・
所々から上がる小さな音。
それは何かの呪文のように鼓膜の奥まで入り込んでくる。
朝霧の代わりに肌を濡らすのは沼の瘴気だ。
外界の音や光を遮る分厚いカーテンに閉ざされた水面。
そこから伸びる妖しげにくねった木々は、まるで助けを求める亡者の手にも見える。
沼の奥から伸びる何本もの蔦が絡みつかれ、もがき、喘ぎ、苦しみ、やがてそのまま深い眠りのような死に落ちた骸たち。
その水辺は、この世の果てにある深淵であった。

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

「時々深みがあるから気をつけるんだよ」
先導するラナフォンが、振り返り注意を促す。
足先を泥まみれにしながらそこに続く一行は小さく頷き、またゆっくりと歩を進める。
まるで魔界の淵に咲く気高き薔薇の花々。
そこを行く一団はシアフェル姫を伴った『R.I.D』メンバーたちであった。  

「あ〜もう、最悪!誰よ、こんな沼地に逃げ込んだのは!」
「来てしまったものは仕方ないと思う。とにかく、無事に抜ける事だけを考えよう?」
「ぶ、無事に抜けるのは当たり前よ!この上、ここでの垂れ死ぬなんて絶対ゴメンだわ!」
「まあ、それだけおしゃべりできる元気があるなら、シャルキアはきっと大丈夫ですね」
「『きっと』じゃない。『絶対』よ、オードリー!」
先を行くラナフォンとミュラローアは、後ろから聞こえてくるそんなやり取りに思わず顔を見合わせて失笑する。
この生気を吸い取られるような沼地では、我侭なシャルキアの小言も、一行の活気を保つためのいい要素となっていた。
彼女は愚痴こそ言うが、弱音はほとんど吐かない。
ギャーギャーと喋りつつも、足の運びはむしろ他のメンバーより速かったりする。
そんなポジティブな天邪鬼の小言だからこそ、周りも笑顔で返すのだ。
「・・・ふふ」
ミュラローアはずり落ちそうになる背中のシアフェルを担ぎ直すと、再び歩き出そうと前を向き直る。
・・が、その瞬間、表情から柔らかさが吹き飛んでいた。
「皆静かに!」
場の空気を切り裂くような一喝をいれ、ミュラローアは周りに警戒を走らせる。
「変な霧が出て来たわ・・・どう思う、オードリー?」
「ええ、随分と唐突な現れ方ですね・・・・恐らく魔的な霧です。覚悟を決めないといけません・・」
行く手に、不意に立ち込め始めた妖しげな霧。
それがこの沼に棲む魔物かもしれない事を、一行は先程オードリーから聞かされていたのだ――

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

それは、時を遡る事3時間ほど・・

「まどろみの淵?」
「・・はい。もしかしたら、ここがそうなのかもしれません・・」
オーガたちの手を逃れた兵士たちの追撃をギリギリのところでかわしつつ、旅を続けていた一行。
そんな彼女たちの足元が次第に岩から土になり、更にぬかるみを帯び始めてきた頃・・
「私も本で読んだ事があるだけなので、どこまで真実なのかは存じないのですが・・」
神妙な顔のオードリーが口にした言葉が、俄かに一行の心に不安の影を落とした。
「『ファンニ・ラルター歩記』という本に書いてありました。その沼は邪悪な存在の支配する結界。そこに迷い込んだものの魂を求めて、肉体を持たない魔物たちが徘徊しているとか・・」
「それって、危険な場所ってことよね・・?」
「ええ・・記述が本当なら、非常に危険です・・・・が」
オードリーは困った目つきで今来た方角を振り向く。
そこに伸びるのは暗く細い道。
太古の昔、地殻変動により生まれた大地の割れ目、その奥底にある谷間の『一本道』だ。
「今からここを迂回するなら、この道を戻る事になります・・」
一本道を引き返せば、極めて高確率で追っ手と鉢合わせてしまう。
頭数もキャリアも腕力も、ありとあらゆる面で圧倒的な差がある兵士たち。
逃げ場のない場所での彼らとの遭遇は、そのままバッドエンドへと繋がる最悪の事態だ。
「どうする、ミュー?」
「後ろには確実で直接的な結末。前には不明確で抽象的な結末。どちらがましかは目に見えているでしょう?・・今度ばかりは、オードリーの情報が噂の域を出ない事を祈るしかないわ・・」

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

「き、霧が出てきたスね・・」
若手兵士ボンド・ベッツバーグは視界を覆い、肌をヌラリと撫で上げる霧の気味悪さに思わず声を出していた。

美しき獲物たちの足跡を追って、谷間の一本道を抜けてきた30余人からなる兵士たちの一隊。
谷間を抜け、湿地に足を踏み入れた彼らの目の前に、うっすらと立ち込める霧がその行く手を遮っていた。

「んだぁ・・?新米の坊主はこんなもんが怖いのか?」
「い、いや、そんなことねぇスよ」
「ハッハハハ・・ま、確かにこの土壌だ。濃霧ってんならさすがにやばいが、この程度の霧なら、大した事はねえやさ。馬を下りて足元に気をつけて行けば問題ねぇ」
「ウイ」
「それによぉ、すぐ近くに極上の餌があるかもしれねぇんだ。命の1つや2つ賭けるにゃ、充分すぎるだろ、なあ?」
「ヘヘッ・・・ちげぇねぇス♪」
そして下品に笑いあう先輩兵士たちのあとに続くように、ボンドは歩を進める。
その足取りは、少し前とは打って変わって力強いものになっていた。
立ち込める霧が自分たちをどこに誘っているのか。
無学な彼らは知る由もなかった。

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

――コポ・・

「・・誰だ?」
妙に深すぎる静寂。
そこに押し殺した声があがる。
「何かの気配があったような気がしたけど・・気のせいか」
沼地の中心から漂ってくる幾重もの霧の中、馬と共に立ち尽くす1人の兵士の姿があった。
若手兵士としての標準的体型と、どこかギョロリとした眼差しが印象的なボンド・ベッツバーグだ。
彼は静かに周りを見回し、視覚と聴覚の届く範囲には人の気配がない事を再度確認する。
小さく息を荒げるボンドは、腕を走る武者震いを握りつぶした。
(へへへ・・やっちまったよ・・)
握った手を開くと、そこには1枚のスカーフがある。
片面を泥にまみれさせながらも、もう片面はまだ汚れていない部分が残っている。
それは、このスカーフが最近落ちたばかりのものだという事を物語っていた。
先程、分岐路に挿しかかった兵士一行。
その最後尾にいたボンドは視界の端にこれをみつけ、他の道を選んだ兵士たちに気づかれないように、こっそりとこの道に進んだのだ。
(王女奪還なんてどうでもいい。俺は勝手にやらせてもらうぜ・・)
重要任務から外れての完全単独行動。
不安と期待を込めて荒い鼻息を1つ鳴らし、再び馬を引き始める。

「――――」
一向に晴れそうもない霧の中、ボンドも落ち着きを取り戻してきたその時だった。
(・・・声?)
進行方向からかすかに聞こえてくる何かの声。
ボンドは静かに耳を傾けながら、なるべく音をたてないように進んでゆく。
(・・なんだ?)
近づいてゆくに従い、段々と鮮明に聞こえるようになってくる声。
次第に増えてくる情報。
霧の奥から聞こえてくる声は複数――人の声と馬のいななき――男の声と女の声――緊迫した声色――
(ちっ・・・そういう事か・・)
ボンドの中で情報がまとまる。
『先程分かれた仲間たちが先に獲物を見つけた』
というのがそれだった。
自分が望む状況でなかった事に、ボンドは小さく舌を打つ。
だが、それならそれでも悪くはない。
はぐれていた振りをして戻れば、充分美味しい目が見られるからだ。

(仕方ねぇ、合流するか)
1つ溜息を残し、複数の声の発生源に近づいてゆこうとするボンド。
だが、そこから先は思いの他足元のぬかるみが酷く、なかなか足が進まなかった。
いや、それどころかずぶずぶと足が沈んでゆく。
いつの間にか、馬も自分も膝下まで沼に飲み込まれていた。
(げっ・・冗談じゃねぇぞ・・・)
突如目の前に現れた危機感がボンドの体中を駆け巡る。
生存本能が思考を飲み込む。
「おおい!聞こえないんスか!おおおおい!」
大声を張り上げる。
馬の背に手を伸ばす。
警戒も解き、ありとあらゆる手を駆使して生き残るためにもがく。

「ハァ・・・ハァ・・・・」
それから何分経っただろうか。
そこには全身汗まみれで荒い息を整えるボンドの姿があった。
一時は膝上まで沈みながらも、必死の抵抗でなんとか九死に一生を得たのだ。
彼の踏み台となった馬は、もう沼の底に見えなくなっていた。
そして、わずかに聞こえていた複数の声も今はなくなっていた。
(畜生、なんで皆助けに来ねぇんだ・・・)
怒りと脱力感と不安が彼の背にのしかかる。
仲間にも獲物にも会えず、馬も失い・・結局、終わってみれば最悪の結果となっていた。
(畜生・畜生・・)
その言葉を頭の中で連呼する。
(さすがに短慮すぎたか・・)
目の前のエサに気を奪われ、いくらかの冷静さを失っていた自分に気づくボンドだったが、それも一瞬だけの事だった。

――ちゃぷ・・・ちゃぷ・・・
小さく聞こえてくる誰かの足音。
先程、仲間たちと思われる一団がいた地点からそう遠くない場所だ。
(・・なんだ、誰かいるのか・・?)
今度は深みにはまらないよう充分に気をつけながら、ボンドはゆっくりと音の方に近づく。
霧の奥に見えてきたのは、沼から一部だけ突き出た小さな小島の上、木の後ろに身を潜めている小さな人影。
それが次第にはっきりと見えるようになってくると、それに従いボンドの口元もニタリと笑みを作っていった。

「・・皆、ごめん・・・」
ぼそりとそう漏らしたのは、ローブに身を包んだ細身の人影。
艶やかなダークレッドのポニーテールが美しい少女だった。
そして、そんな彼女をボンドはよく知っていた。
間違いなく『R,I.D』の1人。
恐らく、先程の遭遇時に1人だけ難を逃れたのだろう。
(へへ、ラナフォン嬢じゃねえか・・・♪)
『R.I.D』は王女シアフェルの側近として、キルヒハイムにおいては特別待遇の役職であった。
城内における様々な権限などはほぼ持たないものの、騎士たちは彼女たちを同列の仲間としてみていたし、何より、その類稀なる美しさには皆敬意を払い、俗に言うファンも城内外関わらず多かった。
一介の兵士など到底手の届かない高嶺の花だったが、今はそんな彼女たちも獲物に過ぎないのだ。
(オイオイ、まさか愛しのラナとバッタリとは・・こりゃ運命の出会いって奴か?)
こうなると、ボンドの行動は早かった。
物音を殺して適当な位置まで近づくと、腹をすかせた肉食獣の如く一気に襲い掛かる。
「えっ・・いやぁっ――!!」

「・・・」
それは、ものの数秒足らず。
ラナフォンを羽交い絞めにし、ボンドはそのまま小島の上に腰を下ろす。
突然の敵襲に混乱する娘1人押さえつけるのは、ボンドにも容易な事であった。
「愛してるぜ、ラナ」
ムードも何もあったものではない。
「ずっと前から、お前に惚れてたんだ」
初対面の男にいきなり押さえつけられ、一方的に告白されてもときめく女などいようはずがない・・・はずだが、今回は少し違っていた。

「ふぅ・・・オーケィ。わかった、わかったわ・・」
ラナフォンは大きく溜息をつき、抵抗を完全にやめる。
遠くを見る眼差しは、どこか力なく虚ろだ。
「きっと、仲間を見捨てて逃げた罰が当たったんだわ。一番醜いあたしにはこれがお似合いって事ね・・」
「他の仲間が心配か?まあ、そいつらは不運だったな。あの連中に捕まったら、もう女としての幸せは二度と手に入らない体にされるよ」
「・・かもね。でも、あたしは見捨てたの。助けに戻ろうと思えば戻れたのに・・」
「馬鹿いえ、ラナ1人で戻って連中を皆殺しにできるのか?無駄無駄、仲間を心配するのはわかるけど、逃げて正解だよ」
「ハッ・・・・この状況が正解だってわけ?」
「ああ、正解さ。少なくとも俺は、連中ほど女を乱暴には扱わない」
「・・女の胸をまさぐりながら吐く台詞じゃないわね」
「そんくらい見逃してくれよ、俺は牡なんだからよぉ」
「あはははは・・・・ハイハイ」
罪悪感からか、どこか自暴自棄気味のラナフォン。
だが、ふと見せる自嘲気味な笑みはドキリとするほど艶やかだ。
「・・でも結局、犯る事だけはキッチリ犯るんでしょ?」
「まぁまぁ・・こんな人気のねぇ場所で若い男女が2人っきりなんだからよォ。細かい事は忘れて楽しもうぜ?」
「・・・ハイハイ」

     ▽     ▽     ▽     ▽     ▽

相変わらず異様なほどの静寂の中、霧に覆われた沼地に浮かぶ小島の上の一際大きな木の下で2つの肉体が蠢いている。
木の幹に手をついて尻を突き上げるラナフォンを、後ろからボンドが責め立てているのだ。

「あン・ンッ・ンッ・ンッ・ンッ・・」
自暴自棄から、誰でもいい、寄りかかる相手が欲しかったのだろう。
ラナフォンはボンドの陵辱に抵抗するどころか、むしろそれに溺れているかのようだった。
惜しげもなく足を開き、張りのある尻を突き上げる。
ボンドの動きに合わせて自らも腰を使えば、丸々とした美乳がぷるんぷるんと舞い踊る。
ウエーブのポニーは豪快に振り乱れ、褐色の肌には珠の汗がはじけていた。
「んだァ、ラナ?たまらねぇ腰使いしやがって、随分と淫乱じゃねぇか?」
「・・悪い?」
「いやいやっ、滅相もねぇ・・モロ、好みだぜぇ・・?――んあああッ!」
「は・・・・・ぁぁぁぁ・・ン・・・・」
唐突に行われる幾度目かの膣内射精。
ボンドから注がれる濃縮された快楽を、ラナフォンは女の最奥で味わい尽くすかのように吸い上げる。
そんな牝の色気に当てられて、ボンドはうなじへ、首へ、唇へとキスの雨を降らせ、ラナフォンもそれに応える。
「まったく・・・容赦なく中に出してくれるけど、デキちゃったらどうするわけ?」
「安心しろって、俺は腹膨らんでるラナでもちゃんと欲情するからよ」
「あはは、最低」
「ま、つまんねえ事なんか忘れてよ?今は、今に溺れようじゃねぇか。どうせこの先、どうなるかわからねぇんだから・・」
「溺れる・・・か。・・・クスクス・・・いいわ、あんたの望むままに腰を振ってあげる。楽しみましょ・・・・」
「そーこなくっちゃ♪」

ボンドは自分にまとわりついてくる異様な濃霧に、全く気づいていないようだった。
自分の見ている全てが、感じている全てが、まさか魔の霧の作り出した幻だなどとは知らず、幸せな悪夢の底へと沈んでゆく。
畏怖すら感じる静けさの中、先程からなにやらブツブツと呟いていた人影が1つ、沼の底へと消えていった。


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