□ Page.21 『犠牲』 □

 

――シュイイ・・ン

その音は突然来た。
それは扉の開閉音。
すっかり警戒を怠っていた敦と舞子が同じタイミングで振り向くと、扉の奥に1人の宇宙人が立っていた。
性欲に流れていた頭に、敦は再び緊張の糸を手繰り寄せる。
すくみ上がることしかできない舞子とは対照的。
歴戦の強者のだけあって、危険を感知するセンサーはこの上なく精密だ。
敦の判断の早さには、相変わらず目を見張るものがあった。

――ぺちゃっ。

宇宙人の体で、一番目立つ場所は宙に浮かぶ頭部。
敦はそこに狙いを定めていた。
宇宙人の最期はあっけなかった。
拳1発で頭が飛び、後ろの壁に激突して飛び散ったのだ。
だが、急いで腰元から例のプレートを引き剥がす敦の顔には、じっとりと脂汗が張り付いていた。
(コイツ・・今、何か、俺にしようとしやがった・・・)
こちらが殴りかかるタイミングで、宇宙人も片手を上げて応戦しようとしていた。
敦の戦士としての勘は、そのすぼまった手の先端に、何かの恐ろしい危険を察知していたのだ。
まるで間一髪、銃で武装した相手を倒したような感じだった。

「(よし、プレートは取った。急いで引き返すぞ!)」
「(・・うん!)」
目当てのアイテムを手に入れ、すかさず立ち去った2人の後ろ。
完全に死んだかと思われた宇宙人の腕がぴくりと動く。
その先端で、何度か青い光の球体が点滅して消える。
その点滅のテンポは一定ではなく、どこかモールス信号を思わせた。


        ▽        ▽        ▽


行けども行けども風景が変わらない一本道。
敦と舞子はそこを疾駆する。

《てぃーん・てぃーん・とーん》
《とーん・たーん・てぃーん》
《たーん・てぃーん・たーん》
《とーん・たーん・とーん》
だが、やがて聞こえてくるそんな複数の音は前方からだった。
幾重にも重なり合うその音は、狂気の旋律となって反響する。
敦は舞子の手を掴むと、自ら先頭に立ってその中に突っ込んでゆく。
「(・・岡本)」
「(なに?)」
「(俺が奴らを引き付ける。岡本はその間に先に逃げろ)」
「(だ・・だめだよ!一緒に逃げないと・・!)」
「(正直、俺は1人の方が逃げやすいんだ。それに岡本が先に行って、入り口の扉を開けておいてくれた方が、何かと効率的だろ)」
「(あ・・・わ、わかったよ・・でも、絶対無事に・・)」
「(きやがった!)」
とうとう行く手に宇宙人たちの姿が見え始める。
弧を描く通路の構造上、先は見えないが、今見えるだけでも10体近くいる。
通路の途中に先程はなかったはずのアーチ型の入り口ができており、どうやらそこから出てきているらしかった。
繋いだ手の中であのプレートを舞子に託すと、敦はその目に野犬のギラつきを宿らせて単身、敵陣中央に切り込んでゆく。
「オラアアアアァァァ・・!!」
――ぺちゃ。
――ぺちゃっ。
大きく振りかぶるようなフックから、流れるように連携する裏拳。
一瞬で2体の頭部を破壊する。
敵の弱点がわかっている以上、ともかく先手必勝あるのみだった。

「岡本、行けぇぇっ!!」
舞子に道を示すや、敦は間髪入れずに次の攻撃に移る。
足音は無事に後ろを駆け抜けていくが、入り口を開ける都合上、もう少し時間を稼ぐ必要があった。
自分に向けてゆっくりと手の先端を伸ばす宇宙人たちを、敦はうまく身をかわしながら叩き潰してゆく。
『今止まれば命はない』
『殺られる前に殺れ』
『殺せ』
『殺せ!』
『殺せ!!』
闘争本能と生存本能との完全融合。
それが敦の優れた肉体能力に限界以上の力を与えていた。
――ぺちゃ。
――ぺちゃっ。
――ぺちゃ。
――ぺちゃっ。
その最も原始的な戦闘能力は、宇宙人に向けた地球人最後に意地ともいえる。
ただ凶暴で。
豪快で。
そして、儚い。

――パウンッ

「・・・う・・・!?」
敦の後ろから放たれた見えない何かに、右腕が被弾していた。
そこで何かが飛び散るような感覚。
次の瞬間、振り回していた右の二の腕が慣性の法則に従い、敦の顔面を叩いていた。
そして、ぶらりと垂れる。
動かない。
(・・しまった)
それが打撃による骨折などであれば、敦は怯まずにすんだかもしれない。
だが、その理解不能なエネルギーによる攻撃を受け、頭は一瞬それを解析に行ってしまう。
それが次の隙を生んだ。

――パウンッ
――ドサッ

転倒。
今度は敦の左足太もも付近の感覚がなくなっていた。
見れば、横にいた宇宙人がちょうどその辺りに向けて手の先端を伸ばしていた。
先程感じた危険の正体はこれだったのだ。
だが、もう後の祭。
これで敦は、攻撃力と機動力のほとんどを失ったことになる。
致命傷も同然だった。
脂汗をだらだら流しながらゆっくりと見上げた先、ゆっくりと宇宙人たちが囲むように集まってくる。
そして、また何かの彼らの言語たる音を発する。
だが、それはさっきとは全く違う音だった。

《ビィィィィィィィィィィィ〜〜〜〜!!》
《ビィィィィィィィィィィィ〜〜〜〜!!》
《ビィィィィィィィィィィィ〜〜〜〜!!》
《ビィィィィィィィィィィィ〜〜〜〜!!》

まるで耳をつんざく警報音。
それは、敦の耳に怒気を孕んだ雄叫びに聞こえていた。
「うぅっ・・・・お・おか・・もと・・・」
少年が口にしたのは好きな少女の名前。
そして、それこそが破壊される前の高田敦の最後の声――悲しい断末魔となる。

涙で歪んだ視界の中、宇宙人たちが一斉に手の先端を伸ばしてくるのが見えた――


        ▽        ▽        ▽


一方、舞子はUFOの外にいた。
ここは舞子がよく知る風景へと続く、ひょろ長い一本道の入り口だ。
敦の命がけの行為により一切の追っ手を逃れた舞子は、無事ハッチを開け放ち脱出した。
あのプレートは予想通り、ハッチの開閉両方を担う鍵だったのだ。

――ドクン・・ドクン・・ドクン・・
だが、これより先は1人では逃げられなかった。
うるさいくらいの鼓動を響かせる胸を押さえながら、舞子は開かれたままのハッチを凝視し続けている。
そこに敦が現れることだけを待ちながら。
――ドクン・・ドクン・・ドクン・・
遅かった。
時計を持ってきていないので時間はわからないが、もうずいぶん待っている気がする。
だが、敦は来ない。
――ドクン・・ドクン・・ドクン・・
恐怖と罪悪感で圧死しそうだった。
ここに敦を誘ったのは舞子自身なのだ。
好きな男子を、自らの手で死地に導いてしまったのだ。

(・・どうしよう・・・・・高田が来ない・・・・来ないよ・・・・・)
無情な時の流れが、小さな舞子の希望の灯火を吹き消してゆく。
体中の感覚が剥がれ落ちてゆくような感覚。
(・・こんなつもりじゃ・・なかった・・・)
こぼれそうになる自分勝手な懺悔の言葉。
だが舞子は自らの頬を張り、それを振り払う。
(・・私の馬鹿!今は自分のことなんか考えてる暇ないでしょ!高田のことを・・考えないと・・!)

《もし何かあっても・・俺が動けなくなるまでの安全は保障してやる・・》
敦は最初から、舞子のために命をかけると宣言していた。
《もし見つかっちまったら、俺が・・何とかする・・》
そして、それを忠実に実行していた。
《正直、俺は1人の方が逃げやすいんだ》
だから、これはもしかしたら嘘だったのかもしれない。
《岡本、行けぇぇっ!!》
最後に聞いた敦の声は、体の中にある命そのものから搾り出したような声だった。
思い起こせば――それは手に負えない数の敵を前に、敦が舞子に残した別離の言葉だったのかもしれない。

(私は・・私はどうすればいい・・・どうすれば、高田の想いに報いることができる・・・?)
それは、舞子の知るドラマやマンガでもわりとよくあるパターンのシーンだった。
自己犠牲の精神でヒロインを守って死んでしまうヒーローキャラ。
すると決まって、取り残されたヒロインは自暴自棄に陥る。
強烈な自責の念に駆られたり、自傷行為に走ったり、時に自殺を図ろうとする。
だが、そこでまた別の仲間が登場し、ヒロインにこういうのだ。
『アイツはそんなこと望んでいないはずだ』
そして、ヒロインは心を強く持ち、生きてゆくことを決心する――

(私は・・・何が何でも生き残るべき?もう、ここから逃げ出すべき?)
それはマニュアル通りの答えではある。
だが、決断に踏み切るには弱すぎる要素だった。
《岡本、行けぇぇっ!!》
(もし、私が高田だったら・・・あの時どう思っていた・・・?)
目の前には死をもたらす魔物。
後ろには遠ざかってゆく愛しい人の足音。
(そう、そうよ・・・あれは違う・・・あれは高田の本心じゃないわ・・・きっとあの時、高田は『私を守る』という自己犠牲の精神を満足させることで、叫びだしたいくらいの本心を押し殺したんだ・・!)
絶望に体温を奪われていた舞子の目頭が、不意に熱を帯び始める。
(・・・高田はきっと・・・たとえ、どんな結末になろうとも、私と一緒にいたかったはず・・・)

――高田敦。
――酷く凶暴なケンカ魔で、最初は正直怖かった。
――でも、思えば何かにつけては私を助けてくれるヒーローだった。
――少し幼稚なところもあるけど、私に『好きだ』といってくれた初めての男子。
――ずっと前から、私でオナニーしていた男子。
――可愛いくらい、私への『膣出し』にこだわっていた。
――実際、可愛いと思った。
――いとおしいとも思った。
――そして、一生・・一緒にいたいと思った。

「はぁ・・・はぁ・・・」
舞子の呼吸の荒れ方が次第に変わってゆく。
逃げる者の吐息から、戦う者の吐息へ。
絶望に塗りつくされた顔に、強引に闘志を呼び戻していく。
敦への想いが、舞子の最後にして最強のエネルギー。
この判断が、たとえ『若さゆえの過ち』だったにしても、もう舞子にはどうでもいいことだった。

――高田、待ってて・・今行くから!
――もし・・・もし生きてたら、生き残ることができたなら・・その時は好きなだけ『膣出し』させてあげるからね。
――でも、もし・・・・もし、そうでなかった時は・・その時は・・せめて、貴方をもうひと目だけでも拝んでから――死ぬ!!

満場一致。
体内全ての細胞が、今、一斉に賛同する。

そう――舞子の乙女心が下した決断に。


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