□ Page.3 『誓いのクチヅケ』 □

 

その日の放課後。
時間は既に6時を回り、沈みかけた日差しが校舎を赤く染めている。
ちょうど部活のない生徒はすっかりいなくなり、部活で遅くまで残る生徒もそれぞれの活動のため、自由に動き回れない微妙な時間帯だ。
だが、屋上に出る前の踊り場で転寝をしつつ、この時間を待っていた男子生徒がいる。
――高田敦だ。

「へへへっ・・」
敦は今日1日、楽しくて仕方がないといった表情を口元に張り付かせていた。
その原因は例のトイレの落書きである。
あれを書いた張本人が彼なのだ。
シャーペンで大きくくっきりと書いた舞子へのラブレターは、彼の予想以上の速さでクラスの話題を独占した。
それはもちろん舞子本人の耳にも入るわけで、その時、そして事後の彼女の困り顔がまた敦の興味をそそったのだ。
ケンカでは大ベテランの敦だが、性に関する事情にはまだまだ青い。
好きな女の子あらば、まずは虐めたくなる年頃であった。

「さて・・と」
敦はすっくと立ち上がると階段を下りてゆく。
向かう先は例の落書きをしたトイレだった。
別に行って何をするというわけでもないが、ともかく無性に落書きが気になる。
今日の話題をかっさらった自分の作品を見るだけで、今の彼は満足を覚えられるのだ。

「・・・・・・」
ここに着くまで誰ともすれ違いはしなかったが、実際トイレの入り口を前にすると緊張から自然と忍び足になる。
――スッ・・
敦は音もなく男子トイレの扉を開け、中に体を滑り込ませる。
「・・・・・・」
まず、横に6つ立ち並ぶ小の便器を確認――誰もいない。
次にその反対側に3つ並ぶ大の便器がある個室を確認。
「・・・・・!」
ドキリ。
敦は思わず胸を押さえた。
ちょうど1番奥のドア、落書きした個室のドアが閉まっているのだ。
誰かが使っているらしかった。
だが、それはそれで一応予測の範囲内だ。
敦は素知らぬ顔をして小用だけを足して出ることに決める。
だが、彼が『忍び足』を解除しようとしたその瞬間であった。

「この筆跡は・・・高田やな・・」
中から聞こえてきた呟きに、敦は全身を雷に貫かれたかのような感覚を覚える。
気を抜いた瞬間に最大級のインパクト。
今度は、まさに心臓が止まらんばかりだった。
(・・・やばい・・)
胸が押しつぶされる感覚と、かすかな後悔の念が敦を圧迫する。
声色と口調から、中にいる人間が叶浦はじめであることはすぐに推測できる。
何故、女子のはじめが男子トイレにいるのかが謎ではあったが、今はそれが問題ではない。
はじめはその落書きの主をピタリと言い当てたのだ。
どうにかして、はじめの口を塞がなくてはならない。
敦は無意識に拳を握り締めた。

――パシャ!パシャ!
浅い吐息を漏らす敦の横で、今度は何故かカメラのフラッシュまでたかれ始める。
「これはまた、おもろい記事が書けそうや・・」
そこで更に追い討ちとなる呟き。
この一言が、叶浦はじめこそあの謎の新聞の主であることを強く匂わせる。
となれば、この落書きの真相は明日か明後日にはクラス中に知れ渡ることになるのだ。
(やばい・・・・やばい・・・)
これでもかとばかりに混乱を煽るはじめのリアクションに、敦は額からいくつもの脂汗をこぼし始める。
体中がガクガクと震えていた。
生きた心地がしなかった。
(何が何でも叶浦を黙らせねぇと・・・)
混乱は今にも限界線を越そうとしていた。

――ガチャ
(・・きた)
個室の鍵が開かれる音と共に、宙を泳いでいた敦の視線がその一点に収束される。
ドアが開き始めたタイミングでそこに突入した。

「・・ぉわぁっ!」
さすがのはじめも素っ頓狂な声を上げる。
はじめもはじめで人に会わずに撮影を終える算段があったのだが、目の前に突然スクープする本人が現れたのだ。
『男子トイレにいた』という事を知られる以上に強烈なショックを受ける。
だが――そこからの回復速度もまた、尋常ではなかった。

「叶浦。てめぇ、俺を敵に回したらどうなるかわかってンだろうな・・」
「た、たんまたんま!暴力反対や・・」
顔を合わすなり敦に胸倉を掴みあげられ、はじめは早速動きを封じられてしまう。
更に絶望的なのが、敦の後ろから聞こえた『ガチャ』という音。
切羽詰った敦は誰の目にも明らかなほど危険な目をギラつかせている。
それはまさに『現代の少年が人を刺す直前のそれ』だ。
今、下手に敦を挑発すれば命にかかわる状況だが、何故かはじめの表情には余裕があった。
「あとカメラだ」
「ちょちょちょ・・その前に、ちょいとだけうちの話を聞いてくれへんか?」
「・・あぁん?」
「もし・・・もしな、その話がもし面白うなかったら、なんでも高田のいう通りにしたる」
「んだぁ・・?」
「ま、落ち着いてやぁ・・・ええか、これから話すんは高田にとっても絶対悪い話やない・・」
たったいくつかの会話のやり取りで、敦とはじめの間にある状況はひっくり返ろうとしていた。
まん丸眼鏡の下にあるはじめの瞳は、いつの間にか『追い詰められた者のそれ』から『獲物を狙う者のそれ』に変化していた。
例えるならば、魔女の眼差し。
それは、普段の人気者のはじめからは想像もつかない、妖艶で悪意に満ちた眼差しだった。

「・・話せよ」
その一言と共に、はじめの拘束が解かれる。
すると、はじめはいくらか体を引き、また暗示にかけるような眼差しで敦を覗き込んだ。
「高田、この落書きが本心図星だからびびってるんやろ?」
「・・・」
「要は、高田は岡本ちゃんと・・」
はじめは胸のふくらみの前あたりに両手を持ってゆくと、右手の親指と人差し指で円を作り、そこに左手の人差し指をゆっくりと刺し抜きしてみせる。
「『コレ』したいわけやな?」
「・・・」
もう、完全に話の主導権ははじめの手の内にあった。
敦がこの手の話に純だと見るや、はじめは蜘蛛のごとく一瞬で獲物を絡め取ってしまったのだ。
腕力では敦に勝ち目のないはじめだが、こういった話術では1枚も2枚も上手だった。
「それやったら、うちと組まへんか?」
「・・組むだぁ・・・?」
「せぇや。高田がうちに協力してくれれば、うちも高田に協力したるで・・岡本ちゃん落とすの手伝ったる・・他の連中なんぞより、うちの方がよっぽど戦力になる思うんやけどなぁ・・?」
「き・・記事はどうなるんだよ?」
「・・・?」
「・・・この落書きだよ」
「ああ、それは大丈夫や。そゆことなら名前はふせといたるし、どちらにしろ岡本ちゃんへのアピールとしてはおもろい思うけどな?」
「・・・」
「なぁ〜・・どうなんや、高田ぁ〜」
はじめは調子に乗って、すっと伸ばした人差し指で高田の胸元をなぞる。
だが、完全自分有利を過剰にアピールしたのは失敗だった。

「どうでもいいけどお前、あんま調子に乗んじゃねぇぞ・・」
「あ・・・あちゃ・・・」
「俺がもし『NO』っていって実力行使に出たらどうするつもりなんだ?・・あん?」
魔女の眼差しは、いつものはじめのそれに戻る。
はじめは不用意に敦のプライドを見下しすぎたのだ。
それが安っぽい野犬のプライドとはいえ、はじめには再度それを持ち上げる必要があった。

「す、すまん・・うち、ちぃと調子に乗りすぎたわ・・堪忍してやぁ、悪い癖なんや・・」
今度ははじめは表に出さない。
内にあの眼差しを光らせつつも、それを表に出さないまま敦を懐柔する作戦にでた。
「最後の手段に出られたら勝ち目あらへんもんな・・うちも、もうちょい身分わきまえることにするわ」
そういうと、はじめはその場にすっと腰を降ろし、かしずくかのようにしゃがみこむ。
「高田、お願いや・・うちに協力したって?そしたら、うちも高田のために尽くすから・・・な?」
腰元辺りから、眼鏡ずり落ち気味に上目遣いでそうねだられては、敦も悪い気はしない。
悲しい男の性というやつだ。

「・・よし、いいぜ」
やっと、自分上位の言葉を吐き、満足感を得られることができた敦だったが、そこに抜け目なくはじめが更なる追い討ちをかける。
――ジィィィ・・・
腰元から聞こえてくるそんな音。
敦は自然にそちらへと視線を向ける。
「ん?何だ?」
そこには、敦のズボンのチャックを下ろし、そこに指先を滑り込ませるはじめの姿があった。

「これはうちからのお詫びと、あと誓いの証・・・受け取ってや」
デリケートな高級装飾品でも扱うかのような手つきで、はじめはチャックの奥から敦自身を導き出すと、それをゆっくりと口に含んでゆく。
ひたすら丁寧にねっとりと舌を動かし、敦の支配感を煽ってゆく。

「ん・・・」
1番敏感な部分にこれまでとは比較にならない生々しい接触を受け、敦は小さく声を上げる。
だが、それでも今度は自分のプライドを貶めるような対応はとらなかった。
――チュプ・・チュ・・ムチュ・・
「んぷぁ・・んむ・・・っ・・なぁ、どや、こんなんでええか・・?もっと、こうせぇみたいなのがあったら、いってくれて構へんで?」
「へへ・・じゃあ、こうしてもらおうか・・」
敦ははじめの頭を掴み、自らの力で快楽のテンポを創り出していく。
最初は限界まで口内の奥へ突き入れてみる。
次はそれをカリの部分辺りまで引き戻し、そこから勢いをつけて前後させる。
コツがわかってくると、更にそこに自分の腰の動きをも加えていく。
――チュッポチュッポチュッポ・・
「うぐ・・・ん・ん・んぅ・んっ・・・ぷぁっ」
はじめは苦しそうな表情こそ見せるが、それでもできる限り正確さを欠かないように心がける。
それはまさに主に仕える女奴隷のようで、敦の興奮を高みへと昂ぶらせてゆく。


――チュッポチュッポチュッポチュッポ・・・
「ハァ・・ハァ・・よっし、出すぞ・・・」
「んぐ・・うぅ・・ん・うんん・・」
上り詰めてゆく快感が一際大きな波を描こうとした瞬間。
敦は唾液にまみれた怒張をはじめの口内から抜き放つと、自らの手で最後の瞬間を与える。
――ビュゥゥッ!ビュッ!ビュッ!
――タパッ・・タパパッ
「んはッ・・・やあぁんっ」
勢い良く放たれた数億の命を含んだ粘液は、弧を描いて飛ぶとはじめの顔に降り注いだ。
すっかりべとべとになった眼鏡をずらすと、はじめは荒い吐息を整えながら、ゆっくりと恍惚の表情で敦を見上げるのだった――


        ▽        ▽        ▽


次の日、朝のホームルーム。
教壇では担任の花見葉子(はなみようこ)が、雑談なども交えながら、今朝の新聞から生徒たちのためになりそうな話題をかいつまんで話したりしている。
花見は26歳の若手女性教員で、その美しい顔立ちとその豊満なバストからか男子生徒に人気がある。
また、こちらも気さくで人気のある体育教師、郷田太一郎(ごうだたいちろう)が葉子に想いを寄せているとの噂もあり、女子たちの話題にもよくのぼる。
どうあれ、この大山高校自慢の教員の1人であることに違いはなかった。

「・・そうそう、そういえば、今度ハリウッド製の日本映画が公開されるのよね。そう・・『ベスト・サムライ』!先生、あの映画はとぉぉっても興味あるんだけど、皆はどう?見に行く予定の人ってどれくらいいるの?」
「えぇ〜っ!?あれ、なんか忍者が分身の術使ったり、天皇に芸者がかしずいてたりするらしいっすよ?」
「あと、クライマックスでは主人公の周りで敵が全員切腹するとか・・ワケわかんないし・・」
「そうそう、それよ!先生はね、ハリウッドが日本映画に新しい時代をもたらすことを期待してるの!」
「つか・・先生・・そんな時代きたら、この国滅びますよ・・」
ワイワイと教室が盛り上がる中、1人だけそれについていっていない女生徒がいた。
岡本舞子である。
原因は今朝張り出されていた例の新聞だ。
珍しく2日連続で張り出されていたあの新聞の今回の記事は、ずばり例のトイレの落書きに関するものだった。
昨日は話に聞いただけだったが、今日はそれを画像と詳しい説明つきで見てしまったのだ。

『噂の男子トイレのメッセージに迫る!』
たしか、そんな見出しだった。
そしてそれは、明らかに話が知れ渡っていること前提のタイトルのつけ方で、舞子には少し気味が悪かった。
当然といえば当然だが、身近にこの記事を書いた犯人がいるということだからだ。
なお、内容は昨日の話に輪をかけてショッキングなものだった。
まず、何よりも単純に威力があったのが写真だ。
男子トイレの壁を近くから撮影したそれは、昨日の沙弥のものよりずっと鮮明で綺麗に写っていた。

『1−C岡本舞子をバックからズコバコ犯りてぇ』

落書きの内容も、昨日男子の口からなんとなく聞いたものより遥かに露骨な書き方がされていた。
文字はシャーペンだか鉛筆だかで何度も線を重ねた汚い太文字だが、だからこそ余計リアリティと鬼気迫る迫力があった。
次に文章の方だが、こちらもまた意地の悪い内容だ。
単なる愉快犯にしては根拠がなさ過ぎるだとか、やはり一種の告白なのではないかだとか。
そして、最後に書かれていた一文も強烈だった。
壁の落書きの部分には、よく見ると精液が付着した跡があったというのだ。
結局、新聞自体は遅れて登校してきたはじめが昨日のように破り捨てたが、舞子の瞳が鮮明に焼き付けた映像だけはどうしても頭を離れなかった。

「・・・・・・」
花見のトークに沸く室内で、舞子は1つだけ自分と同じようにノリについていってない存在を感じ取る。
真横から、何かしら異質な存在感。
そしてそれは、その相手がこちらを凝視しているからだと気づく。
舞子はそちらを振り向くことはできなかったが、視線の主は大体察していた。
――高田敦だ。
何故、敦がこちらを見ているのかはわからない。
だが、さすがに気味が悪く、舞子は結局最後まで素知らぬふりを決め込んだのだった――


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