第一話『 決意 』

       (視点・結城瑞希)



『俺も……瑞希は可愛いなって、ずっと思っていた……』
 …夢じゃないよね?

 何度も宗ちゃんの……物心つく以前から、ずっと…ずっと大好きだった人の言葉を反芻しては繰り返す。
 嬉しかった。
 本当に緊張して、嬉しくて、それだけに涙まで。
 人って本当に嬉しい時も、涙が出るんだね。

 私と宗ちゃんの年齢差は、丁度四つ。
 なんて遠いんだろう……って。
 それは絶望的な距離。
 私がやっと中等部に入学したら、宗ちゃんは高等部に。私が中等部を卒業して、またそれは宗ちゃんが卒業した高等部の三年間となってしまう。
 家はこんなに近くなのに……ご近所さんなのに。
 年齢だって、四つしか違わないのに……

 だから、宗ちゃんの卒業した中等部に入ったら……宗ちゃんに告白しよう、って決めていた。
(だから、それまで宗ちゃんに彼女ができませんように!)
 何度も、何年も…そう願った。
 宗ちゃんの中等部の制服姿を見かけては、その度に。

 ……だから、
『居る訳ねーだろう!?』
 と、宗ちゃんの言葉が聞けた時は、それを意外と思うよりも私の願いが叶ったよ、きっと神様が私のお願いを聞き届けてくれたんだ、とさえ信じられた。
 後は……私が、告白して……
 正直、自信なんてなかったよ。
 中等部に入ってからの約半年間。色んな男子から告白されてきたけど、私には年上の宗ちゃんから好かれるような、そんな自信はなかった。
 胸は大きくないし……背だって高くないし……
 宗ちゃんに告白するまでに、もうちょっと、もうちょっと欲しい。って、無い物ねだりを繰り返していた。


 だから、宗ちゃんと交際……宗ちゃんの彼女にして貰って凄く嬉しかった。
 ずっと好きだったから、本当に……それだけに。
 だから手を繋いで一緒に歩いてくれるだけでも、私は満足してしまう。
(こんなんじゃ、彼女失格だよぉ…)
 宗ちゃんは高等部だし、私は彼女にして貰えた身。
 だから、宗ちゃんには彼女にはこうして貰いたい、とか、もっと要望してくれてもいいんだけど……
 なんとなく解かってしまう。
 宗ちゃんだって健全な高校生の男子。
 宗ちゃんだってエッチをしたい……そう思うのが普通なんだって。
 私は宗ちゃんの彼女なんだから、キスしても、身体を求めたっていいんだよ?
 でも……
 やっぱり、私の身体には魅力が足りないのかな、って。


 ……夏休み。
「あ、今日も東条、勝ったんだぁ……」
 夜にでもおめでとう、って送らないと。
 宗ちゃんが所属している野球部が快進撃を続け、それだけに慌ただしい日々が続いていた。
 ただ夏休みに入ってからというもの、宗ちゃんとデートする機会は逆に減ってしまったから、少し残念……
 ちょっとだけ…寂しいな。

「え、私が……?」
 そんな折に、年末に決定される『ミス付属コンテスト』の東条学区代表の打診を受けた。
 それは『房総大学付属』の名を冠する初等部、中等部、高等部の中から、各四条学区の五名ずつにしか与えられない参加資格だ。
(とても栄誉なことなんだろうけど……)
 正直、興味がないわけじゃない。
 でも…今年は辞退させて貰った。まだ宗ちゃんと交際し始めて間もない、大切な時期のそれだけに。

 もしも来年…選ばれたのなら、その時は、って……


 お父さんには黙っていたけど、お母さんにだけは、私にも彼氏ができたよ……って報告。なんとなく以前から悟られていたような気もするけど……
 そこで私は『運命の相手』と『愛の証』について、改めてお母さんから教えられる。
(あ、これは真剣な話だ……)

 『愛の証』とは初めてを捧げる純潔のことであり、それを捧げた相手が……私の『運命の相手』となる。
 これは一生に一度だけのこと。

 だから、後悔だけはしないでね、とはお母さんの言葉。
(うん……後悔なんて、絶対にしないよ!)
 宗ちゃんとなら…絶対に。
 もし宗ちゃんが私なんかに愛想が尽きて、さようならって恐れならある。それは宗ちゃんと付き合うようになって、猶更だっただろう。
 だから…宗ちゃんに捧げよう、って思った。
 私にとって『運命の相手』は…うん、宗ちゃんしか考えられない、って。
 それでもし宗ちゃんから愛想を尽かされて、別れるようなことになったとしても、私の『運命の相手』はいつまでも、どんなことがあっても、宗ちゃんに変わらないのだから。

 だから、九月の最初の週末。
 奇しくも、その日は私の誕生日。
 私は登校する前に、お母さんにだけ報告する。
 もしかすると、今日は帰れない……かもしれないから。
「お母さん…今日は、その…帰らない、かも……」
「そう……」
 それだけでお母さんには通じた。
 私の誕生日だということもあっただろう。
 だが、それ以上に私の覚悟と決意を認めてくれた。
「んじゃあ、頑張りなさい!」
「うん!」

 待ち合わせの、いつもの場所に三十分前……ともあって、さすがに宗ちゃんの姿もない。
 三十分なんて、全然、苦なんかじゃない。
 初等部からの七年間、想い続けた時間に比べれば……
「おはよ、宗ちゃん」
「おう。相変わらず、朝早いなぁ……」
 朝は苦手だもんね。
 自動自走車に乗り込み、東条駅までの三十分。
 これが私と宗ちゃんの……登校で一緒に居られる、唯一の二人だけの貴重な時間。
「宗ちゃんは今日も部活、でしょ?」
「まぁな。三年生が引退して抜けて、新チームが始動したばかりだしよ……今がチャンスなんだ」
「そっか……」

 きっと今日も練習で帰りが遅いのだろう。
(なんて……誘おう?)
 ああ、胸が……ドキドキするよ。

「あ、そっか。今日だったな……」
「え?」
「瑞希…誕生日、おめでとう……だな」
 宗ちゃんは鞄から取り出して、私の膝の上に置かれる。
「あ、ありがとう……」
「と、それは絶対、今、ここでは開けるなぁ!」
「う、うん……」
「本当はもっといいもん、贈りたかったんだけど……気に入らなかったら、俺の小遣いの少なさと親父の稼ぎの少なさを恨んでくれ……」
 顔を真っ赤にした宗ちゃんがそっぽを向く。
「…私、宗ちゃんに誕生日、教えていなかったような?」
「大切な彼女の誕生日をチェックしない訳ないだろ!」
「……」
(大切……)
 その宗ちゃんの言葉が凄く嬉しかった。
 その言葉だけでも、最高のプレゼントだったよ。
「宗ちゃん、ありがとう……」
「…おう。そんなに喜んでくれるとは、俺も……」
「ううん。本当に嬉しいんだよ…」
 だから、私も東条駅までの時間が迫っていたこともあり、思い切って伝えることができた。

「今日、宗ちゃんの帰り。待っていても……いい?」
 ……と。


 その日の放課後。
 私は高鳴る胸を抑えて教室を出る。
 その胸には、ロケット式のペンダント。宗ちゃんが贈ってくれた誕生日プレゼントだ。中には二人の初デートを記念して撮影した画像が収められている。
「……」
 そんな矢先だ。校門でまた同学年の男子から告白されたのだけど、これは私も悪いのだろう。
(宗ちゃんとのこと、別に秘密にしている訳じゃないし、仲の良い女子には、彼氏ができたことも報告済みだけど…)
 まだ大半の男子生徒に、未だに彼氏なしと誤解させているのだろう。
「ごめんなさい、私、今…お付き合いしている方が居ますので、貴方の好意には応えられません。本当にごめんなさい」

 この日、初めて。
 私自ら交際宣言を口にした。
 これを期に男子生徒から告白される機会が激減することになるが、私は絶対に後悔なんてしないだろう。


 東条学区も他の四条学区と同様に、各学区の中心地となる駅周辺は、学校関係施設によって占められている。初等部と中等部の区画が隣接して、高等部の区画は、東条駅を挟んで反対側となっている。
「宗ちゃんはまだ……だよね?」
 高等部の帰宅が中等部より遅いのは当然。
 まして宗ちゃんは野球部の練習がある。
『誕生会だな、解かった!』
 と、今日だけは早めに切り上げてくれる、って話だったけど、宗ちゃんに無理だけはして欲しくない。
 野球部も新チームになって、宗ちゃん自身も、今は大切な時期だと言っていた。
 彼女にして貰った身なのに、そんな私が宗ちゃんに迷惑をかけるなんてできない……

 宗ちゃんがどんなに遅くなっても問題はない。
 最悪、今日は家に帰れなくてもいい……
 お母さんにはそう伝えてあるし、きっとお父さんにも話を通しておいてくれるだろう。
 駅の降車ポイントを示す電光掲示板を見て、高等部の施設を見つける。
(野球部の練習って、見学させてくれるのかな?)
 きっと練習グランドか、部室の方に行けば……宗ちゃんに早く逢えるかも!
(もし、上手く逢えたら、驚かしちゃおうかな…)


「うわっ……」
 私は初めて訪れる東条高等部の校舎郡を見上げる。
 いずれは私も通うことになるのだろう。
(でも……)
 私がここに通える時には、宗ちゃんはもう卒業しているんだよね。
 今の中等部にしても、そうだ。
 今の中等部の校舎も、宗ちゃんが三年間通い続けた校舎だが、私の入学に合わせるように卒業している。
「一年ぐらい、卒業…待ってくれないかなぁ……」

 もし宗ちゃんが……一年でいいから、留年してくれたら、私にできることなら、なんでも……本当になんでもしてあげる、って言えば……待ってくれるのかな?
 ……なんてね、彼女にして貰った手前、そんな我儘なんて言えないよね。

「中等部から、見学に来ました」
「東条中等部一年の結城瑞希といいます」
「野球部の練習場はこちらですか?」

 幸い、今年の夏の甲子園優勝もあって、見学やギャラリーに訪れてくる人は多いらしい。
(携帯端末を持つ四条学区の生徒、もしくは住民ならともかく……本土の高校関係者が偵察には四条学区の特性上、非常に難しい、って話だけど……)
 春にも甲子園(※選抜のこと)があって、夏にも甲子園があって……高校野球児にとって甲子園って凄いんだね。
(宗ちゃんの彼女なら、もっと野球を勉強しようかな?)

 宗ちゃんは私の誕生日だって、憶えていてくれたのか、わざわざ調べてくれたのか、は、解からないけど……
 うん、宗ちゃんの彼女なら……

 そんな妄想を広げていると、
「おい、そこで何をしている!」
「は、はひ!?」
 野球部の練習着を着ている人が怒声を浴びせてきた。
「え、と…わ、私……」
 正直、宗ちゃん以外の男子は苦手だ。
(みんな宗ちゃんのように、怖くなければいいのに……)

「その……あ、あの……」
「………」
 この場合、何て言えばいいのだろう。
 宗ちゃんに逢いに来た、って、変じゃないかな?
 一応、宗ちゃんの彼女だから、大丈夫?
 あ、でも……中等部の私と付き合っている、って知られたら、宗ちゃんに迷惑をかけちゃうかな……
「ふん、丁度いいか……」
「えっ?」
 その言葉の意味も理解できないまま、私は目の前の人に唇を奪われてしまっていた。
(あ、わ、わたしの……ふ、ファースト、キス……)
 宗ちゃんに、あげたかった……のに。
 余りのショックな出来事に涙と怒り、哀しみが溢れてきたが、それも次第に身体が、不思議な感覚から思考までも定まらなくなってしまう。
(え……な、なに?)
 キスをすると……こ、こうなるの?
 口内に舌を入れられて、私の舌を絡みとられてしまう。
 ううん、次第に私の方でも……

 携帯端末で開錠された室内に連れ込まれ、そこで再び私は唇を奪われてしまっていた。
(い、いやぁ……)
 もう、抵抗さえできなくなっていた。
 私の意思に関係なく、身体は積極的に彼からのキスを応じ始めてしまっていた。
「お前……名前は?」
「……瑞希」

 正直、名前を偽るかどうか、辛うじて残されていた理性を総動員させて迷った。
 名前を偽り、すぐにこの場を立ち去り……私は今日、高等部の区画には来なかった……と、すれば良かったかもしれない。
 だが、同時に本能的な部分で悟っていたのかもしれない。

 例え、名前を偽った処で……もう絶対にこの事態は好転なんてしない、ということを……


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