第六話『 運命の相手 』

 
 俺たちが生まれたこの時代では、『処女性』を特に重んじることが常識的だった。『処女』だからいい、『処女』じゃないからダメ、っていう訳じゃない。

(…そもそも俺は、処女云々言う前に、彼女一人いないんだけどな……)

 ただそんな時代の中だからだろう。

 女生徒たちの間に二つの造語が生まれていた。

 異性に純潔を与える『愛の証』という言葉。

 その『愛の証』をたてた異性のことを、彼女たちは『運命の相手』と呼び、生涯に渡って身体に刻むらしい。



 俺は少しだけ機嫌を直してくれた『南部深雪』に視線を向ける。彼女はまだ『処女』だ。それは昨日、深雪の携帯端末からでも確認することができた。

 つまり、彼女は東北時代の中学生時代に『運命の相手』は勿論、『愛の証』を誰にも渡していないということだ。

(だからって、俺がなれるって訳じゃないけどな……)

 深雪は「南部家」の一人娘である以上、俺のような男とは結婚なんてできない。許されないだろう。勿論、恋愛だってできるなんて思えない。

(でも……)

 俺は瞳を閉じて、そこにいる『南部深雪』の『処女膜』を頭に浮かべる。そこにはきっといつか、俺にではない誰かに捧げられるのであろう、それを。

(それでも俺は……深雪の運命の相手になりたい)



 って、本気で思ってしまったんだ。





「やっと着いたぁ……」

 西条学区の中心に位置する西条駅。

 中央地区とリニアで繋がる四条学区の中心には、必ずその学区の名を冠した駅があり、中央地区にはセントラルという広大な建物が、その役割を担っている。

 西条駅の周囲は点在している複数の乗降車ポイントと飲食店などの繁華街、そしてそこから学校関連施設が連なっていく感じだろうか。

「どうする、晩御飯食べてく?」

「あっ、もうそんな時間なんだな……」

 春先なだけに上空はまだ明るいようにも思えたが、時刻は既に十八時を廻っていた。



 北条高等部の『トリプルティアラ』との対談を終えた俺たちは、折角のセントラルということもあって、寄り道をしていくことになった。

(さすがにセントラルは品揃えが豊富だからな)

 特に深雪は昨日、女子寮『ラキシス』に入寮したばかりだったし、同じ新入生である翔子も日は浅い。二人は主に身の回りの物を中心に購入したが、二人の買い物は同学年とは思えないほどに対照的だ。

 「南部家」の一人娘である深雪は値段など気にせず、自分の趣向に合わせて買い揃えていたし、翔子は似た商品を比較したら、小さな価格差でも値段の低い方を重要視する。

(ああいう動物柄が……好きなんだな)

 俺の視線はどうしても深雪の姿を追ってしまう。

 艶やかな綺麗な長い黒髪。非常に整っている顔立ち。西条のブレザーを身に包んだ、とても魅力的な身体だ。こうして見ると胸はないように見えるが、実は意外とあることを俺は知っている。トップとアンダーの差ってやつだろう。

(……Cカップぐらいだよな)

 勿論、そんなことを本人に確認できるはずがない。

 こうして今も、俺なんかが一緒に居られるだけでも、奇跡というもんだろ。

 深雪と翔子の後に続く、西条高等部の男子生徒たち。

 既に深雪には、『南部深雪親衛隊』なるファンクラブが創設された、と(学園都市チャンネル速報によって)伝達されており、彼らはその一部の生徒である。

 俺も本来なら、あの中にいるべき人間なんだから。

(奇跡……そう、驚異の連続ってやつだな)

 見たこともない神の恩恵を感じる俺に対し、深雪はお構いなく、無防備なまでに心を曝け出してくれる。

「義久様はどちらがいいと思います?」

 深雪が二つのマグカップを手にして尋ねる。

 時にはその接近ぶりに、後に続く男子生徒の歯軋りが聞こえてくるようだ。

(だから……)

 こうして彼女が話しかけてくれることを俺は光栄に思う。光栄に思わなければならない。

(この、突き刺すような視線は痛いけどなぁ…)

「それでですね、こっちはここが、……」

 どちらも似たようなものだったが、細部の柄や作りが少し異なっていた。本当にどちらも似たようなもんである。

 このように迷った彼女が俺に尋ねる機会は多い。

 そして俺が選ぶと、深雪は「では、これにしますね」と、必ず俺の意見を尊重するのだ。

(自分で使うもんなのに、俺の好みを採用してどうするんだよ?)



 ちなみに会計の総額を見て、我が家の家計を預かる身の俺としては顔面を蒼白させたものだが、深雪は顔色一つ変えることなく、携帯端末で支払いを済ませる。

 ……さすがはあの「南部家」のお嬢様である。





 そんな感じで、俺たちが西条学区の西条駅に戻るスカイラインに乗り込んだのは、十七時になっていたはず。スカイラインは三十分毎のリニアだから、十七時半発の車両だったのだろう。



 乗車ポイントの幅広い階段は約十二段。翔子と深雪、俺、郁子と祐樹の順で登った順番に他意はない。

 ……なかったはすだ。

(……薄いピンクだな?)

 だが、俺の目の前には、深雪のスカートと健康的な生脚があり、もう少し角度があれば確実にその成果を報告することができるだろう。もっとも、俺の直感と洞察力は白桃色だと断定できている。

 だから、階段を登り終えた時点で、深雪が振り返った時は心臓の鼓動が悲鳴を上げたような気がした。

(だ、大丈夫だ……俺はただ深雪に続いて階段を登っていただけだ、登っていただけ。それに見えなかった。うん、見えなかったぞ……深雪のパンツが薄桃色だなんて、さ)

「義久様……」

「また、様、って……」

 内心の焦りを隠して、思わず苦笑が漏れた。

 俺がそう指摘するのは、今日で何回目になるか。また今日が初めてでもない。



(今日一日で感じたことだったが……)

 『南部深雪』の俺に対する評価はおかしい、と思った。

 何度でも言うが、彼女はあの「南部家」の一人娘だ。戦国時代で言えば、大名の一人娘のお姫様と言って過言ではないだろう。

 一方の俺は平民だな……良く言っても下級武士のその息子がせいぜいだろう。それも大して出世も望めなさそうな、見所のない人間だ。

  普通、お姫様はそんな下賤な人間を相手にはしない。住んでいる世界そのものが違うんだ。当然だろう。奉仕されて、敬慕されて当然だって思うのかもしれない。彼女にそうなって欲しいって訳じゃなかったが、正直、そんなお姫様みたいな深雪から、敬称付きで呼ばれるのは、決して悪い気分ではなかった。

(背中がむず痒いけどなぁ……)

 そもそも、「南部家」の一人娘である『南部深雪』に名前を憶えられる、呼ばれるだけでも、本当は光栄なことなんだと思う。

(……とりあえず、深雪のスカートと太腿辺りを舐めるようにガン見させて貰っていたのは、大丈夫のようだ)



「あ、あの……えっと……」

「ど、どうしたんだ?」

「……っ……」

 深雪が何か物言いたげな表情を浮かべたまま。可愛過ぎる仕草を落ち着かせない。

(………)

 この流れはまずい、って思った。俺の過去の経験則から、トラウマにもなっている光景が頭に過る。

 思わず、立ち止まった足が震えた。

 何度、このシチュエーションで期待して、期待して。その度に裏切られて、身を引き裂かれる思いをしたか。時には頬を張られて突き飛ばされた。時には泣かれだしたりもした。

「ちょっと、急に階段で立ち止まらないでよぉ!」

 そんな淡い、甘ったるい空気をぶち壊した(この場合は壊してくれた、と表記するべきなのか?)のは、俺の後ろにいた郁子だ。

(すげぇ気迫……)

「すまん、何もそんなに怒鳴らなくても……さ……」

 俺は郁子に振り返って、続く言葉を飲み込んだ。

 郁子の表情がいつにも増して厳しくも険しい。こいつがこんな形相を浮かべるのは、昨年の優勝した全国高校総体剣道大会(インハイ)女子個人の決勝以来じゃないだろうか。

「郁子、おまえ……」

「深雪……」

 上で深雪の手を引いたのは翔子だ。

 そのおかげで一触即発の危機は、なんとか、免れることはできたと思う。だが、それは問題の先送りでしかないのかも知れない。

 これも今日一日で解かったことだが、それほどまでに深雪と郁子の相性は最悪だった。

 俺の知る限りで『南部深雪』という彼女は、自分の容姿や家の生まれだけで他人を見下すことなんてしない、素晴らしい性格だと思う。

(…じゃなかったら、俺なんて相手にすらしてくれなかっただろう)

 一方の『榊原郁子』は、確かに口の悪い部分はあるけど、決して悪い奴じゃない。俺が頼んでも「嫌ですぅ!」「無理ですぅ!」と口では言っても、結局はやってくれたりする、誤解されやすい性格をしている。

(まぁ、面倒くさい性格な奴だけどなぁ……)

 お互いに冷静になって、誤解さえ解ければ、きっと友達にいや親友にだってなれるだろう。

「なんとかできないものかな……?」

 かたや可愛い(できれば、もっと仲良くなりたい)後輩であり、かたやもはや腐れ縁の幼馴染である。

「それはナンセンスだ」

「祐樹?」

 もう一人の幼馴染は表情一つ変えることなく、何ごともなかったように階段を登り終える。手にしていた携帯端末から目を離すこともなかった。

「それは、どういう意味だよ?……」

「今、衝突している原因の解かっていないお前が二人の間を取り持とうとしたら、絶対に失敗する。いや、更に悪化する可能性の方が遥かに高い」

「えっ……」

 基本的に祐樹は他人事には無関心な方だ。そんな祐樹がここまで饒舌に忠告することは珍しい。だが、同時に危険察知(俺は人型ゼロシステムと呼んでいる)能力は、俺も認めるところである。

 その祐樹が失敗する、と言えば、俺は絶対に失敗するのだろう。

「だから、お前の言動は無意味だ」

(珍しく、今日のお前は一言、多いけどな……)



「それでは……先輩。お先に失礼します」

「おやすみなさい」

 深雪と翔子を乗せた自走車(深雪はまたあの無防備なポーズだったが、今日は制服なので谷間は見えない)が発進していく。

 それで待機自走車の数は「0」になった。

 西条駅には他にも乗車ポイントがあるにはあるが、また階段を昇り降りするのは面倒だったし、駅のポイントではすぐに次の車両が来ることだろう。

 深雪たちを優先にしたのは、彼女たちが後輩であるということもあったが、それ以上に彼女たちの女子寮『ラキシス』には、厳密な門限が迫っていたからだ。



(……昨日のあそこで、俺は……)

 俺は向かいにある乗車ポイント……昨日、深雪を見つけることができた、電光掲示板を感慨深く眺めていた。

 あの時に声を掛けなければ、今日のようなことはなかったに違いない。『トリプルティアラ』の面々とお茶することもなければ、南条高等部の『安東理奈』と接することも、『宇喜多翔子』と面識を得ることも。

 何より……『南部深雪』とも。

(連絡先、聞いておけば良かったな……)

 とも、思ったが、深雪に嫌な顔を……不審な顔をされるのがとても怖かった。あの美声で「先輩、もう絶対に私に話しかけないで下さい!」なんて言われたら、俺は泣くぞ。

(想像しただけで、死にたくなったぞ、今……)

 そんな時だった。

「義久、一体、どういうことよぉ!?」

 郁子が怒って当然のような、疑問を俺にぶつけてきた。まだ先ほどの一悶着の怒りが燻っていて、その矛先が俺に向けられてきた感じだ。

「ん?」

「あんな後輩と何時、何処で知り合っていたのよぉ!?」

「ああ、えっと……」

「私、聞いていないんですけどお!?」

 余程、深雪のことが気に喰わないらしい。

 だが、郁子の疑問は当然であろう。



 『南部深雪』は何度も言うが、学園都市でも名の知れた、あの「南部家」の一人娘である。つまり、「超」が付くほどのお嬢様なのだ。そして今年の新入生総代を務めており、つまり、今年の新入生の中でもトップという才媛でもあり、あの精巧に創られたかような容姿に、聞くもの全てを魅了する美声の持ち主でもある。

 一体、今日。何万人の人間が彼女の虜になったことか。

 そして俺と郁子は小さい頃から……それこそ物心がつく頃からの幼馴染である。まるで姉弟(俺が弟ってのが少し癪なんだけどなぁ……)同然のように。その意味では、もう一人の祐樹よりも、時間的には長い付き合いだと言える。

 その祐樹は、携帯端末に届けられた一報の『学園都市チャンネル』を開いて、今後のサッカー部のスケジュールなどを確認するだけに専念している。

「昨日さ……俺、遅刻しただろ?」

 俺は今さっきまで視界に収めていた電光掲示板の方を指差した。

「あそこでさ、深雪、携帯端末の扱いに困っていたんだよ」

「本当に? 本当にそれだけ?」

 郁子が訝しんだ。

「絶対にそれだけじゃないでしょう!?」

 郁子の抱く疑念は当然だよな。

(俺自身、信じられないんだから……)

 改めて整理しておく。

 『南部深雪』は今年の西条高等部……いや、今年の四条学区高等部に入学した新入生の中でも、特別に過ぎる存在だ。

 新入生総代(主席)を務めるほどの学績。しかも全教科において満点だったという神業付きだ。実家は「上杉財閥」にも比肩する「南部家」の、深雪はその名家の一人娘。「超」が付くほどのお嬢様なのは、今日の買い物からして窺えた。

 更に他者を圧倒するような、幻想的な容姿に加えて、あの聞く者を魅了する美声の持ち主だ。

(…え? う、嘘だろ?)

 俺は思わず慄然とした。

(学年は違うが、学績では初音を上回り、容姿では琴菜にも匹敵して、家柄では朋香とも肩を並べる………いや、朋香は三女なのに対し、深雪は一人娘だぞ……?)

 ……な、なんていうことだ。

(深雪は一人だけで、あの『トリプルティアラ』の三人全てに勝る……?)

 俺は改めて、さっきまで一緒にいた後輩の(しかも様付けの敬意まで抱かれていた)深雪のハイスペックに驚嘆を禁じえないでいた。

(……でも、猶更……なんで俺なんだ?)

 昨日は確かに携帯端末の扱いが解からなくて、困っていたのは事実だろう。そして扱い方を慇懃丁寧に教えもした。

 だが、それぐらいのことで『南部深雪』みたいなお嬢様の超絶美少女が俺のような存在を、懇意に、好意的に接してくれるだろうか。

(仮に十年前のあの娘が……?)

 いや深雪の面影がある、あの少女が深雪だったとしても、俺は二、三日の間を一緒に居ただけである。深雪が懇意にしてくれる説明にはならない。

(しかも十年前の話だぞ……)

 俺でさえ縁のある(亡きお袋の実家がある)青森県を思い出さなければ、思い出すこともなかったような古い話だし、仮にあの少女が深雪だったとしても、彼女があの当時を憶えている可能性だって少ない。



「どうしたの、あんた?」

「いや、改めて……事態の異常さを痛感しているところだ」

「何を今更……って、本当にそれだけなの!?」

 郁子が呆れたように、そしてそれから驚いて見せる。

「ああ……」

 郁子が釈然としないのは解かるが、俺も同感なんだ。

 と、その時。自動自走車が到着した。

 うちの佐竹邸の隣が郁子の邸宅だし、祐樹の家の豪邸は少し離れているが、降車ポイントは三人とも同じだ。そこからはいつもの光景だ。稀に通行先が渋滞していて、自走車が迂回ルートを選定することもあるが、支払う料金は同じだ。

 車内ではいつも、やたらと騒がしいはずの郁子が今日に限っては珍しく、大人しく何か考えごとをしている様子。

 祐樹は、まぁ、いつも通りだな。

 俺も話すことに疲れたのか……

(本当に今日一日で色々とあったもんなぁ……)

 流れるいつもの景色を眺めながら、今日だけで色々な面を見せた、深雪のことだけに思い耽っていた。





 この時代の、再び『処女性』を重んじる時代ともなって、女子間では『処女』を捧げる異性を『運命の相手』と、一生涯で特別視していく伝統が作られていた。

(…俺は深雪の、その『運命の相手』になりたい)

 それはこの先、深雪が誰と結婚したとしても、変わることはない。もっとも名家と呼ばれる家柄だからこそ、結婚まで純潔を守っているだけなのかもしれない。

 むしろ、その可能性の方が高いだろう。



(それでも、俺は……)

 俺は深雪の……



 様々な可能性を頭の中で模索する。

 それが高望みだと知りつつ、頭の中では懸命だった。



(それでも、俺は……)

(……深雪の『運命の相手』になりたい)


→ 進む

→ 戻る

→カノオカのトップへ