第七話『 不文律の誓約 』

 
 この近代学園都市では、自動車や自動二輪という乗り物が存在しない。自転車も現在では学園都市において通行禁止とされている。

 過去に大きな事故が起きた、という理由らしい。

 都市に住む人間のほとんどが学生という身分であり、その大半は本土から進学してきた生徒たち。その生徒を預かる、という都市側の主張は納得できないわけではない。

 その代わりに都市側の用意した乗り物が、近代学園都市の2キロ毎に乗降車ポイントを設置した、自動自走車という乗り物である。

 料金は、まぁ…割安だと言えるだろう。しかも小型自走車でも大人が四人まで乗れて、その人数に関係なく料金の金額は変わらない、という利便性も高い。

(俺たちの場合、三人で乗れば、二人分お得って感じだな)

 ただ何時の世も、どんな便利な乗り物であっても、不満というものは出るらしい。

 発進させてしまえば、途中下車することはできない。

 また例えば、確かに自走車の乗降車ポイントは、2キロ毎に設置されてあるが、言い換えれば、一般住居区画の住民の中には、自宅へ帰宅するのに1キロは歩かなければならない住民も中にはいる、ということだ。



 俺たちに至っても、さすがに1キロほどではないが、降車ポイントから歩かなければならなかった。

「ねぇ、義久……」

 この時間帯ともなれば、俺たちのように自宅に帰ろうとする生徒や社会人らしき大人たちの姿も、ちらほらと見かけられるようになる。

「今、あんたの考えてることを当ててみようか?」

「ん?」

「どうにかして、あの深雪を自分にモノにできないか、って考えているんでしょ?」

 物心がつく以前からの幼馴染でもあるその郁子の推測は、近からず遠からず、といったところだった。

「…そ、そこまで高望みはしてねぇよ……」

 深雪はあの「南部家」の一人娘だ。俺なんかと結婚なんて可能性はありえないだろうし、恋愛だって厳しく戒められている可能性だってある。

「ただ……なんとか。深雪の運命の相手にはなれないかな、って、のは考えてた……」

 それは暗に深雪とセックスがしたい、深雪の『処女』が欲しい、と宣言していることに等しい。

「うわっぁ……まじ、ドン引きするわ」

「うるせぇ! 俺は正直に願望を口にしただけだ」

「身の程知らず……って、今のあんたのことを言うのよね。きっと」

「……っ……」

 深雪が俺にとって、高嶺の花だということは理解しているつもりだった。俺は自分の身の程の低さを弁えているつもりだ。だが、郁子が指摘するように……そんな願望を抱いてしまっている時点で、あくまで……つもり、だったのだろう。





「じゃあな、祐樹」

「ああ……」

 今朝、祐樹が待っていた交差点の角が、俺たち三人の合流地点であった。この交差点を左に曲がって、そのまま真っ直ぐに突き進めば、祐樹の家の豪邸……「本多家」がある。

 交差点を曲がらず、まっすぐに行けば、左側に郁子の榊原邸があり、その隣の長屋門に囲われている場所が、うちの佐竹邸となっている。

「……義久」

 祐樹が立ち止まったまま、俺を呼び止めていた。

「郁子、悪い。先に行っててくれ」

「う、うん……」

 俺は踵を返して祐樹の方に歩み寄る。

「なんだ、祐樹?」

(…話なら、自走車の車中でも、歩いている時にでもできたはずなのに……)

 これが祐樹の気難しいところかも知れない。

「……義久。一つだけ忠告しておく」

「ん?」

(……忠告?)

 祐樹の精悍な表情はいつも通り。

 また恋愛話には一切興味を示さない。

 ……示さないはずだった。

「お前が南部深雪を想うのはいい……」

「えっ?」

 だから、祐樹がこんなことを言いだすなんて、まさに予想外のことだった。

「だが、もしお前が彼女を想うのなら……特に周囲には気を配っておくことだ」

「それって…どういう?」

(もしかして……密かに南部の家の者が深雪を常に護衛している……とか?)

 深雪はあの「南部家」の一人娘だ。

 それぐらいあっても不思議ではない。

「南部深雪……彼女を狙っている男は多いだろう」

 ……違った。

 祐樹のそれは純粋に深雪の身を案じている意味のようだ。

「俺たち名家と呼ばれる家には、名家同士によって交わした不文律の誓約がある。上杉財閥の上杉家然り。東北の南部家も然り……」

「深雪の南部家も……?」

「特に令嬢、と呼ばれる彼女たちには、生まれながらにして枷を付けられている。たった一つのミスから取り返しのつかない人生にもなる」

「深雪も?」

「南部深雪も間違いなく、な……」

 俺に疑問に対して、祐樹は即座に断言した。

「だから、義久……さっきお前が口にした願望を現実のものとしたいのなら、常に深雪の周囲には気を配り、その危険を摘み取れ。そうすれば自ずと……」

 途端に祐樹は口を閉じた。

「どうしたの?」

「あ、いやさ……祐樹が……」

「義久」

 祐樹が力強く俺の言葉を遮る。

 郁子が来た途端に、だ。

(郁子に……いや、誰にも話すな、ってことか)



 先ほど祐樹は『不文律の誓約』という言葉を使った。また現在の日本に名家と呼ばれる家柄は、正確な数字こそ覚えていないが、恐らく約五十家ほどはあるはず。



(その中でも、『名五師家』と呼ばれている……)

 中部の「上杉財閥」を有する「上杉家」がその筆頭頭。

 東北で圧倒的な資産力を誇る「南部家」

 関東を中心に、上杉を追従する第二位の「武田家」

 近畿では手広く広域に営む「細川家」

 九州で安定した基盤を築き上げた「大友家」

(……の五家が現在の有名処だろう)



 世が世なら、この名門の五家が五大老となるのだろうか。

(学園都市では、祐樹の本多家もその内の名家の一つに数えられている)

 『不文律の誓約』……か。

 つまり、世の中には知られていない法、世間に広められては困るような規則、決まりごとが名家と呼ばれる家にはあるのだろう。

「俺からはそれだけだ」

 祐樹はそれだけを言い残して踵を返した。



「あ、あのさぁ……」

 不機嫌な声色に悪寒が走った。

「私だけ除け者って、気分が悪いんですけどぉ!」

「えっ?」

 驚きはしたが、郁子の言い分は解かる。よく解かる。俺も同じように蚊帳の外に置かれたら、内心ではきっと面白くはないだろう。

 だが、郁子が常備している木刀の、その矛先が俺に向くのは明らかにおかしい。おかしいよね。おかしすぎるよな?

「いやぁ(ゆ、祐樹ぃぃ!)……」

 だが、祐樹は事前に(自慢のゼロシステムを発動させて)危険を察知していたのか、既に俺の視界には親友の背中さえも捉えられない。

 現在の所有者である郁子の激しい感情を感知して、親父の『佐竹義隆』より拝領した木刀『クロガネ』が、それに呼応する。

 だから、木製なのにキラリと光るのだけは止めて欲しい。

 俺は涙交じりに、そう思った。





 この合流地点の一角に、郁子の榊原邸がある。その隣の長屋門に囲まれているのが佐竹邸であり、敷地の広さは同じくらいだろうか。道場と中庭がある佐竹邸に比べれば、榊原邸は建物の規模と庭の広さで勝っている。

「今日は……寄っていく?」

 郁子がそう聞くのは、ほぼ毎日のこと。

 既に榊原邸には、俺専用になっている部屋が存在しているぐらいである。

 俺の親父……『佐竹義隆』は現行の刑事であり、その職業柄、勤めている中央地区から帰ってくる日は少ない。そのためお袋を早期に亡くしていた俺は、隣の榊原邸に預けられることが多く、既に榊原邸は俺の第二の家だと言っても過言ではなかっただろう。

「いや、今日は止めておく」

「そう……」

「あら。それは残念ね……夕飯は久くんのも想定して作っておいたのにね?」

 それはいつの間にか、俺と郁子の背後にいた女性だ。この人の名前は『榊原凜子』であり、爽ちゃんや郁子の母親でもある。ちなみに俺のことを「久くん」と呼び、親父のことを「隆さん」と呼んでいる。凜子さんはそんな女性だった。

 もし「君のお母さんはどんな人?」と尋ねられたら、俺は亡きお袋のことではなく、凜子さんを思い浮かべてしまうかもしれない。

 榊原の家は父親の『榊原博康』を除くと、妻の凜子さん、四姉妹の長女である爽ちゃんから末娘の郁子まで。全員が女である。だからだろう。ここでは本当の息子のように可愛がって貰っていた。



「じゃ、また、明日な……」

「明日はちゃんと起きていなさいよね!」

「ははは……」

 努力はするが、かなり難しい注文だ。



 俺は隣の佐竹邸を目指して先を進んだ。だから、気が付かなかった。俺の背中を見送る幼馴染の表情に。



 もし仮に……この日、榊原の家に寄り、そして彼女の家にある俺の部屋(変な呼び方だな)泊まるようなことにでもなれば、俺と郁子の関係は、ただの幼馴染ではなくなっていたことだろう。

 深雪の登場によって、郁子の心境には大きな転機を余儀なくされていた。そして今日、今夜が郁子にとって……『超危険日』であったことも、少なからず影響されていたことに違いない。

  深夜。家族が寝静まった時を見計らって、郁子は親父から教わった『穏業の技』で俺の寝室に訪れて、その秘めていた想いと肢体をぶつけられていれば……俺は芽生え始めていた深雪への持て余した感情を押し潰して、その性欲もろとも、郁子の膣内に解き放っていた……に違いない。

『今日は大丈夫の日だから。膣内に出してもいいよ、という安直な嘘に騙されて……』

 初めてのセックス。ずっと憧れてさえいた性交だ。俺は無我夢中になって性欲を吐き出し続けたことに違いない。

(……仮定の、その先の話なのに、容易なまでに自分の行動を想像できてしまうのが、哀しいな……)

 まず間違いなく、俺は郁子を妊娠させていただろう。

 そうなれば……俺に残された選択肢は決して多くはない。少なくても、郁子を孕ませておいて(出産させるにしても、堕胎させるにしても)尚も『南部深雪』を想う、って選択はできなかったはずだ。



 勿論、これはあくまでも……仮定としたその先の、一つの可能性という、例え話でしかない。





 俺は佐竹邸に帰宅し、最初にお袋への挨拶を済ませる。

「あちゃぁ……ロクな食材が残ってないな」

 これが普段の平日だったなら、下校するまでの間に買い物を済ませるのだが、昨日は始業式。今日は入学式と中央地区のセントラルでの学校行事続きだ。

 仕方ない。今日はカップ麺で我慢するしかないな。

「………」

 少しだけ、榊原の家で晩御飯だけでも御厄介になれば良かったかな、と思ったが………(仮定の話を含めれば)今回はこれが、俺の最善の選択肢だったのだろう。



 ……選択肢。そう選択肢だ。

 祐樹は深雪の周辺に気を配れ、と警告してくれたが、実の処……それは俺の方にも当てはまっていた。俺も時折訪れる選択肢を誤ると、取り返しのつかない事態になる。

 勿論、そんなことが神々に試されているのだ、って、俺が知る由もなかったけどな。



 それから入浴を済ませて、今日は早めの就寝時間とした。

「さてと……そろそろ寝ないと、な」

 明日の授業にも響く。

 俺の特待は何時、外されてもおかしくはない。故に一日の遅刻も、一限の出席も無駄にはできない。もはや学績は絶望的だが、出来る限り追いついて行かなければならない。

(せめて卒業だけは漕ぎ着けたい……しな)

 消灯前に携帯端末を確認しておく。

 こちらの端末は、俺のIDとパスワードを知る郁子の手によって抹消させられてしまったが、連絡先は交換されたのである。もし向こうからの連絡があれば、再び『発信元不明』となるが……

「ま、当然だよなぁ……」

 端末には着信を受けた形跡はない。

 過度な期待はしていなかったはずだが、落胆にも似た心境には自分自身が驚く。

(からかわれていただけなのかも知れないのに……)

 相手は四条の高等部、全生徒数で約十四万四千人の中でも頂点に君臨するような存在なのである。

 彼女が名を馳せるようになった中等部時代から、主席の座を一度として明け渡すようなことはなく、容姿はまさに端麗そのもの。男子生徒にとっては、まさに理想的な存在だ。

(…だけど……)

 あれが全て演技だった、とは思えない。

 モニター越しにではない彼女と接することができたのは、今日が初めてのことだったが、正直に言えば、意外だった。俺の想像では、彼女は性格もきっと完璧で、もっと近寄り難い存在だと思っていた。

 ……それがどうだ。

 そう。彼女の性格は素で天然だった。

 彼女とて(普通とは到底に言い難いが……)高校三年生。俺は一つしか違わない女子校生なのだと、改めて思い知るような思いだった。



「いかん、いかん……」

 止めていた手を再開させ、布団を敷き終える。

 部屋の電気を消し、布団の中で目を閉じる。

 俺の寝つきは良い方だ。夢を良く見るのは、意識が落ちるその瞬間まで、そのことだけを考えるからだろう。

(……夢はいい)

 現実とは違って、期待に期待を抱かせておいて、振られることもなければ、拒絶されることもない。残酷な現実とは違って、夢の中は俺に都合よく、そして今朝の夢のように俺に優しい。

 だから、どうせ夢を見るのなら、深雪の夢にしよう。

 高嶺の花には違いないが……

(彼女と……深雪と、また話せたな……)



 もう彼女とは話せない、と思っていた。

 俺のことなんて憶えてくれていない、って。

 それが……どうだ。

 今日一日だけでも、俺は彼女の色んな面を見ることができた。笑ったり、頬を膨らせたり、悲しんだり、怒った横顔も凄く魅力的で……その全てが新発見のように、とてもそれが嬉しかったんだ。

 少しずつ睡魔を感じ始める。

 とりあえず、今は深雪の夢を見よう。

 俺に夢を見せさせてくれる願望器に、深雪とのセックスをリクエストしてみよう、って思った。

(とりあえず夢の中だけでもさ……俺は深雪の運命の相手になってみたい……せめて夢の中だけでも……)

 俺はイメージしてみる。

 想像力には自信があるし、網膜に焼き付けているシーンもある。今日一日だけで色んな彼女の姿を眺められた。

 だから、俺の直感と洞察力なら、夢の中で完全に補完することだって……

(……えっ?)

 ……補完することができなかった。

 俺にはどう考えても、深雪とセックスをする場面を想定することはできなかった。本能的に無理だと、現実的に不可能だと理解してしまっているのだろう。

 それでは俺の夢の願望器がどう頑張ったところで、深雪とのセックスを想定させることはできない。夢の中でさえも、俺は深雪の『運命の相手』にはなれない。

(何か……方法はあるはずだろ)

 情では無論、金銭でもその問題を解決できるなんて思えない。佐竹家の全財産、俺の一生を支払っても、深雪はきっと歯牙にもかけてくれないだろう。

(深雪と関係できる方法……探せ、イメージしろ……)

 ……だめだ。だめだ。だめだ……だめだ。

(クソッ……)

 俺には、深雪とセックスができる……

 その光景が全く思い浮かばない。



 ……深雪をレイプする、それ以外に。





 俺は深雪を……レイプしたい。

 心の底から、そう願った。

 それだけが彼女と関係できる………セックスできる唯一の手段であるのだとしたら。

 刑事の息子が思うことではないだろう。実際に行動を起こしたら洒落にはならない。レイプは重罪だったし、『処女暴行罪』ともなれば、死罪……例え未遂であっても、重罪は免れないだろう。

 だから想像をするだけに留めておく。

 夢を見せる願望器にリクエストするだけ。

 俺は夢を見るだけ……夢を見るだけだ。



 俺は……彼女が……犯したい。

 ……と。


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