最終話【 経過 】


 ・・・・三ヵ月後。

 下校する明日香の表情は穏やかなものであったものの、寂しさをどこかに漂わせていた。理由は明白である。彼女の少し前に腕を組んで歩む、玖堂戒と神露ベルヴェディアである。
「やっぱり、失敗だったかな・・・・」
 そんな思いが明日香の胸に過ぎる。
 インフルエンザに罹ったあの日。戒くんの手を引っ張るようにして、部屋に呼び込んでおきながら、当の自分はインフルエンザでダウンし、神露の手を余計に煩わせてしまった。そればかりか、戒くんにインフルエンザを感染させつつあった、というのだから・・・・
「自己嫌悪・・・・」


 あのインフルエンザから、再び登校した明日香を待っていたのは、避けるような戒の視線と、神露の親密な二人の関係であった。

 一週間ぶりに制服に袖を通して登校しようとした明日香は、数十歩前に一人で歩む戒を見つけた。
「おはよう・・・・」
「あ、明日香・・・・おはよう」
「???」
 あ、あれ?
 そんなよそよそしいその態度は、まるで彼が転入してきた当時に戻ってしまったかのようだった。
「もう登校して大丈夫なんだ・・・・?」
「うん。その・・・・戒くんにも、うつしちゃったみたいで、その、ごめんね」
「ああ、僕のほうは大したことなかったから・・・・」
 そのとき明日香は、直感的にやはり、僅かな彼の変化に気が付いてしまった。学校に登校するまでの間も、彼は一度として明日香の顔を見て話していないのだ。
 原因はすぐに解かった。
 先に登校していた神露が、明日香のクラスに来て、明日香への挨拶もそこそこに、彼女は戒の席へと直行する。明日香の知る限り、これまでにはなかった光景である。

 それからというもの、明日香はただ、戒と神露が親密になっていくまでの関係を、眺めていることだけしかできなかったのだ。

 《 ミーン ミンミンミィー 》
 中央公園から蝉の鳴き声が慌ただしく鳴り響き、もうすぐ夏の季節なのだと、彼女たちをより実感させる。
「なんで夏は、こんなに暑いのよ・・・・」
 神露の呟きに明日香は微笑する。
 恐らくはそれは、誰もが一度は口する名言だろう。
「そりゃ、夏だからだろ?」
「でも、こういう暑い日は、北のほうに一瞬、行きたいよね」
 心の中で消沈しつつも二人の会話に加わりながら、明日香たちは歩行者専用の並木道路の横で居並ぶ露店に歩みを止めた。特に暑い今日一日だけに、シャカシャカと砕かれる氷が、普段よりも美味しそうに見えてしまう。
 その途端、明日香は口元に手を当てて、樹木の方に走り去る。
「あ、明日香!?」
「うっ! ・・・・うっ、うっ・・・・」
 ここ最近は特に体調が優れず、食事のときにも時折、席を中座するのが頻繁になってきていた。誰もがこの夏の暑さが原因と思っていたが、ただ一人、うずくまった彼女にハンカチを手渡す神露だけが、明日香の身体の異常を見抜いていた。
「あ、ありがとう、神露ちゃん・・・・」
「明日香、大丈夫?」
「うん・・・・もう大丈夫。もう、治まったみたいだから」

 寝食を共にする神露には、着実に明日香の身体の膣内で芽生えている、息づいている新たな生命を実感していた。
 神露はその際に一度だけ、その父親である立花にメールをした。立花からの返信はなかったが、契約者である者の責務として、その後の明日香の経過が順調であることを報告したのである。


 事態の発覚は、それから更に季節が変わった四ヶ月後・・・・再び、神露が立花に連絡をする、その前日のことであった。
 一時期は体調を崩しがちだった明日香であったが、ここ最近は体調のほうも安定し、心配する担任や他の女生徒たちからも、安堵の溜息を漏らしたものである。

「うわっ!」
 体育の時間から教室に戻った男子生徒は、教室内で倒れている明日香を発見する。その中には、今も密かに恋心を抱く玖堂戒の姿もあった。
「あ、明日香!」
 駆け出す戒に、他の男子生徒もそれに続く。
「あっ、おい下手に動かさないほうがいいかも」
 ピクリとも動かない彼女の姿に、他の男子生徒も心配そうに固唾を呑む。
 華奢な身体にこの可憐さである。天然な部分もあるが、誰にも分け隔たりなく接する彼女の人気は、男女問わずクラス内でも高いのだ。
「スカートの中、覗いちゃうぞ」
「バカ、状況を考えろよ!」
 冗談と解かっていても、余りにも不謹慎だ。
 他の生徒が小突いていなければ、戒がその男の顔面を殴っていたことだろう。
「誰か、早く先生に連絡して!」
 ちょうどその頃、女生徒たちも校庭から戻ってきたころであり、隣のクラスで授業をしていた教師が、女生徒たちの声に駆け込んできた。

 とりあえず保健室に運ばれ、明日香が倒れた、という報は、神露のクラスにも飛び込んできた。
「神露、お前が同室だったな」
「はい。明日香が倒れたって・・・・平気なんですか?」
「意識はすぐに戻って、もう起きれるようだが・・・・」
 これがただの貧血で倒れた、というのなら、このまま安静にしていれば問題はないだろう。だが、もしかすると重い病気に罹っているとしたら、学校側としても即座に手を打たなければ、非難の的にされる。
「今から彼女を寮に帰すが、お前も付き添ってやってくれ・・・・最悪の場合は救急車を呼んだほうがいいかも知れないぞ」
「解かりました」
 神露は即座に帰り支度を始めた。
「ごめんね、神露ちゃん。わたしのせいで・・・・」
 明日香のクラス担任の車で女子寮まで送って貰う途中、明日香は神露の肩によりかかりながら、神妙な面持ちで詫びた。
「いいの、病人は変なことに気を使わないの。授業も退屈だったし」
「こら、神露!」
 運転する担任も苦笑せずには居られない。
 ひとまず明日香を寝室に寝かせ、神露は以前に立花から受け取っていた紹介状と診察券を取り出すと、今度は私立総合病院に運んでもらう。


 もはや明日香が無事に出産するためには、この辺が限界かも知れない。それは神露の独断ではあったが、例えそれが的外れの考えであったとしても、明日香が出産することには変わりはない。
 明日香の両親は、彼女が生まれた頃から不明で、これまで義兄の仕送りによって生活していたのだ。つまり経済的に余裕のない明日香には、今更堕胎するだけの経済的余裕がないのである。

 私立総合病院の受付で、立花から予め貰っておいた紹介状と診察券を出す。それはどんなに病院が混雑した状態であっても、優先的に診察してもらえる手筈である。
「南条副院長、急患が、こちらに来院されたのですが・・・・」
《今、こちらの方の病床も一杯なのだが・・・・他の病院は紹介できないのか?》
「それが・・・・副院長の紹介状をお持ちでして・・・・」
《・・・・それを先に言いたまえ。解かった、第二診療所のほうに》

 私立総合病院の副院長、南条太一はこの大病院の理事の息子であり、多くの患者たちからも慕われる、この地区における最上の名医である。院内では主に外科が担当だが、彼への紹介状を持つ急患には、必ず、と言っていいほど彼自身が受け持った。
「名前は・・・・篤川明日香か」
 紹介状から送られてきた彼女のデータファイルを閲覧。
「ああ、立花さんが酷くご執心の、例の子か・・・・」
 それもそのはず・・・・
 南条太一は立花道雪の後輩にあたり、友卵会を創設したメンバーのその一人である。つまり彼は、その業界で唯一、立花道雪の本名を知る人間でもある。
 この二人の利害と役割は、友卵会の中でも見事なまでに一致している。
 理事の次男である南条太一が、長男である院長を蹴落とすためには、膨大な金銭が居る。また資産家の娘と結婚したものの、とても愛することができない、女と判別するのもおこがましいような、不細工な妻である。
 いくら金銭のためだとはいえ、彼が不倫に走るのも無理はなかった。だが、表立って不倫をすることもできない。そこで彼が目をつけたのは、売春と買春の仲介人であり、友卵会をほぼ確立させていた立花である。
 南条は立花から礼金と売春にきた若い女を振舞って貰い、その見返りとして、自分への紹介状を発行し、友卵会の趣旨に沿う診察を請け負ってきたのである。
「立花さんと肉体関係を結んだのが・・・・七ヶ月前、つまり妊娠八ヶ月か・・・・もはや堕胎は返って母体に危険だな」
 中学二年生にして、出産確定である。
 立花からの紹介状を持参している、ということは、来院した少女は妊娠に当然、無自覚である。ここでそれを発覚させると、大抵の少女は身に覚えのない性交に、妊娠の現実を受け入れられず、誰もが冷静を失う。
 それは当然だと、南条は思う。女性にとって妊娠、そして出産とは、その少女のこれからの一生にも大きく関わってくる重大事である。まして、友卵会によって孕ませるのは、まだこれから恋を知り、花もあろう十代の少女たちである。

 篤川明日香を初めて見た南条は、立花の肩入れしたその心境に、なるほどな、と思ったものである。これまでにも立花自身が破瓜し、孕ませてきた少女は多く、また南条の目から見ても可憐な少女たちであったが、この篤川明日香はまさに別格な可憐さであった。
「何と言っていいか・・・・」
 南条は手順に沿った診察を終え、言いづらそうにペンでこみかみを掻く。意外と芯が強いのかもしれない、これなら大丈夫か、と友達に付き添われている彼女を見た。
「まぁ、・・・・俗に言う、おめでた・・・・ですね」
「・・・・」
 二人の少女は目を見張る。いや、もう一人の少女の反応は、計算された演技されたものだと・・・・つまり、彼女が立花との契約者なのだと、南条には解かった。
 もっとも・・・・明日香自身は、キョトンとしたまま、その契約者である少女に振り返る。
「明日香、あなた・・・・」
「神露ちゃん。おめでた・・・・って、なぁに?」
「「えっ!?」」
 それには神露だけではなく、診察を下した南条も目が点になる。
「ん、と・・・・言い方が古過ぎたかな・・・・」

 明日香はこれから定期健診を受ける、ということで病院を後にし、神露はタクシーを拾う。
 その道中、明日香は顔を蒼白させたまま、一言も口にすることができない。小柄な身体も小刻みに震えている。「おめでた」の意味を・・・・妊娠している、という現実を告げられたのだから、当然ではあろう。
「明日香・・・・」
「神露ちゃん! あたし、誰とも寝てない!」
 タクシーの車内での爆弾発言に、神露は運転手を見た。幸い、運転手は聞かなかったように振舞ってくれている。
「それなのに・・・・なんでぇ・・・・赤ちゃんが・・・・」
「明日香、落ち着いて・・・・解かっているから。落ち着いて、ね」
 明日香は仕組んだ張本人の胸の中で泣きじゃくるしかなかった。だが、それ以上の問題が、彼女本人には待っている。
 学校には何て言えばいい。たとえ秘密裏に出産するにしても、また堕胎を強行するにしても、金銭は必要である。無論、中学生でしかない明日香には、持ち合わせようもない大金である。
 また出産したとして、またそこからも育児でお金がかかるのだ。
 それだけに寮内の室内に戻っても、明日香はまだ立ち直れないでいた。
「義兄さんに相談してみる?」
 明日香は頭を振る。
「できないよ・・・・ゆ、勇基ちゃんに言えないよ・・・・」
 もし義兄とはいえ、明日香が妊娠している事実を告げたのなら、まず勇基はお腹の子の父親を尋ねることであろう。またたった三つしか離れておらず、一日中、ときには危険な仕事も請け負って、明日香を中学に送り出していた経済的な事情もある。
「でも、明日香。出産するのにも、お金が・・・・」
「ど、どうしよう・・・・どうすれば・・・・神露ちゃん・・・・・」
 神露に泣き崩れる明日香。
 立花に明日香の処女と、卵子を売ったお金は、戒とのデートなどでこの半年の間に使い切っており、神露にも援助してあげるだけの余裕はない。
 そもそもあれは、わたしが受け取った契約金だしね・・・・!


 しばらく時間を置き、明日香がようやく落ち着いたころ。
「明日香、たった一つだけ、手段があるけど・・・・」
「えっ!? ほ、ほんとう!?」
 神露は予めから想定していた金策を披瀝した。
「わたしの知り合いに、立花さんって知り合いがいるの・・・・たぶん、かなり、お金持っている・・・・大人の人」
 そして明日香が喜んで、初めて受け入れた男性でもある。
 もし立花がこの話を受けなければ、別の誰かに持ちかけるまでだ。またたとえ明日香を囲ってくれるような人物が居なくても、明日香の可憐さなら、彼女に身体を売らせる手段もある。
 一晩一万円なら誰もが飛びつき、明日香が一月も男と寝れば、十分に出産費用になるだろう。
「その立花さんって、人に・・・・あ、明日香を買って貰うの・・・・」
「え? あたし・・・・物じゃないよ?」
「んっ・・・・だから、明日香。明日香を商品にして、買って貰うの」
 ときに何時の時代も少女の身体は、商品にもなるのだ。
 そして既に、明日香に残された道は、それしかないのだと神露は重ねて説明する。
「その場合、義兄さんには相談せずに出産もできるし、余ったお金は義兄さんへ返すこともできるわ。もしかすると今まで通り、学校にも通わせてくれるかもしれない」
 それは明日香を囲ってくれる男・・・・これから明日香のご主人さまとなってくれる男性の気分と、それに尽くす明日香の心掛け次第である。

 迷う明日香に一晩、考える時間を与えて、神露はその早朝、明日香の門出を祝うべく、またお腹の中の赤ちゃんへの栄養も考えて、豪勢な料理を振舞うことにした。
「神露ちゃん・・・・その立花さんって、人に・・・・」
 明日香は食事の箸を止めて、神露にお願いする。
「連絡して・・・・」
「い、いいの・・・・?」
 明日香は小さく頷く。
「勇基ちゃんには、もうこれ以上、迷惑かけられないし・・・・少しはお金返せるんだし・・・・もう神露ちゃんや戒くんに会えなくなる、かも知れないけど・・・・」
「明日香・・・・」
「ごめんねぇ・・・・神露ちゃんにも迷惑かけて・・・・」
 神露はゆっくりと頭を振った。
 むしろ、それは神露自身が強く望んでいたものである。
 神露は携帯を取り出し、「いいのね?」と一度だけ念を押す。

 愚かな娘は、泣きじゃくりながら、一度だけ首を上下に振る。
 神露の心は全く痛まない。これは彼女自身から望んできたことだ。


 そして、神露は躊躇うことなく・・・・携帯のボタンを押す。
 篤川明日香の未来が確定した、その瞬間であった。


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