第四話【 過去昔日 】




 《和馬》

 小鳥の囀りが耳につき、つい先ほどまで暗かったであろう夜空にも、うっすらと明るみが増してきたのをおぼろげに知覚する。
「・・・・んっ、」
 普段とは違う光景に軽い失調感が襲う。
 ここが昨日までの狭い寝室とは違うのだから、当然ではあろうか。
「ああ、そうか・・・・」
 額にかかった髪を右手でかきあげた。
 昨晩の蛮行は、未だ脳裏に強く根付いている。
 時計を見ると、短いほうの針が五時を指そうとしていた。
「んっ、くぅぅぅ・・・・」
 一つ、大きく伸びをする。
 朝の目覚めは最悪だった。
 やはり、肉体的に相当な疲労をしていたのだろう。それも無理はない。破瓜したばかりの宮森香帆・・・・その彼女の膣内で果てたのを、四回までは覚えている。
 まぁ、勢いと若さに任せて、無茶をしたものだ。
 眠気覚ましにと、俺は一度だけ光学立体映像を読み込む。
 地下にある制御室の端末は、この敷地内全体を制御しており、予め入力さえしておけば、そのときの部屋の映像を半永久的に保管することでき、いつでも再現させられることが可能であった。
 そう、半永久的に。
「やはり・・・・あのときの膣内の抵抗は・・・・」
 香帆が処女と解かっていれば、もっとゆっくりと破瓜してやるべきだったかもしれない。香帆にとっては一生に一度限りの、記念するべき瞬間であり、俺にとっても初めての処女略奪である。
 生態スキャナーに映る香帆は、どうやら安全日だったらしく、今日の性交で妊娠することはまずないだろう。 まぁ、いいさ。

 俺はゆっくりと起き上がって顔を幾度か軽く叩き、体内に残った睡魔の残滓を叩き出した。登校するには時間的にまだまだ余裕があるとはいえ、二度寝する気にはなれない。
 何よりも今のうちにやっておくべきことがあった。

「・・・・誰?」
 誰かがそこに居るというわけでもなく、誰に尋ねるというわけでもなかった。だが、それでも俺は問いかけずにはいられない。
 滑稽なものだな、と思わなくもない。
 室内には俺一人しかおらず、さすがに直人も帰宅しているようだが、この特別寝室にある扉の開閉は、俺だけにしかできない。完全かつ完璧な密室なのである。
 にも、関わらず・・・・俺は問いかけずにはいられなかった。
 ・・・・ただの一冊のノートに。
 通称MCN・・・・マインド コントロール ノート。
 他者の思考を操作、制限させ、時にはその人物の行動そのものを操ってしまう、俺に受け継がれた一冊のノートである。
 このノートにDNA登録されてしまえば、その人物が死ぬまで抹消されることはない。無論、ノートである以上、ページ数にも限りがある。そのため、ノートに登録する前に、そのDNAがその人物のものであることを確認する、その作業を怠るわけにはいかなかった。
「・・・・」
 ノートに映し出されたのは、紛れもなく俺のクラスメイトであり、結城琴子の親友でも人物・・・・小池鈴子のものに間違いなかった。
 当初、小池鈴子をMCNに登録する予定は全くといってなかった。
 確かに同世代の中では可愛いほうだとは思う。周囲からの人望も高く、性格にいってもそう悪くはなかった。それでもMCNに登録してまで欲しい少女というほどでもない。
 ・・・・。
 それだけ、結城琴子が印象強く意識付けさせられた、ってことか?
 恐らくはそうなのであろう。
 入学式のあの日。第五音楽室での出会いを、俺は今でも鮮烈に思い出すことができた。もう相当な重症なことは認めるしかない。
 だが、音楽科の結城琴子と、普通科の俺とでは、同じ桜花中央学園の生徒といっても新入生だけで、九千人・・・・また、建物の敷地それ自体が違うこともあって、結城琴子とは余りにも接点がなさ過ぎた。
 だが、彼女なら・・・・親友である小池鈴子なら!
 小池鈴子のDNAを確認したうえで、彼女の姓名を記載する。これによってMCNの登録は完了である。
 早速、俺は彼女に最初の指令を下す。
 友人である結城琴子の髪の毛を、誰にも気付かれることなく回収してもらうとしよう。


「やはり、香帆の口は封じておいたほうがいいな・・・・」
 ああなることをある程度は予測していたようだが、それでも無理やりに力ずくで破瓜されたことには違いなかった。
 膣内出しにも拒絶の意思を示した。もっともそれは二発目までで、三回目の性交の際には、もう諦めてしまったかのようにただ俺に抱きつき、俺の行為そのものを、黙認するかのように受け止めていた。

 その香帆が告発するとは思えない。
 だが、彼女の証言一つだけで、俺は性犯罪者の仲間入りである。
 それだけはなんとしても避けなければならない。
 そのための打てる布石は、今のうちに打っておくべきであろう。
 だが・・・・俺の手に持つペンは一向に進まない。
 何故だか、釈然としないのだ。
「・・・・」
 俺が香帆を犯したことは間違いのない事実である。それに関して今更、言い訳などしたくはなかった。この寝室に誘い込む直前には、制止しようとする理性も確かに働いていたのだ。
 そしてその理性を振り払って、一時の誘惑に自我を暴走させたのは、紛れもなく自分なのである。
 それをMCNによって口外できなくさせてしまう。

 ・・・・でも、それって、
 卑怯じゃないかぁ!?

 確かに俺は、香帆の身体が欲しかった。だから俺は香帆の弱み(校則違反)に付け込み、家にまで呼び込んだ。
 そこまでは・・・・まぁ、いい。
 問題はそのあとだ。
 あのときの俺は行為を優先して、MCNへの記載を後にしてしまった。
 その結果が、これである。
 完全に手順を間違えたのだ。
 先にMCNに記載して、香帆のほうからSEXに仕向けるべきだったのだ。無論、香帆が処女であり、結局は俺に奪われてしまう、その結果は変わらなかっただろう。
 それでも香帆の受けた心痛は、今の半分にも満たないだろう。
 これでは本当に弥生のときの二の舞である。神崎和馬、あの不当な復讐を遂げ、それでも弥生に救われたことから、俺は一体何を彼女から学んだんだ?
「・・・・」
 見苦しく足掻きたくはなかった。
 香帆が昨夜のことを告発する、というのなら、それを受け止める覚悟もできた。ただその見えない影に怯えるような、自分は晒したくない。

[ 神崎和馬に破瓜された事実を、警察ないし第三者に打ち明ける場合には、その事前に和馬へ通達しておくこと ]

 静かにペンを置き、MCNを閉じる。
 冷静に省みて、宮森香帆との昨夜は俺にとっても不本意なものであり、後味の悪いものでしかなかった。

 だから、かも知れない。
 雛凪つむじ。
 彼女に対しては・・・・



 《琴子》

 桜花市にある広大な運動自然公園。
 誰もが一度は思わず魅入ってしまうであろう、壮大な噴水を中心に、全国各地の名花が居並ぶ花壇。様々なスポーツに活用される多目的運動場など、この時間から公園にはちらほらと歩行者が見受けられた。
 その自然公園に接する歩行者専用の並木道を挟んで、いかにも近代風な桜花中央学園女子寮の建物群が並び立っている。
 その建物の一つの、一階にある一部屋のワンルームが、学園からあたしに定められた住居。
 フローリングの部屋に備え付けられた箪笥。上に置かれた写真立て。
 その横には、中学卒業の日に彼から贈られたトロイメライのオルゴールが置いてある。
 数少ない、あたしの宝物だ。
「おはよう、海くん」
 今日もいい天気になりそうだね、と思わず微笑む。
 雨が降る光景も嫌いではない。けど・・・・
 写真立てを胸に、雲一つない快晴の空を静かに見上げる。
 ウィーンのほうも、晴れているのかな?

 写真に写る彼の名は、霧島海。
 中学三年生のときの同級生で、プロのピアニストを目指すべく、遠い異国の地、【音楽の都】とも【楽都】とも呼ばれるウィーンに留学した、サッカーと若き日のオードリー・ヘップバーンをこよなく愛する・・・・あたしの初恋の人。
「八月かぁ。早く、会いたいな・・・・」

 昨日、彼からの手紙が届いたからなのだろう。
 無性に彼に会いたい、と思ってしまうのは。


 《 キンコーン 》
 突然、玄関のアラームが鳴り、驚いたあたしではあったが、それ以上に玄関を開けた先で待つ人物には、もっと驚きを禁じえなかった。
「す、鈴ちゃん!」
「おっはぁ〜〜」
 元気いっぱい、いつも陽気な彼女は、小池鈴子。
 海くんと同様に同じ中学校出身で、三年生のときにクラスこそ違ってしまったが、あたしにとってはかけがえのない親友である。また、あたしにとっても良き理解者である研ちゃん・・・・神崎研一郎の彼女でもある。
 性格は至ってズボラで男好き、陽気で大雑把。積極的で無計画のお調子者。勝気で男勝りの怖いもの知らず。無頓着で男好きの彼氏持ち。etc、etc・・・・
「男好きって二回も言ったわよ!」
 《ぽかっ》い、痛い。本当のことなのに・・・・
 お願いだから、心の中まで読まないで。
 だから・・・・いつもなら、あたしが起こしに行くまで惰眠を謳歌している、そんな鈴ちゃんのはずなんだけど・・・・。
「鈴ちゃんがこんな、朝の時間に・・・・起きてくるなんて!」
 それだけに思わず、目を見張らずにはいられない。
 今日、まさに良くないことが起きようとしている、そんな前触れに思えてしまうのは、あたしの思い過ごしだろうか?
「失礼ね!」
 鈴ちゃんが頬を膨らませる。
「あたしだってたまには、一人で起きて来られるわよ。それとも、琴はあたしが一人では絶対に起きられない、って思っていたとでも?」
「うん」
 あたしは正直に頷く。
「・・・・・」
 嵐の前の静けさ、とでもいうのか。沈黙の静粛な時間が僅かに数秒。
 鈴ちゃんが一歩進み、あたしが一歩退く。
 ゆっくりと、不気味なまでに迫ってくる鈴ちゃん。それはまさにホラー映画とかにも出てきそうな・・・・
「ちょっと、こ、怖い、かも・・・・鈴ちゃん」


 こうして、あたしの今日の一日が始まった。


 とりあえず鈴ちゃんを玄関先で待たせておくのも悪いので、部屋に上がってもらい、あたしも登校の支度を急いで整える。
「琴の部屋って、いつも片付いているのよね〜」
「そうかな?」
 そりゃ、鈴ちゃんの部屋に比べたら、ねぇ・・・・とは言えない。
「寮がワンルームっていうのが、狭すぎるのよ」
 確かにクラスメイトを呼んでワイワイするには、部屋は少し狭いかも知れない。けど、桜花中央学園には鈴ちゃんほどに親しい友達はまだ少なく、あたしには十分に過ぎるスペースだった。
「あぅ、寝癖発見・・・・琴、櫛を借りるね」
「うん。鏡台の上にあるから・・・・」
 洗面室で歯を磨こうとしていたあたしは、そこでハッ、なる。
 昨日届いた、海くんからの手紙は・・・・
 こういうときの鈴ちゃんの嗅ぎ分ける鼻は、決して侮れない。あの名犬フランダースやパトラッシュをも凌ぐほど。
 あたしは慌てて洗面室を飛び出す。
 だが、時は既に遅かった。
「なになに。拝啓、結城琴子さま・・・・ふむ、ふむ。毎日レッスン室で課題に追われ、指導される言葉を理解するにも一苦労・・・・もっとドイツ語を勉強しておくべきだったかも知れない。ほむほむ」
 堅い文章ねぇ〜、と鈴ちゃんは冒頭を簡単に飛ばしていく。
 あたしは手紙を取り返そう、と懸命に背を伸ばしてみたが、身長でも鈴ちゃんには敵わない。
「あら。・・・・特に最近、疲れているのかな、良く夢を見る。そして見る夢はいつも決まって、あの頃の僕と君・・・・あらあら。今は一日でも早く、君に会いたい・・・・」
 そこで鈴ちゃんが視線を向けてくる。あたしは赤面したまま、もはや身動き一つできなかった。
「今は一日でも早く、琴に会いたい・・・・」
 うう、そこだけは全部読み上げるなんて酷いよぉ。鈴ちゃん。


「あぁ〜〜金曜日の登校って、どうしてこんなにも憂鬱なのかしら」
「鈴ちゃん、それ毎日のように言っているし」
 その女子寮を出た際、目の前の並木道を見覚えのある男子生徒が通り過ぎていった。
 名前は・・・・確か、神崎和馬くん。同じ学年の普通科で、鈴ちゃんのクラスメイトだ。
 鈴ちゃんの話では、成績はクラスの中でもトップクラス。運動神経も抜群であり、クラスメイト(特に女生徒たち)からの人気が非常に高い、と聞かされている。
 それもなんとなくだが、解かるような気がする。
 あたしが彼を見かけるのは、入学式以来。そのときも交わした会話こそ少なかったけど、あたしがピアノを演奏する際の、その悪い癖を的確に指摘してくれてもいる。
 鈴ちゃんも、研ちゃんとの交際がなければ、間違いなく神崎くんに惚れていたわ、とは男好きの鈴ちゃんらしい。
 ・・・・これは研ちゃんには内緒にしておいてあげよう。
 でも、その鈴ちゃんが・・・・
「神崎くん、おはよう」
 笑顔いっぱいで駆け出していってしまう。

 ねぇ、鈴ちゃん。浮気しちゃぁ、本当に絶対にダメなんだよぉ?



 《和馬》

 俺は一人、歩き慣れ始めた並木道を歩いていた。
 歩行者専用の、しかもこの付近には桜花中央学園関連の建物だけに占められていることもあり、そのほとんどが同校生徒たちである。
「・・・・」
 黙々と歩む時間が久しく感じられる。恐らく、コタや遥人たちと出会っていなければ、俺はきっとこんな無言の寂しい登校を余儀なくされていたのだろう。
 その一点だけにおいても、俺はあの四人に・・・・特に雛凪には感謝すべきなのであろう。
 その雛凪とコタには、今日は所用があるから先に行く、とだけ伝えておいた。
 昨日の屋上でのやりとりで、雛凪に顔を会わせにくい、という側面的な理由も確かにあったが、だが、それ以上に・・・・今日、香帆から告発されれば、性犯罪者にもなろうか、という俺である。
 朝から四人で楽しく登校、という気分になれないのは当然のことであろう。
 無論、自業自得のことではあるが。
「・・・・」
 今からでも遅くはない。MCNで、という思いがない、といえば嘘になるだろう。普段は持ち歩かないはずの、あのノートを今日に限っては鞄に入れてあることが、何よりの証拠である。もっとも主な用途は別のところにあったが、実際に香帆から告発宣言をされれば、俺自身その状況を素直に受け止められるか、正直なところ自信はない。

 覚悟を決めたのは、今朝のこと。
 意思が揺れるのが早いな、俺は・・・・
 だから後先も考えず、行動してしまうのだろう。

「おはよう、神崎くん」
 呼び止められて、思わず振り返る。
「んっ、えっ・・・・」
 同じクラスメイトの小池鈴子だった。そして、その横には・・・・。
 これが昨日までの俺であったのなら、この偶然を手放しで喜んでいたことであろう。何せ、桜花中央学園の入学式、あれから幾度もなく待ち望んでいた、結城琴子である。
 どうやら偶然の女神というやつは、会いたくないときに限って会わせてくれるものらしかった。
 もっとも、少し考えれば当然のことであった。
 学園の建物それ自体が異なる音楽科の彼女と、普通科の俺が偶然に遭遇できる可能性は、おのずと登下校の時間に限定される。だが、下校時間は科によって大きく異なり、登校時は都々御遥人、小泉とうあの二人を待って、遅刻ギリギリの日々なわけで。


「おはよう、小池さんに・・・・結城さんだったよね?」
 クラスメイトである小池鈴子はともかくとして、結城琴子とは初対面にも等しい。ということもあって、俺は絶対に間違えることのない単語に、敢えて疑問符をつけた。
「おはよう、神崎くん」
「んっ、覚えていてくれていたんだ?」
「うん」
 たったそれだけのことだったが、思わず感激してしまった。
 我ながら単純な奴だな、とは思う。
「だって、鈴ちゃんが先に呼んだわけだし、それでなくても研ちゃんと同じ姓だから」
 あ、なるほど、と思わず頷いてしまう。確かに新しい知り合いの名前が旧友の中で一致したときは、何気に覚えやすいものであろう。
 この場合限定で、俺はまだ見ぬ神崎研一郎に感謝することにした。
「琴の言う研ちゃんって、のは・・・・」
 小池鈴子の彼氏であり、結城琴子にとっては良き相談相手でもあるその人物を、俺は既に直人からの報告によって知り得てはいたが、ここは敢えて知らないふりをした。
 当然のことではあろう。
 先ほどにも触れたように、俺と結城琴子はほとんど初対面であり、級友の小池鈴子にしても、特に親しいという間柄ではない。そんな中で、桜花でもない神崎研一郎の存在を知っている、となると、余計な不信感を植え付けかねない。
 俺は小池鈴子が自慢げに話す会話に、適当に相槌をうった。
 しかしなんでこの女は、自分の彼氏というだけで、こんなにも自慢げなのだろうか。かつては弥生の存在に、コンプレックスを抱いていた俺には理解に苦しむ。
「神崎くんって、桜花が地元だったっけ?」
「ん、いや・・・・」
 基本的に寮生以外は、地元、と考えるのが妥当ではあり、そもそも男子寮は桜花中央学園の校舎を挟んで、向こう側である。
 確かに俺のおかれている状況は、異例中の異例なのであろう。
「実家は都内のほう」
「都内って・・・・東京都ぉ!?」
「いいなぁ〜」
 どうやら地方の若人が都内に憧れるのは、本当であるらしい。
「そっかぁ?」
 都内育ち、ということもあるのだろうが、俺にはそれが良く理解できない。
 確かに現在でも日本の首都であり、交通の便にも優れている。だが、こっち(桜花)に比べれば、空気は不味いし、騒音も煩い。何より、自然が圧倒的に少ない。
 居住することだけを前提に考えれば、環境は桜花のほうが遥かにいいはずなのだが。
「じゃぁ、彼女は東京に残してきているんだ?」
「居ないよ、そんなの・・・・」
 小池鈴子の問いに、俺は一瞬、草薙弥生の顔が浮かんだが、結城琴子の手前、それを微塵も感じさせることはなかった。
 それに俺は嘘を言っていない。弥生は一樹・・・・俺の兄の婚約者なのである。無論、現在の形式上においては、だが。
「へぇ〜ちょっと、意外かも・・・・」
「ねぇ〜」
 おいおい。昨日の雛凪といい、人を勝手に解釈しないでくれ。
 自然と笑みが零れていた。
「不思議だな、君たちは・・・・」
 まったく。
 さっきまで深刻に悩んでいた自分が、阿呆らしくなってきた。

 と、そのときだった。
 《ドン!》
 なっ!
 後ろから押し退けられるように、体を割り込まれたのは・・・・
「よう、結城。おはよう」
「あ、望月先輩。おはようございます」
「ああ、今日の合同演習での課題のことで、話があったんだ・・・・」
「はい。解かりました。それじゃぁ、鈴ちゃん、神崎くん。またね」
 突然、あからさまに割り込まれた男に対し、俺は憮然とする。首に締めたネクタイの色から上級生とはわかるが、それにも礼儀というものがあるだろう。
「何者だ、あいつ?」
「ん、望月先輩のこと?」
 鈴子からの話によると、音楽科の三年生であり、結城琴子が専攻する鍵盤楽器部門(ピアノ)の部長に該当するらしい。だが、俺が気になったのは、そんな肩書きのようなことではなく・・・・
「でも、二年の先輩の話からだと、あんまりいい噂は聞かないのよね」
「だろう、な・・・・」
 あれは良き先輩、という人種が見せるような目ではない。
 どうやら直人に調べさせておく、必要がありそうだな。

 俺はもう一度、望月藤次郎に視線を指す。
 どうやら霧島海それ以上に、今は特に警戒をしなければならない、敵の出現であった。


 教室に入るのには、やはりそれなりの覚悟が強いられた。
 レイプまがいに破瓜してしまった香帆に挨拶をするべきか?
 それとも向こうからのリアクションをただ待って、沈黙を守るべきなのだろうか?
 その決断もできぬまま、俺は教室の扉を開き、自らの席に鞄を置く。
 だが、俺の席の右側は未だ無人であり、ひとまず俺は安堵の溜息をついた。無論、それはただ事態の先延ばしになっただけのことであり、決して何一つ解決したわけではなかったが・・・・
 ただ香帆が告発する選択を選んだ、としても、その事前に俺へ通達しておくことを義務付けてある。まぁ、彼女からの呼び出しがあるまで、平静を装っておくことも、そう困難なことではなかった。
 そこに・・・・
「た、大変だ・・・・真田先生がぁ!」
 突如、教室に遥人が駆け込んできた。
 ん、なんだ?
 直人が絡んでいる、と知って、俺は香帆の問題を一旦隅に追いやって、話題の中に入り込む。

 確かに直人はイケメンであり、(推定の)年齢より若くも見える。更に独身であり、同僚の宮森香純との噂も絶えない。(噂を流布した一役を、俺も担ってはいるが・・・・)
 これでは確かに一部の男子生徒・・・・古い言い方でいえば、不良のレッテルを貼られている彼らが蜂起するのも、無理ならからぬことではあった。
「お前、逃げてきたのかよぉ!」
「だってあいつら、三十人はいたんだぜぇ・・・・無理だよぉ」
「真田先生、大丈夫かな・・・・」
 口々に心配をする声が沸きあがる。
「・・・・」
 俺は淡々とした様子を装って席に戻る。
 勿論、俺も心配だった。
 キリシタンというわけでもなかったが、胸で十字架を描いて祈り捧げる。

 ・・・・あまりにも無謀な挑戦者たちの身を・・・・。

 直人は一見、ただの優男に見えなくもない。だが、外見で人を判断してはいけない、という言葉の見本が如く、神崎家に身を寄せるそれまでは、中東の極めて険しい戦地を生き抜いた歴戦の猛者である。
 こんな日本の平和な生活で、学校のような生温い環境に浸った連中がいくら束になって襲いかかろうとも・・・・
 愚かなる羊たちの群れに、あーめん。



 《雛凪》

 気を利かせてくれたのかもしれない。
 今朝、神崎くんが一人で登校する、と聞いたとき、私はそう思わずにはいられなかった。
「和馬の用って、何かなぁ〜」
「うん・・・・」
 だが、私はその彼の心遣いにも応えることはできなかった。
 コタは普段と同様に話をしながら、とうあや遥人くんたちを待っていたけど、私はコタの言葉に相槌をうつので精一杯。とうとう私の方から会話を切り出すことはできなかった。
 神崎くんが言ったように、自分に自信がないから?
 うん、それもある。
 実際に私には胸がない・・・・と、自分で指摘ながら哀しくなる。
 人付き合いも苦手なほう。みんな、すぐにとうあと比較するから。
 神崎くん、解かる?
 陰口に「胸の絶壁」と言われ続けてきた、私の気持ちが?

 とうあみたいに、あれぐらいは欲しい。
 とうあみたいに、屈託もなく笑いたい。
 でも・・・・それは、だめ。それはまだ許されない。
 少なくても、今の私にはコタを好きになる、その資格が・・・・


 コタのこと・・・・谷浦虎太郎とは、私たち姉妹が小さい頃からの幼馴染だった。妹の栞は兄のように甘えるようにしてコタを慕い、私も何かと彼に頼るように成長していく。
 その頃の私にとって、栞はコンプレックスの塊でしかなかった。
 一つしか違わず、同じ両親のもとで生まれ育ってきたのにも関わらず、甘え上手の栞は、姉の私から見ても可憐で、開放的な性格だった。両親の自慢の娘でもあったのだろう。
 それだけに私は良く、栞と比較された。姉妹ということもあって、ずっと比較され続けてきた。
 私が栞に勝っている、というのは、たった一つ。
 たった一つ上という、年齢の差だけ。
 外見も、成績も、性格も、運動も・・・・全部。

「気にすることないじゃんよ、そんなの」
 その中学に入学した当時の、そのコタの一言で、どれだけ・・・・救われたことだろう。
「栞は栞の、つむじにはつむじの、それが個性ってものだろう?」
 その頃からなのだろう。
 私の中で、初恋が始まっていたのは・・・・

 それから、私にも友達ができるようになった。
 一人はコタ絡みで、生活不規則の象徴とも云うべき、都々御くん。
 もう一人は、都々御くんの男版とも云うべき、小泉とうあ。特にとうあが学校の理科室でテレビゲームしている、その出会いは、今でも唖然とさせられるぐらいだ。
 何事にも几帳面で規則正しく生きようとする私に、自由奔放かつ豪快に派手な一面を求める、とうあ。全くの正反対な性格だから、なのだろう・・・・私たちが非常に馬があったのは。
 だが、ここで一つ、私に大きな影が落ちる。
 誰もがとうあに好感を寄せ、私はその引き立て役でしかない。
 家に帰れば、栞との比較の日々が待っている。

 もう限界だった。
 もう、心が割れそうだった。
 もう・・・・私は・・・・


 私が中学二年、栞も中学生になった、その日のことだった。

「わたし、コタに告白するからね」
「えっ・・・・」
「お姉ちゃん、いいよね? わたしとコタが付き合っても?」
「そ、そんなこと、私に関係ない・・・・」
 嘘、だった。
 栞には勝てない。
 そんなことは比較されなくても、解かっている。
 だから、私は目に見える勝負はしたくない。
 だから、他に欲しい物があれば、何でも栞に譲ってあげる。
 だから・・・・

 だから、コタだけはとらないでぇ!

「じゃぁ、お姉ちゃん公認なんだね」
「そうね・・・・」
 時、というのは残酷だ。
「コタ・・・・優しいし、頭いいし、カッコいいしねぇ〜」
「知ってるからぁ、そんなの」
 もう過去には絶対に戻れないのだから。
「もう、あっちに行ってよ!」

 私は思わず泣きたくなる。
 栞がコタに告白・・・・それはずっと私が恐れていたことだった。
 校内では、とうあと比較され、家内では栞と比較され続けてきた日々に、私がこれまで辛うじて耐えてこられたのは、コタの存在だけを唯一の心の支えとしてきたからだ。
 栞が振られる、とは、到底思えない。
 先ほど栞が言っていたように、コタは基本的に誰にでも優しいのである。だから、こんな私にも励ましてくれていたのだろう。
 コタは優しいから、栞と付き合うことになっても、私を励ましてくれるだろう。でも、私とコタの間には、彼女の姉、という溝ができてしまう。

 そんなの、嫌・・・・絶対に嫌!
 栞だけには、コタをとられたくない。
 でも、栞はコタに告白する、という。
 だったら・・・・告白できない身体にしてやればいい!!

 このときに私は初めて、自分の内に潜めていた本性を曝け出した。
 簡単なことだった。普段は規則正しく、周囲との軋轢を恐れては自分を押し殺してきた、そんな自分をやめるだけでいい。
「フフッ・・・・」
 久しく心の底から笑えたような気がする。気分が良かった。心が晴れるように気持ちがいい。
 ああ、始めからこうすれば良かったのだ。
 それまで内々に溜め続けてしまった、負の感情が一気に溢れ出し、もはやそれを押し留める術は、もう私にもない。


 一つ屋根の下で暮らす姉妹だから、そう難しいことでもなかった。栞の生理を把握し、その期間もの間、両親が不在であることを確認した上で、
 私は以前、何かの拍子に見聞きしていた【友卵会】のその創始者、立花道雪という人物と連絡をとった。
 呼び出された場所は、およそ中学生が一人で入れるような、お手軽な場所ではなかったが、呼び出した相手の名前を告げると、店員は何も言わずに誘導してくれた。
「ほぉ・・・・こりゃ、上玉じゃないか」
 身長が2mもありそうな恰幅のいい大男。体格だけでなく、その声までが野太く、芯に響くよう。
「名前は雛凪栞、十四歳。桜花中学一年生」
「友達か?」
「いえ、妹です」
「なるほど。姉妹にしちゃ・・・・まぁ、なんだ」
 似てない、と言いたいのだろう。
 言われ慣れてきていることだが、正直、面白くもなんともない。
「で、買ってくれます!?」
 別にお金が欲しかった、というわけではない。誰でもよかったのだ。ただ栞を穢し、孕ませて貰えるというのならば、本当に誰でも。
「性交経験なしか。くそっ・・・・明日香に金銭を使いすぎたな」
「え?」
 一瞬、小学生の低学年の頃に一度だけ、級友ともなったこともある明日香ちゃんを思い出した。篤川明日香・・・・ハニーブロンドのあどけない顔立ちの。
「なんでもない、こっちの話だ・・・・」
 特に親しい間柄だった、というわけではないから、私もこれ以上の追及はしなかった。また知ったところで、私がどうにかできるものでもないだろう。
「こりゃぁ、間違いなく高く売れる卵だぜぇ〜俺が保証する」
 今にして思えば、この立花という人、自身が栞を孕ませたかったのではないだろうか。

 契約書を交わし、[ ロスト ]と呼ばれる薬品を預かった私は、その薬品を、こちらが指定したその日・・・・栞の排卵日に、妹の食事に混入させるだけ。それだけで良かった。
 あとは何ごともなかったように栞を介抱してあげれば、栞の身体は。

「すげぇ大盛況だぁっ・・・・百万以下を切っても、尚、まだ四十人近くはいるぞぉ」
「そうですか・・・・」
 締め切り直前でも、これまでは立花という男が独占してきた美少女の処女、ということもあって、膣内出し権一番手の価格が、尚もサイトの中で高騰化しているという。
「こっちはいいですよ。その四十人でも・・・・」
 正直、私には興味がない。
 今、私の手元にある[ ロスト ]さえあったのなら、私はたとえ百円でも、栞の卵を提供したことであろうから。
「栞の膣内にたっぷりと、注いであげられる人なら」
 それは無理とも言われた。
 一夜にして四十人。一人を二回と計算して、八十回をも膣内出しされれば、記憶には絶対に残らない[ ロスト ]でも、栞の身体のほうに支障をきたす恐れがある、ということだった。
 残念ではある。だが、着々と確実に締め切り期間が迫っている。
「良かったわね・・・・栞」
 あなたの卵、たくさんの人が是非買いたいのだって。


 決行(土曜)日。
 両親は仕事で出張、来週まで家に戻ることはない。食事を作らなければならない私には、妹の食事だけに手渡された薬品を混入させることなど、造作もないことだった。
 TVを見ながら食事をする栞だったが、しばらくして苦しげに額を抑えていく。見るからに調子が悪そうだった。
「風邪?」
 白々しくも尋ねてみた。
「解からない・・・・お姉ちゃん、薬取ってきてくれる?」
「もう、私にはうつさないでよね!」
 だが、薬箱を取ってきた頃には、既に栞の意識は昏睡状態であった。
 そして無垢であった栞が、大の大人たちによって輪姦されていく、その時をひたすら待ちながら、私はやや憮然としていた。
 栞を抱いて膣内に膣内射精ができる、膣内出し権というものが、高額順によって決まることは、前もって説明も受けていたし、その理屈も理解できる。でも何故こんな、まともそうな人たちだけなの?
 栞には記憶にも残らないのだ。気持ち悪いオタ男や、豚のようなデブみたいのが、栞には相応しいのに!
「処女膜、及び、排卵共に確認できた」
 恐らく私と同じような心境なのであろう。栞の膣内を確認して、本来だったら俺が・・・・という、その声調に僅かな苦々しさを感じる。
 受け取ったお金銭を持って、私は妹の部屋を出た。【友卵会】の規約に一晩、部屋を明け渡さなければならない、ということもあったが、それ以上に初めて見る大人の男性器の存在が、私の退出を余儀なくさせた。
 それからしばらくして、栞の力のない悲鳴が上がり、何かが裂ける衝撃が辛うじて耳についた。
 いよいよ、始まったのだ。栞の身体による晩餐会が・・・・
 私に不満があるとすれば、やはり試食する側の男性陣にあっただろう。そんなに優しくではなく、もっと激しく、そして痛みの伴う破瓜し方を選んで貰いたかった。
 勿論、お金銭を出してまで栞の処女を買った彼らに、私がとやかく言う資格はないのだが・・・・残念である。

 二、三時間後・・・・撮影現場監督であるはずの立花が、妹の部屋から出てきた。
 リビングで手持ち無沙汰な私と目が合う。
「煙草を吸うぞ?」
 どうぞ、とばかりにテーブルの灰皿を差し出す。
 煙草を銜えて深い息を吸い、気持ちよさそうに煙を吐く。
 もくもくと吐き出された煙は、私との間で円を描いて浮上していく。
「これ、返しとくわ・・・・」
 妹の部屋で受け取った封筒をそのまま立花に差し出す。
 別にお金が欲しいわけじゃないし、特に欲しいものもない。まして妹の卵で貰ったお金銭は、何故か使いたくはなかった。
「契約金の返還はできない。それが規則だ・・・・」
 私が裏切ると思っているの?
 栞を孕ませてくれる、それだけでも感謝している私なのに?
「立花さん、今はお金銭がないんでしょ?」
 それとも今回の取引で、多少は潤ったのかしら?
「本当は栞の処女、これがあれば、立花さんが欲しかったのでしょ?」
「それは・・・・」
「じゃぁ、これを捨てるわ。捨てたのは私の勝手。契約金を返還したとは思わない。拾う、拾わないは誰かの自由ってことで」
「それでも、俺は受け取ることができない。それが闇に生ける者の、俺のせめてもの矜持だ」
「そう・・・・」
 そして無言の時間が再び、リビングを包む。
 時折、聞こえる栞の喘ぎ声・・・・男たちとの鬩ぎ合い。肉と肉が弾けあう効果音。処女を喪失してから僅かだというのに、もう栞の身体は男を喜ばせるだけの肉体に、男を受け入れて悦びを知る身体になってしまっていたようだ。
 懸命に頭を振る。
 何故だろう。今更になって、栞との楽しい思い出を思い返してしまうのは・・・・・
 私は深夜にも関わらず、家から飛び出した。
 行き着いた場所は、桜花市以前よりも歴史を持つ、由緒あるお寺。
 手に持った封筒を賽銭箱に落とし、両手を合わせる。
 今の私が願うのは、妹の妊娠・・・・それだけでいいはず。
「そうよ・・・・これで、いいのよ」
 後悔はない。
 迷いもなかったはず・・・・。
 なのに、涙が今となって止まらない。
「栞が・・・・いけないのよ・・・・」
 コタを・・・・コタをとろう、とするから・・・・。


 それが私の誤解だった、と知ったのは、それから間もなくのこと。


「本当にお姉ちゃん、はっきりしないよね!」
「なんのことよ・・・・もう、早く食べなさい」
 今日も両親は忙しく、仕事で出張続きである。
 時計を見ると、いつもならもう家を出ている時間だ。
 これだから、姉という立場は・・・・
「ご馳走さまでした。お姉ちゃん、後片付けお願いね」
「もう、これも・・・・あれも残して!」
 それじゃ、妊娠していても、お腹に栄養がいかないじゃない!
 もっと妊婦として自覚してよね。
 と、何も覚えていないはずの栞に無理な要求をする。
「でも、お姉ちゃん」
「なによ! もぉう」
 食器を片付けつつ、制服へと着替える栞に視線を向ける。
「本当に早くコタに告白しないと、他の誰かにとられちゃうよ」
 えっ?
 そ、それは栞のことじゃ・・・・
「そうなるぐらいなら、そのときは本当にわたしがとっちゃうからね」
 相変わらず愛らしい表情に小さく舌を出し、駆け出していく。

 ちょ、ちょっと・・・・待ってよ。
 そ、そんな・・・・ことって。

 手にしていた食器が、手から零れ落ちる。
 急に目の前が真っ暗になった。
 わ、私は・・・・



 今や開放的だった栞は、部屋に引き篭もり、学校にも登校することさえ拒んでいる。妹にしてみれば、当然のことではあろう。
 突如、医師から妊娠している、と診断されたのは、妊娠五ヶ月のこと。
 やはり・・・・という私の思いが、遂に現実となってしまった。
 当然ではあろう。危険日の真っ只中、しかも十数人の男たちが絶えず、膣内出ししていたのである。これで妊娠していないほうのほうが、奇跡というものであろう。
 事の重大さに私は何も言えず、ずるずるとこの日を迎えてしまっていた。
 当の栞には当然、身に覚えのない出来事であり、そればかりか、つい先ほどまで自分は処女のままだと思っていた栞のである。
「な、何を・・・・言っているのですか?」
 唖然としていた可憐な表情が、次第に崩れ、瞳には涙が浮かび始める。
 堕胎できる、ぎりぎりのところではあった。が、そんなこと、栞にも両親にも、そして片棒を担いでしまった私にも、何の慰めにもならなかった。


 《コンコン》
「栞、起きているの? 何か食べなきゃ・・・・」
 食事を部屋に持っていく。両親が居ようと不在だろうと、その役目を私が買って出た。家族は何も言わないが、恐らくは薄々気付いているのだろう。
 栞の妊娠には、私が絡んでいることには・・・・

 両親自身も、常に私を栞と比較し、卑下にして追い込んでしまったことを痛感して黙っているのか、それとも、もう呆れて何も言えなかったのか、それは定かではない。
 だが、その無言の日々が私には堪えた。

 そして、ある日・・・・あれは中学三年、卒業間際のことだった。
 私は朝夕の一日とて欠かさず、食事を部屋に運ぶ。
 全く手を付けない、というわけでもなかったが、そのほとんどが手付かずのままで、残されていく。でも、強制することはできない。それだけ私のしてしまったことは、重いことであった。
「ここに置いておくから・・・・」
 早く立ち直って欲しい、と、加害者の私自身が今更ながらに思う。
 食事を廊下に置き、唇を噛み締めて振り返る・・・・
「お姉ちゃん・・・・」
 久しく聞く、妹の声だった。
「・・・・なんだよね?」
「・・・・」
 それだけで栞が何を言っているのか、私には解かっていた。
「解かってた・・・・お姉ちゃんが、ずっと苦しんでいたこと」
 頭を振るが、声にならない。
「お姉ちゃん、ごめんね・・・・ずっと」
 違う。謝罪しなければならないのは、私・・・・私なのに。
「わたしはもう、大丈夫だから・・・・今はまだ、だけど、もうすぐ大丈夫なんだから」
 何の根拠もない、私への励まし。
 責めて欲しかった。蔑んで欲しかった。私に復讐して欲しかった。
「お姉ちゃんとコタ、二人が結婚したら、本当にコタがわたしのお兄さんになるんだから・・・・」
 それが幼き頃からの、栞の夢だったのだ。
「だから、わたしのことなんかで気にしてちゃ、だめなんだよぉ〜」
 扉の向こうから、涙交じりに懸命に明るく振舞おうとする。


「・・・・どうしたんだよ、つむじ?」
「えっ?」
 かなり呆けていたのだろう。不思議そうな顔で振り返るコタ。その横には既にとうあと都々御くんの姿もあった。
「体調でも、悪いのか?」
「ううん、何でもないよ。都々御くん」
 私はこのとき、心の中で決めていたことがある。
 コタに告白をしよう、と。
 せめて栞の夢を実現させよう、と。
 でも、栞にあんな仕打ちをしておいて、好きなコタに純潔を捧げることは、絶対に許されることじゃない。
 たとえ栞が許してくれる・・・・と言ってくれた、としても。

 私自身が、私に許せないのだから!



 《和馬》

 放課後を告げるチャイムが校内に鳴り響き、途端に教室内の空気が和らぐ。明日から土日の連休、ということもあるだろう。俺もとりあえずだが、ゆっくりと一息をついた。
 右隣の席は今日一日、空席のまま。
 宮森香帆は結局、登校してくることはなかった。欠席の理由を直人に尋ねる、ということもできたが、それは色々な諸事情で断念する。
 昨夜に香帆をレイプして、MCNでも口を封じていない、と知れたら、呆れられるのに違いない。ましてや、香帆は香純先生の妹でもある。できることなら、余計なことで直人を煩わせたくはない。
 ただ香帆が俺を告発にするにしても、一度は事前に俺と接触しておかなければならないのだから、その対応はそのときになってからでも十分だろう。
 俺が直人に命じたのは、それとは別のことであった。
「音楽科の三年、望月藤次郎ですか?」
「ああ、俺の取り越し苦労かもしれないが・・・・」
 俺たち二人を除く、無人の第六音楽室。この部屋の鍵を管理しているのが直人だけであり、おのずと校内における俺たちの緊急用会議室になっている。
 無論、音楽室だけでは怪しまれる恐れもあるので、他にもいくつかの候補はあり、メールで場所を記して送信すれば、臨時会議室の出来上がりである。

「奴は相当にヤバイような気がする・・・・」
 俺は今朝の疑問を掘り返す。
 まだロクに話せてはいなかったが、直人から送られてきた調査報告と、結城琴子の性格。そして霧島海、という存在もあって、彼女が素で望月という男と付き合うようなことは絶対にないだろう。
 問題は・・・・奴がそのまま引き下がるような奴か、どうかだ。
 望月の彼女に向けられた視線から、俺には到底、それがその前者であるとは思えなかった。あれは昨日の俺が香帆に向けた、獲物の身体を品定めする、男のものだ。
 俺が奪う(もしくは、琴子から俺に捧げるように仕組む)予定の琴子の処女を、奴がレイプするというかたちで奪われるようなことがあってはならない。
 ・・・・そう、絶対に!

「それから、公共用で密会に適した場所はないか?」
「少しお待ちください」
 これから落ち合うであろう人物との場所に、俺は校内という項目を最初に除外した。その理由にはいくつかあるが、何かと目立つ少女と校内で会うには、変な噂の的にもなりかねない。
 ましてや、俺が狙う少女の親友でもある。
「一番の安全性を求められるのなら、密界のレストランというものが桜花市のショッピングモールにありますね」
「今からそこを予約できるか?」
「時刻と時間はどれくらいで?」
 そうだな、と時計を見る。
「今から三十分後。一、二時間も予約しておいてくれればいい」
「畏まりました」


 かなり際どい会話になる、とは初めから解かりきっていた。だからなるべく人目が少なく、誰にも不審に思われない場所が好ましかった。
 桜花市が誇る広大なショッピングモール。学園都市とも呼ばれる桜花市でも、もっとも賑わう場所でもあろう。その一角に《密界のレストラン》という、如何にも曰く有り気な名前のレストランがある。
 一つ一つのテーブルが個室になっており、部屋に仕切られた壁には、あらゆる通信も映像も許さない電波障害が施されており、盗聴、盗撮といった全ての行為を許さない、超安全空間をモットーにしている店舗だ。
 俺はその《密界のレストラン》の前で、呼び出した人物と合流する。
「神崎くん、お待たせ・・・・それで話って、何?」
「んっ、少し結城さんのことで聞いておきたいことがあって、ね」
 我、意を得たりとばりに彼女の視線が向けられてくる。
「ははぁ〜、神崎くん・・・・琴を狙っているのぉ?」
「えっ、あっ、んっ・・・・」
 小池鈴子の正鵠を衝いた的確な指摘に、思わず俺は、二の句も告げられなかった。ただMCNで呼び出し、俺の質問には解答し、要請には全て応じさせる。店出後には店内の記憶全てを抹消させるつもりだった。
 それだけに俺は、彼女の呼び出しの口実を何も考えていなかったのだ。
「でも、琴は今、まさにカイくんオンリー、カイくんフィーバーの真っ最中だから、いくら神崎くんでも琴は厳しい、と思うけどね」
「あ、それそれ・・・・その辺を是非、聞かせて欲しかったんだ」
 既にMCNには、俺の要請を受諾する旨を刻んである。
 鈴子が入店を拒むことはない。
「いいけど、お腹すいているから、注文たくさん頼むわよ?」
「・・・・」
 まぁ確かに、何も注文するな、とは記入してなかったな。
 もっとも店内に入れば、全く注文しないわけにはいかなかっただろうし、何よりも今朝、彼女に命じておいたモノが手に入るわけで。
 また、親友である彼女の視点からの琴子に関する情報、霧島海とのこれまでの経緯などの情報料と思えば、まぁ、安い出費ではあろう。


 一通りの注文を終えて店員を下がらせたあと、俺は適度に心地よいソファーに身を沈めて、鈴子に向き直る。
「そうだな、まずは例の品を頂こうか・・・・」



 《鈴子》

「はい」
 あたしは鞄から、保管してあった紙包みを取り出す。
「やっぱり、琴の・・・・好きな人のものはなんでも、神崎くんでも欲しいのかしら?」
「まだ、言うかぁ」
 勿論、そこには、あたしの意思を挟み込む余地はない。
 これは神崎くんと琴の問題であって、基本的に恋愛は個人の自由だ。
 あたしはただ言われたとおりに、神崎くんに琴の部屋で回収した髪の毛を渡しただけ。今朝、琴の櫛を借りたときに拝借した、まぎれもない琴の髪である。
「まずは最初に、確認からだが・・・・」
「う、うん?」
「結城琴子は、処女か?」
「うーん、琴の初恋がカイくんだから、たぶんね」
「じゃ、小池鈴子・・・・君は、処女か?」
「ううん、この桜花に越してくる前に、研一郎に捧げちゃったぁ!」
 琴にも話したことがない秘密を、あたしは嬉しそうに神崎くんに吐露してしまっていた。
「もう一度、確認するけど、結城琴子は処女なんだな?」
「うん。勿論、あたしの知る限りでは・・・・けど、琴とは中一の頃からの付き合いだから、間違いないかな」
 あたしは思考を重ねて、神崎くんへの返答に補足する。
「そもそも琴には、処女、という言葉はともかくとして、SEXをするという、行為そのものに認識がなかったんだからぁ・・・・間違いないんじゃないかな?」
「性的知識がない? ・・・・全く?」
 信じられない、という顔が神崎くんに浮かぶ。
 あたしは頷いた。
 高校一年ともなれば、一つや二つぐらいの恋愛話を語り、異性との経験を語り合うものだが、琴とはそれが一切にない。これは彼女の天然なる奥手な性格と、初恋が余りにも遅かったことが起因しているのだろう。
「実際にね、中学三年生の卒業式の日。まぁ、あたしが嗾(けしか)けたことにもなるのだけど・・・・」

 海外留学することになる、カイくん。当然、琴は当分、カイくんに会えない日々が続くだろうことは、当時の中学生のあたしたちでさえ、予想は難しくなかった。
 だから、あたしは琴に言ったのだ。
「じゃ、今日は・・・・琴、カイくんとお別れSEXしなきゃ!」
「鈴ちゃん・・・・」
 赤面して恥らうか、もしくは鞄でお尻を叩かれるぐらいの覚悟はしていたが、琴から返ってきた返答は、あたしも予測の域を遥かに超えていた。
 いや、この場合は遥かに届いていなかった、というべきなのだろうか?
「セックス、って・・・・なぁに?」
 ちょ、ちょ、ちょ・・・・声が大きいから。
 あたしは力任せに小柄な琴の身体を引き摺って、とにかく一目散に閉会後の卒業式から逃げ出した。

「カマトトぶっている、って、その可能性は?」
「まぁ、ないわね」
 あたしは断言した。
 その理由は三つある。
「一つは親友としての勘・・・・それから、卒業式という公然の場所、周囲にも届きそうな声で、とてもSEXなんて言葉を口にできるような性格じゃないわよ、あの子」
 全く、あのときは顔面から火を噴きそうだったわ。
「それに琴は生まれながらに天然なの。つまり、演技が下手っていうか、もうモロ超バレバレ? すぐに顔に出ちゃうタイプなわけよ」
《ピッピッ、ピッピッ》
 室内にインターフォンが鳴り、店員が注文しておいた料理を運んできたことを知らせる。
 神崎くんが部屋の鍵を開け、テーブルの上に料理が並べられる。
 途端に室内に香ばしい匂いが満ち、鼻腔を刺激されたあたしのお腹が余りにも悲しげな音による、自己主張をする。
「ププッ、今の腹の虫かぁ?」
「き、聞かなかった、ことにしてよぉ・・・・失礼ねぇ」
 苦笑しつつ、神崎くんが再び鍵をかける。
「退出した店員も、笑っていたな」
 あたしのお腹の音がそんなに可笑しかったのだろうか、それとも、琴が処女だったことが相当嬉しかったのだろうか?
 教室では滅多に笑顔を見せななかった神崎くんが、さっきから上機嫌に微笑んでいる。
「相当、腹が減っていたんだろう。まぁ、好きなだけ食べてくれ」
 待ってましたぁ、とばりに、あたしは箸を手にする。
「それじゃ、霧島海って男と、結城さんとの関係を詳しく聞かせてもらおうかな・・・・あ、食べながらでいいから」
「うん、琴とぉカイくん、は・・・・」
「あ、ごめん。口に入れているときはいいから・・・・」
 ・・・・、はい、ごめんなさい。


 琴のこと結城琴子と、通称「カイ」くんのこと、霧島海くんの二人が初めて出会ったのは、あたしたちが中学二年生になったばかりの春のことだった。
 あたしたちの授業は美術で外の風景画、カイくんたちのクラスの授業はサッカーだった。琴がただ呆然とスケッチに色を塗っていたとき、突如、彼女のスケッチブックにサッカーボールが激突したのである。
 ボールを取りに謝罪してきたのが、霧島海くん・・・・海くんを音読みにして、カイと呼ばれる男の子だった。(ちなみに実際にボールを蹴ったのは、研一郎なのだが・・・・)
 初めてカイくんを見た琴は、暫く呆然としていたわ。
 今にして思えば、琴の初恋はそのときから開始していたのだろう。
 つまり、俗に言う一目惚れというやつ。

 だが、琴の初恋という船出は、その出航直後、すぐに停船を余儀なくされることになる。
 当時のカイくんには彼女が居る、と・・・・いや、居るのだと、思い込まされてしまったのだ。変な言い回しをしてしまったのは、それがあたしたちの誤解だった、ということ。
 ただその彼女の存在によって、琴の初恋が大きく出遅れてしまったのは、揺るぎようのない事実であり、友達(から?)だけでも、と望んでいた琴にとっては、やはり衝撃的な事実だった、と思う。
 当時、そのときあたしは琴に尋ねてみたことがある。
「好きな人がいるでしょ?」と。
 琴は顔を真っ赤にしながら、否定していたっけ。まぁ確かに二年生。好きな人を問われたら、赤面する年頃だわ。今思えば、あの率直な反応からでは、ただ当人にその自覚が全くなかっただけなのかも。
 まぁ、喩(たと)えれば、もう爆発寸前の時限爆弾ってところかな?
 だが、この琴の自覚のなさ、そしてあたしの早とちりが重なって、事態は更にややこしくしてしまう。当時、あたしには好きな(研一郎ではない)人がいて、それを琴が好きだと。
 あたしに隠れて、親友のあたしに嘘をついてまで・・・・
 あたしの恋を邪魔しているのだと思ってしまったのだ。
「今日限り、絶交よ!!」
 あ〜今にして思えば、あたしも若かったわね。今でも十分若いけど。でもホント、当時は本当に青かったわ。
 絶交の期間はそれほど長くはなかったけど、その直後になってやっと、カイくんがフリー・・・・彼女持ちが誤解だったのが解けたのが、確かそのころだったわ。
 そして遂にあの琴が、ただの追っかけと判明した彼女に宣戦布告!
 まぁ、あの琴の性格だし、ただの追っかけが彼女と思われるように振舞えた相手の性格もあって、善戦はしたほうだと思うけど、前哨戦(ただの口論だけど)琴の完敗だったわ。
 ただそれ期に、琴とカイくんの間には確かな進展があった、と思う。
 あくまで友達として、だが。
 それもそのはず、カイくんは琴の好きな相手を、研一郎だと思い込んでしまっていたのだ。そしてあたしは、研一郎が琴を好きなのだと、思っていたりして・・・・本当に三年生になったころのあたしたちの間は、もうメチャクチャだったかも。
 その一因があたしではあるんだけど・・・・。
 そして、その絡み合った誤解が解けて、ようやくお互いの気持ちを打ち明けあったそのとき、琴とカイくんには再び、どちらにとっても小さくない問題が起きてしまった。
 カイくんの実の父親が、琴の叔父(母の弟)さんであった、という新事実である。この問題は、母子家庭で育ったカイくんにとって、容易に解決されるものではなかった。

 琴の叔父さんの名を榊晴海。かつてはプロのピアニストを目指して、音楽の本場ウィーンに留学したこともあるほどの腕前とか。
 そのとき恋人であったカイくんの母親に贈ったのが、息子のカイくんに受け継がれ、落としてしまったときに琴が拾った、一つの壊れてしまっていたオルゴール。
 それがトロイメライのオルゴールよ。
 そして、琴の叔父さんはウィーンに旅立ったわけなんだけど、そのときにカイくんのお母さんは、彼の子供を身篭っていたの。妊娠が発覚したそのとき、ウィーンにいた叔父さんは、ちょうど大切な時期ということもあって・・・・カイくんのお母さんは親友であった霧島、という男性と結婚を決意。彼の子供として育ててしまう。
 それが霧島海。あたしが言うカイくんである。

 一方的な別れの手紙に、急いで帰国した叔父さんだったが、そのとき既に彼女は(叔父さんとも親友の間だったみたいだけど)他の男の妻になったあとのことだった。
 叔父さんはその直後、過度の練習によって指を痛め、プロの道を断念。音楽関連の仕事につき、それから十数年後になってようやく帰国。
 そこに廻りに廻って返ってきた、オルゴール。そのオルゴールから行き着いた、カイくんの出生。
 カイくんの養父さんが亡くなった経緯は、あたしも詳しく聞いていないから、詳細は解からないけど、カイくん自身は相当に慕っていたみたい。
 だからだろうね。
 実の父親が琴の叔父であったことで、全てに自暴自棄になっていた。琴にも相当に辛く当たったんじゃない?
 そのとき、琴?
 そりゃもう、毎日のようにワンワン泣いていたわよ。ようやくお互いの気持ちをはっきりさせたところなのに、従兄妹という壁に弾かれて、失恋にもならなかったのだから・・・・

 中学三年の秋頃かな。
 カイくんのお母さんと、琴の叔父さんの間が進展していくことによって、琴とカイくんの状況も、やっと好転していく。
 カイくんの進路(ウィーン留学)を聞き、従兄妹だと解かっても尚、惹かれていく気持ちを止められない琴。かたや、カイくんに至っても、琴への気持ちを無理してまでも抑えられず、忘れることもできず・・・・むしろ忘れようとするほど、強い想いの深さを再認識。
 こうして二人の交際がようやく始まる。
 琴子の初恋は中学校生活の、その終点間際で実を結んだというわけ。
「まっ、もっとも交際開始その直後、カイくんはウィーンへ音楽留学してしまったわけだけど・・・・」
 カイくんのお母さんが、琴の叔父さんと再婚。かつての恋人同士がおよそ二十年越しの末に結ばれたのである。
「琴だって、その覚悟を持ってカイくんをウィーンに送り出したの」

 それだけにあの子の気持ちは堅いわよ、と告げる。
 あたしには神崎くんだけに限らず、他の誰でもあろうと、今の琴を落とすことなど不可能に思えてならなかった。
 霧島海・・・・あたしがカイくんと呼ぶ、その彼以外には。


→進む

→戻る

MCNのトップへ