【 第四話 】

 『私が未だ先輩に未練があるわけがない』

 

 ―十二月。

 夜は暗くてとても寒かったわ。

 まだ住み慣れていない街、ということもあるのでしょうけど、それ以上に、もうすぐ雪が降ると予報されているらしいからでしょうね。

「ふっ、この堕天の衣でも、震えが止まらないわ・・・」

 でもこの身が震えているのは、寒さにではない。

 それはきっと・・・これからの出来事に。



「・・・よくぞ辿り着いたものね。褒めてあげるわ・・・」

 何を驚くことがあるの?

 あなたが来ることなんて、お見通しなのだから・・・

 あなたがたった一つしかない答えを持って、来ることなど・・・

「懐かしい台詞だな、それ」

「そうね」

 幽かに笑い合った。

「思い出話をしに来たわけじゃねぇ。おまえに言いたいことがある」

「・・・うん」

「お、俺は・・・」

 うん。

 分かっているわ。

 さぁ、続けなさい・・・

 暫くの間が夜の闇の安寧を漂わせていく。



 初めて会ったときは、少し扱いに困ったお兄さんだった。

 でも、逢瀬を重ねるごとに、少しずつ、あなたの妹の立場に羨望の眼差しを向けてしまっていた私がいたわ。だからというわけじゃないでしょうけど、とある 事情からあなたを『兄さん』と呼ばせて貰った。

 こ、光栄に思いなさい。

 私には妹たちは居ても、兄も姉もいないのですからね。

 それがある時期を境に『先輩』へと変わる。

 分かっているのですか?

 私は(結果的に)少しの間不在となった妹の代用品ではないのですからね。

 でも・・・

 その際にあなたが言ってくれた言葉は・・・

 あなたのとってくれた行動は・・・

 とてもお節介で、厚かましくて・・・でも、とても嬉しいものだったわ。

 そのあなたを『京介』と呼ぶ。

 夏休み末期の僅かな間・・・私はあなたの彼女になることができた。

 すぐに飽きられてしまうのではないか、すぐに嫌われてしまうのではないか、という不安が常に付きまとうような日々だったけど・・・私は嬉しかったのだろ う。とても楽しかったのだろう。

 一緒に電気屋に行ってくれた。私のバイト先である古本屋にも。一緒に部活に入ってくれて、私の家に呼び、あなたの部屋に呼ばれたり・・・

 あなただけに見せた、み、水着だって(かぁ〜〜////////)

 ・・・・、

 あと。

 一緒に見ることが許された花火は・・・私の一生の思い出よ。

 絶対に忘れることはない・・・

 だから、こ、光栄に思いなさいよ、ね・・・



「・・・っ・・・ぅ・・・」

 や、やめて頂戴・・・わ、私まで・・・

「・・・っ・・・っ・・・」

「あらあら泣いてしまって。情けないわね。私に・・・話があるのでは・・・なかったの?」

 懸命に強がる。

 いえ、違うわね。懸命に強がろうとしていたのよ。

「ああ・・・ある」

 私は張り付いた微笑みを浮かべた。

「瑠璃」

「なぁに? 京介・・・」

 口調とは裏腹に脚が震える。

 と、止まりなさい。今は・・・まだ・・・

「瑠璃・・・俺は・・・俺は・・・」

 この人を躊躇わせてはいけないわ。

「俺は、おまえとは付き合えない、好きなやつが、いるんだ!」

「・・・・」

 そのあなたの答えなど、聞くまでもなく分かっていたわ。

「・・・・」

 だから驚きもしないし、怒りもしないわ。

 でも・・・

「・・・っふ・・・ふ・・・ククク・・・」

 うっそりと笑いながら顔を上げた。

「・・・私の負けね。見事と、と言っておくわ。そんな告白、あなた以外の誰にも言えやしない」

 私は懸命に演じる。

 そう、これは自分のことではなく、五更瑠璃という、別人のための・・・云わば、私はその代役に過ぎないのだから。

「フッ、やれやれ・・・どうやら馬鹿な真似をした甲斐があったようね」

 私は指を指して告げる。

「もはやあなたに、闇の眷属たる資格はない。その聖なる剣を持って、世界を救ってきなさいな。・・・私の初恋を粉々に打ち砕いたあなたなら、きっとできる わ」

 私は抱えていた一冊のノートを差し出し、

 彼の前で破り捨てる。



 これは彼と私の・・・僅かな間で綴られた、私たちの記述。

 『運命の記述』と偽り、あなたと共に行動した思い出の塊。



「・・・呪いは解けたわ・・・」

 私の宝物は、未来の予言は・・・濡れた地面に落ちて、風に飛ばされ、しめって、読めなくなって・・・それでおしまいなのよ。

「あなたはもう自由よ。今世も・・・来世も・・・もはや永遠に私たちが結ばれることはない。それで・・・いいのでしょう?」

「『黒猫』・・・」

 私の名前が以前の・・・出逢った頃のものに戻っていた。

 もう京介は・・・先輩は、私を「瑠璃」とは呼んでくれない・・・

「そう・・・最初から・・・っ・・・」

 ぽつり。

「こんな・・・結末なんて・・・」

 ぽつり、ぽつりと涙が零れ落ちた。

「分かって・・・っ・・・」

 嗚咽は段々強まって、決壊していく。

「ひっ・・・うっ・・・あああああ・・・ああああ・・・っ」

 先輩と一緒にゲームを作った日々。

「あああああ・・・うああああ・・・ひっ、ひっ・・・ああああああああ!」

 慟哭。

 初めて同じ高校の制服を披露したときの、あの気恥ずかしさ。

「あああっ・・・うああああ・・・」

 こ、こんなはずじゃなかった・・・

 こんな想いが・・・

 失恋が・・・こんなに酷い、ものなんて・・・





「世界は闇に呑まれたわ」

 私はゆっくりと見上げた。

 背の高い・・・彼を。

「我が名は・・・我が名は『闇猫』。あらゆる恋を否定するものなり!」

 宣言する。

「呪いあれっ! 愛するものたちに呪いあれっ! 聖なる夜に呪いあれっ! この世の全てに呪いあれっ! すべてのリア充どもに破壊の鉄槌をぉ!!」

「・・・・」

「我が生涯最大の呪いを・・・思い知りなさい!」







 それがクリスマス直前のことだった。





 あれから三カ月が過ぎ・・・

 あの人はもう呪いにかかってはいなかった。

「・・・・」

 むしろ、私が本当に呪いにかかっているのだと知るのに、それほどの時間を要することもなかった。

 そう、『失恋』という・・・名の呪いを。

 こ、これはとても厄介なもので、認識してデスペルをしたから、といってすぐに解消されるような類のものではなくて、何日も何日が経っても、じわじわと重 く圧しかかってくるようなもの。

 それを忘れるが如く、私はそれまでにないほど制作に偏重していった。勿論これまでにだって、多忙な両親たちに代わって妹たちの世話をしたり、ご飯や家事 をこなしながらの日々だったのけれど・・・

 そう、最近は特に、とあるビッチ女からとある男を寝取る、ような略奪愛的な物語の傾向になっている。

 今、作っているので七作目よ・・・

 これまでと違って内容も、過激さも・・・

「ふふっ・・・ふふふっ・・・」

 ・・・か、覚悟しない。

「そうね。あのビッチを見返すためにも、あの男の胤を身籠るぐらいが・・・丁度いいわ・・・」

 それが和姦であれ、強姦であれ、私は抱かれるのよ・・・

「ふふふっ・・・ふふふふふっ・・・」

「ルリ姉、あ、頭・・・大丈夫!?」

「お、お姉さま・・・」

 私はジロっと寝間着姿の妹たちを直視する。

 あ、あなたたちはまだ寝てなかったのですかっ!?

「ルリ姉、何に嵌っているのか分からないけど、少し根を詰め過ぎじゃない?」

「そ、そんなことはないわ」

 視線を横に逸らす。

 確かに睡眠時間を削り過ぎたような気がしなくもない。

「そんな疲れた(憑かれた)ような顔をしてさ・・・」

「これは、おにぃちゃんの絵ですかぁ?」

 私が思わずデッサンしていたあの人の絵を珠希はめざとく見つけてしまっていたようだ。

 ちなみにその横には、明らかに自分であろう少女が、まるでラブラブのように腕を組んでいる。

「た、珠希、だめよ・・・その話題は、まだ・・・」

 だ、大丈夫よ。こ、これぐらい。

 失恋したショックで死にそうなぐらいだから・・・





 それから、ややしてからだった。

 突如、制作中の画面に・・・あのビッチからのチャット要請が届いたのは。

『あら、珍しいわね。あなたから連絡が来るなんて』

『まぁね・・・今、卒業式から帰宅したところ』

 ああ、そうか。

 卒業生を送り出す卒業式は、何処も終業式の前日に行われるようで、我が家でも日向が今年、小学校の卒業式を迎えていた。

『今度の新作の出来は素晴らしいわよ・・・』

『へぇ〜〜まぁ、またどうせ、売れ筋から大きく隔離しているような、痛々しい文盲なんでしょうけど・・・kkk・・・』

『分かってないわね、今度の新作は・・・きっと現実世界に返還されて、実際に起こってしまう、曰く的なものなのよ』

 実際に、ここ最近では起こってくれないか、と・・・切実に願望している自分がいるわけなのですけど。

『覚悟なさい。すぐにあなたからあの人を奪って・・・』

 と、書き込みながら想像して、真っ赤に赤面してしまう私。

『あ〜それは、もう無理しょ!』

 きぃ〜こ、このアマ・・・自信過剰なとこもいいところよ。

 実際に京介を墜とす術なんて、いくらでも用意できる。

 さすがに私も血が上りそうだった。

 ・・・次の一文を見るまでは・・・

『さっき、あいつと別れたから・・・』

 暫く表示された言葉の意味に私は理解を窮した。

 わ、別れたって・・・あ、あなたが・・・き、京介と!?

 な、なんですってぇ!!!

『あ、あなた、正気!?』

 私とのチャットにかなりの間があるのは、この女が私のチャットの合間にエロゲーをやっているからなのだろう。色々と言いたいこともあるが、これが毎回続 けられると慣れたものである。



 そんなチャットを繰り返しながら、私は、あの人とこの女の期間限定の関係を・・・二人だけの秘密である『約束』が説明されていた。

 なるほど。兄弟による恋愛を望んでいた二人にとって、それは確かに妥当な落としどころだったのであろう。



『一応、迷惑を掛けたわけだし、あんたやおやせたちには報告しておかないと、って思ったわけ・・・もし、あんたが兄貴とまだ付き合いたい、って思ってくれ てんのなら、もうあたしは反対しないから・・・』

「・・・・」

 ふっ・・・ふふふっ・・・

 何て、言い草なの。とかはまず横に置いとくとして、まず肝心なのは、京介が独り身になったことであり、今度は妹である彼女が反対をしない、と言っている ところにある。

 これで私たちの間を阻む存在はない・・・と思った矢先、私は既に閉会したチャットルームに残る、あの女の言葉が気になった。

 私や・・・あやせ、たち!?

 というフレーズからして、京介が独り身になった、という事実は、私以外に少なくても一人以上は知っている、ということだろう。

 新垣あやせ・・・あのビッチ女の親友であり、私とも少なくない因縁の相手であることは分かっていた。一度は腹を割って、あの女(桐乃)のこと、そして京 介のことで語り合った仲でもある。

 お腹を踏んでもらっていた遣り取りは・・・もう忘れてもらって欲しいわ。



「意外と・・・もてるのよね・・・」

 私は画面を見ながら呟く。

 そう、高坂京介は・・・彼にとっても初めての告白を私がし、彼にとって初めての彼女にしてもらえたわけだったが、私の知る限りでも彼に好意を抱いた異性 は片手だけでは足りない。

 一人は、先ほどの新垣あやせ。

 私の知る限りの中でも絶世の美少女で、無論、難敵である。

 もう一人は、料理の達人であり田村家の長女。田村麻奈実。

 そして『スイーツ三号』『メルルもどき』の来栖加奈子。

 これに妹の桐乃と私を入れただけで、もう片手が塞がるのである。

「・・・・」

 また告白をしなければならない。

 幸い、彼とは明後日のオフ会で顔を合わすことができるだろう。

 そんな折、管理人である『沙織・バジーナ』からメールが届いた。明後日のオフ会に新メンバーが加わる、という内容のもの。

 ふぅん、新メンバーね・・・

「私には関係ないわ・・・」

 と、呟いた際に、このオフ会直前のタイミングでの新メンバー入り報告が気になった。



 ま、まさか・・・

 全くの可能性を否定できない、そんな自分がいる。



「・・・・」

 も、もっとも、今、一番リードしているのは、わ、わわ私よね?

 あれから辛くって顔を合わせられず、会話も断片的なものしかできなかったわけだったが、曲がりなりにも一度は付き合った・・・交際した間柄ではあるの だ。

「うー〜うー〜」

 それを最大の希望にして、私は室内に悶え続ける。



 (あ、ルリ姉が壊れた)(お姉さま、ゴロゴロしてる・・・)



 僅かに聞こえた妹たちの声。

 私の部屋を覗き見していたのは間違いないだろう。

 そんな妹たちは知らない。

 明日の朝食、おかずが一品、綺麗さっぱり暗黒の狭間に消失しているだろう、そんな事実を・・・


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