【 第六話 】

 『私が再び先輩と恋人になれるわけがない』

 

 とうとうあの人からのメールが私のもとに届いてしまった。

 それはあの日に回答を得られなかった、あのときの答えなのだと分かっている。でも、メールの内容を開くことを躊躇う私だった。

「・・・・」

 メールのタイトル、『無題』という辺りからして、とても嫌な、嫌な予感でしかしない。

「ま、またあの絶望を・・・味あわなければならないの・・・?」

 どれだけ運命は、私に辛酸を味あわせたいのぉ?

 まだこのメールが拒絶されたものとは限らない。だが、私の指先は素直に、開示すること恐れて触れることを拒絶する。

「・・・っ・・・・」

 しっ、鎮まりなさい。わ、私の手よ・・・

 ま、まだ振られたって、決まったわけじゃないわ。



 思えば、桐乃からのチャットで京介と別れた報告、二人だけの『約束』を聞かされてからの数日、私はかなり浮かれていたような気がする。例え京介が桐乃と別れたから・・・といって、また私と付き合ってくれるという保証なんてないのにも関わらずに。

 沙織からのメールでの新メンバーの報告で、私も薄々ながら、新垣あやせの存在を予感していた。そして彼女も京介の独り身を知れば、告白するであろうことも分かっていたのだ。

 同じ絶望を味わってしまった者になら・・・

 しかもあれから数カ月しか経っておらず、京介への愛情を忘れようはずもなかっただろうから。

 そして・・・あのオフ会。

 集合地点には沙織と、京介の妹の桐乃しかおらず、新メンバーと思われる人物と・・・京介の姿がなかったとき、私は慌てて席を外して、彼にメールを送ったのだ。

 そして・・・悟らずにはいられなかった。

 遅れてきた京介とあやせの表情、二人の雰囲気に・・・・『先を越されてしまった・・・』という現実に。

 私は新垣あやせの姿を一瞥して理解したのだ。

 やはりあれは、『敵』(同性)なのだと。

 それもこの上ない強敵・・・桐乃と同様、モデルなのですから当然なのでしょうけど、私の知る限りでも可憐な桐乃に勝るとも劣らない、まさに絶世の美少女だ。





 お、お願いします・・・先輩。

 もう一度だけ・・・もう一度だけで良いから、私にチャンスをください。

 私は居間のテーブルに携帯を置き、祈るように手を合わせた。





 ―昨年の十二月。

 そう、私が振られた直後はまだマシだった。勿論、京介の前で号泣してしまったあと、逃げ帰るように私室に戻り、一晩中嗚咽して、そして泣いては顔を泣き腫らしたわ。

 たった僅かな間だったけど、京介と付き合えた間はとても楽しかった。

 本当にあなたは毎日。私なんかに会いに来てくれて、つまらない私を知ってもらって、それでも京介は私を受け入れてくれた。

 あなたは信じていなかったでしょうけど・・・

 私はすごく・・・嬉しかったのよ。

 そして、私の愚かな過ちは・・・彼女の性格上、素直になれていなかった桐乃の本音を引き出すために、私は京介に別れを告げたのだ。私はこの愚かな自分の行動を・・・後々になって後悔することになった。

 確かに桐乃が本音を曝け出し、やっと気持ちを京介と向き合えるように仕向けられたことに後悔はない。でも、その後のことを思えば、京介に別れを迫る必要も、彼を必要以上に傷つけることはなかったのよ。

 そして私は・・・振られた。

 京介が妹への気持ちを気付いたその上で、それでも私を選んで貰いたかったのだけど。

 でも、私にはまだ二人を見届けること。そしておおよその事情を知ってくれている沙織が、私の傍にいてくれたのだ。

 それでも・・・・呪いは解かれなかった。

 その呪いは、年が明けても、徐々に私を蝕むようになっていく。

 何かがあることに、すぐに京介を思い浮かべ、この小さな胸に重く圧し掛かっては、きつく締め付けるようになっていった。もう京介は桐乃のものと認識していても、残された私の感情は全く納得してくれなかった。

 それからの制作物の大半が略奪愛系に偏ってしまったのは、私の正直な気持ちを代弁していたからなのであろう。そしてきっと桐乃なら、また大ヒットするような小説となっていたかもしれない。

 私が書きたいものと、売れ筋となる路線の隔離。

 酷評される私の小説と今でも賞賛される彼女の小説。

 ・・・全く忌々しい女だわ。

 これ一つを思い出すだけでも、恨めしくて悔しくて絞め殺してやりたい。

 その上、唐突に『さっき、あいつと別れたから・・・』ですって!?

 その報告の内容はともかく、本当に呪い殺したくなったわっ。





 ふっ、と気付くと、テーブルの上に置いたはずの携帯がなくなっていた。

「えっ?」

「姉さま。これはおにぃちゃんからのメールですかぁ?」

「ルリ姉への、高坂くんからのメールか〜にひひっ」

 そこには、いつの間にか帰宅していた妹たちがいて、私の携帯を上の妹である日向が、にやにやと眺めている。

「そ、そうよ」

「読んじゃってもいいのかなぁ?」

「か、構わないわ・・・そ、そんな大した内容じゃなさそうだし」

「では・・・」

 ま、待って頂戴。

 私の今のヒットポイントは、もう真っ赤よ?

 これ以上、衝撃を与えてしまったら、きっと死んでしまうわぁ。

「明後日の三月三十一日の午前十時。高校前にあった喫茶店、『エコーズ』に。黒猫の都合が悪ければ、また日を改める 京介」

 私は日向が読み上げた言葉を耐えた。

「こ、ここここっ、これってルリ姉。デぇ、デートの呼び出しぃ!?」

「でぇ〜と?」

「ち、違うわよ・・・な、なんで私があの人とまたデートできるのよ?」

 私は視線を逸らしながら、携帯を受け取り、少し後退りをする。

 特に日向は小学校を卒業したこともあり、私たち姉妹の中でも口は達者で、ここ最近は特にマセたことを口にしては、私でも追及に窮することもあった。

「でも、ルリ姉。高坂くんからメール来るたびに、室内で悶え続けたじゃん」

「あ、あれは・・・め、メールが来たから、というわけ・・・ではなくて・・・」

「その上にぃ〜高坂くんと幾度もなく契りを交わすことになって、ルリ姉は何回も妊娠させられたりするんでしょう?」

「そ、それは前作の、あ、あああ、あくまで、か、架空の・・・・・・」

 そこで私は一つの事実に気付き、即座に日向の頭を掴んだ。

 私が京介と結ばれて、妊娠したのはあくまでも、現在制作中の新作だけであり、当然に未発表作品であり、まだ誰も知る由もないものだ。

 私のパソコンを起動して、閲覧しない限りは・・・

「み、見たのね・・・」

「あ、やべっ・・・」

 これは妹たちの・・・特に日向の教育をやり直さなくては・・・そう、みっちりと、ねっ・・・ふっふふふっ。

「姉さま。またおにぃちゃん、あそびにきてくれますか?」

「・・・・」

「珠希はまたおにぃちゃんに会いたいです」

「そうね・・・珠希が会いたがっていた、と伝えておくわ」

 私もまた来て貰いたいもの。

 その・・・できれば、『恋人』、として・・・







 こうして二日後。

 私は住み慣れた千葉市の街に戻り、結局一年間も通えなかった『千葉県立千葉弁展高等学校』の前に到着した。

 時間は・・・まだ一時間くらいある。

 私は深呼吸して、弁展高校を一瞥する。ここには数か月しか通うことができなかったけど、それでも私の人生の中でもっとも充実して、そして掛け替えのなかった日々だったことだろう。

 それほど多くはなかったが、今の高校でも話し合える「友達」を得ることができたのも、この高校でゲーム部に入り、赤城瀬菜や部長の三浦絃之助先輩、真壁楓先輩・・・何より、京介が私に教えてくれたから。

「それまではよく、あそこのベンチで一人、お弁当を食べていたものね」

 その光景を毎日、京介に見られていたのだ、とは露とも知らずに。

 入ってみようかしら・・・

 そう思わずにはいられなかった。

 幸い、今日の服装はこの高校に通っていたころの制服であり、京介の要望に応えて、慣れない眼鏡もしっかりと装備している。もしかしたら、まだゲーム部に在籍しているはずの瀬菜にも久しぶりに会えるかもしれないだろう。

「でも・・・だめね」

 私はもう・・・この高校の部外者ですもの。

 ・・・そう考えると、他校の生徒にも関わらず、あのゲーム部に入部してきた御鏡光輝は凄い精神の持ち主だったように思えなくもない。

「ごっ、五更さん!?」

「せ、瀬菜?」

「お久しぶりですね〜」

 彼女は赤城瀬菜で、私がこの高校に通っていたときのクラスメイトであり、同じゲーム研究会の同期でもあり、彼女とは一緒にゲームを作ったこともある間柄でもある。

「でも、どうしたんですぅ? またうちの高校の制服を着て・・・」

 その彼女が私の制服姿を見て、不審に思ってしまうのは当然のことだろう。

「まさか、また戻ってきてくれるんですかぁ?」

「ううん、そ、そういうわけじゃないの・・・」

「そうですかぁ・・・もし五更さんが戻ってきてくれたら、一緒にゲーム作りできたでしょうし、あたし以外の女子も増えるから、嬉しかったのに・・・」

「そうね。私もまたあなたとゲームを作りたかったわ」

 それは嘘偽りなく、私の正直な本音であった。

 彼女は特に私にはない技能の持ち主で、ざっとプログラムを閲覧しただけで違和感(バグ)を見つけられるという異能(邪眼)の持ち主であり、そのおかげで昨年、私たちはノベルゲームを完成させることができたのだ。

「ははぁ〜、では、高坂先輩ですね・・・」

「・・・・」

「しかし、先輩も酷いですよね。彼女だった五更さんが転校してすぐに、新しい彼女・・・妹さんですけど、作ちゃったんですからぁ」

「そ、それは色々と事情があるのよ・・・」

「ああ・・・それも桐乃ちゃんから聞いちゃいましたよ。何でも桐乃ちゃんの一声で・・・」

 あ、あの女は、べらべらと・・・わ、私のあずかり知らぬところで、私と京介の別れ話を広めていたのね。



「あたし、これからゲーム部の部室で、真壁先輩と今期の打ち合わせがあるんで、もし五更さんも良かったら寄ってくださいね」

「あら。私なんかがお二人のデートの邪魔をしちゃっていいのかしら?」

 京介から貰えたメールと瀬菜自身のメールによって、彼女は一つ上の真壁先輩と付き合いだしたことを知らされていた。

「何、人の陰口叩いているんだぁ、こらぁ! おっぱい揉むぞ!?」

 その瀬菜の背後から現れた京介が、彼女の頭にツッコみを入れる。

「あっはははっ・・・高坂先輩、お、お久しぶりです」

「おう。っと・・・黒猫、もう来てたんか。もしかして待たせたか?」

 私は高鳴る鼓動を堪えながら、ゆっくりと頭を振った。京介に指定されていた時間まで、まだ三十分近くある。

 ・・・足が震えている。

 ご、誤魔化さない、と・・・

「それじゃ、あたしは部活がありますんで・・・高坂先輩もれっきとしたゲー研部のOBなんですから、いつでも遊びに来てくださいね〜」

「おう。またな」「瀬菜、また連絡するわ」と彼女を京介と見送った後、視線は自然と彼に向けられる。

「黒猫、おまえ・・・その制服・・・?」

「な、なにかしら・・・」

「・・・懐かしいな」

 京介は眩しいばかりの笑顔を浮かべる。

「い、以前、あなたがもう一度見たい・・・って、言ってくれたから・・・」

「そうだったな・・・まぁ、新しい高校のセーラー服のおまえも、すっげー似合っていたけどなぁ〜」

「そ、そう・・・な、なら、今度は今の制服を着てきてあげるわ・・・」

 ・・・その機会が許されるのなら。

 でも、あなたは、本当は制服フェチなのではなくて・・・?

「とりあえず、立ち話もなんだし・・・中に入るか」

「ええ」

 私は京介に促されるまま、『エコーズ』に入店していく。



 二人してテーブルに着いたあと、京介と私は飲み物を注文して、暫くの間が空いた。

 その間に京介からの話題はなく、私は薄々だが次第に、最悪の返事の予感に胸が押し潰されそうになる。

 前回は・・・まだ、良かった。

 京介が選んだ相手は、桐乃であり、彼にとっては妹である。できればその妹の気持ちを知った上で、私を選んで欲しかったのだけど・・・彼が潜在的なシスコンであり、桐乃を選んだことは当然の選択だったのだから。

 だが、今度は違う。違う・・・

 もし・・・京介が新垣あやせを選び、再び私が振られれば・・・私はあの時以上の絶望を味わうことになるだろう。

 あのとき以上の絶望に・・・堪えられるのだろうか?

 ま、全く・・・自信がないわっ。



「何でお兄さんの元・彼女さんが、ここにいるんですかぁ!!」

 正確には言えば、元彼女は桐乃であって、私はその前になるのだけど。その私の背後から掛けられた、新垣あやせの言葉に・・・彼女の登場に愕然となった。

 京介が受験のために、一時的に一人暮らしを開始した際、およそ同じ言葉を彼女に言われたことがある。が、あの時の状況と今の状況は全く異なっていた。

 少なくとも、今の私には・・・『何でお兄さんはわたしを選んでくれたのに、ずっと前に別れたはずの彼女と一緒にいるんですか?』と、京介を責めているように聞こえなくもなかった。

 また足が震えてしまった。

 彼にまた振られるのが、とても怖くて・・・

「ご、ごめんなさい。少し席を外させてもらうわ・・・」

 そう口にして、私はあやせと入れ替わるように、化粧室に逃げ込んでしまっていた。また泣いてしまいそうな私。もう彼に涙を見せまい、というせめてもの矜持が私の身体を動かしていた。

 それからすぐに、彼女も・・・新垣あやせも訪れてくる。

「・・・っ・・・」

 その彼女の顔はとっても真っ青で・・・色白な私よりももっと顔色が悪いように思えたものだった。

 つ、つまり・・・彼女も?

 あの京介が片方の告白を受け入れ、片方の告白を断るがために、私たちを一緒に呼んだとは考えられない。鈍感でいい加減な性格でありながら、それでも誠実なのだ。

 ・・・だから、京介に私と彼女が同時に呼ばれた・・・と、いうことは。





 彼女と二人揃って着座したあと。

 彼は少しの間をおいて、テーブルに頭を擦りつけた。

「黒猫・・・あやせ・・・」

 『すまん・・・』、っと。



 その瞬間・・・確かに私の周りの世界は凍りついた。


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