03『 運命の邂逅 』

 

 『 運命の邂逅 』







 そこはヴェンツェル皇国内にあるアルティス公国領。

「・・・・」

 白銀の髪色の若者はひっそりと息を潜め、矢を弓につがえる。その一連の動作には手馴れたもので、全くの無駄がない動き。

 所持している弓も無駄な装飾こそ皆無だが、相当に使い込まれて、これまでに幾度も矢を解き放った歴戦の、戦歴の持ち主だった。



 落ち着けよっ、僕!

 ・・・大丈夫、大丈夫だ。



 若者は自身に言い聞かせるように独白する。



 これまでにもこうして息を潜めて、獲物を狩ることはあった。当然だった。若者はこのアルティス公国領で狩猟を生業とする『狩人』である。

 それがただ森林や山岳部に生息する獣から、森林で悪行を働こうとする悪漢たちに変わった、という、ただそれだけの違いだけで・・・





 若者の名を『エリス』

 銀色の短髪で、顔立ちは良く言っても幼げな・・・悪く言えば柔弱な印象を与える少年の容姿だったが、先ほども述べたようにアルティス公国領の狩人であり、既に一年以上の実績がある。

 今年で十三歳――十二歳で義務教育が終わり、十五歳で成人したと見なされる――のアルティス出身の、期待の新星だった。



 《 ヒュッ! 》



 空気を引き裂く音が奏でられ、エリスが放った一射は、正確に悪漢の一人の頭に突き刺さった。弓における常識の限界を越えた射程距離。それでいて標的を撃ち抜いたその正確性からでも、エリスの卓越した技量が窺える。

 ・・・・。

 だが、エリスの表情には、自身の技量を誇るような余裕はない。

 当然だ。悪漢はその一人だけではなかったし、何より、向こう側にこちらの存在を知られてしまったのだから。







 物事の発端は、静粛な領域のはずの森林地帯に挟まれた林道に、慌ただしく激走する一際豪奢な馬車に、騎乗した荒れくれ者たちによる追走劇から端を発していた。

 いや、その構図は単なる追走ではなく、明らかに追撃ではあったが。



 六人以上が乗車してもまだ余裕があろう大型馬車に、四頭のがっちりとした体躯の大型馬によって牽引されている。その豪華な馬車には、羽ばたく鳳凰に十字架の紋章・・・それは三大国の一つであるヴェンツェル皇国を表す徽章が掲げられてあった。

 しかし、その馬車を護衛する騎士の姿はない。

 既に殺されたのか・・・

 もしくは隠密での、単独行であったのか?

「・・・・」

 アルティス公国の公主トリグラフの依頼によって、狩猟に出ていたエリスが目撃したのは、そんな時のことである。



 豪華な馬車一台を追う、騎乗した五十騎ほどの男たち。

 御者が必死に鞭を振るうが、もはや追いつかれるのは時間の問題だった。



 追撃する男たちの武装には統一性はなく、帯剣している者がいれば、長槍を振りかざしている者もいる。また一人の男が手斧を投じていく。また余りにもみすぼらしい防具は、粗雑な衣服でまちまちだった。



 ・・・野盗か。



 それはここ近年、このアルティス公国領内において、公主トリグラフの頭を悩ませている野盗団に違いないだろう。

 確か、この近辺に野盗団の根城があったような気もする。



 鳳凰に十字架の紋章。



 ・・・ヴェンツェル皇国、か。



 アルティス公国はそのヴェンツェル皇国によって自治が認められた国家であり、公国の狩人でしかないエリスにとっては、皇国そのものに忠節を尽くさなければならない、という縛りはない。

 何より、敵の数の方が圧倒的に多い。

 ここでエリス一人が加勢をしたとしても、必ずしも事態が好転するという保証もなかった。

 ・・・・。

 でも後々、皇国徽章のついた馬車の窮地を見逃しました、とあっては、公主様の心象は最悪だろうなぁ・・・

 ただでさえ公主トリグラフから曰くありげな視線を受けているエリスのことである。これによって厳しい懲罰が課せられる可能性すらもあっただろう。







 弧を描くように投じられた手斧の一つが御者の頭部に直撃し、ほぼ同時にもう一つの手斧が四頭のうちの大型馬に突き刺さった。

 バランスを崩して木々に激突し、車体を傾かせた馬車の歯車が、カラカラと鳴り響く。

 御者は見るまでもなく即死。

「姫様は今のうちにお逃げくだされ」

 馬車の扉から降り立った老騎士が長剣を閃かせるが、激突した際の事故で負傷したこともあって、その動きは決して往年のものほどではなかった。



 ――姫!?――

 その敬称に五十騎弱からなる野盗たちの唇が歪む。

 予想以上に大きな獲物だったからだ。



 老騎士に続いて馬車の扉から現れたのは、侍女服を身に付けた、年齢にして十五〜六歳の美少女だった。顔立ちのそれ以上に魅力的な四肢、発育良さげな身体の登場は、野盗たちの性欲を著しく刺激した。



 だが、麗しいばかりの侍女の存在も、その彼女の助けを借りて現れた存在によって掻き消される。



「ローレンを置いて・・・

 置いて、逃げられるわけがないでしょう!?」



 その美少女侍女の助けを借りて、ブロンドの長い髪をなびかせた少女が懸命に立ち上がった。



 ・・・・。

 それは誰もが息を呑む、それほどの美少女だった。

 顔立ちの良かった、年頃の侍女の存在さえも霞ませてしまう・・・それほどに。

 これまでの騒動によって汚れた純白のドレスの汚れも、彼女の持ち合わせる神々しいまでの可憐さは些かも損なわれていない。



 彼女こそ、ヴェンツェル皇国の第四皇女レティシア・ミラルド・ティア・ミステル。平民出身の母親を持ちながら、皇国の民衆から深く慕われ、その純真無垢な性格と可憐さにして『皇国の至宝』とまで謳われているほどの・・・

 まだ今年で十歳という幼さでありながら、その揺るぎないまでの気丈な姿勢には、三大国の皇女に相応しい威厳があった。





「ゲッヘヘヘぇ・・・」

「やはり皇族が乗ってやがったぜぇ・・・」

 男たちにとってそれは、紛れもない幸運だっただろう。

 彼らは第二皇女――現在皇位継承権一位――の要請によって、皇国の御旗を付けた馬車、第四皇女の乗車を知らずに襲撃を企てたのだから。まさかこれほどの高貴な者を・・・想定していたそれ以上の上玉を乗せていたことは、まさに僥倖であったことに違いない。

 ・・・・。

 これで皇国から多額の身代金が望めよう。

 侍女の顔立ちも良く、成熟した身体でもある。恐らく今夜は五十人の男たちと交わる輪姦祭の主賓として、野盗団に歓迎されることだろう。

 だが・・・

 ・・・・。

 野盗たちが互いの視線を交わし合った。

 これは野盗の全員に共通したことであったが、誰もレティシアに手を出さなければ、俺が・・・『皇国の至宝』の純潔を穢す・・・という思いを共有していた。



 確かにレティシアはまだ十歳、という幼さだ。

 その小柄な身体だって未成熟であり、まだ胸の脹らみとてない・・・全くない。完全なまでに絶壁である。

 それでも現時点で『超絶の美少女』と呼んで過言ない容姿であり、数年後には間違いなく『絶世の美少女』に、更に数年後には『歴代随一の美少女』になることが保証されているとさえ、思わされるほどの超絶な美少女なのである。



 ・・・・。

 もし世が世なら、レティシアは粗野な野盗団によって凌辱され、夥しい限りの精液を体内に注がれてしまったことは想像するに難しくない。



(げっへっへっ・・・悪く思うなよ)

(それも大切な仕事の依頼なんだからさぁ・・・)

 またレティシアを犯す・・・凌辱することは、第二皇女フレア・フォード・フィア・ミステルの依頼の最優先事項でもあった。まだ身籠れる年頃の身体ではなかったが・・・もしレティシアを孕ませることが叶えば、褒賞金の増額も約束されている。

(皇女様が野盗の、俺の子を産むんだぜぇ・・・)

 この世界の女性は、身籠る=出産――堕胎手術などの医療技術がないため――である。事故などによる流産を唯一の例外となるが、女子は望む、望まないに関わらず、妊娠すれば出産が付きものであった。

 それは大国の皇女とて例外ではない。



 そして寛容に過ぎる依頼主は、皇女を野盗の妻にした場合には、報奨額の上乗せとは別に莫大なご祝儀も約束し、しかも皇国の面子もあって、この一件が咎められることがないよう、できる限りに穏便に済ませる・・・というお墨付きまでを与えている。





 ・・・・。

 レティシアと侍女を護るのは、老騎士ローレンの一人。

 対する野盗団は五十騎弱・・・

 まさに状況は絶望的だった。

 対照的に野盗の頭目は狂喜の思いだった。既にアジトに帰還した後、どのようにレティシアを犯すか――やはり頭目らしく、皇女が破瓜される瞬間くらいは立ち会わせてやるべきか? げぇへっへっへっ――それだけしか頭の中にはなかった。



「とりあえず、爺ぃは殺せぇ〜〜〜ぅぇ!?」

 老騎士ローレンに殺意を浴びせた頭目は、その最後までの台詞を口にすることはできなかった。

 遠方からの矢に頭部を貫かれて倒れたのだ。

 それがエリスの放った最初の、その第一射だった。

「「なっ!?」」

 それはローレンにとっても、野盗たちにとっても意外な一撃だった。

「だっ、誰だぁっ!?」

 無言の第二射が再び、一人の野盗の眉間を貫く。

 が、それによって、おおよそのエリスの所在と方角が露見する。

 ・・・・。

 エリスには一射で二人以上の男を貫く強弓も、二つの的を同時に撃ち抜くような離れ技もない。ましてや一つの山を吹っ飛ばすような神業なんてあろうはずがなかった。

 ・・・・。

「森の中に敵がいるぞぉ!!」

「ワルツの班とエランの班(約半数の二十余人)は、左右から挟撃して、接近戦で皆殺しにしろぉおお〜〜」

 ・・・くすっ。皆殺し?

 その台詞からも正確な数が解からなかったらしい。

 敵もまさか、エリスの一人とは思わなかったようだ。



 故に野盗の瞬時に下した判断は間違ってはいなかっただろう。距離を空ければ弓・魔法攻撃の独壇場ではあるが、こと接近戦においてはその限りではないのだから。

 ・・・・。

 だが、エリスとていつまでも悠長に弓を構えているわけではなかった。可能な距離の限りに弓で野盗の数を減らすと、腰のバックショルダーから短剣を抜剣する。

 戦いでは必ずしも獲物の長さが有利に働くとは限らない。こと無数の木々によって構成される森林戦においては尚更のことだ。



 ・・・何処だ?

 野盗たちは矢が飛んできた方向を目指して、次々と下馬しては森林の中に駆け込んだ。野盗たちとていつまでも的になるつもりなど毛頭にない。

 エリスは大樹や岩などの障害物に身を潜めて、擦れ違うように野盗を短剣で屠っていく。そして少しでも距離を稼がされると、そこに正確無比な矢を飛ばしてくるのだ。



 ・・・ここ一帯では野盗たちの、一方的な悪夢が始まっていた。





 その間にも馬車の事故周辺に残されていたレティシアたちの方にも変化が訪れていた。

 何処の手勢かは存じぬが、ありがたい・・・

 当てのなかった増援に野盗の半数が――一時的にでも――戦力を割いてくれたのである。老騎士には感謝の言葉しかなかった。

 そのローレンは野盗の一人として斬り倒せなかったが、皇女と侍女の存在を護りながら、確実に相手の疲労を強いていく。



 だが、余りにも多勢に無勢ではあった。



 廻り込んでいた野盗の一人が皇女に手を伸ばそうとし、ローレンがその野盗を牽制したその隙を突かれ、背中を晒してしまった手斧使いの投擲から逃れることはできなかった。

「か、かはっ・・・」

「ロ、ローレン!!」

 致命傷こそ辛うじて免れた老騎士ではあったが、もはや戦うどころか歩くことさえもままならなかった。

「お、お逃げくだされぇ・・・

 は、早く、お逃げくだ・・・」

「い、いやあぁぁぁああ・・・」



 そのレティシアの叫びは、老騎士ローレンの身柄を案じてのものであったのか、もしくは迫りくる野盗の手に向けられたものであったのだろうか・・・



 だが、

「ぐへぇ・・・」

 その手を伸ばした野盗の頭に横から矢が突き刺さった。



 レティシアたちとの距離を縮めながら、森の中で野盗たちと交戦しつつ、目の前の男の攻撃を短剣で弾き、手にしていた矢で負傷させ、その矢で再び弓につがえてレティシアたちに迫った野盗を射ったのだ。

 そして再び短剣に持ち替え、負傷させた野盗を絶命させると、森の中を駆け抜けてレティシアたちの前に降り立った。



 レティシアの目の前に銀髪の少年が降り立つ。

 半身に構えたエリスが『皇国の至宝』を一瞥する。





 このエリスこそ、後に『勇者』と呼ばれる若者であり、

 そしてその物語でエリスと結ばれる皇女こそ、

 『皇国の至宝』とまで称された・・・



 これがその二人の、初めての邂逅であった。







 血生臭い空気が漂う。

 野盗の数は未だに半数以上が健在であり、

 この絶望的な窮地の中、エリスは溜息交じりに呟く。

 矢筒の中の矢も残り少ない。

「これは・・・今日の狩りは断念、かな」

 と。



 まるで容易に明日へ順延できるような、

 そんな陽気な口調の、そのままに・・・


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