第二話【 告白は突然に! 】


 早朝、まだ完全に陽が昇りきらぬ間に、激しく剣と剣が幾度となくぶつかり合う。もっとも互いの剣は木製の模擬剣であり、無数の火花を散らす衝撃音も甲高い金属音でこそなかったが、それでも両者の技量をもって直撃させれば、ただでは済まされないことであろう。
 再び激しい激突が立て続けに起こった。
 朝早くから、そんな激しい衝撃音を繰り返せば、近隣からの苦情が殺到すること間違いない。だが、水無月家だけに関わらず、退魔師家の家には必ずといっていいほどに結界で護られており、この程度の衝撃など完全に遮断する。
 故に俺と刹那は、周囲のことに目を向けることなく、ただ相手の剣戟だけに集中することができていたのだが・・・


 俺はこの日、いつもよりも20分は早く目を覚まして、足早に一階の居間へと降り立った。時間にしてはたったの20分ではあるが、目覚めの20分とは結構、貴重な時間ではある。
 だが、台所のほうから香ばしい匂いが鼻腔をくすぐり・・・俺はそのまま床に手をつけた。
 き、今日も負けたか!
「光ちゃん、おはようございます」
 学園の制服にエプロンをつけた桜が微笑む。学園のアイドル的な存在である桜が、学園の制服にエプロンという姿はまさに男子生徒にとって悩殺ものであろう。
 だが、もはや俺には見慣れた光景であり・・・
 これで三ヶ月間、ほぼ桜が全勝したという姿でもあった。

 こうも毎日、桜は働きすぎる優秀な巫女とあって、また倒れられてしまうのではないか、と不安の種が尽きない日々。そこで俺は桜に勝負を持ちかけたのだ。早く起きたほうが朝飯を作る、という俺様ルールを・・・
 ところが・・・

「くっ、今日こそは桜よりも早く起きれた、と思ったのになぁ・・・」
「ん・・・(良かった)」
 俺がそのように悔しがると、桜は円満の笑顔を浮かべるのであった。
「桜、本当に朝飯ぐらいなら俺が作るから、たまにはゆっくりしててもいいんだぞ?」
 働きすぎるということが、桜にとって唯一の欠点といって良かっただろう。寝坊をしろとまでは言わないが、せめてたまには自分の身体をいたわったとしても、桜の素晴らしさは決して損なわれることはないはずだ。
「ちゃんと睡眠時間はとっていますし、朝起きてから朝御飯を作っている時間はとっても楽しいんです!」
「ならいいけど・・・」
 もっとも桜が倒れたのは、水無月家に来て間もなくのことで、やはり当時は慣れない土地や数多の不安、張り詰めた緊張などが要因だったのだろう。


 と、いうわけで俺は学生服に着替える前に、日頃の日課である水無月家の外周を走ることにした。これは桜が来る以前から一日として欠かしたことがない、俺の習慣でもある。そして今日も、その路上の向こう側から走ってきた刹那さんと遭遇することになるのだ。
「おはようございます、刹那さん」
「ああ、おはよう」
 子供の頃から水無月家の道場に足を運んでいた刹那さんとは、その頃からの付き合いであり、桜や爺ちゃんの次に信頼している、まさに俺にとっては兄貴分的な存在であった。
「どうだ、久しぶりに手合わせしてみないか?」
「喜んで・・・」
 俺は頷く。無論、相手と対等を期すために俺は霊力を使えない。純粋に剣技による勝負である。中腹の道場で模擬剣を手にし、最初の斬撃から既に十分が経過しようとしていた。
 刹那さんの剣はまさに一撃必倒。その長身から繰り出される斬撃の速度は凄まじく早く、たった一つのミスが俺の敗北へと誘うことになる。またその攻勢を受け止めて反撃を試みようにも、返しの斬撃もこれまた鋭く、迂闊な攻撃は自らの敗北を招き入れるようなものであった。
 斬撃を受け流し、その隙をついて突きを繰り出す。
「・・・」
 勝敗の優劣は拮抗しており、容易に勝負は決まらないかに思えた。
 が、(桜?)と俺の意識が自分の巫女の姿に奪われてしまったとき・・・『ポカッ』と、刹那さんの無造作な一撃が俺の頭を叩き、勝負はあっけなく終わってしまった。

「お前さ・・・桜ちゃんのことだけで頭が一杯だろう?」
「面目ない・・・」
 返す言葉もなく、俺は自らの敗北を受け入れた。桜を見て意識を奪われたのは事実であり、そしてこれが実戦であったのなら(まさか実戦で同じ轍を踏むとは思わないが・・・)俺は命を落とし、護り手を失った桜までも危地に陥ることになるだろう。
「ごめんなさい、朝御飯の準備が終わりましたので・・・」
 途端に絶世の美少女の表情が曇る。
「訓練のお邪魔でしたよね・・・」
「いあいあ」
 刹那さんは軽快に微笑んで、決して勝ち誇ったりはしない。それは俺だけに限らず、いずれの門下生を相手にしても同様の姿勢である。しかも降した相手に助言したりする人となりには、水無月家の全門下生から慕われる由縁でもあろう。
「その、折角ですから刹那さんも御一緒に如何ですか?」
「ん、俺も?」
 突然の誘いに驚き、その瞳を俺へと向けてくる。
 勿論、俺としても他の人間ならいざ知らず、兄貴分でもある刹那さんなら歓迎するところだった。だが、その僅かな間・・・桜と二人きりの朝食タイム、という俺の願望が即座の返答を鈍らせてしまっていた。
「お、俺は構わないですよ?」
「あっ・・・と、悪いな。今日は大切な用事があってな」
「刹那さん・・・?」
「ん、いあ。これから外せない用事があるのは本当のことさ。今度は是非、桜ちゃんの手料理をご賞味させて頂くとするよ」
 模擬剣を片付けて、爽やかな微笑みを浮かべる。
 刹那さんの場合、外せない用事っていうのは、大抵、女性絡みの関係のことである。水無月家の門下生たちに慕われる一方で、この付近でも刹那さんに憧れている異性も非常に多い。これまでにも多くの女性と交際をした二枚目でもあり、当然として女性への扱いも非常に上手いのだ。


 刹那さんを見送ってから、本邸の居間に戻ろうとする際に桜の手を握ろうとして、実際にその機会は何度かあったのではある。だが、そのつど俺は・・・自分の不器用さを呪うのだった。
(ほんと、俺も刹那さんのようになりたいもんだ)
 桜一人を上手く扱えないでいる俺には・・・そう、遠い目標だが。
「・・・」
 途端に桜は足を止めて、俺の方へと振り返った。
「その、光ちゃん・・・」
 小さな手を差し伸べ、頬を染めて俯く。恐らく・・・いや、間違いなく霊線を通じて、桜は俺の思いを察してくれたのであろう。で、なければ桜からこのような申し出をしてくるとは思えない。
「仕方ないなぁ・・・」
 桜の配慮に感謝しつつ、俺は悪びれずにその手を取ろうとした。
 その時である。『ドォン!』と地表が揺れたのは・・・
「キャッ!」
「さ、桜ぁ!!」
 俺は階段でバランスを崩した桜の身体を受け止め、力強く抱きしめる。
『グラッ、グラグラグラ・・・ガタガタガタ・・・』
「じ、地震か!?」
 だが、ここまで大きいのは久しぶりかもしれない。

『・・・』
 次第に揺れは収まり、再び日常は静粛な朝を取り戻しつつあった。が、俺は桜を抱きしめたまま、その小柄な身体を決して手放さなかった。
「こ、光ちゃん・・・もう、だ、大丈夫だよ・・・?」
「ああ・・・解っている」
 解っている。解ってはいるんだ。だが・・・今、腕の中にいる桜の存在が、僅かに当たる膨らみかけの胸が・・・桜の香りが・・・桜の存在そのものが、俺の理性をドロドロに溶かしていくようであった。
「光ちゃん・・・」
「少しだけ・・・」
「ん・・・」
 桜は抵抗せずに、俺の一方的な包容を受け止めた。
 どれくらいの時間が経過したことであろう。もうすぐ夏の訪れを告げるような眩しい日差しが差し掛かり、俺は無意識にまま桜のスカートの間に片足を押し付けた。
「!!・・・だ、ダメ・・・」
 蒼白した桜が初めて、俺の行為を拒絶した。無論、それは退魔巫女を目指す巫女にとって当然の選択であり、強引に迫ってしまった俺が一方的に悪いのは解りきった事実ではあった。

「・・・」
 昨日までは楽しかったはずの朝食タイムも、今はとても非常に気まずいものとなってしまっていた。
「・・・そろそろ、登校の時間、だね・・・」
(こんなときこそ刹那さんのように、さりげなく謝罪できればなぁ・・・)
 そう、俺が謝るべきなのだ。それで全てが解決する、というわけでもなかったが、恐らく桜はそれ以上の追求はせず、快く許してくれたことだろう。
「・・・ああ、だな・・・」
 なのに、俺という人間は・・・
 そんな自分に自己嫌悪しつつも、結局、俺は鞄を手にして立ち上がってしまっていた。

 水無月家の正門近くで、俺と荒川裕二が、そして桜の方には星野香澄と白雪奈々が合流する。
「また桜ちゃんにエッチなことをしようとして、喧嘩でもしたんかぁ?」
「・・・裕二。何でいつも、お前はそう決めつける?」
「だって、それしか考えられんしょ!?」
「・・・」
 図星なだけに俺は唇を尖らせた。
 裕二は俺の親友であり、悪友でもあり、そして恐らく東洋学園において、俺と桜の関係を一番に理解してくれている人物でもあっただろう。それだけに真っ先に俺の首根っこを掴むと、このように、一応、相談相手として愚痴を聞いて貰うことが多々とあった。
 無論、時折大きな代償を支払うことにはなるが・・・
 俺は一度だけ桜の方に振り返った。初めての拒絶を示してからというもの、桜の表情は沈んだままで今も星野や白雪たちと並んで歩んでいる。
 桜にとって星野香澄はクラスメイトであり、彼女がこの地で最初に得ることができた最初の友人でもある。巫女である桜にこそ及ばないものの相当な美少女であり、三年の男子でも好意を寄せているものは少なくない。
 また白雪奈々はその星野の幼馴染であり、その縁で桜との交友を得ることとなった・・・これまた相当な美少女といえるだろう。そして何より、俺の親友である荒川が初めて得た交際相手でもあったのだが・・・
「そっちは偉く順調そうじゃないか?」
「おっ、解るか!」
 荒川は嬉々とした表情を浮かべる。桜との関係が深刻な現在、正直、かなりムカついたのは事実である。もっとも裕二と白雪が正式に付き合いだしたのは約一週間前のことであり、その気持ちは解らないでもなかったが・・・
「今度のデートで一気に決めたるでぇ!」
 グッと親指を挟んだ拳を俺へと突き出す。つまり白雪の処女(恐らく)獲得宣言といったところであろうか。
「まぁ、頑張ってくれや・・・」
 正直、桜との問題で頭が一杯であり、今の俺にはそれどころではない。
 だが、次の裕二の発言には驚きを禁じ得なかった。
「それできっちり、諦めきれる・・・吹っ切れるってもんよ」
「んっ? おまえ・・・まさか?」
 桜に向けられる裕二の視線から、俺はこの親友の想いを理解せずにはいられなかった。いや、解ろうとしていなかっただけのことであろう。桜はこの東洋学園の全男子生徒にとってはアイドル的な存在であって、この親友だけが例外というはずはないのだから。
「わ、解っているよ。桜ちゃんがお前だけの巫女であり、退魔師を目指す者にとって、結社の裁定は絶対だってさぁ・・・」
 慌てて言い訳をしようとする親友に、俺は咎められるはずもなかった。むしろ言葉の鈍器で頭を叩かれ、目が覚めたような思いですらある。
(・・・結社の裁定・・・)
 そもそも俺は何を思い上がっていたのであろうか?
 桜は自らの意思に基づいて俺の巫女になったのではなく、あくまで退魔師結社の裁定によって定められただけに過ぎない。そしてその巫女との性交・・・性的な関係を結べるのは、降臨儀式ないしそれに類する固有結界の中にだけに限定される。俺はそれを理解した上で、桜を紹介してくれた退魔師結社に感謝し、彼女を巫女として受け入れたのではなかったか?
 数年前・・・俺の姉はとある剣士に仕えて、乱暴された果てに退魔師能力を失い・・・自らの命を絶ってしまっていた。巫女として生まれ、巫女として育てられたが故に、姉の無念はどれほどのものであったか、その亡骸に涙した日を俺は今も忘れてはいない。
 俺はその亡き姉の前で誓ったのではなかったか?
 それなのに俺は今朝、桜に・・・その姉と同じ道を強いろうとしてしまっていたのである。
「俺は・・・」
 俺は桜の意思によって選ばれた剣士というわけでもなければ、ましてや恋人という関係でもない。いや、恋人になれればいいとは思っているが、その前に俺にとって桜は、俺の巫女になってくれた、という大切な存在であったのだ。
「裕二、サンキューな。目が覚めたわ・・・」
「やれやれ・・・」



「・・・」
 いつもの朝のニュース番組がTVから流れ、テーブルの上には配膳されたばかりの朝御飯が並ぶ。それはおよそ昨日までと全く変わらないはずの光景。
 ・・・だが、その日における朝食の空気は非常に重たいものでした。
「・・・」
 私は蒼白したままガクガクと震えて、自身が調理したそれを一口も運ぶことができないでいる。
 それもそのはずだ。
 巫女は剣士に従うもの・・・それは中川の家を出る際にも、重ねて忠告されたはずの言葉である。にもかかわらず、私はとうとう光ちゃんの行為に拒絶してしまった。
 もし仮に光ちゃんが・・・今回の件を結社に報告して、新たな巫女を申請するようなことになれば(剣士は複数の巫女と霊線をつなげることができ)私は光ちゃんの巫女失格ということになる恐れすらある。
 光ちゃんの巫女失格・・・それは中川の家とも縁を切った私にとって、唯一に許された居場所を失うことに他ならない。
(謝れば・・・まだ許して貰えるのだろうか?)
 でも、もし・・・あのまま受け入れていたら、私は・・・光ちゃんの巫女として終わりを迎えていたような、そんな気がしてならない。だが、巫女は剣士に従うものであり・・・
 さっきから同じことが頭の中でぐるぐると、延々として答えが出なかった。

「・・・そろそろ、登校の時間、だね・・・」
「・・・ああ、だな・・・」
 やはり不機嫌そうに頷く光ちゃんに「巫女失格」と、告げられるのがとても怖くなって、私はとうとう何も言い出せなかった。

 光ちゃんのような剣士の巫女になれて良かった。
 そう言えるようになっていたのは私が水無月家に来て、初めて倒れてしまったときのことである。自分の状態も把握できず、気がついたときには自分の布団の上に寝かされていた。
 平机の上には軽めの朝食と書置きがあり、光ちゃんの電話番号だけでなく、緊急用として別邸に滞在するお爺さんへの連絡先や、刹那さんの番号まで記されてあった。
 こんな未熟な巫女なのに・・・

 私は父様の・・・中川家の指導方針に従って、いつでも、どんな剣士の巫女になっても恥ずかしくないよう、教育を受けることが許された。勉学は無論、私生活における所作を含めて。たった一人の剣士に仕えるためだけに・・・
 それが辛い、と思ったことはない。中川家と懇意のある瑞穂家の香菜葉さんの指導は一見厳しくも、常に優しさが伴っていたものであったし、何より琴葉ちゃんたちが一緒であった。そして何より・・・唯一に私だけが、仕える剣士も見つからない未熟者であったのだから・・・
 だから父様も敢えて早急に、私の剣士を見つけ出し、決めることができなかったのであろう。だから私は他の巫女・・・琴葉ちゃんたちよりも、もっと努力する必要があったし、巫女修行を怠ることもできなかった。
 そんな折に一通の要請書が中川家に届き・・・私は晴れて、光ちゃんの巫女として選ばれたのである。

『良かったね、桜ちゃん。いい剣士の人に巡り逢えて・・・』
 携帯の向こうから琴葉ちゃんが微笑む。その隣には私の腹違いの兄であり、その琴葉ちゃんの剣士でもある佑ちゃんの姿があった。既に私は中川の家とは絶縁された身の上であり、直接、中川の家に近況報告ができない。そこで琴葉ちゃんの携帯に連絡を入れたのである。
 まさか、佑ちゃんの顔まで見られるとは思ってなかったけど・・・
 いい剣士に巡り逢えた、と私も思う。恐らく退魔師結社によって裁定された組み合わせの中で、光ちゃんはまさに理想的な剣士であっただろう。
「少しエッチだけどね・・・」
『バカ、俺らの年代じゃ、それが普通だぁっつーの!』
 佑ちゃんの言葉に琴葉ちゃんまで微笑む。確かに光ちゃんの欠点(エッチ)は十分に許容範囲内であったし、それ以上に優しい人柄だということは、この一週間の間だけでも理解できていた。


 それから数ヶ月のいう時間があっという間に流れて・・・
 私は光ちゃんの巫女という立場でありながら・・・
 登校中、クラスメイトの香澄ちゃんとその幼馴染の親友である奈々ちゃんにまで心配をかけさせ、方程式では決して解けない悩みに自己嫌悪するのであった。
 とにかく放課後にでも光ちゃんに謝ろう。巫女としての立場でありながら、光ちゃんを拒絶してしまったのは事実なのである。『巫女失格!』という烙印が推されてしまう、その前に・・・

「中川さん、廊下で先輩が呼んでいるよ」
 だが、運命の時間というものは残酷なまでに性急を求めるようで、私はお昼休みのチャイムと共に、光ちゃんからの呼び出しを受けてしまった。事情を知らないクラスメイトたちには、また上級生から告白されるのだと誤解されてしまったことだろう。
 特に・・・光ちゃん自身には全く自覚はないが、私のクラスメイトでも好意を寄せている女生徒は決して少なくはなく、私もその圧倒的多数の中の一人であったのに過ぎない。それなのに巫女という立場で傍にいることが許されて、多くの女生徒たちに申し訳なく思っていたのは事実だった。
 そんな厚遇も、今日限りまでのことであったかもしれないが・・・



「桜、その・・・突然、呼び出して悪かったな」
 廊下に佇む俺は開口一番に軽く謝罪した。
「こう・・・水無月先輩、あの・・・」
 桜は普段、光ちゃんと呼んでくれるのだが、校内では水無月先輩と呼ぶ。呼び方は自由にしていい、と言ってしまった手前、それを咎めるつもりはなかったが・・・やはり他人行儀みたいで悲しくなってしまう。
 俺は桜の言葉を遮るように頭を提げた。
「本当に、今朝のことはごめん! 俺が悪かった・・・桜が巫女であることは十分に理解しているつもりだったのに、俺はあのときお前に・・・」
「ううん。私のほうこそ、その・・・ごめんなさい・・・」
 やはり俺に迫られたのが余程堪えたのであろうか。桜は瞳に涙を浮かべて、それでもこんな最低な俺に謝罪してくれる。
「だから・・・まだ結社に、申請・・・しないで・・・」
 へ?
 俺は思わず、唖然とする。
 確かに剣士は巫女と違って、複数の巫女と霊線をつなげることができる。もっともそれは有力な退魔師家に限ってのことであり、現在の水無月家の窮状では、とてもではないが新たな巫女を申請できるような発言力はない。
 そもそも・・・直系だからとはいえ、十四歳の俺に優秀な巫女(しかも桜のような絶世の美少女)をつけて貰えたことからして、結社としては異例の措置であったのだ、とさえ思えてならないほどだ。
「今の水無月家には新しい巫女を派遣して貰う力はないし・・・何より、俺は桜以外の巫女が欲しいとも思わないよ」
 それは嘘偽りのない、俺の正直な気持ちだった。
「光ちゃん・・・?」
「俺は桜のことが好きだ。たぶん自分が思っているそれ以上に・・・だから、たぶん・・・これからも桜には色々と辛い、不快な想いをさせてしまうとは思う」
 今朝のことにしてもそう、脱衣所に仕掛けたカメラにしてもそうだ。
 自分の気持ちは全く告げずに、桜があまりにも美少女であり、連日のように恋文を貰っていることに焦燥感を募らせていた。いずれ桜は自分なんかに愛想を尽かし、他の男に取られてしまうのではないか、という不安が生まれ、故に今のうちに独占しておきたい、という強い思いが、俺の巫女であるその立場をも忘れさせてしまう。
 今の俺には、桜に対して全くの余裕がないのだ。
 だから、俺は今一度だけ桜に向けて頭を提げた。
「俺と付き合ってくれ・・・勿論、巫女としてだけでなく・・・」
 無論、性的な接触は巫女の立場を踏まえて控えるつもりだったし、極力、桜が不快と思うような行動も慎むつもりであった。
「そして、降臨儀式を行えるようになったら・・・その時は俺と・・・」
 退魔剣士で退魔巫女を籍に入れている退魔師は意外と少ない。が、全く居ないわけでもないし、退魔師界の法でも抑制されているわけでもない。だから俺は以前から、桜と降臨儀式が迎えられるようになったら、その時こそ結婚を申し込むつもりであった。


 俺は次第に頬が緩むのを抑えられないでいた。勿論、求婚に関しての明確な返答こそ得られなかったが、これは今すぐ、彼女に返答を求めるのは酷というものであっただろう。
 だが、俺からの告白を受け入れ、桜は涙ながらに俺の彼女になることだけは了承してくれたようだった。何ゆえに桜が涙したのか、までは俺にも定かではなかったが、これによって桜は、俺だけの巫女である同時に、俺の恋人となってくれたわけである。
「おっしゃぁ!」
 俺は激しく驚喜の叫びを校内に放った。
 今なら退魔剣士への昇格試験もきっと容易にクリアできる・・・気がする。ちなみに一回目の昇格試験は、桜の体調不良が響き、霊力不足で失格した。六月と七月の昇格試験は、共に俺の技量不足で失格となっていたが・・・ただ七月の時点で、ある程度の手応えは得られていた。

 待っていろぉ、鬼教官ども!!
 と、気合を入れて教室に戻ったときのことだった。

 その教室内では、血の気の多い裕二が校内一のアニオタ野郎こと、間藤圭一の襟首を掴んで、今にも裕二の右腕が唸りを上げる場面であった。水無月家の門下生である裕二は、門下生レベルでは中程度の実力だが、それでも一般人の、ましてや間藤程度の人物では喧嘩にもならないであろう。
 やれやれ、いつものことか・・・
 喧嘩の仲裁に入るまでの俺は、桜とのこともあって、かなりの上機嫌であった。だから、裕二には余裕をもって止められたし、間藤のどんな行いにもある程度は穏便に済ませてやれるつもりであった。
 だが・・・
 事情を知った俺は無意識のままに裕二の身体を押しのけ、間藤を殴り倒していた。俺が一般人に拳を振るったのは初めてのことであったし、それだけに裕二の静止が間に合わなければ、他のクラスメイトはただ唖然としていたほどである。
「がぁ・・・あ・・・!?」
 だが、一番にショックを受けていたのは、これまで庇護してきて貰ってきたはずの俺に殴られた、間藤本人であったかもしれない。その足元にあったのは紺色のジャージであり、一年生のものあることを表している。そしてそこに記されている名前は・・・今、まさに先ほど恋仲になることが許されたばかりの少女の名前であったのだ。
『いいかぁ!! あれは俺の女だぁ、手を出す奴は俺が殺す!』
 俺は凄まじいまでの形相で間藤を見下ろして指さしながら、思わず公言してしまっていた。


『なぁ、聞いたか?』
『ああ。とうとうあの中川さんが付き合うってよぉ・・・』
『なんでも水無月先輩から、告白したらしいわよ?』
 噂は物凄い勢いで伝わっていく。それも無理はなかったことだろう。校舎の一階からは俺の告白シーンの目撃証言が・・・そして、三年の三階から、俺のとんでも発言が伝わっていったのであるから。
 これによって、翌日から桜宛のラヴレターが激減することになるのだが、いずれその理由は桜も知ることとなろう。
「お前さ・・・本当に、桜ちゃんのことになると見境がなくなるのな」
「・・・」
 俺は額を抑えて、無言のまま親友の忠告を受け入れるしかなかった。

 もともと桜との関係を伏せておいたのは、全校男子生徒の恨みを一身に受けるのが怖かったからで、そもそも最初から桜との同棲関係を(学園関係者には退魔師として通達済だが)公表していれば、学園公認として・・・ここまで話題が持ちきりになることはなかっただろう。
 せめてもの幸いとしては、これが桜に告白し、了承を得ることができた後の出来事であったことだろうか。あともう一つ。これまでに俺が誰とも交際していなかったことも、いい方向に好転してくれていたようだ。故に予想していた最低な状況よりは遥かに、桜とのカップルが認められつつあった。
「まぁ、物凄い剣幕だったしなぁ、お前・・・」
 裕二はビシッと指を床に向け、
「あれは、俺の女だぁ!! ・・・か」
「それを言うな・・・」
「それでも周囲の反応を見渡す限り、これで良かったんじゃねぇの?」
 裕二は苦笑しながら椅子に座った。
「この学園で唯一、退魔剣士見習いでもあるお前を敵に回してまで、桜ちゃんに手を出そうだなんて考える奴は皆無だろうしさ・・・」

 かくして俺と桜は、俺の告白によって恋仲の関係に進展し、また俺の手落ちによってその日のうちに全校生徒に知れ渡ってしまう、という失態をおかしてしまっていた。
『ピピッ! 緊急!! 緊急!!』
 またこの時、俺と桜の携帯に退魔師結社から一通の指示書が送られてきた。それは今週末(明後日)に、同じ京都地区を請け負う退魔師家・高山家の退魔師、高山静馬(19)と水野雫(18)の両名による『降臨儀式』が予定されており、助産師として召集されていた一人の巫女見習いが(交通事故・命には別状はないらしいが)欠席となり、桜には巫女見習いとして、その儀式における助産師の補充として即座に赴く旨の要請書であった。
「こ、降臨儀式に・・・俺たちが・・・」
 無論、巫女である桜が呼ばれた以上、俺も付き添いとして儀式に立ち会うことが許されることになる。それは十二歳である桜は無論、十四歳である俺にも初めてのことで、それだけに刺激的な出来事でもあったのだ。


 だが、俺はこのとき・・・知らなかった。
 この些細な出来事の一つ一つが、本当に一つ一つが後に大きな・・・取り返しのつかない事態へと進展していってしまうことに・・・

 そう、運命の歯車がゆっくりと・・・狂い出す。


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