【 第五 話 】

  『 聖夜 』


 んっ・・・

 今日の私は特に変だった。

 んっ・・・

 一昨日までは深い眠りについても、でも体力は全然戻らなくて・・・

 立ち上がることもままならない、そんな日々が続いていた。

 彼には悪いことをしたと思う。

 彼は絶対に言わないが、相当な無理をしていたことに違いないのだから。



『はぅ・・・』

 だが、今日の私の身体は本当におかしかった。

 もの凄く切ない気分・・・

 この胸に残ったような、消化不良な感覚。

 んっ・・・さ、触りたくなっちゃう。

 いくら室内が暗闇の中だといえ、そんなはしたないことはできない。

 もし、そんな場面を、向かいの彼に見られたら・・・

『んっ・・・』

 スースーとする下腹部は刺激する。

 そこに身に付けていた下着も、数日前にグショグショにしてしまった。

 オネショをしたなんて彼には思われたくなくて、その、ちょっと臭いもあったし・・・

 つまり、今の私は股間を露出していて・・・

 そう、ノーパンだった。



『・・・・』

『御嬢様、大丈夫ですか?』

 だからだろう。

 朝食を兼ねた昼食時、彼は心配そうに私を見詰めた。

『やはりご気分が悪いのでしたら、今日の探索は・・・』

『ううん、わ、私も行くわ・・・』

 この内心の違和感を除けば、体調は悪くない。

 何より、携帯食料も尽きかけ始めている。

 彼は心配させまい、と、自分の分まで私に優先してくれる。

 お金がないわけじゃないの。

 でも、ここには買える場所も、買う物さえもなかった。

『だ、大丈夫よ』

 昨日まで休んでいた効果もあったのだろう。

 体力もいくらか戻ってきている。

 まぁ、彼に比べたら、私の体力なんて・・・





 暗闇の中、私は彼に続いた。

 頼りになるのは、彼と彼の手にする松明のみ。

 彼は毎日、独りでこの暗闇を探索してくれたのだろう。

 それがどんなに辛いことであったのか。

『ねぇ・・・』

『どうかしましたか?』

『・・・・』

 私は無言のまま、光源を持つ彼に向けて手を差し出した。

 そして私よりも夜目が利くのだろう。

 私の手を受け取る彼。

 ここに来たときと同様、再び繋がれた彼との手繋ぎ。

 彼が少し相好をくずしたように思えた。

『・・・・』

 むぅ。

 でも、それ以上に安心してしまった自分がいる。

 まだ内心の違和感は残ったまま。

 でも彼のぬくもりが、私の内心を振り払うかのようだった。



『・・・ねぇ』

 再び、私は彼に声をかけていた。

 黙っていると内心の違和感が堪らなくなる。

 何より、この暗闇の中、無言でいることのほうが不安だった。

『初めて・・・会った時のこと、憶えてる?』

『勿論です』

 彼は苦笑する。

『噴水の中に突き飛ばされましたね』

『あ、あれは・・・』

 そう、結果的に見れば、そうなるのだろう。

 そして翌日から、私の彼へのぞんざいな扱いが始まった。

 だから、あれを突き飛ばした、と誤解されても仕方がない。

『解かっていますよ・・・』

 彼は淡々として真相を口にする。

 あれは・・・まだ私が四歳、彼が六歳のときだった。

 街中で膝を抱えている少年。

 お腹を空かせているのかな?

 とも思った。

 まるで母親に捨てられた子供のようだった。

『実際に捨てられていたんでから・・・』

 と、後に彼は淡々として笑っていた。



 街はイルミテーションに満ち溢れており、サンタクロースの衣装を身に纏ったおじさんが闊歩し、家族連れの父親、子供たちが街路を賑やかしていた。

 その中にただ一人、呆然と膝を抱えている少年。

 誰かが「三日前からだよ・・・」

 と、囁いた。

「本当に、嫌だねぇ・・・」

 と、誰かが呟く。

 なら、あんたたち大人が何とかしてあげなさい、と子供心に思ったもの。



 私は父様に強請った。

 その日、何度目かの『クリスマスプレゼント』、として・・・だったような気がしなくもない。

 うん、たぶん、七個目・・・の、お願い。



 私は噴水を指さし、父様に願いを告げた。

 あの少年が欲しい、と。

 その言葉をどのような意味で、私が言ったのか、それは当時の自分には解かっていなかった、と思う。

 ボディガードとして、なのか。

 友達としてか・・・

 それとも・・・恋人・・・として?



 私は渋々だったが承諾を得て、彼のもとへ駆けっていく。

 喜びなさい、一生、私が貴方を養ってあげるから。

 (ボッ!)

 ・・・い、今思うと凄いことを思ったものだ。

 ・・・・

 悲しい目をする少年の瞳が好きだった。

 その端整な顔立ちにも、心は奪われていたんだと思う。

 何よりも・・・彼の存在に。

 少年も、駆け寄ってきた私の存在に気付く。



 そして、私は街路のレンガに足を取られ・・・

 えっ?

 と、思った時には、もう手遅れだった。

 少年は既に噴水の中。明らかに彼を突き飛ばしたのは私。

 ・・・・。

 ・・・・。

 唖然とするしかない。

 突き飛ばした私も、

 噴水に突き落とされた彼も・・・

 (あっ・・・あっ・・・)

 私は凍りついていた。

 そして、私は怒ったようにして彼に告げる。

 感謝しなさい。

 (ごめんね。素直になれなくて・・・)

 お詫びに貴方を雇ってあげるわ!

 (なんでこんな嫌な性格なんだろう、と嘆いたよ?)



 あれから、ちょうど八年・・・

 八年前の『クリスマスイヴ』の出来事だった。

 そう、私と彼は、八年前の『聖夜』の日に出逢い。

 そして昨年の『聖夜』に・・・誓い合ったのだ。



『あれからちょうど、八年が経過したんですね・・・』

『そ、そうね・・・』

 その八年間、私は口では何でもないような口振りのまま、彼だけに好意を抱きながら生きていた。

 実際に彼の姿をすぐに探しては、それをずっと眺めていたのだから。

 父様は彼に「護衛者」としての責を課した。

 少年は恐ろしいまでに、私の想像したそれ以上に成長していく。きっとその成長ぶりは父様も唖然とさせたことだろう。「藤宮の僕」「飼い犬」などと嘲弄す る者も居たが、その誰もが彼の実力を認めた上でのものだった。



 素直になれない私。

 彼の気を引きたかった私。



 ある日、私は二人分の弁当を作った。

 そして彼には、わざと空の弁当箱を渡す。「中身が入ってない」と、言われれば、仕方ないわね、と言って、二人でお弁当を食べるつもりだった。

 だが・・・彼は来なかった。

 浅はかにも目論みが外れるとは、このことを言うのだろう。

 そして弁当箱の返却の際に、一言、「またお願いしますね」と淡々していて、ちょっとムッとしたのは事実。だが、彼の日々の日課となる過酷なトレーニング に、カロリー摂取の失敗がどれほどに深刻なものであるか、その日のうちに理解する。

 病院に運ばれていく少年。

 それでも彼は、文句はおろか愚痴一つ、私には漏らさない。

 絶対に・・・それは絶対に、だった。





 そしてあれは昨年のことだった。



 彼はクリスマスのその日に、とある女生徒に告白された。

 そして見返りとして、今より優遇される立場も保障される。

 「護衛者」として、完璧に勤めながら、一円の報酬も与えない藤宮の家とは大違い。

 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗。おまけに生徒会長。家柄は藤宮の家でも及ばない超資産家の一人娘。まさに『超御嬢様』である。そのいずれでも私では 勝てない、と思った唯一の上級生であり、以前から静馬と噂されていた二人でもあった。

 勿論、私にとっては、甚だ不愉快極まる話題であった。

 友達に言う。

 「べ、別に付き合ってもいいんじゃない!?」

 (嫌・・・)

 と。



 彼に告げた。

 「貴方の好きにすればいいじゃない!」

 (嫌だよ?)

 と。

 私を巻き込まないで、とばかりに彼を突き放してしまった。

 (私を一人にしないで!)

 煩い、わぁねぇ!!

 と、自分の思考に突っ込む・・・

 (お願いだから、私だけを見てよ!?)



 私は自らの心を偽り、人知れず涙をこぼしていた。

 まるで正直になれない、愚かな自分を憐れむようでもあった。

 この日になって私は自分の気持ちに気が付く。

 いや、気付いていたのに、素直になれていなかったのだ。

 こんなにも彼が・・・静馬のことが好きなのだと。



「・・・・」

 寝れなかった。

 ええ、全く。

 彼がこれより別の人に仕える(報酬も待遇も考えれば、それが賢い選択)のか、と思うと、とてもではないが、心穏やかならない心境だった。

 まだ・・・起きているよね?

 彼を呼び止められる、とは限らない。

 けど、責めて本当の気持ちだけは伝えよう。

 そう思って、部屋を抜け出した。



 彼は屋敷の屋上で月を眺めていた。

 ・・・・。

 な、なんでそんな高いトコに。

 私の存在に気が付き、彼は手を差し伸べてくれる。

 私も迷うことなく、その彼の手を受け取り、屋上に上がった。高いところと暗いところは苦手な私。でも、彼の手はそんな不安な心を一掃させてくれる、不思 議な力があった。

 どんなときでも。

 ・・・・。

 だから、彼の胸に抱きついたのは、私の意思。

 彼の胸で泣いたのも、それが素直な私の気持ちだった。

 何処にも行かないで欲しい、と。

 ・・・・。

 彼はきょとんとした。

 そして相好をくずして破顔する。

 何処にも行きませんよ、と。



 とても透き通るような優しい声色だった。

 聞き間違えじゃないわよね?

 ほ、本当に?

 彼はゆっくりと頷いた。

 や、約束して。ち、誓うって・・・

 一生、私の傍に居るって!

 私だけを見るって!

 それが御嬢様のお望みとあれば・・・

 この『聖夜』の夜に誓うのね?

 二人が出逢った、この『聖夜の夜』に。

 彼は頷く。

 それは初めてのことではなかっただろうか?

 常に淡々としていた彼の表情が赤みに染まり、

 その秘めていた感情を露わとしていたのは。



 私は肩の力を抜いて、彼の胸に頭を預けた。



 私も彼の胸の中で、『聖夜の夜』に誓った。

 二度と、自分の気持ちを偽るような真似はしない、と。

 そして『聖夜の月』に願った。

 いつか彼と添い遂げられるように、と・・・







 それからの一年。

 私と彼の関係は、明らかにそれまでのものと異なっていた。

 未だに彼への気持ちは伝えきれてはいない。

 ・・・たぶん、解かってくれてはいると思うんだけど。

 ・・・それは私の甘えであったのかな?



『去年のことは憶えてる?』

『去年ですか?』

 尚も探索を続けながら、私は言葉を紡いだ。

『貴方が私から離れていく、って本気で心配したんだよ?』

 あの時の気持ちを思い起こしただけでも、涙が出そうだった。

『ど、何処にも行きませんよ』

『って、言ってくれたよね・・・』

『御嬢様には拾ってもらった、こんな自分に生き甲斐をくだされた、言葉にできないほどの、そ、その大恩がありますから・・・』

 むっ〜言って貰いたい言葉はそれじゃないのに。

 鈍感!

 朴念仁!!

『・・・それだけ?』

『!!』

 彼が思わず硬直したのが、手を繋ぐ私にも解かる。

『自分には家柄もなく・・・御嬢様に対して・・・』

『・・・私も家を捨てて、今はただの・・・女だよ?』

 ううっ。

 自分を「女の子」と呼ぶのには、彼に子供扱いされそうで・・・少し抵抗があった。

『・・・お、御嬢様』

『もう、御嬢様じゃないの・・・』

 彼と生きるために家を捨てた。

 彼と添い遂げるため、ただそれだけに。

『だから、好きな人には・・・亜子って、呼んで貰いたい・・・』

 (言った!)

 (言ったよ・・・)

 自分でも驚くほど、すんなりと、言えたよ?

 静馬を・・・好きな人、だと。

『・・・あ、亜子、さま・・・』

 むぅ。でも、まぁ、ずっと御嬢様と呼んでいたことを思えば、いきなり名前で呼ばせようとするのは、酷というものだったかな?

 でも、彼に好きな人、と告白することができた。

 あうう。

 心臓が『ドキドキ』する。



 と、そのときだった。

 彼が建物の裏口らしき扉を発見したのは!



『あ、暗証コード・・・こ、こいつ、生きてるな』

 彼は手馴れた手つきで横の電子キーを操作する。

 ここから出られるかもしれない。

 私たち二人に、希望の光が灯った。

『このタイプの暗証コードなら、三十分もあれば、ええ。解析できます・・・もう暫くお待ちください』

『・・・・』

 彼は優秀だ。私にできないことを彼は何でも、卒なくこなす。

 彼は何も気負う必要はない。もし、ここから出られず、このまま朽ち果てることになったとしても、彼と一緒ならば、それでもいい。

 その最期まで、私は好きな人と一緒に居られたのだから。

 そう思って、彼の操作する指を見据える。

『・・・・』

 んっ・・・あれ、今。

 す、少し、眠い?

『御嬢様・・・いえ、あ、亜子・・・もし、もしも・・・』

 私は思わず目を見張る。

 い、今、彼が亜子って・・・えへへへ。

『ここから出ることができましたら・・・まず、藤宮様に連絡して、お許しを乞おうと思います』

『えっ?』

『それでも、亜子との・・・その、認められなかったら、そのときは・・・』

『・・・・』

 えっ、えっ?

 期待に思わず胸が高まる。

『僕とずっと・・・一緒に、居て欲しい・・・』

 あう。

 さっきまで・・・ここから出られなくてもいい、と思った。

 このまま朽ち果てることになっても。

 でも、ここを出られれば、例え父様のお許しが貰えなくても、彼は自らの意思を示して、私を選んでくれた。そんなときは、もう藤宮の令嬢でも何でもない、 こんなちっぽけな私なんかを・・・

『このまま、僕と一緒に・・・そ、その・・・』

『・・・・』

『いつか・・・け、結婚して欲しい・・・』

 うう。

 ここから出たい、と思った。

 さっきまでの、後ろ向きな思いが嘘のよう。

 でも、この先も彼との人生が続くのであれば・・・

『私も・・・す、好きな・・・静馬と・・・』



 そこで私の意識は朦朧とする。

 あ、あれ・・・今、いいところなのに・・・



『あ、亜子様!? こ、これは・・・ガ、ガス・・・』

 彼は何度も頭を抑えて頭を振る。

 私はそんな彼に向けて懸命に手を伸ばした。

 彼も私の不安を察して、手を受け取ってくれる。

 ・・・良かった。

 大好きな静馬と一緒なら、手を繋いで居られたら・・・

 ほら、何も怖くないよ?



 私の意識はそこで完全に途切れた。



 『がしっ!』と力強く、腕を掴まれて・・・


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