んっ・・・
今日の私は特に変だった。
んっ・・・
一昨日までは深い眠りについても、でも体力は全然戻らなくて・・・
立ち上がることもままならない、そんな日々が続いていた。
彼には悪いことをしたと思う。
彼は絶対に言わないが、相当な無理をしていたことに違いないのだから。
『はぅ・・・』
だが、今日の私の身体は本当におかしかった。
もの凄く切ない気分・・・
この胸に残ったような、消化不良な感覚。
んっ・・・さ、触りたくなっちゃう。
いくら室内が暗闇の中だといえ、そんなはしたないことはできない。
もし、そんな場面を、向かいの彼に見られたら・・・
『んっ・・・』
スースーとする下腹部は刺激する。
そこに身に付けていた下着も、数日前にグショグショにしてしまった。
オネショをしたなんて彼には思われたくなくて、その、ちょっと臭いもあったし・・・
つまり、今の私は股間を露出していて・・・
そう、ノーパンだった。
『・・・・』
『御嬢様、大丈夫ですか?』
だからだろう。
朝食を兼ねた昼食時、彼は心配そうに私を見詰めた。
『やはりご気分が悪いのでしたら、今日の探索は・・・』
『ううん、わ、私も行くわ・・・』
この内心の違和感を除けば、体調は悪くない。
何より、携帯食料も尽きかけ始めている。
彼は心配させまい、と、自分の分まで私に優先してくれる。
お金がないわけじゃないの。
でも、ここには買える場所も、買う物さえもなかった。
『だ、大丈夫よ』
昨日まで休んでいた効果もあったのだろう。
体力もいくらか戻ってきている。
まぁ、彼に比べたら、私の体力なんて・・・
暗闇の中、私は彼に続いた。
頼りになるのは、彼と彼の手にする松明のみ。
彼は毎日、独りでこの暗闇を探索してくれたのだろう。
それがどんなに辛いことであったのか。
『ねぇ・・・』
『どうかしましたか?』
『・・・・』
私は無言のまま、光源を持つ彼に向けて手を差し出した。
そして私よりも夜目が利くのだろう。
私の手を受け取る彼。
ここに来たときと同様、再び繋がれた彼との手繋ぎ。
彼が少し相好をくずしたように思えた。
『・・・・』
むぅ。
でも、それ以上に安心してしまった自分がいる。
まだ内心の違和感は残ったまま。
でも彼のぬくもりが、私の内心を振り払うかのようだった。
『・・・ねぇ』
再び、私は彼に声をかけていた。
黙っていると内心の違和感が堪らなくなる。
何より、この暗闇の中、無言でいることのほうが不安だった。
『初めて・・・会った時のこと、憶えてる?』
『勿論です』
彼は苦笑する。
『噴水の中に突き飛ばされましたね』
『あ、あれは・・・』
そう、結果的に見れば、そうなるのだろう。
そして翌日から、私の彼へのぞんざいな扱いが始まった。
だから、あれを突き飛ばした、と誤解されても仕方がない。
『解かっていますよ・・・』
彼は淡々として真相を口にする。
あれは・・・まだ私が四歳、彼が六歳のときだった。
街中で膝を抱えている少年。
お腹を空かせているのかな?
とも思った。
まるで母親に捨てられた子供のようだった。
『実際に捨てられていたんでから・・・』
と、後に彼は淡々として笑っていた。
街はイルミテーションに満ち溢れており、サンタクロースの衣装を身に纏ったおじさんが闊歩し、家族連れの父親、子供たちが街路を賑やかしていた。
その中にただ一人、呆然と膝を抱えている少年。
誰かが「三日前からだよ・・・」
と、囁いた。
「本当に、嫌だねぇ・・・」
と、誰かが呟く。
なら、あんたたち大人が何とかしてあげなさい、と子供心に思ったもの。
私は父様に強請った。
その日、何度目かの『クリスマスプレゼント』、として・・・だったような気がしなくもない。
うん、たぶん、七個目・・・の、お願い。
私は噴水を指さし、父様に願いを告げた。
あの少年が欲しい、と。
その言葉をどのような意味で、私が言ったのか、それは当時の自分には解かっていなかった、と思う。
ボディガードとして、なのか。
友達としてか・・・
それとも・・・恋人・・・として?
私は渋々だったが承諾を得て、彼のもとへ駆けっていく。
喜びなさい、一生、私が貴方を養ってあげるから。
(ボッ!)
・・・い、今思うと凄いことを思ったものだ。
・・・・
悲しい目をする少年の瞳が好きだった。
その端整な顔立ちにも、心は奪われていたんだと思う。
何よりも・・・彼の存在に。
少年も、駆け寄ってきた私の存在に気付く。
そして、私は街路のレンガに足を取られ・・・
えっ?
と、思った時には、もう手遅れだった。
少年は既に噴水の中。明らかに彼を突き飛ばしたのは私。
・・・・。
・・・・。
唖然とするしかない。
突き飛ばした私も、
噴水に突き落とされた彼も・・・
(あっ・・・あっ・・・)
私は凍りついていた。
そして、私は怒ったようにして彼に告げる。
感謝しなさい。
(ごめんね。素直になれなくて・・・)
お詫びに貴方を雇ってあげるわ!
(なんでこんな嫌な性格なんだろう、と嘆いたよ?)
あれから、ちょうど八年・・・
八年前の『クリスマスイヴ』の出来事だった。
そう、私と彼は、八年前の『聖夜』の日に出逢い。
そして昨年の『聖夜』に・・・誓い合ったのだ。
『あれからちょうど、八年が経過したんですね・・・』
『そ、そうね・・・』
その八年間、私は口では何でもないような口振りのまま、彼だけに好意を抱きながら生きていた。
実際に彼の姿をすぐに探しては、それをずっと眺めていたのだから。
父様は彼に「護衛者」としての責を課した。
少年は恐ろしいまでに、私の想像したそれ以上に成長していく。きっとその成長ぶりは父様も唖然とさせたことだろう。「藤宮の僕」「飼い犬」などと嘲弄す
る者も居たが、その誰もが彼の実力を認めた上でのものだった。
素直になれない私。
彼の気を引きたかった私。
ある日、私は二人分の弁当を作った。
そして彼には、わざと空の弁当箱を渡す。「中身が入ってない」と、言われれば、仕方ないわね、と言って、二人でお弁当を食べるつもりだった。
だが・・・彼は来なかった。
浅はかにも目論みが外れるとは、このことを言うのだろう。
そして弁当箱の返却の際に、一言、「またお願いしますね」と淡々していて、ちょっとムッとしたのは事実。だが、彼の日々の日課となる過酷なトレーニング
に、カロリー摂取の失敗がどれほどに深刻なものであるか、その日のうちに理解する。
病院に運ばれていく少年。
それでも彼は、文句はおろか愚痴一つ、私には漏らさない。
絶対に・・・それは絶対に、だった。
そしてあれは昨年のことだった。
彼はクリスマスのその日に、とある女生徒に告白された。
そして見返りとして、今より優遇される立場も保障される。
「護衛者」として、完璧に勤めながら、一円の報酬も与えない藤宮の家とは大違い。
成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗。おまけに生徒会長。家柄は藤宮の家でも及ばない超資産家の一人娘。まさに『超御嬢様』である。そのいずれでも私では
勝てない、と思った唯一の上級生であり、以前から静馬と噂されていた二人でもあった。
勿論、私にとっては、甚だ不愉快極まる話題であった。
友達に言う。
「べ、別に付き合ってもいいんじゃない!?」
(嫌・・・)
と。
彼に告げた。
「貴方の好きにすればいいじゃない!」
(嫌だよ?)
と。
私を巻き込まないで、とばかりに彼を突き放してしまった。
(私を一人にしないで!)
煩い、わぁねぇ!!
と、自分の思考に突っ込む・・・
(お願いだから、私だけを見てよ!?)
私は自らの心を偽り、人知れず涙をこぼしていた。
まるで正直になれない、愚かな自分を憐れむようでもあった。
この日になって私は自分の気持ちに気が付く。
いや、気付いていたのに、素直になれていなかったのだ。
こんなにも彼が・・・静馬のことが好きなのだと。
「・・・・」
寝れなかった。
ええ、全く。
彼がこれより別の人に仕える(報酬も待遇も考えれば、それが賢い選択)のか、と思うと、とてもではないが、心穏やかならない心境だった。
まだ・・・起きているよね?
彼を呼び止められる、とは限らない。
けど、責めて本当の気持ちだけは伝えよう。
そう思って、部屋を抜け出した。
彼は屋敷の屋上で月を眺めていた。
・・・・。
な、なんでそんな高いトコに。
私の存在に気が付き、彼は手を差し伸べてくれる。
私も迷うことなく、その彼の手を受け取り、屋上に上がった。高いところと暗いところは苦手な私。でも、彼の手はそんな不安な心を一掃させてくれる、不思
議な力があった。
どんなときでも。
・・・・。
だから、彼の胸に抱きついたのは、私の意思。
彼の胸で泣いたのも、それが素直な私の気持ちだった。
何処にも行かないで欲しい、と。
・・・・。
彼はきょとんとした。
そして相好をくずして破顔する。
何処にも行きませんよ、と。
とても透き通るような優しい声色だった。
聞き間違えじゃないわよね?
ほ、本当に?
彼はゆっくりと頷いた。
や、約束して。ち、誓うって・・・
一生、私の傍に居るって!
私だけを見るって!
それが御嬢様のお望みとあれば・・・
この『聖夜』の夜に誓うのね?
二人が出逢った、この『聖夜の夜』に。
彼は頷く。
それは初めてのことではなかっただろうか?
常に淡々としていた彼の表情が赤みに染まり、
その秘めていた感情を露わとしていたのは。
私は肩の力を抜いて、彼の胸に頭を預けた。
私も彼の胸の中で、『聖夜の夜』に誓った。
二度と、自分の気持ちを偽るような真似はしない、と。
そして『聖夜の月』に願った。
いつか彼と添い遂げられるように、と・・・
それからの一年。
私と彼の関係は、明らかにそれまでのものと異なっていた。
未だに彼への気持ちは伝えきれてはいない。
・・・たぶん、解かってくれてはいると思うんだけど。
・・・それは私の甘えであったのかな?
『去年のことは憶えてる?』
『去年ですか?』
尚も探索を続けながら、私は言葉を紡いだ。
『貴方が私から離れていく、って本気で心配したんだよ?』
あの時の気持ちを思い起こしただけでも、涙が出そうだった。
『ど、何処にも行きませんよ』
『って、言ってくれたよね・・・』
『御嬢様には拾ってもらった、こんな自分に生き甲斐をくだされた、言葉にできないほどの、そ、その大恩がありますから・・・』
むっ〜言って貰いたい言葉はそれじゃないのに。
鈍感!
朴念仁!!
『・・・それだけ?』
『!!』
彼が思わず硬直したのが、手を繋ぐ私にも解かる。
『自分には家柄もなく・・・御嬢様に対して・・・』
『・・・私も家を捨てて、今はただの・・・女だよ?』
ううっ。
自分を「女の子」と呼ぶのには、彼に子供扱いされそうで・・・少し抵抗があった。
『・・・お、御嬢様』
『もう、御嬢様じゃないの・・・』
彼と生きるために家を捨てた。
彼と添い遂げるため、ただそれだけに。
『だから、好きな人には・・・亜子って、呼んで貰いたい・・・』
(言った!)
(言ったよ・・・)
自分でも驚くほど、すんなりと、言えたよ?
静馬を・・・好きな人、だと。
『・・・あ、亜子、さま・・・』
むぅ。でも、まぁ、ずっと御嬢様と呼んでいたことを思えば、いきなり名前で呼ばせようとするのは、酷というものだったかな?
でも、彼に好きな人、と告白することができた。
あうう。
心臓が『ドキドキ』する。
と、そのときだった。
彼が建物の裏口らしき扉を発見したのは!
『あ、暗証コード・・・こ、こいつ、生きてるな』
彼は手馴れた手つきで横の電子キーを操作する。
ここから出られるかもしれない。
私たち二人に、希望の光が灯った。
『このタイプの暗証コードなら、三十分もあれば、ええ。解析できます・・・もう暫くお待ちください』
『・・・・』
彼は優秀だ。私にできないことを彼は何でも、卒なくこなす。
彼は何も気負う必要はない。もし、ここから出られず、このまま朽ち果てることになったとしても、彼と一緒ならば、それでもいい。
その最期まで、私は好きな人と一緒に居られたのだから。
そう思って、彼の操作する指を見据える。
『・・・・』
んっ・・・あれ、今。
す、少し、眠い?
『御嬢様・・・いえ、あ、亜子・・・もし、もしも・・・』
私は思わず目を見張る。
い、今、彼が亜子って・・・えへへへ。
『ここから出ることができましたら・・・まず、藤宮様に連絡して、お許しを乞おうと思います』
『えっ?』
『それでも、亜子との・・・その、認められなかったら、そのときは・・・』
『・・・・』
えっ、えっ?
期待に思わず胸が高まる。
『僕とずっと・・・一緒に、居て欲しい・・・』
あう。
さっきまで・・・ここから出られなくてもいい、と思った。
このまま朽ち果てることになっても。
でも、ここを出られれば、例え父様のお許しが貰えなくても、彼は自らの意思を示して、私を選んでくれた。そんなときは、もう藤宮の令嬢でも何でもない、
こんなちっぽけな私なんかを・・・
『このまま、僕と一緒に・・・そ、その・・・』
『・・・・』
『いつか・・・け、結婚して欲しい・・・』
うう。
ここから出たい、と思った。
さっきまでの、後ろ向きな思いが嘘のよう。
でも、この先も彼との人生が続くのであれば・・・
『私も・・・す、好きな・・・静馬と・・・』
そこで私の意識は朦朧とする。
あ、あれ・・・今、いいところなのに・・・
『あ、亜子様!? こ、これは・・・ガ、ガス・・・』
彼は何度も頭を抑えて頭を振る。
私はそんな彼に向けて懸命に手を伸ばした。
彼も私の不安を察して、手を受け取ってくれる。
・・・良かった。
大好きな静馬と一緒なら、手を繋いで居られたら・・・
ほら、何も怖くないよ?
私の意識はそこで完全に途切れた。
『がしっ!』と力強く、腕を掴まれて・・・
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