第三話『束縛の理由』(視点・ 藤井里奈)

 

 眩しいばかりの幾つものスポットライトがステージを照らし、既に撮影の収録が三時間を過ぎよう、としていた。

「はい、OKっ!」

 お疲れ様でした、と喝采を上げるスタッフたち。

 同じくお疲れ様、を口にしながらも私は足早に歩を進めた。今日は若手のアーティストたちとの共演だった、ということもあって予定よりも収録に手間取ってしまっていた。

 はぁ・・・もう遅刻ね。

 約束の時間から既に三十分は経過しており、彼女はまだ待っていてくれているのだろうか?



 み、見えてきた。

 少し寂しげな『エコーズ』の電光看板。そろそろ買い替え時じゃないのかしらね?

「はぁ、はぁ・・・」

 ・・・目的地が見えてきた。今日の収録の近場であり、そこは私にとっても通い慣れてもいた場所でもある。そして恐らくは彼女のほうも。

 待っている、としたら恐らくは店内で・・・と思い込んでいたのが、そもそもの間違いだったようだった。

「久しぶりですね。理奈さん」

「はぁ・・・はぁ・・・」

 私は手で相手の言葉を遮る。

 ・・・せめて店内で待っていて欲しかった。

「はぁ・・・はぁ・・・」

 そうすれば、息を整えてから、整然と入店していたはずなのに。

「はぁ・・・はぁぁああ・・・」

「ふふっ、そういうところは相変わらず、ですね?」

「ふふっ、そうですね。でも、あの頃に比べると歳を自覚してしまうわよ」

 私は深い息を吐いて呼吸を整えると、整然として相手を見据えた。

「本当にお久しぶりですね。弥生さん・・・」



 彼女の名前は『篠塚弥生』

 かつて緒方プロダクションに所属していたマネージャであり、恐らくは兄さんの・・・『緒方英二』の愛人でもあった人物だった。長くはなかったけど彼女は 私のマネージャを勤めた期間もある。でも、そんな印象より・・・もっとも由綺のマネージャ歴のほうがずっと長かったからだろう。

「店内で待ってくれていても良かったのに・・・」

「ふふっ、今は夏ですから」

 確かに良く通った頃のあの季節・・・冬に比べれば、夏の夜はまだ身体に優しかったかもしれない。

《からんからん》

 私は彼女に先導して『エコーズ』に入店し、馴染みのあるマスターに一礼してから、私たちはテーブル席に着いた。

「七瀬くん、コーヒー二つね」

「理奈さん、それに弥生さんですか。お久しぶりですね。少しお待ちを・・・」

 ここのカウンターに立っているのは、冬弥くんの親友にして、ここを辞めた冬弥くんの代わりに正式に勤めることになった『七瀬彰』である。

「冬弥のやつは元気ですか?」

「ええ。今は南末次の方で喫茶店をやってるわよ?」

「そっか・・・確か『マリオン』でしたよね。今度遊びに行きますよ」

「ええ。是非」

 大学卒業以来となるはずだから、きっと冬弥くんも彼が尋ねてきてくれたら喜ぶことだろう。



「・・・ところで弥生さん」

 七瀬くんが離れたところで私はテーブルの向かいに座る彼女に改めて姿勢を向けた。

「・・・はい」

「それで調べて貰ったことは・・・」

「残念ながら・・・全く、足取りさえ掴めませんでした」

「そ、そう・・・」

 ・・・やはり、という思いはあったが、こうも完全に空振りに終わってしまったことは残念であっただろう。

「しかし、今更ながら・・・由綺さんに、森川由綺を探して、理奈さんはどうされるおつもりですか?」

「・・・・」



 そう、私はかつて『森川由綺』のマネージャだった彼女に、その由綺の足取りを調査するように依頼したのであった。

 由綺は・・・アイドルであった森川由綺は、今から十五年も前に、とある一件を境にして完全に音信不通となり、そして現在は完全に消息不明となっている。



 そう、私と冬弥くんの婚儀の日を境にして・・・



 確かに森川由綺にはアイドルとしての素質に恵まれていただろう。あの歌唱力だけでなく、まるで屈託のない微笑みで、多くの観衆を魅了していたのだから。

 余りにも眩しく、輝かしく光を発していた彼女であったことから、兄の緒方英二や弥生さん、そして私も彼女は『太陽』だと錯覚してしまったのだ。

 ・・・実際は『藤井冬弥』という光を受ける鏡であり、その受け止めた光を増幅することで輝いていた、まるで合わせ鏡のような存在だった。



「・・・・」

「もしかして藤井さんと会わせるおつもりで?」

 えっ!?

「まっ、まさか、そんなことを・・・したら・・・」

 私は余りの恐ろしい推測に頭を振った。

 そもそも何故、私が冬弥くんに喫茶店の経営を任せているか、といえば、彼を街中に放つことを極端に恐れていたからだ。もしも偶然にでも、由綺と会ってしまったのなら、その瞬間に彼は・・・由綺の冬弥くんに戻ってしまうことであろうから。

 ・・・彼は忘れてくれなかった。

 私がどれだけ愛しても、どれだけ彼に尽くしても・・・

 冬弥くんは由綺の存在を決して忘れてはくれなかったのだから。

「・・・・」

 だから、私は・・・安心したかったから・・・なのだろう。

 もし由綺が新しい恋をして、幸せとなっていてくれたのなら、恐らくは冬弥くんも安堵して、今度こそ私だけを見てくれるだろう。

 私を心から愛してくれるのではないだろうか、と・・・





「それでは・・・ごゆっくり」

 ちょうどその際に注文したコーヒーが届き、私は平静を取り戻すことができた。

 だから、私はもう一つの、表向きの理由を彼女に告げる。

「・・・そうですね、弥生さんには話しておきます・・・」

 既に彼女は音楽業界の人間ではないし、一人の人間として信頼するのに値する人物でもある。またたとえこの情報が流出してしまったところで、私はそれを否定せず、きっと肯定するだろう。

「私は次の音楽祭をもって、引退をします・・・」



 それは私にとって二度目の引退宣言であり、だからこそ本当の・・・『緒方理奈』の引退であった。それからの私は、もはや緒方理奈ではなく、普通の『藤井里奈』として、一人の男性を愛する妻として生きていく、その表明でもあった。

「そうですか・・・」

 恐らくは彼女も薄々だが、私の決意を察していたのだろう。

「ですから、次の音楽祭には・・・もう一度・・・いえ、今度こそ本当に、本来の由綺と決着を付けたかったのです」

「・・・本当の、由綺さん?」

「ええ・・・」



 私と由綺は一度だけ、『音楽祭』で共演・・・勝負したことがある。

 その結果は・・・由綺は、三位に圧倒的な差をつけて、私とは僅差の二位であった。

「でも、あのときの由綺は、本当の・・・本来の由綺ではなかったわ」

「・・・・」

 それは当時の彼女のマネージャであった彼女には改めて言う必要のなかったことかもしれない。





 あれは『音楽祭』の前日、その予行演習(リハーサル)の日のことだった。

 私は由綺に話があるから、と言って、既に閑散となっていたステージの上に残したのだ。



『どうしてそんなこと・・・』

 困ったみたいに、無理して笑っている・・・そんな感じだった。

『そんなこと、どうして言うのぉ・・・?』

『聞いて』

 私は努めて冷静に由綺を制止した。

『真面目な話よ』

『だ、だって冬弥くんは・・・』

『聞きなさい・・・!』

 落ち着いたままの姿勢だったけど、私のその声は重たく、まだ戸惑っているような由綺を完全に抑え付けていた。

『私の・・・気持ちは本当なの。遊びだとか興味本位なんかじゃない、って、それは自信を持って言えるわ。自信を持って、私は冬弥くんを・・・』

 次第に由綺の顔が強張っていく。

『私、冬弥くんが好きなの』

『・・・・』

『私、冬弥くんと・・・寝たの』

 《 ピシッーッ・・・ 》

 私が言い終わらないうちに、その乾いた音は暗いスタジオに響いていた。

 由綺が・・・私の頬を平手で叩いたのだ。

『どうして・・・!』

 瞳に涙を溢れさせて、由綺は私を問いつめる。

『どうして、理奈ちゃん! 理奈ちゃん、私と冬弥くんのこと知ってたのに、どうして・・・』

『・・・・』

『私が・・・私が冬弥くんのこと好きなの・・・愛しているの知ってるのに、どうして、どうしてそんなこと言うのっ・・・!?』

『っ・・・』

 ・・・どうして?

 どうして、ですって!?

『ど、どうして。どうしていつも・・・いつも人のものなの?』

 自然と涙が溢れてくる。

『いつも、いつも・・・私、頑張った。頑張ってきたぁっ!! みんなに天才だって言われて、その期待を裏切らないようにしてきたぁっ! それなのにどうしてみんな人のものなのよぉっ!?』

 《 パァーーン 》

 自然と私も由綺の頬を叩いてしまっていた。

 恐らく、叩かれた由綺よりも、叩いてしまっていた私のほうが驚いたかもしれない。

 でも・・・

『どうして、みんな、貴女のものなのよぉ!?』

 言葉が止まらなかった。

『初めて・・・他には何も要らないって思ったのに、それなのに・・・冬弥くんが・・・どうして、私のものじゃいけないのよぉ!?』

 《 パアァーン!! 》

 再び、由綺が私の頬を叩いたのだ。

『うっ・・・うう・・・っ・・・』

 由綺の嗚咽がこぼれた。

 そしてスポットライトの下に私を残したまま、由綺は我慢できないように反対側の非常口に向かって駆け出して行ってしまった。





 それが唯一、私と由綺の対決することができた『音楽祭』の前日。

 そしてその日以降、私と由綺は正面を向いて話すことができなくなってしまっていた。当然のことだとは思う。私は彼女の想いを知りつつ、それでも彼女の最愛の人物を奪ってしまったのだから。



 ・・・正直に話せば、私は由綺が怖かった。

 アイドルとしての素質は無論、冬弥くんもまた貴女に奪われてしまうのではないか、と。日々怯えていなければならなかった。

 五年間の休養期間。私はできる限り冬弥くんの傍に居て、彼を常に束縛していた。間違っても由綺のところに行かせないように。そして由綺が彼に会いに来られないように。

 そして彼が望むように音楽業界に復帰するのにあたって、私は彼に喫茶店を持たせることにした。売り上げなんて気にしない。資金の返済なんて考えてくれなくてもいい。年中無休にして、私の帰りを待っていてくれてさえいれば。

 そう、喫茶店『マリオン』は彼にあげた店舗でありながら、同時に彼を束縛するための監獄のようなもの。私にとってそれ以上でも、それ以下でもない。



 だが、あれから十五年が経っても、彼は由綺を忘れてくれなかった。

 一昨日も・・・彼は私に嘘を吐いた。

『やはり、彼女のこと・・・思い出した?』

『い、いや・・・そんなこと・・・ないよ・・・』

 彼は平気で嘘を吐く。勿論、それは私を気遣うための嘘であり、彼は平気で自分の心を偽って、そして・・・自分の心を傷つけるのである。





 ・・・ねぇ、冬弥くん?

 貴方に由綺を会せたら・・・

 ・・・そしたら、貴方は由綺を忘れてくれるの?

 本当に私のところに帰ってきてくれる・・・?



 ねぇ、冬弥くん・・・


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