第四話『悪夢の再来』(視点・ 北原雪菜)

 

 ――五年前――



 どうして、こうなるんだろう・・・



 初めて、好きな人ができた。

 心から一緒にいたい、って思える親友もできた。



 その二つの嬉しいことが、幾つも重なって・・・

 またたくさんの嬉しさを連れてきてくれて・・・

 掛け替えのない、夢のような時間を手に入れた。

 両手に抱えきれないほどの、それは至福の時間だった。



 ・・・なのに。



 どうして・・・



 こうなっちゃうんだろう・・・







 ――付属祭ライブ・終焉後――



『今日のわたしは、ずっと夢を見続けていたい。

 スポットライトを浴びて・・・大歓声を受けて。

 大好きな歌を心から楽しく歌って・・・』



 今でも、あの歓声が耳に残っている。

 一度でも体験してしまったら、もう止められそうにない。



『それでみんなも喜んでくれて・・・

 ・・・好きな人に誉められて、

 だから調子に乗って、ご褒美をねだって・・・』

『せ、つな・・・?』

『でも・・・想像していたのと違うね、これ・・・

 こんなふうに自分のほうから迫っちゃうなんて。

 こんな予定じゃなかったのになぁ〜』



 あくまでもわたしは受け身で・・・

 彼から求められて・・・

 でも、わたしも彼が好きだから・・・いいか、って。

 そんな都合の良い、願望だったんだけどなぁ。



『えっ・・・』

『ね、春希くん』

『せ、雪菜・・・?』

『よけても、いいんだよ・・・?』



 それはわたしと春希くんが付き合う、あの日の出来事。

 まだかずさと春希くんが、お互いの気持ちを伝えあう前なら・・・お互いがお互いの気持ちに気付いていない、そんな今なら・・・面倒見が良くて、責任感の ある彼なら、絶対にわたしからの告白を・・・申し込みを拒絶なんてできない、って計算した上での行動だった。

『んっ・・・』

 既にかずさによって奪われてしまっていた。

 うたた寝していた彼の、

 彼女が触れてしまっていた、春希くんの唇・・・



 ・・・・。



 ・・・そう、行動に移さなければ、と思った。

 でなければ・・・

 わたしが孤立してしまう。

 追い込まれてしまっていたのは・・・わたしだった。



 かずさには、春希くんしかいない。

 春希くんもかずさのことが好きだった。



 わたしも春希くんのことが好きだった。

 そして・・・かずさのことも。



 だから、わたしが春希くんの彼女になれば・・・

 ずっと、三人でいられる。





 そんなわたしの浅はかな考えが、『三人』の関係を壊してしまった。

 壊れることが解かっていたのに、壊してしまったのかもしれない。

 春希くんが好きだったから・・・

 もう一人には・・・

 もう独りにはなりたくなかった、から・・・



 だから、春希くんは悪くなかった。

 彼は懸命にわたしの願いを聞き入れて、三人であろうと頑張って・・・そのわたしの我儘によって潰れてしまったのだから。

 だから、わたしには春希くんを責める資格なんてなかった。

 彼を非難することは無論、彼の裏切りを悲しむなんてことも許されてはならない。

 たとえどんなに辛くても、わたしの浅慮が招いてしまった、その結果だったのだから・・・



 ・・・たとえ、この心が砕かれた、としても・・・





 大学では本当に、とことん・・・春希くんに避けられた。

 彼が傷つくと解かっていたし、彼に嫌われたくはなかったから、必要以上に踏み込むことは躊躇われた。でも、わたしには彼しか見えなかった。

 たとえ、何百人って人に告白されても・・・わたしには。

『俺は絶対に小木曽から離れていったりはしない!』

 それは付属時代、春希くんに言われた言葉。

 中学時代の身の上を語った際に・・・彼がまだ『雪菜』ではなく、『小木曽』と呼んでいたころの・・・

 もう独りにはなりたくなかった。

 だから、わたしは彼のそんな一言にしがみついていた。

 そう、必死になって・・・



 そして、やっと彼がこっちに向いてくれた。

 大学三年の・・・冬になってからのことだった。

『冬馬のことは忘れた』

 と、自分の心を偽ってくれてまで・・・



 ・・・凄く嬉しかった。

 お互いの感情を確かめ合って・・・

 だから、クリスマスイヴにはホテルまで行って・・・

 お互いの感情を確かめ合って・・・

 ・・・・。

 でも、わたしは直前で彼を受け入れることができなかった。

 その、彼の嘘が許せなくて・・・

 ・・・もう、ダメなのかもしれない、って思った。

 今でもかずさのことを忘れていない、そんな春希くんを・・・

 拒絶してしまったのだから。



 だから、元旦の新年早々、親友の『水沢衣緒』から代わられた彼からの通話は・・・とうとう愛想が尽かされたものだと思った。



『雪菜の言うとおり、あいつの、冬馬のこと・・・

 かずさのこと、忘れてなかったから・・・』



 大学になって初めて、彼が『かずさ』の名を口にした。

『だから、ごめん・・・』

 同時に視界が歪む。

 解かっていた。彼にした仕打ちを思えば当然。

 遂に彼が愛想を尽かして、別れを告げる瞬間だと・・・

 それだけの仕打ちを、彼にしてしまったのだから。

『あと最後にもう一つ・・・』

 最後、という言葉に思わず息を呑む。

『俺、俺さ。やっぱりかずさのこと、忘れられなくて・・・

 なのに、俺・・・やっぱり雪菜のことが大好きだから』



 ひ、酷いよ・・・春希くん。

 ・・・ずるいよ。

 こんな酷いわたしに、そんな『奇跡』なんて・・・

 こ、こんな、わたし・・・なんかに。



 それからゆっくりと修復されていく、わたしと春希くんの関係。



 勝手にエントリーされてしまった『バレンタインコンサート』

 断ることもできた。

 ・・・そう、逃げることも。

 春希くんも強制はしなかった。

 歌うことを嫌悪していたわたしだけに・・・

 彼もエントリーには一切関与していないのに、一緒に謝りに行こう、とさえ言ってくれた。

 ・・・とても嬉しかった。

 だから、わたしはもう一度、歌うに気になったのだ。

 ・・・そんな春希くんの傍にいたくて。

 ・・・辛い思い出しかない、



 あの『届かない恋』を・・・







 ――新婚旅行の一日目。



 『イタリア』の『ローマ』『ミラノ』に次ぐ第三の都市であり、南イタリアでは最大の都市である『ナポリ』に到着したわたしと春希くんは、ヴィスヴィオ火 山、ポンペイの遺跡などを観光した後、豪華なディナーの真最中だった。

「ねぇ・・・春希くん?」

「聞くな、雪菜・・・」

「はっきり教えて。ここ・・・いくらなの?」

 庶民派のわたしのことである。こんなに豪華に過ぎると返って春希くんの支払い額がどうしても気になってしまう。

「前にも言ったよね?

 私は屋台のラーメン屋でも喜ぶ、

 そんな安い女の子なんだよ?」

「言った、な・・・」

「それなのに・・・」

「大丈夫だ、雪菜。今日は俺たちの新婚旅行だろ?」

 それは解かっているの。

 でも、だからってこんなに背伸びをする必要なんて、ましてわたしなんかのために春希くんが無理をする必要なんて、全くないんだよ?

 何を食べるか、じゃないんだよ?

 誰と一緒に食べるか、が、大切なんだよ。

 ・・・少なくとも、わたしには。

「そ、それにさ。ごめん。

 本当に金額はたいしたものじゃなかったんだよ」



 こんなに豪華な料理が並べられて、こんなに綺麗な夜景が見られて、しかもこんなにワインが美味しくて、その上、店内が貸し切りという時点で、彼が嘘をつ いているのが明白だった。

 彼は平気で嘘を吐くのだ。

 ・・・そう、わたしには。



「いや、本当だって・・・

 開桜社にさ、鈴木さんって先輩がいてさ」

「・・・・」

「その人に紹介して貰った、って言ったらさ

 ・・・なぁ、雪菜、信じてくれ」

「そう言われて、わたし、春希くんに・・・

 何回、泣かされたことか」

「っ・・・」

 と、少し言い過ぎたみたいだった。

「ごめん。ほんとはちょっとだけ、

 見栄を張った、かな・・・

 その、雪菜を喜ばせたくて、さ・・・」

「・・・・」

 やっぱり・・・

「でも、本当に少し、だぞ?」

 それに(今回は・・・)春希くんも本当のことを話してくれていたみたいだった。実際に春希くんが勤める『開桜社・開桜グラフ編集部』に所属する鈴木さん という方は、旅行代理店に相当な顔が利く人物であり、それは以前、わたしと春希くんのフランス旅行でもお世話になっていたりする。

「そっか、わたし・・・

 その鈴木さんにお世話になるの、二回目なんだね」

「そうだ、な・・・

 今度、雪菜がお礼を言っていた、って言っておくよ」

「うん、お願いね。春希くん、絶対だよ?」

 彼は何かをはぐらかすようにワイングラスに口をつけた。

 そのフランス旅行について、深く追求されたくはないのが、当時の彼の行動と今のその仕草からでも十分に窺えた。

 ・・・・。

「・・・でも、そうだよね。その人のおかけで春希くんは、去年のクリスマスイヴにかずさと再会できたんだよね。

 わたしを放っておいて・・・」

「っ・・・せ、雪菜!?」

 焦ってます。焦っています。

 ねぇ、早く言い訳してよ、春希くん〜♪

「それで春希くんはわたしとの一週間ルールも破って、ずっとかずさと二人で逢っていたんだもんね〜?」

「・・・よ、酔っているのか?」

「・・・二杯目、いい?」

 駄目だ、と即座に却下されてしまいました。

 やっぱり本場のワインは美味しくて・・・



「でもね、春希くんを責めていたんじゃないんだよ?」

「えっ?

 でも・・・雪菜は、あのとき・・・」

「それは確かに、初めて春希くんに聞かされたあのときは、

 貴方はまた! って・・・きたけどぉ・・・」

「っ・・・」

「でも、そのおかげでまた三人に戻れたんだよね?

 あの頃のわたしたちに戻れたんだよね・・・」





 一度は完全に空中分解を起こしてしまった三人だった。

 わたしが、かずさと春希くんの間に割り込んでしまったがために、かずさは日本を離れることを選択し、春希くんとわたしだけが残された。

 そしてその春希くんと復縁できるまでにも、三年の歳月が必要となったが、大学生活の最後の一年間、そして社会人となった一年目を『二人』で過ごすことが できた。

 その春希くんがバイト時代からお世話になっていた大手出版会社『開桜社』に入社し、海外出張を兼ねたその海外旅行において偶然、かずさと再会。そのかず さが帰国することによって、それまでにもそれからも色々なことがあったけど、それは確かに『付属祭』を目指していた頃の、あの『三人』だった。

 そう、春希くんの懸命なギターに・・・

 かずさの繊細なピアノで・・・

 そして、わたしはまた歌うことができたんだよね?



 今春に再結成された『峰城大付属軽音楽同好会』

 自暴自棄となっていたかずさが立ち直って、追加公演までの激動の一週間が始まり、春希くんの会社が発刊する「冬馬かずさ写真特集」にわたしの会社が付録 するミニアルバム・・・『開桜社』『ナイツレコード』『冬馬曜子オフィス』の三社を巻き込んだ、それが・・・わたしたちの『white album』だっ た。

 そのミニアルバムのボーナストラックには、春希くんが半日がかりで書き上げた作詞、かずさが僅か数時間で曲をつけて、収録にはまさにぶっつけ本番で臨ま なければならなかった、『時の魔法』となる。

 この『時の魔法』は、同好会の『届かない恋』に続く、わたしたちの・・・わたしたち『三人』だけのオリジナル。



 結婚披露宴でも好評だった。

 朋(柳原朋)が泣き出しながらも絶賛してくれた、『届かない恋』も。

 まるで式場全体が耳を澄まして拝聴してくれた、『時の魔法』も。



 本当に・・・本当に楽しかったんだから。







「くっ・・・はぁ、せ、雪菜ぁ・・・」

「んっ、は、春希くん・・・んんっ・・・」

 二人の身体を一つに繋げる行為。

「お、俺・・・俺、もう・・・」

「うん。き、きて・・・は、春希くぅん・・・」

「う、うん・・・せ、雪菜ぁ・・・雪菜ぁぁ・・・」

 切羽詰った様子の春希くん。そしてわたしも限界だった。



 これまでは一週間ルールもあって、一週間の週末だけがわたしと春希くんとの夜だった。社会人になったこともあって、彼の部屋に泊まることだけは、家族内 でも暗黙の了解として、容認して貰えるようになっていた。

 でも、これからは・・・結婚したわたしたちのこれからは、毎日のようにお互いを愛し合うことができる。



「はぁ・・・も、もう限界・・・」

「えっ〜〜」

 ベッドに伏した彼にわたしは不満な声を上げた。

「す、少し休ませて・・・」

「まだ二回だけだよ・・・?」

「い、いや・・・時差ボケ。

 な、なんで雪菜はそんなに元気なんだよ?」

「あははっ・・・」

 きっとこの旅行を心から楽しんでいるからなのだろう。どんなに我儘を言っても、春希くんに甘えても、彼が許してくれるから。

 ・・・・。

 ホテルの部屋も、ディナーの豪華さに負けないほどに豪勢な一室だった。

 以前に泊まった、有明のホテルなんかよりもずっと、かずさが滞在していたスィートルームよりもずっと・・・

 ・・・本当に春希くん、無理してない?

「すぅ・・・・」

 ・・・むぅ。

 普通、花嫁を放っておいて、先に寝るかな?

「すぅ・・・ふぅ・・・」

 ・・・まぁ、春希くんの寝顔が見れるから、嬉しいけど。



「・・・・」

 ねぇ、春希くん・・・本当に、いいの?

 本当に、わたしなんかでいいの?

 本当のわたしは・・・春希くんが思ってくれているような、そんな人物じゃないんだよ?

 そもそも、わたしなんかが割り込まなければ・・・

 春希くんは、かずさと・・・

「・・・・」

 ほ、本当にあなたは・・・もう、わたしを裏切らないの?

 し、信じて・・・いいの?



 ・・・わたしは最近、眠れなかった。

 とても怖くて・・・

 そう、夢を見るのが・・・とても怖くて。

 わたしは毎日、夢を見る。

 春希くんが・・・わたしじゃない、誰かと・・・

 春希くんが、わたしを捨てて・・・

 そんな夢を・・・





 ・・・・。

 それはわたしを似せて、全く異なる女性だった。

 色んな顔を併せ持つような女性だった。

 そして幾度もなく春希くんを惑わせて・・・そして。





 ・・・・。

 それは可愛いらしい後輩だった。

 春希くんを想うわたしだからこそ、すぐに彼女の想いに気が付いてしまっていた。彼女は口で誤魔化しても・・・その想いは真っ直ぐに、明らかに春希くんに 向けられていたから。





 ・・・・。

 それは春希くんが敬愛する上司だった。

 そのストイックな彼女の姿に、春希くんはかずさの面影を重ねていたのだろう。自然と彼が彼女に・・・一人の女性として惹かれていくのは、当然の流れで あった。





 ・・・・。

 そして、わたしと春希くんを語る以上、絶対に欠かすことができないのが、それが・・・『冬馬かずさ』だった。

 五年ぶりにかずさと再会しても、彼女の気持ちは変わっていなかった。それは春希くんにとって、どれだけ甘い誘惑であったことだろう。

 まして、春希くん自身、かずさのことを忘れていなかった、とあっては。





 それは・・・いずれも、実際にありえた可能性の話だった。

 ただそれをわたしが・・・

 春希くんが・・・選ばなかった、というだけの話だけで・・・

「すぅ・・・んっ・・・」

 春希くんの寝顔が少し歪む。

 本当に疲れているのだろう。

 それでも全く起きるような気配はなかった。

「せ、つな・・・す、捨てないで・・・」

 むぅ・・・

 ・・・もう。捨てられるのは・・・いつも春希くんに裏切られて、捨てられるのは、わたしのほうだったじゃない。



 わたしには春希くんしか見えないのに・・・

 どれだけ傷つけられても・・・



 どんなに裏切られた、としても・・・

 わたしは春希くんしかいなかった。



 ・・・・。

 そんな変テコリンな性格にしたのは、

 あなたのせいなのに。





「・・・寒い・・・」

 ねぇ、春希くん・・・

 かずさが帰ってきたんだよ?

 本当に帰ってきてくれたんだよ?

 また本当に『三人』に戻れて・・・戻ってしまったんだよ?

 あなたは・・・わたしを捨てない?

 本当に一緒に・・・今度は一緒にいてくれるの?

 イタリアの季節は、日本の季節と同じ。

 気温も日本とは変わらない。

 でも・・・

「・・・寒いんだよ、春希くん・・・」



 でも・・・あの『三人』の季節がまたやってくる。

 秋、そして・・・

 あの『white album』の季節が・・・また。


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