第五話『絶望の慟哭』(視点・
森川由綺)
――二十年前――
私にも好きな人ができた。
私が初めて好きだって思った、とっても素敵な人だった。
彼に出会ったのは、高校一年の時・・・
いつの間にか、もう彼のことだけしか考えられなくて。
彼の何処が好きなのかも解からない、ほど。
・・・たぶん、全部・・・かな?
だから、彼のことが大好きだった。
養成学校に通いながら、多忙な日々を続けながら、ただただ彼だけを想い続けた。きっと、本当にアイドルになれれば・・・彼の気も惹けるかな、と思って。
・・・・。
そんな軽い気持ちで・・・
――その三年後・高校三年時――
放課後の下校途中。
その日は養成学校もお休みで、彼も珍しく一人だった。
だから・・・
『どうかした?』
『何でも・・・ないけど・・・』
私は周囲を見渡して、頬を染める。
『変な感じ・・・だよね?』
『えっ?』
『藤井くんとは良くお話しするけど・・・
一緒に帰るの、って、初めてだから・・・』
・・・こうして。
いつか一緒に帰りたい、って思ってた。
・・・できたら、その・・・できるだけ、毎日・・・
だから、意識しないわけにもいかなかった。
『俺も・・・恋人同士みたいだな、って思った』
彼は冗談っぽく、軽快に笑った。
本当に冗談・・・だったのだろう。
でも・・・私は、ね。
『ずっとね・・・
藤井くんのことが・・・好きだったんだけど・・・』
・・・・。
っ・・・。
・・・あっ・・・ううっ。
・・・言っちゃった、よぉ。
ど、どど、どうしようっ!?!?
『えっと・・・それだけ・・・
あははっ・・・』
なんとなく照れ隠しに笑ってみる。
・・・言わなければ良かった、と思わずにもいられない。
とてもじゃないけど、まともに彼の顔が見れなかった。
『俺も・・・
俺も、好きだった、けど・・・』
えっ・・・?
あっ、えっと、それって・・・
両想い・・・って?
『『・・・・』』
どちらも何も言えなくなってしまっていた。
えっと。えっと・・・
私には予想外、じゃなくて・・・
物凄く理想的な展開だったから。
いつも・・・こうだったら、いいなぁ、って。
そんな都合の良い、憧憬を思い描いていた。
本当に夢なんかじゃないの、とさえ思えちゃって。
私、ほ、本当に彼に好きだった、って言われたの・・・?
『こ、こういうとき、過去形って・・・おかしいよね?』
『え、と・・・じゃあ、ここから現在進行形、で・・・』
『う、うん・・・』
凄く嬉しかった。
まるで夢のようだった。
二人で照れながら笑い合っていた。
そう・・・夢のように。
――更に二年後・大学二年時――
歌手のデビューが決まったら、彼はとても喜んでくれた。
『頑張れよ・・・俺、応援するから』
『う、うん!』
電話すれば、いつも嬉しそうに笑ってくれた。
会いたい、って言えば、彼は私の都合だけに合わせてくれた。
歌手となって声援を受けるたびに、彼は喜んでくれた。
まるで自分のことのように・・・
私が歌うたびに、彼は賞賛してくれた。
ただ私の心境を綴った歌詞なのに。
だから、今は自分のことだけに打ち込んでいいんだ、って・・・
だから、私は頑張った。
もっと、冬弥くんを喜ばせたくて・・・
もっと、冬弥くんに好かれたくて。
たとえ少しの間、会えない日々が続いても・・・
二人の気持ちはいつも一緒だって。
私が歌う『white album』なんだって・・・
・・・・。
だから・・・冬弥くんがずっとずっと、私の傍にいてくれるんだって、ずっと勘違いしてた。
だって、私は・・・冬弥くんに告白して、付き合って・・・私たちは本当に愛し合っているんだって・・・思ってたから。
今は忙しくても・・・少し擦れ違っても・・・大丈夫、だって。
だから、彼はきっと待ってくれている、って・・・
だから・・・
『由綺・・・話があるの、とっても大事な話・・・』
『理奈ちゃん?』
『リハーサルが終わったら、ステージで待ってて貰える?』
『う、うん・・・』
理奈ちゃんから冬弥くんへの気持ちを、そして二人の現在の関係を聞かされたときは、彼女が何を言っているのか、理解できなかった。
・・・信じられなかった。
彼女の頬を叩きながら、何も理解したくもなかった。
だって、理奈ちゃんは知っていたはずなのに・・・
私がどんなに冬弥くんを好きだったのか、愛してるのか・・・
彼と付き合うことができて、どんなに幸せだったのか、を・・・
それなのに・・・
そ、それを・・・
すぐに冬弥くんに尋ねたかった。電話したかった。会いたかった。・・・聞いてみたかった。彼の声を聞きたかった。
・・・っ!?
確かに・・・少し前から、彼の様子がおかしかった。
久しく会えたはずなのに、彼の雰囲気には違和感があった。
初めて、会いたいって私が希望したのに、約束したのに・・・彼は急用、って言って・・・あのとき、冬弥くんが優先したのが・・・そういえば・・・理奈
ちゃんとの用事だった。
・・・っ。
違和感が疑惑に、疑惑が確信へと変わっていく。
・・・だから、冬弥くんに肯定されるのが怖かった。
私、なにをやってるんだろうね?
・・・どうして、こんなところにいるんだろう?
眩しいスポットライトに照らされて、収録が始まっても、何もかもが曖昧な感じだった。
・・・・。
何のために歌手になったのか、なんでこれまで頑張ってこれたのか、その理由がすっぽりと抜け落ちてしまっていたのに。
もう冬弥くんがいないのに・・・
頑張る理由なんてないのに・・・
理奈ちゃんに冬弥くんを奪られて・・・
どうして・・・笑える、というのだろう。
どうして・・・歌える、っていうのだろうか?
それでも・・・まだ大丈夫だって、思った。
まだ大丈夫、って。
偶然にCDショップで遭遇した、久しぶりの彼だった。
遭遇してすぐに、冬弥くんの気持ちが解かってしまった。
私、勝手だったから・・・
ずっと一緒に・・・傍にいてくれるんだって、安心しきってたから・・・
・・・今の彼の気持ちが理奈ちゃんに傾いてしまっている、って。
まして、冬弥くんのためだけに歌手を辞めるのだ、とあっては。
・・・・。
でも、私と冬弥くんは正式に別れた、ってわけじゃなかった。
さようなら、はしたけど、まだ・・・本当に別れたわけじゃ・・・今までだって、どんなことがあったって・・・最終的に冬弥くんは私を選んでくれるのだか
ら。
・・・だから、まだ大丈夫なんだって。
今も鳴りそうな気がした。
なんとなく冬弥くんが掛けてきてくれるような、
そんな気がした。
でも、そんな都合よく掛かってくるわけもなくて・・・
・・・でも、大丈夫。
今日じゃなくて、明日かもしれないし・・・
明後日でも、来週でも・・・
たとえ来月でも・・・
私は待っていられる。
私が待っていられるから、
だから・・・大丈夫なんだよ。
・・・電話だって、できる。
番号だって・・・ちゃんと暗記しているんだから。
冬弥くんが出たら、何を話そうかな・・・
そうだ。またADをお願いしようかな?
うん、そうしよう。もしかしたら、それが引き金に・・・
冬弥くんと撚りが戻るかも、って・・・
『はい、藤井です』
っ!!
冬弥くんの部屋に、明らかなまでの女性の・・・理奈ちゃんの声だった。
『・・・・』
な、なんで冬弥くんの部屋に・・・理奈ちゃんが・・・
受話器を置きながら・・・
なんで・・・?
・・・・。
次第に真っ黒な絶望感が染み込んでくるようだった。
・・・大学に行けば、冬弥くんに会えるって思った。
英二さんに無理を言って(もっとも最近は・・・好意を拒絶したこと、そして何より、笑えない・・・歌えないアイドルなんて話にならない、って見離されつ
つもあるけど・・・)オフを貰って、久しぶりに大学へと向かった。
『あっ・・・』
今年は例年に比べて肌寒く、ニュースでは近日にも降るんじゃないか、なんて言ってたけど・・・真っ白な上空からは無数に降りてくる。
・・・今年一番の初雪。
既に路面にもうっすらとして、この分では積もりそうな勢い。
初雪に見舞われた『悠凪大学』では、それでも普段とおよそ変わらない光景で、私は親しき友人を見つけては彼のことを尋ねてみた。
『と、冬弥? 最近見てないよ?』
『えっと、ふ、藤井くんなら・・・
なんか海に行くって・・・』
二人とも表情を沈ませたまま答えてくれたが、冬弥くんの親友である『七瀬彰』くんが、そんな二人を制して言葉を紡いでいく。
『そっか・・・まだ『美咲』さんも、『はるか』も・・・
由綺には伝えられていなかったんだね・・・
由綺、ごめん・・・僕からも言い辛いんだけど・・・』
『えっ・・・?』
『あいつは、今日・・・』
『・・・・』
あははっ・・・
現実は非情であり、狡猾であり・・・
そして、まるで悪魔のように残酷だった。
まさか、歌手を辞めた理奈ちゃんが・・・
引退したことで時間があるはずの彼女が・・・
そんなに早く急展開を・・・冬弥くんとの結婚を急いでいた、なんて思いもしなかった。
あははっ・・・
そんな理奈ちゃんと冬弥くんが・・・結婚って・・・
・・・・。
もう彼は・・・私の手じゃ決して届かないところに・・・
理奈ちゃんと結婚されたら・・・
私、どうすれば・・・いいの?
『・・・・』
気が付いたら『蛍ヶ崎学園』の通学路だった。
真っ白な白銀の通学路。
そこで私は冬弥くんに告白して・・・
ふと・・・
『え、と・・・じゃあ、ここから現在進行形、で・・・』
あの日のことを思い出す。
『俺も・・・由綺のこと、好き、だよ・・・』
『・・・ぁ、私も・・・えへへ。
藤井くんのこと、好き・・・かも』
ここが私と冬弥くんの出発点。
『ぎ、疑問形かよ・・・』
『あははっ・・・』
うっ・・・
あぁ・・・あぅ・・・
うぁ・・・あぁ・・・
それからも多くはなかったけど・・・
一緒に帰宅するようになって。
こうして雪が積もった道を一緒に歩むことができた。
雪の上を楽しそうに踏み鳴らす、冬弥くん。
嬉しそうに話をする、冬弥くん。
ああああっ・・・
うっあぁぁぁ・・・
ぽろぽろと零れていくようだった。
冬弥くんとの夢が・・・
頬を濡らす、涙のように・・・
舞い落ちていく、この雪のように・・・
舞い落ちて、溶けていくしかない・・・
私の初恋。
舞い降りて、消えていく・・・
私の夢・・・
・・・もう、笑えない。
・・・もう、歌えるわけがない・・・
・・・もう、大丈夫じゃ、ないから。
もう、大丈夫、じゃ・・・
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