第六話『自己犠牲』(視点・藤
井冬弥)
今週末の昨日に発売された『開桜グラフ』
現在のTVの話題も、この記事を発端としたもので、巷の世間を賑やかせている。
それも、まぁ・・・当然、だな。
あの『冬馬かずさ』の来日ブームにも関わらず、これまで謎に包まれていた『峰城大付属軽音楽同好会』の、その経歴が大まかにではあるが、白日の下に晒さ
れたのだから。
記事には『峰城大付属軽音楽同好会』が結成されるまでの経緯。それまでは謎に包まれていた、ヴォーカルの『SETSUNA』、ギタリストの
『HARUKI』が、『冬馬かずさ』こと・・・『KAZUSA』のコメント入りで介されていた。
この記事によると、三人はほぼ同時期に知り合っているように記載されているが、『KAZUSA』のコメントには、僅かに『SETSUNA』より先んじて
『HARUKI』と出会い、そして互いに意識はしていたらしい。
・・・勿論、異性の対象、として。
だが、『HARUKI』が選んだのは、
彼が選んだのは・・・『SETSUNA』だった。
この『KAZUSA』・・・『冬馬かずさ』が振られた、なんて俄かには信じられなかったが、確かに彼女はそれによって付属高校を卒業すると同時に渡欧し
ており、『トラスティ国際ピアノ部門コンクール』では二位入賞を果たし、更に格式の高い『ジョバンニ国際ピアノコンクール』では四位入選、と華々しい経歴
は既に周知の事実でもある。
その冬馬かずさが偶然、異国の地で再会を果たしたのが・・・彼女の初恋の君たる『HARUKI』だった。
「・・・・」
俺にはこの『HARUKI』が羨ましく思えてならなかった。
・・・勿論、男として、ではないよ。
あ、いや・・・そりゃあ、羨ましくはあるが・・・
・・・・。
俺には、なかったから・・・
「・・・・」
そう、俺には・・・
俺には、由綺と再会する機会が・・・
俺は・・・理奈ちゃんを選んだ。
これは揺るぎない事実であり、そのことに関して、俺は後悔をしていない、と思う。由綺との擦れ違いが続いて、次第に理奈ちゃんとの距離が狭まり、由綺と
は決定的な別れに直面した。
その点に関して、理奈ちゃんを責めるのはお門違いというもの。
彼女は何ごとにも全力全開だった。
即断にして一切の妥協を認めず、許さず・・・
そんなひたむきな理奈ちゃんに・・・
・・・俺は惹かれていたのだから。
それなのに・・・
俺は、まだ・・・
由綺を完全に忘れるなんてことは・・・
偶然に遭遇したCDショップでの別れから、
由綺に電話しよう、って気もあった。
何故だろう、な?
今も彼女が受話器の向こうで待っている。
そんな、気がしていた・・・
だから・・・
『り、理奈ちゃん?』
理奈ちゃんが毎日のように会いにきてくれたのは。
凄く嬉しかったし、
とても・・・助かっていたんだ。
『どうして、ここに・・・?』
『さぁ? 何で、でしょうね? あははっ・・・
今日は冬弥くんとアルバイトね』
『えっ、理奈ちゃん・・・あれ、本気だったの!?』
『当然でしょう?』
彼女は円満の笑みで、クスクスと微笑む。
『とりあえず、コーヒーでも淹れるから・・・
少し散らかっているけど、中で寛いでいて・・・』
『では。お邪魔します・・・
って、冬弥くん。全然、散らかってないじゃない・・・』
まぁ、一人暮らしの障害なもので・・・
物持ちが少なかったという。
散らかしようがない、そんな側面もあった。
『もう・・・折角、室内を片付けて、アピールしようって』
・・・これ以上、何をアピールしようというのか。
《pull〜〜♪》
そのときに室内に着信音が鳴った。
・・・電話だ。
『はい、藤井です』
『っ・・・』
俺がキッチンから戻ってくるまでの、
その僅かな間に通話は終わっていた。
『どうしたの、理奈ちゃん?』
『ううん、間違い電話だったみたいね・・・』
『そっか・・・』
・・・まさか、由綺から?
なんて思ってしまった。
・・・・。
でも、理奈ちゃんの電撃引退から暫くしてからのそれから、彼女は毎日のように俺に会いにきてくれた。勿論、理奈ちゃんを一人の女の子として好きだった
し、そしてそれはとても嬉しく、喜ばしいことだった。
・・・何より、理奈ちゃんと一緒にいるうちは、彼女のことだけを考えられた。こんな健気な理奈ちゃんの表情を曇らせまい、って、何度も自分の心に言い聞
かせられるんだから。
『で、今日の生徒さんは、大学生なのね?』
『うん。二コ下の後輩・・・』
既に彼女の大学受験も終わって、本来は目的である家庭教師の必要はなかった、と思う。
ただお目付け役って役目が残っていた、それだけで。
だから、今の彼女は全く手の掛からない女生徒だったから、たぶん、何の問題も起きないだろう、なんて浅はかな考えを抱いてしまったのが、そもそも大きな
間違いだったのかもしれない。
でも、少なくとも、俺の見ている前では・・・理奈ちゃんと『観月マナ』こと、マナちゃんとの関係は良好だった。
正直、この年ごろの年代の女の子には、やはり異性よりも同性のほうが上手くいくんじゃないか、とさえ思ったほどに。
しかし、問題は帰宅するときに、
そして理奈ちゃんにあった。
『ねぇ、冬弥くん。請け負った生徒が・・・
なんで、あんなに可愛い娘なのかしらね?』
『・・・えっ?』
思わず後退りする。
な、なんで、なに・・・このプレッシャー。
まるでモニターに映る彼女を・・・
あの『緒方理奈』を前にしている、そんな感じだった。
『なんで、かしらね?』
『・・・っ』
思い当たるような節が一つもなかった。
マナちゃんの家庭教師を請け負ってから、もうすぐ一年・・・その間は家庭教師として、振り回され続けて、散々だったような記憶しかない。
・・・まぁ、最初から勉強はできたし・・・
全く手の掛からない、理想的な生徒ではあっただろう。
そして・・・散々な記憶は、あくまで『家庭教師』として、その立場のときだけではあったが。
『だから、明日も冬弥くんとデートね?』
・・・・。
その光栄こそあれ、それを断る理由なんてなかった。
・・・勿論、夜も。
『あっ・・・と、冬弥くん・・・』
『り、理奈ちゃん、俺、俺ぇ・・・もう・・・』
俺の部屋に交わる二人の男女。
恋人にとっては、およそありふれた光景だろう。
だが、世間が見れば、仰天することに違いない。
『その、まま・・・いいから・・・』
『う、うん・・・くっ・・・もう・・・うぅ・・・』
俺と身体を一つにしているのが、あの『緒方理奈』
理奈ちゃんだって、あの理奈ちゃんなのだから。
その理奈ちゃんと俺の間には、何もなく・・・
彼女が生身で受け止めよう、としているのだから。
・・・・。
彼女は本当に良く会いにきてくれた。
それは嬉しかったし、楽しくもあった。
理奈ちゃんのことだけを考えたい、
考えなければいけない。
それだけに・・・一緒にいてくれることが嬉しかった。
これでいいんだ、って。
これがいいんだ、って。
彼女がいれば、彼女を一番に、
自然に考えられたんだから。
だが、その常例が崩されたのが・・・
理奈ちゃんとの新婚生活が始まって、
間もなくのことだった。
『えっ?』
・・・・。
俺にとっては、義理の・・・義兄さんとなる『緒方英二』が、由綺のマネージャだった『篠塚弥生』を伴って、俺と理奈ちゃんの部屋に訪れたことが、その
きっかけだった。
『失踪って、そんな・・・』
体調不良による、休養ではなかったのか?
そういえば大学に休学届を申請したのは・・・
・・・弥生さんだった。
『・・・・』
そりゃ由綺が失踪して、一番の最初に疑われるとしたら・・・俺のところとなるのは、当然のことだったかもしれない。
『・・・でも、由綺が失踪って?』
言い訳になるかもしれないが、俺が由綺の音信不通を・・・失踪を知ったのは、それから三ヶ月が経過してからのことだった。
『そうか、青年・・・聞いていなかったのか?』
・・・・。
英二さんの意味ありげな視線が妹に注がれる。
・・・っ。
恐らくは意図的に隠されていた、のだと分かった。
そしてその彼女の・・・理奈ちゃんの真意が解からないほど、俺は子供ではなかった。
・・・由綺が失踪した。
もし、その直後だったら、俺はきっと駆け出してしまっていたことだろう。
当時には携帯なんて・・・スマホなんてものはない。
あのアイドルだった理奈ちゃんでさえ、ポケベルを常用としていた時代なのだ。だから、由綺と連絡をとる術なんてなかった。
この体で動く、それ以外に・・・
直接会って、話す・・・それ以外に。
『冬弥くん、ごめん・・・』
『っ・・・』
駆け出そうとしていた足は・・・動かなかった。
立ち止まることしか、できなかった。
『・・・ごめんなさい』
そんな理奈ちゃんを置いて・・・
置いていくことなんてできやしなかった。
まして、身重の彼女を・・・
その長女の・・・凛が呼んでいた。
「お父さん・・・?」
俺はその長女の問いかけによって、現実に引き戻された。
気が付けば、既に出しておいたお手製問題集は解かれている。
「・・・・」
中学生レベルの、難しい問題だったんだけどなぁ・・・
「はい・・・全問正解・・・」
この手の問題作りは家庭教師のバイト時代で手馴れたものであり、同時にそんな娘たちの学力の高さには正直、舌を巻く思いだった。
「わーい。お父さん、ねぇねぇ、約束だよ?」
「ん?」
どうやら、全問解いたら、約束を取り付けられていたらしい。
「夏休みにスカイツリーへ家族で行く、って・・・」
「うん。解かった・・・理奈ちゃんにも言っておくから」
スカイツリーに家族で行くなんて、普通の家族なら何ら不思議ではない、こうやって約束をする必要もないような出来事ではあろうが・・・
我が家では多少、事情が異なる。
・・・・。
きっと彼女は無理してでも、一日のオフを作り上げることだろうなぁ。
そんな光景が目に浮かぶようだった。
「ありがとう、お父さん」
・・・・。
娘たちの礼儀正しさは、そんな理奈ちゃんの教育の賜物であろう。
モニター越しの『緒方理奈』からでは想像もできないかもしれないが、素の彼女・・・理奈ちゃんは潔癖なほどに、礼儀と礼節を重んじる女性であったりす
る。
彼女は実の母親の存在を知らずに育ってきた。そのため、娘たちにはそんな思いだけはさせまい、と、懸命に母親をやってくれていた。きっと傍から見れば、
理想的な母親像であったことだろう。
「ねぇ、お父さんとお母さんの、出会いはどんな感じ・・・だったの?」
「えっ?」
その娘たちも、そういうことに興味を抱く年ごろになってきたのだと、改めて時間の流れを実感する。
「お母さんは今日、帰って来るかなぁ〜」
「うーん、今日はTVの収録らしいから、早くても明日の朝かな?」
寂しがり屋の次女・・・桜の疑問に答えながら、その回答を否定する響きが玄関から届けられた。
理奈ちゃんだった。
息を整えて整然としていたけど、ハイヤーを急がせて、きっと駆け足で帰ってきたのは明白だった。
娘の姉妹による笑顔の出迎えを受けている彼女に、俺もゆっくりと近づいていく。
ちなみに姉妹はどちらも母親似。
いずれは二人して音楽芸能業界に興味を抱き、あの世界に飛び込んでいくかもしれない。
・・・そのときのためにも、今から覚悟が必要かも、な。
理奈ちゃんが俺の希望を汲んで、音楽芸能業界に戻る際には、彼女は整然として記者会見を開き、五年前の彼女の噂に纏わる、一つの事実を肯定した。
五年という休養期間中の間に結婚したことを。
そして二人の娘を授かった、ということも。
その堂々とした宣言には、世間を驚かせた。なんといっても、人気が第一の歌手、ましてアイドルという稼業にとってそれは、致命的な爆弾発言でもあったは
ずだった。
それでも彼女は、復帰後、かつての栄光・・・いや、それ以上の輝きをもって、常にトップの座に君臨し続けている。
・・・その堂々した姿勢に共感した、感心したファンも多数にいた。
そしてたとえ結婚した、としても。
そのモニター越しに映る彼女は・・・
俺の目にも、確かにあの『緒方理奈』だった。
「それじゃ、明日は冬弥くんとスカイツリーね?」
「すまん、その・・・平気?」
「ええ。娘たちのお願いですもの・・・それに・・・
私も冬弥くんと一緒にいて、リフレシュしたいもの」
・・・・。
大丈夫。
俺は笑っていれば・・・
・・・この十五年。
俺は由綺を忘れることはできなかった。
でも、俺さえ笑っていれば・・・
気付かれないで済むんだ。
そんな理奈ちゃんを傷つけないで済む。
そう、誰も・・・傷つけずに・・・
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