第六章【 崩壊の波動 】

(2)

 
 【王都ロンバルディア攻防戦・序幕、帝国サイト】


 遥か彼方の向こうに、アースブレードの頂がかすかに見えた。
 かつて彼は、あの剣が突き立つ地を目指し、あの頂上において、壮絶な一大決戦を繰り広げていた。
 (ギルツ――ゥ!!)
 (我は覇王なり、我こそ、覇王なりぃぃぃ!)
 (力なんて・・・・要らないよぉぉ!!)

 あれから三年近くの歳月が過ぎ去ったが、アデューには生涯の師と繰り広げた、あの充実していた日々が、遠い過去のように思えてならなかった。
 彼の背後を慌しく駆け抜ける下士官たちが、騒がしい喧騒が耳につく。もう間もなく目的地に到達する降下ポイントであり、試行テストの結果では良好な評価も、実戦では初めてのソリッドによる降下作戦なのだから、周囲の慌しさ、緊張するのも無理もなかった。
 しかも高度は試行テストの時の比ではなかった。だが、これ以上に高度を下げる事は、ロンバルディア王国軍に察知されてしまう恐れもあり、一つの失態が作戦全体の失敗に繋がる恐れもある。
 シンルピア帝国軍が極秘に開発した、強襲用揚陸空母リバウドにおいて、ロンバルディアの王都を直接攻撃する帝国軍最強の、アデュー率いる第一師団は、「フリーデル戦役」「ローゼンカバリー要塞攻防戦」と立て続けに夥しい損害を出した、帝国最後、起死回生の策である。
「俺の戦闘センスに、あいつの冷静さが加われれば・・・・」

 彼が十余隻からなるリバウドの、総旗艦に乗り込む前夜・・・・

 そこは帝国傷病兵収容施設であり、現在のここは、帝都ムーンパレスの何処の部署よりも多忙であっただろう。「フリーデル戦役」「ローゼンカバリー要塞攻防戦」で収容された帝国兵は、既に施設の収容数の限界を遥かに越えており、臨時に増設された仮施設においても、数に限られた医師たちが「増援を! もっと増援を・・・・」と悲鳴にも似た叫びが聞こえてきそうだった。
 その多忙な光景を横目に、アデューは、一人の個室の前で止まった。戸にかけられた札には、「面会禁止」と掛けられたままであり、アデューは途方に暮れるしかなかったのである。
 長期入院を余儀なくされたサルトビは、「フリーデル戦役」において、シンルピア帝国、ロンバルディア王国の両陣営を通じて、もっとも深手を負った人物であっただろう。下された診断は、脱臼、骨折、臓器の破損など・・・・即ち、長期の静養と入院が余儀なくされていた。
「・・・・」
 落胆だけを収穫に、敵地ロンバルディアから一人帰還した彼は、耐え切れない想いだけを胸に秘め、肩を落としていた。
 今一人、勇者一行の一人であるイズミは、旧パフリシア王国領の領民を一人説得するべく、帝都ムーンパレスから離れていた事もあり、今現在、アデューが彼女の事で相談できる人物は、彼だけに限れていたのだ。
「入れよ」
 扉一つ向こうから久しく聞いた、友の声がアデューを驚かせた。
「さ、サルトビ!?」
「だいたい大袈裟なんだよ、ここの連中は・・・・こんな傷、先の大戦に比べたら、屁でもねぇぜぇ!」
 久しく会う友は、全身に巻かれた包帯姿とは裏腹に、元気そのものであった。少なくても口調は良く知る普段通りに、瀕死寸前の人間が口にするようなものではなかった。
「だがよ、そんな辛気臭い面をされてりゃ、直るもんも直らねぇ!」
 二人が久しく出会って数刻が過ぎた。だが、訪れた面会者は顔を合わせた時から無言の姿勢から変わる事はなく、サルトビはそれだけでアデューが直面している、思い悩んでいる心境を察する事ができた。
 (こりゃ、思っていたより、深刻のようだな・・・・)
 先の「フリーデル戦役」において、長期入院を強いられた彼は、その後の帝国軍がとった作戦を知る由がない。ただ、カリウスがアースティア全土に発した宣戦布告、そして周囲の慌しさもあって、再び帝国軍が敗れたのだろうと、悟っていただけである。
 まさか、アデューが単独で王都ロンバルディアに潜入し、自分らが躍起になって救おうとする、パッフィーと再会を果たしていた事などと、想像の限界を越えていた。
 まして、その救出する対象の彼女が、拒絶した、などと・・・・
 アデューは何も言えなかった。サルトビに相談したい事は山ほどある。ようやく会話できた仲間であり、良き好敵手でもあるのだ。
 (それだけに、パッフィーが俺たちを拒絶した、なんてサルトビに言えるはずがない・・・・)
 まして、自分がそんなパッフィーを殺しそこなった、などとは。

 無言の面会者の心境を思って、サルトビは話題を転じた。
「俺は一連の件が終わったら、帝国を辞めて、本国に帰ろうと思う」
 いつかは一行を抜けて、本国の島国に帰るつもりではいたのである。王都ロンバルディアとなる前のモンゴックの街で、アデューがパッフィーに結婚を申し込み、何事もなくそれを見届ける事ができていたなら、彼は心残す事もなく、帰国を果たしていた事だろう。
 だが、カリウスの謀略に嵌り、パッフィーは、捕らわれた彼らの眼前でレイプされてしまった。その後、彼女は監禁され、救出が不可能だった事もあり、彼女を一人残して、帝国まで逃れて来た為に、現在に至っているのが現状である。
「サルトビ!?」
「本国で、俺の帰りを待ってくれている奴も・・・居るし、な」
 サルトビは鼻先を掻いて赤面し、その本心を隠した。彼は帝国に残って王家に名を連ねる事になるだろう、アデューに、本当の理由を告げる事はできなかったのである。
 彼が深手を負った「フリーデル戦役」において、敵将カルロス(当時はカリウスと彼らは思い込んでいたが)との一騎討ちによって、彼は戦いに敗れた。公約通りにすれば、アデューとサルトビは、カルロスに殺されていても文句は言えないのである。まさに完敗であったのだ。
 だが、カルロスは再戦を約して、踵を返した。一つにはカルロス自身にも余力は少なく、またイズミの《リューハイプリースト》が接近していた理由もあっただろう。だが、その踵を返したカルロスの背後から、帝国軍は射殺したのである。
 確かにサルトビは、シンルピア帝国軍に窮地を救われた、という側面は認める。だが、その行為は、彼の矜持を深く傷つけたのである。恐らく、あの場でアデューも意識を残していれば、自軍の行為に憤慨した事だろう。
 あの敵将が、カリウスだと誤認していた事を差し引いても・・・・
 そして、その後にとったシンルピア帝国の処置(カルロスの晒し首)にも、サルトビは得心がいかなかった。それはイズミも同様であろう。アデューを除く二人には、アデューの婚約者レンヌ・カスタネイド皇女のレイプ・輪姦事件を知らされてはおらず、帝国が主犯と目していたカリウス個人への憎しみを知らなかったのだから、無理もない。
 もっとも、その皇女レイプ・輪姦事件も、巧妙に仕組まれた帝国内部の仕業ではあったのだが・・・・

「そうか・・・・寂しくなるな」
 アデューが入室して、彼の名前以外、初めての言葉であり、それは彼の偽りのない本心ではあった。そして、その吐露した言葉の節々に、彼の迷いと不安が僅かに覗ける。
「アデュー」
 サルトビは包帯だらけの拳で、アデューの胸を軽く叩いた。
「お前の戦闘センスに、俺のクレバーさを身に着ければ、お前は向かうところ敵なし、なんだぜ!」
 それは常日頃、彼が口癖のようにして、アデューに告げた言葉だった。
「相手が例え、覇王ギルツだろうが、あの魔王ウォームガルデスの奴であろうが・・・・パッフィーを辱めたカリウスであろうが!」
 その瞬間アデューの脳裏に、嘲笑を放ちながら、パッフィーがレイプされた光景が、目に浮かんだ。
 アデューの目に闘志が蘇り、拳が固く握られ、突き出された包帯だらけの拳に触れる。
 そうだ、全ての元凶はあいつなんだ!
 あいつを倒しさえすれば、パッフィーだって目を覚ますはずだ!!


「そう・・・・パッフィーだって!!」
 アデューがそう呟く前後にして、揚陸空母リバウドの艦内には騒々しい警報が響き始めた。いよいよ降下ポイントに近づいてきた証明であろう。窓から覗けるそこには、もうすぐ完成に迫っていた、ロンバルディア王国の居城《スパイラルラビリンス》が肉眼でも見えた。
「待って居ろよ、パッフィー・・・・もうすぐ、カリウスの魔の手から解放してやる・・・・パッフィーを救うためにも・・・・」
 強襲用揚陸空母から、シンルピア帝国軍製、接近戦も想定された、改良型《L3》降下部隊が落下を開始する。背中に背負った大型のランドセルは地表五百トール(約五百m)でパラシュートに自動展開されるもので、着地後は自動的に解除される。
 戦闘指揮権をリバウドに残留する士官に委譲し、アデュー自身は大剣テンペストを手に、揚陸空母リバウドから降下する。
「カリウスは、俺が・・・・倒す!!」



 【王都ロンバルディア攻防戦・序幕、王国サイト】


 不死鳥を司るロンバルディア国旗がはためき、普段は心地よいはずの潮風も、その日に限っては疎ましく感じた。
「こうも暑いと、あの太陽を破壊したくなる・・・・」
 隣国の式典に招かれ、その翌日に戻ってきたカリウスたちであったが、王都を出立する前と、帰還した時とは雲泥の開きがあった。
 この地を統治する支配者が港区画までに到達すると、引き連れてきた親衛隊に暫しの休息を与え、王妃一人を伴って、先に滞在した別邸に足を向けた。
「ここは、俺とカルロスが・・・・このモンゴックに来て、初めて手に入れた土地だった。もっとも、その頃の俺は・・・・」
 カリウスは口を噤んで、琥珀の瞳を閉じた。
 闇組織ロンバルディアの歴史は、ここから始まったのである。組織を創設したのは弟のカルロスであり、その頃のカリウスはまだ、最愛の妹を喪失した、絶望の最中にあった。
 元々、旧パフリシア王国の王族であった二人は、当分に渡って食べるだけの金銭には困ってはいなかったが、それでも何もしなければ、金銭は減る一方である。
 当座の生活費を差し引いて、残りの金銭を元手に、手に職を染めたカルロスは、着実に資金を増やしていった。この手の芸当は【時空の魔導師】とさえ謳われたカリウスでさえ、弟の手腕には遠く及ばない。
 カリウスは特にその頃、一般教養の大半が欠落しているからであり、兄とは名ばかりの、ただの石潰しの存在でしかなかったのである。だが、その点について、カルロスは何一つ不満を漏らす事はなかった。
 そこにガンドルフという大男が加わり、小さいながらも組織が出来上がった。
「ロンバルディア?」
「ええ・・・・かつて昔、大陸を統一した覇者が、その手にしていた剣の名前が由来ですが・・・・」
 と、苦笑しつつ、カルロスが兄に告げた。
 確かに一般教養に欠け、常識という概念が完璧に欠落しているようなカリウスではあったが、戦いの歴史と魔法に関する事だけに限って言えば、聖職者に説法を説くような、大それたものであった。
 カルロスはかつて、パフリシア王国に仕えていた頃、「こんな王国、滅びてしまえばいいのだ!」と放言し、実際にして祖国の窮地を見捨てた。
 兄に守護を義務付ける一方で、その兄を蔑むような王国など、と。
 カリウスが守護する王国は、カリウスのための王国であるべきだと、当時のカルロスが思い抱いていた幻想であり、大望であったのである。その為に発足したばかりのロンバルディアは、手広く事業を進める一方で、その中でも表沙汰にできないような事業を主とした。

 あれから数十年の歳月が過ぎ、今やロンバルディア王国は、中央大陸最大の版図を誇る、シンルピア帝国に肩を並べるほどの大国にまでに成長を遂げている。その功績の大半以上が、当主にして国王であるカリウスよりも、弟のカルロスに帰すところが極めて大きかったのは語るまでもない。
 そのカルロスも、既に他界してしまったのだが・・・・


 カリウスが彼女を伴って赴いたのは、その別邸の地下であった。
「ここの地下に、お前に見せたいもの、そして、渡しておかなければならない物がある」
「地下?」
 この地下の存在を知る者は、当主であったカリウスに、亡くなったカルロス、そして最古参のガンドルフのみだけであったが、地下室の内部を知っている者は、彼ら兄弟だけに限られていた。
 それもそのはず・・・・魔力によって、何もない壁から地下室への入口を出現させる必要があるのだから。そう、かつて彼女を監禁した、カリウスが用いる結界だけでなく、監禁部屋内部に仕掛けられた扉の応用である。
「カリウス、その地下に何があると言うの?」
「黙って付いて来い」
 彼女の疑問は当然のものであったが、カリウスは敢えて答えなかった。地下室に入れば、おのずと彼女にも理解できるであろうから。
「もう!」
 先に階段を降るカリウスの後を、釈然としないながらも懸命に彼女が付いて行く。
「本当はこんな服・・・・で、来るべき所ではないのだが・・・・な」
 いつもは黒を好むはずのカリウスのはずが、白い衣服を身に纏っている。その背中にも確かに違和感を覚えた彼女ではあったが、これは式典用の礼服であり、その式典の帰りなのである。
「そう? 似合っているよ」
 それは必ずしも世辞ではなかった。
 スカイブルーの髪に、琥珀の瞳を持つカリウスとカルロスは、傍目から見ても、長身ながら均等な身体に、相当な容姿の持ち主である。大抵の衣服もそれとなく着こなせるであろう事が容易に想像がつく。
 背が低く、童顔の彼女とは正反対である。
「・・・・そういう意味ではない」
 地下への階段を数十段降って、一つの扉が二人の前に立ち憚る。そこでカリウスは立ち止まって、彼女の背中を後押しした。
「暫し、待っていてやる・・・・先に逢って来い」
「えっ?」
 戸惑いを禁じえないパッフィーは、それでも言われたまま、カリウスをその場に残して扉に手をかけて、静かに入室した。

 室内はそれほど広くはなく、そして、地下だけに窓一つなく、壁画もない異様なほどの殺風景だった。ただ蛍光色の原理を利用しているのだろうか、閉ざされていた空間なのにも関わらず、程よい明るさだけは保たれていた。その室内の中心に、パッフィーの見慣れた一本の杖が突き立ち、その部分の地表だけが一段だけ高い。
「これはマジドーラの・・・・私の魔法の杖?」
 その突き立つ杖を手にして、彼女はその下に刻まれた無色の文字に、ようやくにして気が付いた。
「・・・・えっ?」
 驚きの余りに見開いた瞳を瞬きする事もなく、そして言葉にもならず、入室する前の、カリウスの不可解な言動の数々を理解した。
 その地に刻まれた文字は簡潔だが、確かに華美する必要もないものであっただろう。そして、刻まれていた文字は、パッフィーに必ずしも無関係なものではなかったのである。

 マーリア・パフリシア   ここに眠る

 ―と。


「・・・・・」
「故人の事だけを思えば、本当は・・・・故国パフリシア領に埋葬するべきだったのかも知れないが・・・・」
 どれくらいの時間が過ぎていたのだろうか・・・・パッフィーの背後にはいつの間にか、神妙なほどのカリウスが佇んでいた。
「あの地には・・・・いい想い出は少ないだろうからな・・・・俺も、カルロスにも・・・・彼女にも、な・・・・」
 パッフィーは無言で頷いた。
 そのカリウスでさえ知らない真相を知る彼女には、ここに母を埋葬したカリウス、カルロスの気持ちが痛いほど理解できた。それに遠く離れた地では、容易に会いに行く事も叶わなくなるだろう。
「その魔法の杖は大切にするといい・・・・唯一、マーリアが残した形見だったのだからな」
 確かに魔力を喪失したパッフィーに、その魔法の杖はもはや、意味をなさない代物であったかもしれない。だが、それでもマーリアの残した物は限られており、その杖は娘のパッフィーが持つのに相応しい気がしたのである。
 この地の支配者と化した彼は、片膝をついて頭を垂れ、 それはこの地で眠る、最愛だった人に向ける言葉であった。
「それでいいだろう?」
「唯一・・・・」
 パッフィーが先の大戦でこのマジドーラを駆り、それがかつて彼女の母、マーリアの機体であった事は聞かされていた。だが、今ここでカリウスに告げられた言葉は、それまでに抱いていた実感を、より深く感じさせるものであった。
 カリウスは静かに踵を返した。
「でも、唯一の、って・・・・カリウスは・・・・」
「俺は、いいんだ」
 背中を向けたまま、静かに頭を振った。そして優しげな視線のまま、パッフィーを一瞥する。
 (俺には、お前を残してくれたのだから。彼女は・・・・)
 らしくない自身の心境に、カリウスは初めて、微笑みを称えてこの部屋から出る事ができた。

 一人残されたパッフィーは、今一度、母の眠る地に対面した。
 今、彼女の身体の中にある新たな生命は、カリウスの長年に渡る希望であり、そしてマーリアが遂に叶えられなかった、母娘の二代に渡ってようやく実現した口約である。
 パッフィーは、ようやく安定期を迎えたばかりの、生命を宿している腹部を抑えつつ、自らの心に課した。
 確かに魔導師としての魔力は失ってしまったが、母親のマーリアから受け継いだ、歴代のカリウスの血によって伝わる、優秀な魔導師を輩出する血脈は尚も、彼女の中で健在である。
「私が・・・・お母様の代わりに、あの人の希望に沿う・・・・ううん、それ以上の男の子を・・・・必ず産んでみせます」
 歴代のパフリシアの名を冠する女性は、カリウスの遺伝子との結びつきによって、優秀な魔導師を出産してきているのである。そして、彼女もまた、カリウス・パフリシアの血を濃く受け継いでいた、優秀な魔導師だったのだから・・・・


       ( 2 )【王都ロンバルディア攻防戦】《本編サイト》


 アースティア中央大陸にも初夏の季節が訪れ、それは昨年に樹立したばかりのロンバルディア王国も例外ではなかったが、ただこの日ばかりは、王都ロンバルディア周辺の気温が異常に蒸し暑い一日であった。
 予報では、夕刻には気温が下がり、代わりに雷雨が襲うだろうとの、気象省からの連絡である。
「やれやれ、何て一日だか・・・・猛暑と雷雨が一日で来るとはな」
 王都防衛職に復帰したばかりのガンドルフは、気象省からの通達を耳にして、そう毒づいたものであるが、天候の責任と文句を彼らに述べても詮無き事であろう。彼らはあくまで、天候を予測するのが仕事であって、天候を操作できうる人物など、アースティアの神にでもならない限り不可能である。
 現在、ロンバルディア王国は、大陸を二分する大国、シンルピア帝国との和睦準備の段階に入っている。
 その国家方針が大きく転化した時、ガンドルフは反対こそしなかったものの、意外に思ったのも確かである。そしてそれは彼だけでなく、恐らく多くの人間が同様の思いであっただろう。
 先月に、アースティア全土に向けて徹底抗戦を主張した、パフリシア・カリウス一世自らが、和睦への意思を表明したのだから、ガンドルフたちの驚きも当然のものではあった。
 だが、その詳細こそ定かではなかったが、この変化の動きに、ガンドルフが窮地を救った王妃・・・・ロンバルディア王国で唯一に真実を知っている、国王カリウスが溺愛する王妃にして、カリウスの娘である、彼女の存在が関わっている事が解った。
 無論、彼はその知りえた真実を公表する事もなく、まして、それを利用しようとも思ってはいなかった。確かに父と娘という、異例な事実ではあったが、このアースティア界において、近親婚、近親相姦は禁じられている訳でもない。また何処の国家にも似たような、怪しいところは多々としてあるものだ。
 まして彼は戦死した王弟カルロスに対して、絶対の忠誠と敬服を抱いていた人物であり、それは戦死した後も変わらない。そして彼が死しても尽くそうとしたその兄に、王国に、彼も殉じるつもりだったのである。
 王都防衛長官が、その王妃の関わりに気付いたのは、和睦の書簡と共に送付された、先に王都ロンバルディアに潜入した少年・・・・いや、現在は帝国軍の有力将校であり、いずれは帝位に、戴冠するであろう人物に、親書を認めていたからである。
 この時点において、未だロンバルディア王国には、シンルピア帝国初代皇帝トュエル・カスタネイド・ジェームズ一世の崩御を察知する事ができていなかったのだ。
 ロンバルディア王国の陣営が、皇帝崩御の報を知りえたのは、これから数日後の、アデュー・ウォルサムとレンヌ・カスタネイド皇女の結婚式を期に、新皇帝の戴冠が公表された時である。それだけに如何に帝国宰相ミストラルフの手腕と宮廷掌握力とかが優れていたかが解ろう。

 また和平の使者を立てず、わざわざ民間業者を経由してまで、帝国への書簡を送付した理由の一つには、先の「フリーデル戦役」の前に、帝国はロンバルディアからの使者を悉く死出の旅へ送り出している背景がある。
「あの時、現在では、事情が異なりましょう」
 宰相のマードックは、自ら使者として立つ事を上訴したものである。
 ロンバルディア王国は王弟カルロスを失ったものの、「フリーデル戦役」では帝国が今年から得た所領を奪い取り、また「ローゼンカバリー要塞攻防戦」においては、一方的な勝敗で決しているのである。開戦当初とは明らかに情勢が異なっているのは事実である。
 また、宰相のマードックが使者として赴く事で、一応は敗れた帝国の面目も立つだろう、との計算が彼にはあったのである。
 だが、カリウスは宰相の申し出を却下した。
 一つにはカリウスは、帝国を信用していなかった。少なくても、開戦前に派遣した使者を斬り、そしてまた、カルロスの遺体を回収してはその首を晒しているのだから、信用できうるはずがない。何より、カリウスには国政統治能力は未知数である。マードックの補佐があって、辛うじて大過なく、国王として君臨できていた事実を、誰よりもカリウスが認めていたのである。


 確かにロンバルディア王国の方針が転化して、その数日後には、帝都ムーンパレスに、カリウスからの国王直筆の書簡と、パッフィーの親書は届いていた。
「ふん、和睦などと、今更・・・・」
 帝国宰相ミストラルフは、その書簡を握りつぶした。破き捨てなかったのは、すぐに即決するにはさすがに危ぶまれた証拠であろう。
 パフリシア・カリウス一世が、かつて【時空の魔導師】と呼ばれた大魔導師であり、先の「ローゼンカバリー要塞攻防戦」において、帝国を大敗に追いやった人物である事は既に、帝国宰相の知るところではある。
「これでは、銃口を突きつけている相手に、握手を求められるようなものではないか」
 あながちミストラルフの言にも、一理はあった。
 帝国が誇ったはずの難攻不落の要塞、ローゼンカバリーは、カリウスの「流星召還」(メテオ)によって、たった一日して消滅させられた。その魔法が何時、帝都ムーンパレスに堕ちてくるか、定かではない。
 和睦提案書には、和睦期間は三年。期限を延長する意思があれば、その期限が切れる半年前に、互いの王が親書を交わして更新する、とある。
「だが、和睦した後に、流星召還を帝都に堕とされたりもしたら、目もあてられないわ!」
 そうなれば、カリウスは難なく、中央大陸の全土を支配する事さえ可能なのである。後にカリウスには、領土欲や権勢への執着がなかったという事実は、広く知れ渡る事になるのだが、この時点において、帝国宰相の知るところではなかったのである。
 いや、知る事ができた、としても、それを信じる事はできたか、どうかは、また別問題であっただろうが・・・・

 そして何よりも、現在、シンルピア帝国においては、カリウス暗殺計画が目前まで迫っている事もあり、帝国としては、今現在において、ロンバルディア王国と和睦する意志はない。
「しかし・・・・この和睦提案に乗じて、カリウスの暗殺計画に利用できれば・・・・少なくても、暫くは時間を稼げようか・・・・」
 パフリシア・カリウス一世が、王都ロンバルディアに留まったまま、居座り続けてくれれば、カリウス暗殺計画において必要なものは、大抵揃いつつある。
「そう、遥か高みから見下していられるのも、今のうちだぞ・・・・」


 そして、もう一通の、パッフィーからアデューに宛てられた親書は、待望の皇子の出産を五日前に終えたばかりの、レンヌ・カスタネイドの手によって、破り捨てられる運命にあった。
 誕生した皇子には、アレクと名付けられ、これは古代アースティア言語で「勇敢」を意味する。父親にアースティア大陸の英雄であり、いずれこのシンルピア帝国に戴冠するであろう、アデュー・ウォルサム。母親は帝国の最後の皇族である、レンヌ・カスタネイド皇女。
 事に父親に関しては、かつてレンヌをレイプした際に膣内出しした経緯のある、サトー・マクスウェル自身も認めるところである。彼らが皇女を輪姦したのは、今から二年以上前の出来事であり、彼らのいずれかが父親である可能性は、極めて低いといえただろう。
 だが、その輪姦事件に纏わる結末に、今や彼女はサトーに決定的な弱みを握られ、近い将来、愛するアデューに隠れるように、忌まわしきその男に身体を差し出さなければならないのであった。


「 親愛なる仲間であり、友であるアデュー・ウォルサム
 かつて私たちは、このアースティアを救う為に、魔王ウォームガルデスと戦いました。それはひとえにアースティアの平和を願ってのものであった、と思います。
 ですが、現在、アースティア・・・・この中央大陸は残念ながら、シンルピア帝国とロンバルディア王国が争い、多くの人々が傷つき、死んでいきました。
 ここで帝国とロンバルディアが和睦すれば、多くの人が無駄な犠牲から救われ、仮初めとはいえ、私たちが目指してきた平和が手に入るのではないか、と思います。
 私は確かに、カリウスによって辱められました。王都に一人残され、辛かった日がなかった、と言えば、嘘になりましょう。
 ですが、今の私は・・・・カリウスの妻です。
 今でも貴方への想いに偽りはありませんが、もはや、私はあの時の私ではなく、貴方もあの時の貴方ではないはずです。

 親愛なる、いつまでも私が好きな頃の貴方で、ありますように。
             カリウスの妻 パッフィー・パフリシア」

 そのアデューに宛てられた親書を見て、レンヌは平静では居られなかった。かつて彼女は、この手紙の主に憧れ、敬愛してもいた。が、時というのは残酷であり、そして軽薄であった。
「どうして・・・・こうも違うのよ・・・・・」
 彼女には、先の大戦の過酷さ、激しさ・・・・そのアデューとその勇者一行の戦いを、その凄まじさを知らなかった。そして、同じくレイプされた者同士だというのに、この格差が許せなかった。
 幸せ、というのは、恐ろしいものである。なければ人はそれを欲し、過度に過ぎれば、人はそれに簡単に慣れてしまい、更なる幸せを欲求してしまう。その際限ない性は誰にもでもあるものであり、そして皇族として生まれているレンヌには、尚更であったのである。

 レンヌ・カスタネイドの幸せの絶頂期は、アデュー・ウォルサムと婚約する、二人が初めて結ばれた頃であった。
 その当時は、アデューの寝言に彼女の名があっても、レンヌはなるべく気にしないよう、懸命に我慢する事さえも容易かった。彼とパッフィー姫の関係は前々から耳にしていた彼女であったし、何より、自分も敬愛する同世代の少女である。
 その時は、嫉妬という蝕まれていく自身の心境にさえも、嫌悪する事ができたほど、彼女の心は清純そのものであり、幸せだったのである。
 だが、レンヌが過去にレイプされた、輪姦された事によって、もたらされた災厄が、その彼女の幸せを奪い去ろうとしている。その災厄の象徴たるサトー・マクスウェルに、出産を終えた彼女の体調が整い次第、彼女は自身の全身を用いて、忌まわしき男に尽くさなければならない、愉しませなければならない。まさに地獄のような運命が待っている。
「・・・・どうして・・・・」
 彼女は知らない。
 パッフィーがどのような想いをして、かつて想い合っていたアデューに親書を認めたのか、を。カリウスが実の父であり、アデューの眼前で破瓜され、レイプされた事実を。
 その親書の表面だけを見れば、確かに、レンヌ自身との格差は著しいものに見えた事だろう。だが、それまでに至ったパッフィーの苦悩、悲しみ、嘆きなど・・・・そこまで思いやる余裕は、今のレンヌに求める事は、確かに酷な事だったのかも知れなかった。


  ―― 再び、ロンバルディア王都 ――


「しかし、暑い暑い・・・・」
 クーラーを全開にしても、ここまで老朽化してきていたのか、ロンバルディアの仮王宮は、とても快適とはいえなかった。
 ガンドルフに滴る汗は、なにもこの猛暑だけのものではなかった。彼は現場復帰してまだ間もなく、それも完治しての事ではなかった。
「長官、陛下の王邸の方に行かれてはどうです?」
 部下からの言葉を思案して、ガンドルフはゆっくりと頭を振った。
 確かに新築されているカリウスの私邸では、この暑さとは無縁で済む事だろう。だが、今現在、私邸の主たちは隣国の式典に呼ばれて、不在であった。主君がこの猛暑の中を外出しているのに、臣下のガンドルフが暑さを凌いで居座っていたりしたら、他の部下に示しがつかないだろう。
 まして本日中に帰還する予定の国王夫妻に、涼んでいるところを見られたら、如何に忠実な臣としても会わせる顔がなかった。
「しかし、暑い暑い・・・・」
 それが今日何度目の台詞か、ガンドルフ本人も数える気にもならない。そしてその台詞が、他の部下たちの共感を呼んでいた時である。
 王都ロンバルディアの内外の、六ヶ所において暴動が起こったのである。そのうちの一つは、偶発的なもので、周囲の暴動に応じて蜂起したものであったが、そのうちの五つは、後々の調査でシンルピア帝国軍が示唆したものである事が判明する。無論、この時点でそれをガンドルフが知る由もない。
 だが、彼は一部の兵力を温存した。一つには、これが帝国軍の陽動である可能性を見抜いたのである。
 確かにガンドルフの歴戦で培われてきた感は的を射ており、実際にそれはシンルピア帝国軍の仕業ではあったが、帝国軍の作戦はもっと悪辣、もしくは辛辣だった。
 シンルピア帝国軍が示唆した暴動の五つのうち、更に四つが陽動であり、真の狙いは、ロンバルディア王国の南部にある海岸と、その周辺区域の監視機能を有する灯台にあったのだから。
 そのため、帝国軍が侵略している空路からの降下部隊を察知するのが、致命的なほど、ロンバルディア王国軍の対応は遅かった。
 ロンバルディア王国の上空から、自然の産物なる水滴に併せ、明らかに人工的な物質が降下してきた時、初めて、ロンバルディア王国は帝国軍の王都侵略に気がついたのであった。

 パッフィーは王国親衛隊に囲まれて、先月に聞いたばかりの独特の音響に驚きを禁じえなかった。
「非常サイレンだと?」
 隣国からの式典から戻ってきたばかりのカリウスは、慌しいばかりの仮王宮に眉を顰め、何事かを周囲の親衛隊に問い詰めてみようと思ったが、無益な事だと断念した。彼らはカリウスを護る為に、行動を供にしていたのであって、その彼らが知る由がなかったのだ。
「と、とりあえず、陛下、王妃さまは安全な場所に・・・・」
「くっ、そうだな・・・・」
 詳しい事情が解らない以上、その親衛隊の忠告に従う他にない。

 ――が、その時・・・・だった。
 《シュン》
 (か、風の警告だと!)
 カリウスは対外、周囲に風の精霊を配置しており、異変には敏である。この能力によって、彼は「ローゼンカバリー要塞攻防戦」において、サトーの《リュースナイパーカスタム》が放った超長距離狙撃用ロングレンジパルスライフルを予測回避している。
 周囲には到底、《リュー》のような機体が隠れられる場所はなく、また風の精霊が伝える質量も、極めて小さい。
 そして、今度の射線は自分に向けられたものではなかった。
 (しかし、・・・・こ、この角度は・・・・)
 愕然としてカリウスは、横にいた親衛隊を突き飛ばし、駆け出した。頭で理解するよりも早く、身体が反応していた。
「パッフィー!!」
「えっ、あっ・・・・」
 突然、抱き倒されたような彼女には、カリウスがまた自分を求めてきたのか、と錯覚してしまったものである。同時に、カリウスの求めには、最終的に何処でも応じるつもりではあったが、少しは場所を弁えて欲しいとも思ってしまったのも無理はない。
「もう、カリウスてば・・・・えっ?」
 パッフィーは呆れたように抗議しようとして、上半身を起こした。普段は主に黒を好むはずのカリウスだったが、式典用の為に着用していた白いワイシャツのそれが、背中から次第に赤黒く染まっていく光景に、彼女だけでなく、周囲の衛兵までもが唖然としていた。

 《ズッドォォォォ―――ォ》
 それからだった。一発の猛々しい銃声が轟き、彼女にも他の親衛隊にも、聞こえたのは――
 その銃声によってカリウスが撃たれていたのだ、という事に理解するのには、もう暫しの数秒を要しなければならなかった。

 銃声と着弾が同時に聞こえる、というのは、ありえない。特にそれは長距離の射撃からして明白となる。銃声には音速という速度の限界があり、高速に近い速度で突き進む銃弾とは、距離に比例して、その誤差が大きく離れていくのである。
「やはり、銃声にではなく、弾丸に気付いていやがったか・・・・」
 それが弟のカルロスと同様、引き金を引く殺気によってか、どうかは彼には定かではなかったが、そんな事を意に解するような男ではなかった。
 要は、カリウスに当たればいいのだから。
「くくくっ、しかし、あれほどの男が、身を挺してまで護る少女か・・・・」
 スコープ越しに覗ける、蒼白する少女を、男はしばらく眺めた。
 可憐と評される容姿には、まず合格点をつけられよう。また、思わず手に取りたくなるような胸の膨らみは、ともかくとして、小柄な体格は彼にとってはマイナス要素でしかない。それでも引き締まった胴から、相当の締め付けは期待できるが・・・・
 残念ながら、パッフィーのような少女体型は、この男の好みではなかった。彼はどちらか、というと、もっと成熟した・・・・先月に奴隷化にしたばかりのレンヌ・カスタネイドのように、もっと大人の形状をした女性が好みだったのである。
 だが、「ローゼンカバリー攻防戦」において、圧倒的な魔力を帝国軍に見せ付けた、カリウスほどの男が執着し、熱愛し、身を挺してまでも庇う辺り、なるほど、例の提案に沿って行動するのも面白そうではある。
 と。
「フフフッ、まぁいいさ。パッフィー姫よ、光栄に思うのだな」
 彼は見慣れた都市を見下ろして、次の作戦行動に移った。
「特別に、俺に抱かれて貰える資格を認められた、その身体に、な・・・・」
 彼にとってこの地は、生まれ故郷も同然である。帝国に移住する事になるまでは・・・・そして、この遠距離から的確に射撃できる人物は、人材多きシンルピア帝国でも、彼一人であった。
 優秀に過ぎる狙撃手である彼には、狙撃する上で一つの悪癖が付き纏う。射線を確保するまでの沈黙、そのストレス、興奮、その他諸々の影響もあって、異常なほど感情が高ぶり、異常なほど無性に、女を抱きたくなるのである。
 (せいぜいカリウスの最期を横目に、俺に抱かれて貰いながら、よがり狂うがいいさ!)
 サトー・マクスウェル・・・・かつてロンバルディアと呼ばれる前の、モンゴックにおいてロンバルディアと凌ぎを削ったアレックスの当主であり、そして今、シンルピア帝国の帝国諸侯に名を連ねさせ・・・・旧パフリシア城を統治する、有力諸侯の一人であった。



 レンヌ・カスタネイド皇女が帝国待望の、アデューとの間で生まれた皇子の出産から数日後、彼女は従属を強いられるサトーの訪問を受けた。彼女が従属を彼のペニスに誓約し、夥しい精液を浴びたあの日以来であった。
「皇子だってな・・・・」
 皇女の表情に嫌悪の色が明白に見てとれたが、訪問者はそんな皇女の心境など意に解さず、数週間前、大河に漂流していた男とは思えないほどの大股な足取りに、彼女のベッドへと腰掛ける。
 確かに従属を誓約させたサトーとはいえ、公然と会うのには、かなり神経を使っていたのであろう。彼が入室した時に室内にいたのは、彼女と生まれたばかりの皇子だけであった。
「まぁ、とりあえず・・・・また、その口でして貰おうか」
 凄腕の狙撃手である彼には、室外の僅かな気配を見逃す恐れはなかったが、性急に彼女の身体を求めるような事はなかった。何よりレンヌは産後間もなくであり、その意味では、マーリアを無理強いさせてしまったカリウスよりも、常識を弁えていたといえよう。
「・・・・」
 もっとも訪問者の要求は、彼女にとって深刻には変わりなかったが。
 訪問者を迎え入れて立ち尽くしたまま、僅かに逡巡した彼女ではあったが、サトーの方に振り返った時、嫌悪する眼差しとは明らかに異なる、異質な光を帯びていた。
 憎悪である。
「私が貴方に従属する代わりに・・・・貴方に一つ条件があります」
「おいおい・・・・」
 レンヌが従属を誓約したのは、既に数週間も前の事であり、確かに出産が間近に迫っていた事もあって、肉体関係の契りまで果たしてはいないが、既に彼女の立場は、性奴隷なのである。
 その奴隷が主人に条件を突きつける事など、前代未聞の話ではあろう。
「まぁ、いい。聞くだけ、聞いてやろう。あくまで要望、としてな」
 無茶な条件を聞き入れる義理はなかったが、もし容易な事によって、今後の皇女が扱いやすくなるのなら、とりあえず話を聞いてみておいてもいいだろう、と思ったのである。
「で、何だ・・・・その条件って、のは?」
「貴方のその力で・・・・パッフィー・パフリシアを、レイプして欲しいの・・・・」
 突拍子な要求に、さすがのサトーもただ唖然とした。
 サトーにおいても、全ての事情を知り尽くしていた訳ではなかったが、だいたいの予想はついた。
 恐らくは彼女は、パッフィー・パフリシアに嫉妬しているのだろう。
 婚約者であるアデュー・ウォルサムの中に、未だロンバルディアの王妃が住んでいる、という直接的な動機もあっただろうが、それ以上に、同じようにレイプされた運命を共有していながら、レンヌとは全く正反対の幸福を感受しているように、彼女には見えたのであろう。
 パッフィー・パフリシアが後のロンバルディア国王のカリウスに、レイプされた、という話は、もはやこのアースティアにおいても有名な逸話であり、詳細こそ定かではなかったが、後々に王妃の座を掴み取り、今やロンバルディア王国は、シンルピア帝国に比肩する勢いであるから、レンヌ皇女でなくても、噛み付きたくなるのは不思議な事ではなかった。
「私の時のように・・・・いえ、私の時それ以上に、もう二度と立ち直れないぐらい、心身ともにボロボロにしてやって!」
 途端、それまでの勢いが嘘のように消沈した唇を噛みつつ、頬に深い傷がある男の表情を見据えた。
「そうしてくれたら・・・・私は、貴方のどんな要求も受けるわ。貴方との子供を産むのも厭わないくらい・・・・私の身体を貴方の好きなようにしたらいいわっ」
「俺の子孫が、皇帝になる・・・・その可能性もある訳か・・・・」
 初めて、サトーの心にも「帝位」という権力が、美女の下着のようにちらついた。レンヌの申し出が仮に試行されれば、サトーとの間に生まれた子供にも(アデューとレンヌとの子供として、育てられるのであろうが・・・・)帝位継承権(あくまで男児のみ、ではあるが)が生じるのである。
「だが、興味はないんだよ・・・・子孫なんてものには・・・・あくまで俺に利益があるか、ないか。それだけだ」
「それに、この条件・・・・貴方にだって悪くない条件であるはずだわ。貴方にだって、彼女には恨みがあるはずよ」
 その彼女の指摘は正鵠を射ていた。
 サトーが帝国に仕えるようになる前までの、彼の纏め上げた組織《アレックス》は、勇者一行によって・・・・彼女たちの手によって壊滅させられているのである。また、「ローゼンカバリー要塞攻防戦」においては、彼女の夫であるカリウスに、辛酸を舐めさせられた直後なのである。
 だが、パッフィーに対して、邪な欲情を抱く事はなかった。タイプではないのだ・・・・小柄な少女というのは。サトーのペニスは規格外の、常人が短銃としたら、彼は大砲なのである。裂けて泣き叫ぶだけでは興醒めもいいところだった。
「それに、勇者一行が黙ってはいまい・・・・」
 狙撃手として超一流であり、戦士としての技量においても、《リュー使い》の名に恥じない域に達しているサトーではあったが、勇者一行を敵に廻して悠然としていられるほど、卓越しているほどでもないのだ。
「そうでもないのよ・・・・」
 レンヌは初めて、サトーに微笑んだ。無論、優しげな微笑みなどではなく、見る者を冷ややかにさせるような、部類のものだが・・・・
「勇者一行・・・・いえ、アースティアの神が貴方に、パッフィー姫をレイプする事を称讃する証明でしょうね・・・・誰一人として、貴方の行動に異議を唱える事は出来ない。私にいい考えがあるのよ」
「ふむ・・・・なるほどな・・・・」
 レンヌの考えには、もっともなところがあり、理には叶っている。とサトーも認めはした。が思案するも、それでも、まだパッフィー・パフリシアを抱く事に関しては、決して乗り気ではなかった。
 (それとも、あの小柄な身体を無理に裂いて、アレックスを潰した罪をその身でもって抗ってもらおうか・・・・それがカリウスへの憂さも晴らるというものか・・・・)
「部下に輪姦させてもいい訳だな?」
 幸い、彼の部下には、仇敵だが【聖女】信望者は意外と多いのである。
「心身ともに、絶望させてやれるのなら、私はそれで構わないわ」
「とりあえず、お前の要望として、聞いておいた事にしておこうか」
 サトーは慎重に返答を避け、レンヌもすぐに答えを求めるような、性急な真似はしなかった。
「実行するか、どうかは別として・・・・俺が吐き出した全てを飲み干して見せろ・・・・気が変わるかも知れんぞ?」
「解ったわ・・・・」
 ゴツゴツと隆起する、かつて彼女の純潔を奪ったペニスを手に取って、レンヌは言われるがままにして、舌を這わせては懸命に頬張る。
 そしてレンヌは、それまで、忌まわしいばかりであったはずの男、サトーのスペルマを・・・・一滴も零す事もなく、飲み干して見せる。
 (見ていなさい、パッフィー・パフリシア!)
 激しい憎悪だけが、彼女にとって忌まわしき男の、その子種を飲み干せさせていたのだった。


 その翌々日、サトーは突然、帝国宰相ミストラルフの召喚を受けた。
「まさか・・・・な」
 当初、皇女が帝国宰相に事実を通報したのでは? と思ったものだが、一昨日の皇女の瞳にあったのは、ロンバルディア王妃への憎しみだけであり、即座にその疑念を振り払った。
 実際に帝国宰相の召喚は、別の要件であった。
「これが・・・・何か、君には解るかね?」
 宰相府の宰相室に出頭したサトーに、ミストラルフは唐突に問いかけた。
 その帝国宰相の机には、つい先ほど帝国科学技術総監によって開発された、カリウス暗殺を確実にするのためだけに製造されたものがある。
「EP(特殊)弾ですな・・・・効果まではさすがに解りかねますが」
 EP弾には多種様々なものがあり、その効用は、それを製作した者にしか計りかねない。かつてモンゴックで徘徊した《オリハルコン》時代からの狙撃手であった彼も、当然として使用した事はある。
 最近では、魔族のマルトーに対して・・・・
「さすがは優秀とされる、射的屋だな。的確な答えだ」
「狙撃手、と言って貰いたいものです」
「違うのかね?」
「ええ、勿論・・・・」
 帝国唯一の皇族、レンヌ・カスタネイド皇女を従属させた、その公表できない密事があるにせよ、言うべき事は言っておかなければ、返って不審に思われるだろう。
「では、優秀なる狙撃手なら、こいつで、ある人物を撃ち殺して欲しい。無論、射的屋ならば・・・・ただ当てるだけでも構わんぞ」
 冷酷無比なサトーでも、巧緻奸智に長けるミストラルフのような老獪な老人は苦手であった。
 (さすがは人生の倍を生きてきた経験、というやつかな・・・・)
 サトーは、「誰を?」とは、問わなかった。帝国事情から、おおよその見当はつく。というよりも、その人物以外にありえなかった。
「難しいですな・・・・あのカリウスという男には」
 実際に「ローゼンカバリー要塞攻防戦」の最中、サトーはカリウスを狙い撃ちしたのではある。その結果は、彼にとっても、帝国軍にとっても不本意なもので終わってしまったのだが・・・・
「狙撃手としての君が言うのならば、恐らくそうなのであろうな」
 サトーの腕を期待してはいたのであろう。帝国宰相はやや落胆した息を吐いた。
「これは極秘事項ではあるが・・・・」
 帝国宰相はもったいぶった言い方で、口外禁止を命じた。
「近々、王都ロンバルディアを直撃する・・・・その際、君に、これを標的に当てて欲しい。無論、できるならカリウスを撃ち殺して貰えれば、それに越した事はないが・・・・引き受けてはくれんかね?」
 カリウス暗殺計画に伴う、詳細な作戦内容と、直撃する王都ロンバルディア(サトーにはモンゴックと呼んだ方がしっくりきたが・・・・)の絵図面、予定戦力配置図などが並べられた。
 サトーの脳裏に、先日のレンヌが口にした要望が過ぎった。
「・・・・条件が幾つかあります」
「聞こう」
 即答だった。ミストラルフは、あの【時空の魔導師】なる化け物を排除できうるのなら、悪魔に魂をも売り渡すぐらいの腹積もりであったから、当然ではある。
 もっとも、サトーの過去、サトーの密事を知れば、どうなっていたか、定かではない。シンルピア帝国軍がロンバルディア王国を不倶戴天の敵と定めていた、全ての理由が、この男から発していたのだから・・・・

「一つには、まず私の部下の人選は全て、私に一存させてもらいたい」
 帝国の人事法には、ある程度の裁量を師団長クラスには認められているが、それにも限度はある。その軍勢そのものが私閥化されないよう、最低限の措置ではある。
 サトーはこの際、自身の持つ近衛師団を、《アレックス》に所属していた元部下たちで固める腹積もりだった。元々《アレックス》は、《オリハルコン》の特殊交錯部隊の名称であり、そこに所属していたサトーを含めて、優秀な猛者たちである。
 かつてこの帝国領でも、レンヌ・カスタネイドの両親を殺害にせしめ、皇女の暴行まで、その全てをロンバルディアの仕業に仕立て上げた実績があったほどである。
 無論、それこそ帝国において他言無用の、サトーたちの過去ではあったのだが・・・・

「二つ目は、我々の退路は、極秘にさせて頂きます」
 情報の漏洩を恐れていた訳ではなかったが、逆に帝国軍からも知られる訳にはいかなかった。特に先日のレンヌの条件、その要望を聞き入れていた場合には、アデューが率いる第一師団を敵に廻す恐れさえあるのだ。
 サトー自身には、パッフィー・パフリシアのような小柄な少女に興味はなかったが、彼の旧部下たちには、【聖女】と慕われた彼女を羨望していた者たちもいる。その者たちは間違いなく、喜ぶであろう。
 レンヌから名案とばかりに、話を聞かされてはいたが、それを鵜呑みするほど、この頬に傷のある男は短絡的ではなかった。

「三つ目・・・・二つ目に付随する事ではありますが、例え友軍を見捨てる事などもありましょうが・・・・何事に対しても、容認する許可を戴きたい」
 この三つ目までは、帝国宰相は即決に認めた。
 これによって、パッフィー・パフリシアを輪姦した・・・・としても、帝国軍は非を鳴らす事はできなくなったのである。

 さすがに四つ目は、ミストラルフは難色を示したが、最終的にはサトーの望みを叶えたのである。
 帝国の抱える諸侯は、大抵、代々受け継がれてきた地を所領とするか、新たに帝国が任命するか、である。だが、サトーはパフリシア城とその周辺を所望し、帝国にそれを任命させた、異例ともいうべき処置を受けたのである。

 王都を直撃する第一師団に先駆け、サトー率いる近衛師団は遊撃部隊としての役割を極秘に担い、王都ロンバルディアに潜入を果たしていたのである。
 そして、サトーはカリウスに直接当てるのは厳しい、と見て、そのカリウスが寵愛する王妃を狙い撃ちする事で、狙撃を成功させるのであった。


「か、カリウス・・・・」
 蒼白していたパッフィーは、懸命にカリウスを抱き起こし、着弾して鮮血が酷い腹部を抑えた。幸いと言っては変だが、内臓までは別状はなく、早急に措置をすれば、命には別状はないだろう。
 (だが・・・・これは?)
 カリウスは今、自身の身に起こっている異変に、すぐに気がついた。恐らく、周囲の誰にも気付いてはいないだろう、異変に・・・・
「陛下ぁ――」
「狙撃した奴が近くにいるぞぉ、探し出せぇ!」
「衛生兵、衛生兵!」
 周囲の護衛たちが騒ぎ立てる中、王都ロンバルディアの上空から、信じられない光景が降りかかってきていた。シンルピア帝国軍で生産されたソリッド《L3》の大軍が、苛烈なまでの砲火を浴びせつつ、王都の上空から大挙として舞い降りてきたのである。
「パ、パッフィー・・・・無事か?」
「カリウス・・・・しっかりして! 私は大丈夫だから!」
 パッフィーは自分を案じるカリウスが信じられなかった。撃たれたのは彼であって、自分ではなく・・・・そして、標的とされていたのは、まぎれもなく自分なのであるのだから。
「なら・・・・急いで・・・・急いで、宮殿に向かえぇ!」
 カリウスは愛用の剣を突き立てて、遥か上空を見上げた。
「奴が・・・・来る!」
「・・・・そ、そんな・・・・」
 王都ロンバルディアの遥か上空の中に、見慣れた機体があり、それが彼女の良く知る《リューナイト》である事に、彼女には信じられなかった。
 アデューは、パッフィーが認めた親書を見た上での行動なのか、どうかまでは解らないが、先の再会においても、彼女の意思は伝えてはあるのである。彼女には、この光景は信じられなかったのも無理はなかった。
「出でよぉっ、リューソーサラー」
 カリウスは長剣を天に掲げて、自身が駆る《リュー》を召還する。漆黒の軽鎧を身に纏い、ロンバルディア王国の国旗の紋章にもなった、漆黒の盾を持つ、《リューナイト》と並んで、アースティア最高峰の機体である《リューソーサラー》である。
 この好機に対して、シンルピア帝国軍が、アデュー・ウォルサムを送り出してくる事は、容易にカリウスが予見できたのも当然の事ではあった。
 アースティア最高峰の機体同士が会敵するまで、後僅か・・・・
「パッフィー、宮殿に早く・・・・」
 鮮血が滴る脇腹を抑え、できる限り穏やかに諭した。
 先の大戦の英雄でもあり、勇者一行の一人として名を馳せた彼女も、今では戦う術を失った、一人の少女に相応しい存在にしか過ぎない。
「カ、カリウス・・・・」
「もう行け・・・・この侵略を阻止しできなければ、帝国との和平の話も露として消えよう・・・・」
 既にシンルピア帝国軍製の《L3》の降下部隊が、王都ロンバルディアに降り立ち、至る所で砲火が吹き荒れている。その中で、今の彼女にできる事は極めて少ない。
 カリウスの戦いの邪魔にならないよう、彼の言葉に従うそれ以外になかった。



 ロンバルディア王国にとって、僅かに幸いだったのは、数日後にはファリス率いる最前線に送り出される手筈だった、数日前にロールアウトしてきたばかりの最新鋭ソリッド《ギザー改式》が、王都に留まっていた事であろう。
 それまでの汎用型ソリッド《ギザー》も高性能な機体ではあったが、改修された帝国の《L3》を相手には、砲撃の火力で劣る分だけ、やや分が悪い。「フリーデル戦役」の轍を踏まぬように、盾を所持した《L3》には、それまで接近戦に弱いという欠点を、克服しているのである。
 その点、《ギザー改式》は機動性、火力、武装において、あらゆるソリッドを凌駕しており、絶対数が少ないとはいえ、貴重な戦力であった。
 ただし、地の利が本拠地のロンバルディアの方にある、とは、とても言い難かった。王国守備軍は、火線から隠れる建物や、攻撃するにしても極力、王都の被害が及ばぬように配慮する必要があり、帝国軍はそんな事を意に解する必要がなく、弾数が許す限り撃ちまくる事が可能だった。その差に、帝国軍の降下部隊の物量差が加わって、ロンバルディア王国の劣勢は誰の目にも明らかであった。

 その中、遂にアデューとカリウス、《リューパラディン》と《リューアークメイジ》、宿命の宿敵ともいうべき、二人の戦いが始まっていた。
 大剣と長剣が激しい最初の邂逅を遂げると、どちらの剣先も鋭い光刃と閃かせ、激しい空中戦に手出しできる者は皆無であった。
「カリウス―ゥ!」
「くっ!」
 手にする長剣ヴァルハラブレードの、三倍以上の太さはあろう大剣テンペストの斬撃を、カリウスは辛うじて回避する。
 《L3》と《キザー》、《ギザー改式》の激しい砲火が交わされている間も、アデューの意識には何一つ入ってこなかった。彼の全意識を占めるのは、目前にある漆黒の機体を仕留める事のみ、それだけに集中していた。
「お前がパッフィーを・・・・パッフィーを惑わせたぁぁ――ぁ!!」
 かつてこの地で、眼前に見せ付けられた光景が、アデューを際限なく激昂させた。だが、そのいつもは暴走して自滅していく、その寸前で意識を留めておき、鬼気迫るものさえ感じさせた。
「本当は・・・・もっと、明るく振舞える彼女だったのにぃぃぃ」

「アデュー・・・・」
 その二人の空中戦に、パッフィーは思わず立ち止まってしまった。
 パッフィーには、そのアデューの言いたい気持ちは理解できていた。
 確かに彼と再会したあの時も、親書を認めた時でさえも、彼女は心の底から微笑む事は不可能であったのだ。一つには、未だ胸に秘める彼への想いもあっただろう。だが、それ以上にパッフィーの微笑みを奪ったのは、カリウスが求めているのは、自分という存在ではなく、あくまでパフリシアの血を受け継ぐ身体であり、次世代へ繋げる為の通過点に過ぎない、のだと、思い詰めてしまっていたからであろう。
 その彼女の思い込みは、誤解ではあったのだが、その責任の一端は、カリウスが負うべきところである。彼がたった一言でも、胸の内にある想いを口に告げていれば、パッフィーも誤解する事もなく、二人の父娘は一対の男女として愛し合う事ができていた、のであろうから。

「やっぱり、あの二人が戦うのは・・・・間違っている」
 形勢は、戦う前から負傷を負っていた・・・・自分を庇ったが為に負傷していたせいか、カリウスの方が圧倒的に劣勢であった。
 反目しあうシンルピア帝国とロンバルディア王国の戦闘の最中、アデューとカリウスの戦いは、あくまでも私戦の延長に過ぎない。このまま誰かが二人の戦いを停めなければ、そのどちらかが倒れるのは明白である。
 そして・・・・恐らくは彼女にとっては、夫であり、父でもあるカリウスが。
 アデューもカリウスも、今の彼女にとっては大切な人であった。どちらが犠牲になっても、彼女に残るのは、深い喪失感と後悔だけであろう。
「アデューを停めなければ・・・・二人が戦うのは間違っている」
 かつて愛用とした魔法の杖を手に、パッフィーは毅然と踵をとって返し、《リューパラディン》と《リューアークメイジ》が激しく交錯する場所へと駆け出した。

 だが、後に彼女は後悔する事になる。彼女の後日の事だけを思えば、例え如何なる事があろうとも、彼女は決して振り返ってはいけなかったのである。
「王妃様!!」
 護衛する親衛隊の声を振り切るように、パッフィーは駆け出し、そしてその彼女の周辺の異変は、激化する戦場のそれ以上に慌しかった。シンルピア帝国軍の侵略が、何も空からの《L3》降下部隊だけ、とは限らなかったのである。
「て、帝国軍かぁっ?」
「くっ・・・・こんなところにまで!!」
 王国親衛隊は、国王と王族を護衛する精鋭揃いの猛者たちであったが、敵は帝国突撃歩兵部隊であり、数においても、装備においても、親衛隊のそれを遥かに凌駕していた。
 親衛隊の抵抗を、瞬く間に鎮圧する事に成功した彼らの視線と銃口は、ロンバルディア王国の王妃へと向けられた。
「パッフィー姫、アデュー師団長の命令により、お迎えに上がりました」
「あ・・・・アデューの・・・・」
 近衛師団の副官は、全ての事情を知悉しているような面持ちで、有無を言わさない姿勢を見せていた。
 その男の背中を見る形で、絶命寸前だった親衛隊の一人が、銃口を定め・・・・引き金を引いた。銃弾は頭部から眉間を貫かれ、その場に居合わせた者には、副官の生死が明白であった。
 たちまち報復の銃火が、最後の親衛隊に放たれはしたが、彼がその銃弾の痛みを憶えたか、どうかは誰にも解らなかった。


「なっ・・・・あれは・・・・」
 カリウスは、これまでにない雄敵との戦闘の最中、その劣勢な戦況にも関わらず、やや離れた彼女の窮状を察知し、《リューアークメイジ》を駆けつけようとする。
 まるで自分の事など眼中にないような、そんな行動に、アデューの血が滾り、アースティア最高峰の《リューパラディン》が咆哮を上げた。
「逃げるなぁ!」
 カリウス、貴様の相手は俺だ!
 大剣テンペストが唸り上げて、相手の鼻先を切り裂き、たちまち《リューアークメイジ》がその第二撃を華麗な動きで回避し、一端は上昇して難を逃れた。
 離れる訳にはいかない。魔導師のカリウスから離れて戦うのは、余りにもリスクが高いと、アデューの《リューパラディン》も加速しては、相手を追いすがった。
 空を斬らされ続けたテンペストが突き出され、アデューは跳躍する。その突剣を辛うじて黒盾で凌ぎ、長剣ヴァルハラブレードが水平に薙ごうとする。まさに必殺の間合いであった。
 だが・・・・
「うぐっ!」
 腰を捻ったせいもあっただろうが、激しく痛む腹部が更に悲鳴を上げ、カリウスも声にならない悶絶を迫られた。
 大陸の英雄とされるアデューを相手に、千載一遇の好機を逸してしまった、と落胆せずにはいられない。カリウスは決して剣技が不得手という訳ではなかったが、大陸の英雄たる勇者を相手に接近戦をするのには、余りにも分が悪い。
 その間にもカリウスの視線は、雄敵の遥か後方へと奪われていく。もはや戦う術を失っている少女に、あれほどの軍勢に抗う事は不可能といってよく、連れ去られるのも時間の問題でしかなかった。
「パッフィー・・・・!」
「逃がさないって・・・・言ったろうっ!!」
 再び《リューパラディン》が肉薄し、今度は黒盾ごと蹴り飛ばす。盾で蹴りによる攻撃は防いだものの、その衝撃は腹部の負傷しているカリウスにはこの上なく堪えた。
「お前がぁパッフィーを・・・・」
 そこに《リューパラディン》は、体勢整わない《リューアークメイジ》に目掛けて、【重閃爆剣】(メテオザッパー)を繰り出す。
 ・・・・もし、その場にカルロスが健在していたのなら、「フリーデル戦役」から間もない間にも関わらず、《リューパラディン》とアデューの成長を認めた事であろう。蹴りを受け止めてしまった時点で、流れるようにして続く【重閃爆剣】から逃れられる暇はなかったからだ。
「穢したぁぁぁぁぁ!」
 かつてこの地において、アデューがむざむざと見せ付けられた、あの光景が、その瞬間が蘇っていく。
 彼の目の前で、パッフィーが破瓜された・・・・カリウスを受け入れさせられた瞬間――両股を抱え上げ、その小柄な身体の間に割って入ったペニス――膣内に放たれたスペルマが、二人の連結部から溢れ出し――
 そして・・・・パッフィーはカリウスの手に、墜ちた。
「でも・・・・もう、私の事は忘れて・・・・」
 と。
 喪失の悲しみ、痛み、後悔、嫉妬・・・・あらゆるアデューの負の感情全てが、カリウスへの憎しみへと収束していった。


「く、くそっ・・・・」
 (せめて・・・・せめて魔法さえ使えていれば!!!)
 既に負傷していた傷跡も塞がり、出血こそ止まってはいたが、それでも相変わらずの鈍痛が、彼の余力を根こそぎ奪っていく。
 大剣と長剣が激突し、厚みに劣るカリウスのヴァルハラブレードの刀身に深い亀裂が入った。ヴァルハラブレードは本来、近接戦闘を限定して用いられる長剣ではなく、あくまでも魔法攻撃を行う際の媒体的役割なのである。
 《リューパラディン》には一方的に追い込まれ、魔法をも封じられている、とあってはカリウスには、もはや勝機の一欠けらも見つける事は叶わない。
 焦燥感と絶望感だけが、カリウスの胸を満たしていった。
「はぁ・・・・はぁ・・・・パッフィー・・・・待っていろぉ。今、こいつを仕留めて、すぐに迎えにいくから・・・・」
「そう簡単に・・・・はぁはぁ・・・・あれを渡してたまるか!」
 そのカリウスの《リューアークメイジ》の足許付近に漂っている艦艇の一つに、今まさにそのパッフィーが、サトーに蹂躙されている最中だったのだが、戦いに集中している二人には、幾つもの船艇の中から、彼女の存在を見つけ出す事など不可能であった。

 ・・・・カリウス・・・・アデュー・・・・助けてぇぇ・・・・

 (パッフィー!?)
 それでも、《リューアークメイジ》の方が、《リューパラディン》よりも比較的近かったせいだろうか。カリウスには寵愛している彼女の声が聞こえたような、そんな気がしたのである。

 カリウスがパッフィーの嘆きに気を取られた、僅かに一瞬の事だった。
 視線を《リューパラディン》の方に戻した時、既にその神々しい機体が亜高速の光を帯びて、目前に迫っていた瞬間であった。
「パッフィーを穢した、その罪だぁぁ・・・・」
「クッ・・・・」
 咄嗟にカリウスは、黒盾ダーククリスタルシールドを掲げ、《リューアークメイジ》の全推力を逆噴射させる事で、迎撃体勢を整えた。
 急激な《リューアークメイジ》の突進に合わせて、海流が爆発したかのように波打つ。だが、《リューパラディン》の秘剣、最終飛翔斬り(ファイナル・クラッシュドーン)の加速の方が、遥かに勝っていた。


 ――その刹那、限りなく死闘を繰り広げてきた、二機が折り重なる。
 大剣テンペストは、ロンバルディア王国の紋章(黒盾の紋章)を貫き、《リューアークメイジ》の装甲をも貫いて、その剣先が漆黒の機体の背中を突き抜けていた。




「・・・・・」
 (カルロス・・・・マーリア・・・・)
 カリウスの視界がブラックアウトしていく最中、彼は既にこの世の人ではなくなっている弟妹の姿を見えた・・・・ような気がした。
 (・・・・・これで・・・・良かったのかも知れない、な・・・・)
 もしもパッフィーが旨く逃げ延びていれば、ここでカリウスが倒れても、ガンドルフやマードックなら、ロンバルディア王国の跡継ぎを宿している彼女を粗略に扱う事はないだろう。
 また例え、彼女がシンルピア帝国軍に捕らわれた、としても、本来の彼女のあるべき場所は、勇者一行の下にあったのである。それを強引に引き裂いて、彼らから奪ったのは、紛れもなく自分であったのだ。故に彼女の立場がシンルピア帝国に移り変わっても、アデューが皇帝となる帝国なら、彼女もきっと優遇されるはず、である。
 ―と。
 少なくても、カリウスは、そう・・・・信じていたのである。
 そして、《リューアークメイジ》の機体は、海面に向けて勢いよく激突させ、二度と海面に浮上する事はなかった。

 金色と白銀の機体の上に、雨が降り続けている。
 アデューは遥かな頭上を見上げて、不思議な気持ちで雨粒と雷光を仰いでいた。激突した余波で吹き上げられた海水が、時ならぬ驟雨となって《リューパラディン》に降り注いでいく。
 目の前には、もはや敵機の姿はない。
 かなりてこずらされたが、《リューアークメイジ》は、もういない。
 (俺が、討ったんだ)
 不意に度し難い衝動が、アデューの胸中に満たしていく。
「くっ・・・・くくっ・・・・、はは・・・・はははは・・・・」
 力ない笑い声が漏れる。アデューは遥か上空を仰いで、かすれた声で笑い続けた。
 (俺が討った・・・・あの伝説、とされていた魔導師を・・・・)
 カリウスの戦う以前の負傷も、パッフィーの現在の処遇も、知らされていなかった彼には、一つの達成感が・・・・【時空の魔導師】と称えられた、忌まわしき男を突き刺した、その手に残る感触だけが確かであった。
「やった・・・・やったよ、パッフィー・・・・」
 繰り返し、繰り返し・・・・あの出来事を・・・・。この地において、パッフィーがカリウスにレイプされた光景を見続けてきていた。あの光景が頭に焼き付いて離れず、あれから眠れぬ夜に、苦しい思いだけの日々であった。
「やっと・・・・これで・・・・君も・・・・自由に、なれる・・・・」
 アデューは宿願の達成にも関わらず、不思議と空虚だった。望みを果たした、というのに、喜びも高揚感も湧き上がってこなかった。
 ただ引きつるように笑い続けた。
 その瞳から零れ落ちる涙にも気付く事なく、アデューは笑い続けた。

 ただ、この時を・・・・まるでこの瞬間を、アースティアの世界そのものが、祝福してくれているように彼には思えたのである。
 その瞬間、パッフィーの膣内に、カリウスとは異なる濁流が放たれた、その瞬間を・・・・
 それを注ぎ込んだ男と、同様に。


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